吉田晴乃さん死去。 あの財界幹部が「11センチヒール」を履くワケ

吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (1/3):日経ARIA

吉田晴乃さん死去

女性として初めて経団連の役員を務めた吉田晴乃さん 55 が6月30日に心不全で急死の報。 元BTジャパンの代表取締役社長であり、経団連初の女性役員としてご活躍された吉田晴乃 氏のご逝去の報に接し、ポール・マデン駐日英国大使は「日英の経済発展に寄与し、女性のエンパワーメントに尽力されていた吉田様に対し、心から哀悼の意を表します」と述べました。 — 🇬🇧UK in Japan🇯🇵 UKinJapan 先駆的なビジネスリーダーであり、日本の女性地位向上に尽力された吉田晴乃さんのご逝去の報に接し、妻のクリシーと共に心からお悔やみ申し上げます。 — ビル・ハガティ米国大使 USAmbJapan 女性として初めて経団連の役員を務めた吉田晴乃さん。 仕事に、プライベートに多岐に渡るお話を伺ったのが昨年冬。 先日の突然の訃報に驚きました。 ご冥福をお祈りいたします。 さん いただいた言葉を胸に、頑張ります。 — 渡部雪絵 ソーシャル企業 Ayuwa Inc. 日経ARIAに渾身の演説全文が掲載されている。 吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説:日経ARIA 私も、今回は議長国としてリードさせて頂きました。 ここまでのアクティビティ、世界の注目を浴びるようなイニシアティビティを育てることができましたのも、ここにいらっしゃる国際機関の皆さまのサポートがなければできなかったことです。 特にOECDの皆さま、UN Womenの皆さまももちろん、金融のアクセスという意味ではワールドバンクの皆さま、IMFの皆さま、それからポリシーメイキングということでもみなさまと非常にクロスにお仕事をさせて頂いております。 nikkei.

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吉田晴乃さん死去の前日、人生最後になった渾身の演説全文 (1/3) :日経DUAL

吉田晴乃さん死去

20190715 熊井泰明、大砂雅子 追悼:吉田晴乃さんが残した「女性活躍」 吉田晴乃さんが 6月 30日に心不全で亡くなりました( 55歳)。 亡くなる前日の G20大阪サミット特別イベントでは、渾身の演説を担当された(全文は日経 ARIAで公開されています)とのことですから、全く突然の訃報としか言いようがありません。 あまりご存知のない方のため、吉田さんについて少しご紹介させて頂きます。 BTジャパンCEO、初の女性経団連審議員会副議長、規制改革推進会議委員などの重責を歴任し、 2017年にはフォーチュン誌が選ぶ World's Greatest Leaders 50の一人に日本人としてただ一人選出されたこともあります。 経営者としては、いろいろな事情や状況を抱えた社員が活躍できる会社を、という主張をされて来たことでも知られています。 こう書くと、何か順風満帆で来た方のように見えますが、大学卒業のスタート時点から大病やいろいろな問題に直面し、それを乗り越えて圧倒的なキャリアを築いてきた方です。 モトローラ日本法人、カナダの通信会社、 NNTコミュニケーションズなどでキャリアを磨きました。 カナダ人との離婚後にはシングルマザーとして子育てにも邁進し、「娘世代が私たち世代と同じ苦労をしなくて済むように女性活躍を進めたい」という視点から、女性活躍の場を広げることにも力を注いでこられました。 「 100%の力を、母親、CEO、経団連役員、政府委員の 4等分すれば良いかというと、それぞれに 100%が求められ、これまでの 400%の力を発揮しなければなりません」と言い切る方ですから、もしかしたら激務で燃え尽きてしまったのかも知れません。 一度だけ同席したことがありますが、隙のないスーツに高いヒールの靴で会議室に登場すると、出席者が思わず起立して迎えた光景を覚えています。 圧倒的かつ不思議な存在感を持つ方でもありました。 (熊井) 写真で拝見しただけですが、日本人離れした美貌と威圧感のあるお姿を見ると、この日本社会で女性がトップに上り詰めるには、このような方でないと無理だと感じさせるものがありました。 次に続く世代は、普通の女性たちにも男性と同様のチャンスがあってほしいものです。 たぶん、吉田さんもそれを望んでいたことでしょう。 (大砂) まだまだリーダーとして活躍して頂きたかった方だけに、突然の訃報は残念としか言いようがありません。 「花粉( Le Pollen)」(作詞 ピエール・バルー、作曲 高橋幸弘)という曲をご存知の方はほとんどおられないでしょう。 「私たちは過去の人々から花粉を受け継いで花を咲かせ、次の人々に残していく」という歌なのですが、昨年から訃報が相次ぐ中でなかなか染みる内容になっています。 私たちは吉田さんの残した「花粉」を花開かせ、次世代に送る義務があると思います。 心からご冥福をお祈りいたします。

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BTジャパン社長・吉田晴乃のルーツ「意志あるところに道あり」

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(左)BTジャパン 代表取締役社長 吉田晴乃さん(右)お母様との思い出の一枚。 16歳のとき、友人の紹介でお父様と出会い、一途な思いを貫いた。 「父に『あなたを必ず看取るからね』と言ったのが彼女がついた唯一の嘘。 母はとてもおしゃれで、このゴールドのアクセサリーも彫金の特注品なんです。 服のサイズも趣味もピッタリ合うので、「親子って不思議だな」と思います。 母は1937年(昭和12年)12月23日生まれ。 父とは16歳で知り合い、23歳で結婚しました。 一人の男性に忠誠を誓い、専業主婦として生きた、あの時代の女性の鑑(かがみ)のような人。 学校が終わって帰ると、手づくりのおやつが用意されていて、紅茶を入れて待っていてくれる。 毎日「今日は何があったの?」と娘たちを迎える温かい母親でした。 母の時代の専業主婦たちは、今の働く母親とはまた違った意味で、本当に偉かったと思います。 幼少期を旧満州で過ごした母は幼い頃の戦争体験から、平凡でもいいから皆がいつも一緒にいられる幸せな家庭をつくりたいと心の底から願い、それをちゃんと実現したわけですから。 でも、そんな母を見て育った私は、反面教師でこうなっちゃいましたが(笑)。 キリスト教の伝統ある女子校に通っていましたが、反抗期もひどく、プラカードを持って職員室に立てこもったことも……。 母は何とか私を型にはめようとしましたが、当時の私はどうしてもそこからはみ出ようとする。 でも母の中には矛盾もあって、私を型にはめようとする一方で、幼い頃から「これからの女性は社会に出て仕事をしていくべきなの」「自分でお金を稼がないと発言権もなくなるし、悲しい思いをするのよ」と、ため息交じりに私につぶやく母もいました。 次第に、母の中でくすぶる矛盾がいったい何なのかと、疑問を抱くようになります。 「なぜそんな惨めな思いをしなきゃいけないの? それでいいわけないじゃない」と。 だから今の私があるのは必然であり、何よりも私の中に母の血が流れていることの証しなのかなと思います。

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