いだてん 小松。 【いだてん】39話ネタバレ感想:小松勝は満州で死亡!志ん生・美川・森繁久彌も満州に【東京オリムピック噺 大河ドラマ 中村勘九郎・阿部サダヲW主演】

いだてん|小松勝の生涯を年表にして検証してみた。学生時代長くない?リクとの交際は3年間あった?

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小松勝は五りんの父親?モデルは山下勝? 小松勝は四三の著作「ランニング」に感銘を受けてマラソンを始め九州で四三を訪ねた後に弟子入りします。 この小松という人物は実在するのでしょうか?結論から言うと、どうやら実在の人物ではさそうです。 というのも、この小松勝は五りんの父親である可能性が高いのです。 五りんの父親について いだてんの第1話で五りんが登場してから皆が探していた彼の父親。 私も探しました。 そして。 見事に外してしまいました。 これまでの予想のおさらいをしてみます。 最初の予想 一番初めは人力車夫の「清さん」が父親だと踏んでおりました。 清さんの年齢は明らかにはなっていませんが、孝蔵(志ん生)と世代が近いとなると明治23年(1890年前後)の誕生。 五りんは初登場の1959年時に20歳位なので、誕生は「幻の東京オリンピック」の昭和15年(1940年)前後。 清さんが父親なら50歳前後の時の子供という事になります。 父親になるには高齢でしょうか? いやいや、大丈夫です。 五十歳を越えて父親になる人はまあ、ちょっと珍しいけどよくある事です。 かの有名な連合艦隊司令長官海軍大将山本五十六は父親が五十六歳の時の子供ですし、いだてんの主人公金栗四三も父信彦も五十には届かなかったものの四十三歳で四三をもうけております。 しかし、でその予想には暗雲が・・・。 「親父が箱根駅伝で走って優勝している」 と五りんが語る場面が描かれます。 清さんは人力車夫で大学生ではないのです・・・。 (ストックホルム予選会は早稲田の学生に混じって出ておりましたが) ここで諦めかけていたのですが、に、人力車夫が箱根駅伝に出場(助っ人留学生みたいな感じ?)していたというコメントを頂きました。 清さんが後に箱根駅伝に出場すればとも思ったのですが、残念ながらその展開はありませんでした。 清さんと小梅の子供が父親!? 清さん父親の説は諦めましたが、清さん「 祖父説」がにわかに有力説として語られるようになります。 でシマちゃんと増野が結婚。 その記念写真を五りんが持っていました。 この時点でシマちゃんは五りんの祖母。 そして、産まれたりくが五りんの母という事が確定。 ここで、清さんと小梅に子供が産まれると・・・! 清さんなら自分の子供を箱根駅伝へ出場させそうですよね!? 五りんの苗字は「 小松」であることが第1話で母(りく)の形見の手紙を渡す場面で明らかになっています。 ただ、清さんの苗字は一切描かれていませんでした。 つまり、清さんが 小松姓であれば可能性はあった。 しかし、清さんと小梅の間に子供が産まれたという展開はありませんでした。 この時点で清さんと小梅の子供が五りんの父親、つまり清さんが五りん祖父である説ははなさそうです。 スポンサードリンク 小松勝とりくは夫婦 小松勝がいだてんに登場した時に、 「もしかして、この人が五りんの父親?」 と思いました。 物語が進むにつれてそれは確信に変わっていきます。 でシマちゃん改めりくちゃんとちょっと良い感じになっていました。 また、小松勝は大学へ入ってオリンピックを目指すみたいですからね。 大学に入れば箱根駅伝にも出場し、その健脚を活かして優勝もするでしょう。 第1話で明かされている五りんの姓が「 小松」という事から間違いないと思います。 小松勝のモデルは箱根駅伝で活躍した山下勝か? 小松勝が五りんの父親というのは間違いなさそうですが、その小松勝にモデルはいるのでしょうか。 竹早でテニス選手として活躍していたのモデルは実在のテニス選手田村富美子と同じく実在の陸上選手でしたが小松勝はどうでしょうか。 五りんによると父小松勝は「 箱根駅伝で優勝」しているんですよね。 この時期から戦中までの箱根駅伝優勝校は、• 第18回:日本大学 (1937年)• 第19回:日本大学 (1938年)• 第20回:専修大学 (1939年)• 第21回:日本大学 (1940年)• 第22回:日本大学 (1943年) となっております。 ちょっと注目したいのが「専修大学」で活躍された実在の山下勝選手。 名前が小松勝と同じ「 勝」ですね。 しかし、その名前以上に共通点とドラマがあったのです。 山下勝は陸上の至宝 山下勝は箱根駅伝第18回(1937年)大会から第21回大会まで専修大学のランナーとして三区を担当。 第20回(1939年)には区間1位で専修大学の優勝に貢献する活躍をみせています。 最後の箱根出場となった1940年第21回大会では専修大学は優勝を逃しますが、山下勝自身は2年連続の区間1位を獲得する活躍でした。 そして、その1940年。 後に「陸上の至宝」と呼ばれる大活躍をしているのです。 スポンサードリンク 山下勝選手、村社選手の7連覇を止める ベルリンオリンピックが開催された1936年から東京オリンピックが開催されるはずだった、1940年までの間で日本陸上界で最も注目されていたのは長距離ランナーの村社講平です。 村社講平はベルリンオリンピックに出場し、メダルこそ逃してしまいますが1万メートル、そして5千メートルで4位入賞を果たしております。 この走りは後の伝説的な長距離ランナーザトペック選手(チェコ)が陸上を目指すきっかけになったと言われます。 村社講平は日本では向かうところ敵なしの強さで、特にオリンピックにも出場した1万メートルは1934年から1939年まで6連覇を成し遂げています。 (1934年から1938年までは5千メートルも5連覇) そして、この村社講平の1万メートル7連覇を阻止したのが専修大学の山下勝だったのです。 山下勝は5千メートルも優勝し村社講平と同じく1万メートルと5千メートルの二冠に輝きます。 村社講平に続く選手が出て来たと当時の新聞は「陸上の至宝」と称えたのです。 山下勝選手のその後 1941年12月8日、払暁。 日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃、アメリカとの戦端も開かれる事になります。 山下勝は陸軍に入隊し中国戦線へと送られます。 そして、1942年中国河北省にて壮烈な戦死を遂げます。 まだ、24歳の若さでした。 箱根駅伝や日本陸上競技選手権大会での活躍を多くの日本人は覚えていた事もあり、当時の新聞は、 「長距離の至宝 山下勝選手 河北で壮烈な戦死」 と、陸上での活躍と併せて大きく報道しています。 小松勝は生き延びる? 小松勝のモデルは山下勝選手であるのは間違いなさそうだと考えているのですが、では、小松勝もまた戦死するのかと言うと、もしかすると生き延びているのではと考えています。 いだてん第1話でりくからの手紙を志ん生に見せる場面がありましたが、そこに記載されいた所属部隊が 第126師団なんですよね。 第126師団の編成地は満州東安省で、山下勝が戦死した河北省とは微妙に場所が異なるのです。 第126師団はソ連が日ソ中立条約を破り参戦したソ連軍と戦闘を交え、停戦後生き残った将兵はシベリアに抑留されております。 シベリア抑留された日本軍将兵は57万超えそのうち5万5千人以上の方が亡くなるという過酷なものでした。 戦後数年から数十を経て50万人以上の方がなんとか祖国に戻る事が出来ました。 中曽根内閣のブレーンや伊藤忠商事での活躍が山崎豊子の「不毛地帯」のモデルにもなった瀬島龍三もシベリア帰りです。 もし、小松勝がシベリアに抑留されていたのであれば後に帰国する可能性もあると思うのです。 そこで、気になっているのが戦後昭和パートに度々登場する足袋姿のマラソン選手。 最初は金栗四三かな・・・?と考えていたのですが、シベリアから戻る事が出来た小松勝なのではないかなと。 東京オリンピックを目指しながら戦争の為に参加出来なかった山下勝をはじめとする多くの選手達の想いを、約四半世紀を経て開催された「東京オリンピック」をその目で見てもらう事で多少なりとも昇華させたいのではと考えております。 勿論、私の予想ですが・・・。 結構よい線を行っているのではとも思っております。 小松勝が撃たれた!(39話を見て追記) 小松勝が赤軍に撃たれしまいました・・・。 それでも・・・!小松勝が葉書を買った中国人風の男が重傷の小松勝を野戦病院へ運んだお陰で一命を取り留める。 そして、シベリアへと送られて記憶喪失で帰国する・・・。 覚えているのは「走る呼吸」という展開をちょっと信じてみたいと思います。 実際、126師団は沖縄へは行っていないので・・・! 以上、 小松勝は実在?モデルは山下勝?でございます。 今宵は此処までに致します。 スポンサードリンク•

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『いだてん』42話のネタバレ感想!五りんが東京オリンピックの広告塔に!

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昭和36(1961)年12月、 古今亭志ん生(ビートたけし)は 読売巨人軍の祝勝会で倒れてしまいます。 脳出血でした。 五りん(神木隆之介)が病室へかけつけると 美津子(小泉今日子)とその妹・喜美子が いました。 坂井真紀さんが演じます。 志ん生は酸素マスクをつけてベッドで 横たわり、意識がありません。 今松(荒川良々)は志ん生が倒れた時の事を 話します。 川上監督が遅れ、会場がざわざわ していたので、志ん生は高座に上がっていき ました。 しかし、料理とお酒も一緒に出され 一同の乾杯!が始まってしまいます。 志ん生が落語を始めますが、誰も聞いて いません。 やがて志ん生は顔をゆがめて 倒れてしまったのです。 嘉納治五郎の死 昭和13(1938)年、 嘉納治五郎(役所広司)の棺には五輪の旗が かけられ、横浜港に帰って来ます。 金栗四三(中村勘九郎)可児(古舘寛治) 田畑政治(阿部サダヲ)野口(永山絢斗) 永井(杉本哲太)らは悲しみました。 政治は嘉納からのストップウォッチを 手にしていました。 嘉納が亡くなる前 平沢和重(星野源)に託されたものです。 時計はまだ動いていました。 清さん(峯田和伸)もかけつけ 嘉納治五郎の死を悲しみます。 東龍太郎(松重豊)山本(田中美央)らが 棺を車へ運び込みました。 四三は「オリンピックはやる。 必ず」と 静かに決意表明します。 古今亭志ん生、倒れる 病室の古今亭志ん生は酸素マスクをつけて 眠ったままです。 五りんは古いはがきを 見ていました。 五りんの父親が母親に送った もので「志ん生の富久は絶品」とあります。 政治は永井と可児と野口とで、嘉納治五郎を 偲ぶ会を居酒屋で開き、オリンピックを 必ずやると誓いました。 東京オリンピック組織委員会が開かれ 政治はギリシャから東京への聖火リレーを 提案します。 しかし陸軍の梅津(千葉哲也) らは反対し、神火リレーを提案しました。 牛塚(きたろう)は駒沢競技場の建設を 提案します。 1000トンの鉄筋がいると いうと、梅津は木製にしたらと言い出し ました。 現在建設中の新国立競技場は 隈研吾さんデザインで、木も使われて いるんですよね。 東京オリンピック中止 田畑政治は東京オリンピックを開こうと しますが、副島は返上を決め、近衛首相に 電話しようとします。 政治は電話するなら オリンピック開催中は、停戦するよう 伝えてと訴えました。 しかし、東京オリンピック中止が決まり 副島はラトゥール会長に手紙を書きます。 手紙を受け取ったラトゥール会長は 「幻のオリンピックか」とため息を つきました。 明治神宮外苑競技場へ政治は行って 金栗四三と小松勝(仲野太賀)に 東京オリンピック中止を伝えます。 小松はショックを受けましたが、 ヘルシンキがあると走り出しました。 朝日新聞社へ戻った政治は 東京オリンピック中止の記事を書き、 ストップウォッチを止めようとします。 しかし思い直して、動いたまま 引き出しにしまいました。 志ん生、意識を取り戻す 昭和36年、岩田幸彰(松坂桃李)が ストップウォッチを止めようとするのを 政治が慌てて止めます。 その後、カップラーメンの3分間を計った 政治がストップウォッチを止めようとして 今度は岩田に止められました(笑) 病室の志ん生は、付き添いの今松が 五りんに入れ替わると、酒を買って来いと 頼んできます。 意識を取り戻したのです。 しかし体の半分は動かず、 ろれつも回りません。 五りんは、父親の小松が兵隊に取られ 満州へ行った時、志ん生が慰問に来たのか とたずねます。 志ん生はお酒を買ってきたら 話してやると言い出しました(汗) 第二次世界大戦でヘルシンキ五輪中止 昭和14(1939)年、第二次世界大戦 が勃発し、ヘルシンキオリンピックも 中止となります。 四三が小松を熊本へ返せばよかったと残念 がっていると、辛作(三宅弘城)が辛気臭い と怒り出しました。 四三がいつも明るいから 家賃ももらわずに置いてやっているのに というのです。 スヤ(綾瀬はるか)は小松が東京にいたい 訳があると言い、小松はりく(杉咲花)の 事を好きだと明かしました。 小松が外へかけだすと、りくが自転車で 追いかけていきます。 りくが「勝さん 早く」と小松を追い越すと、小松は 「俺と一緒になってくれ」とプロポーズ! りくは猛スピードで自転車をこいで いきました。 播磨屋の2階で、小松とりくは盃を交わし ます。 増野(柄本佑)は妻を震災で 亡くしたと涙を流しました。 五りんは小松金治 病室で、五りんが昭和15年に生まれ 小松金治と名付けられたと打ち明けると 志ん生は「志ん生を襲名した頃だ」と 言います。 美濃部孝蔵(森山未來)が古今亭志ん生を 襲名する事に、りん(夏帆)は反対します。 志ん生を継いだ人は短命だったからですが 孝蔵は志ん生襲名を決めました。 病室に、りん(池波志乃)たちが集まり 美津子が酒臭いと気づきますが なんとかごまかしました(笑) 中村七之助さんの三遊亭圓生 昭和16(1941)年、東条内閣が 成立します。 志ん生となった孝蔵が 日本橋の寄席に行くと、高座に 三遊亭圓生が上がっていました。 中村七之助さんです。 中村勘九郎さんとの同じシーンでの 共演を実現して欲しいです! 軍部の命令で、いくつかの落語を 演じる事が禁止されてしまいます。 昭和16年12月、真珠湾攻撃が始まり 太平洋戦争が勃発しました。 連戦連勝のニュースが流れ 朝日新聞社では万歳!が起こります。 緒方(リリー・フランキー)から「ウソでも 喜べ」と言われ、政治も万歳しました。 小松勝、学徒出陣へ 20才以上の文科系大学生が徴兵され 学徒出陣が行われます。 小松も出征する事になり 四三はムリしてでも熊本へ連れ帰れば よかったと後悔しました。 小松はそうしたら金治が生まれて なかったと笑顔を見せ みんなで自転車節を歌います。 そこへ暗い顔の増野が入って来て 「約束を破ったのか」と小松を蹴りました。 子供たちは「ばってん」の大合唱。 増野は「立派に戦ってくるんだぞ。 お国のために」と小松に言い りくは千人針を渡してくれます。 小松は金治を抱きしめ、3才になったら 冷水浴をさせてと四三に頼みました。 増野が「小松勝君、ばんざい!」と叫び 一同も「ばんざい」と叫びます。 2才の金治も、ばんざいしていました(泣) 昭和18年10月21日、明治神宮外苑 競技場にて、出陣学徒壮行会が行われます。 政治は副島や東龍太郎らと学生たちを 見送っていましたが、河野一郎(桐谷健太) を見つけ、ついていきました。 政治は「これで満足か?河野先生。 俺は諦めない。 オリンピックを必ずやる ここで」と河野に言います。 金栗四三、りん、スヤが見送る中 銃を持った小松が行進していきました。 暗い時代へと突入していく中で 五りんの父親の小松勝が、満州で 志ん生と出会うエピソードが 次回出てくるようですね。

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「志ん生が満州で自殺未遂?」『いだてん』で宮藤官九郎が一番書きたかった回とは

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ひとしきり街中を駆け抜けた小松は「志ん生の『富久』は絶品」と手紙を書くが、ソ連軍に見つかってしまう。 ソ連軍が追いかけてくる絶体絶命の状況にも関わらず、小松は思わず駆け出す。 走る小松の足元は軽快で、その姿はまるでマラソンランナーだ。 「スッスッハッハッ」と呼吸をしながら走る姿は喜びに満ちている。 逃げる小松の姿は『富久』と重なるようにして描かれ、その中で孝蔵演じる久蔵は「俺は家に帰りてえんだ」と言った。 その思いは小松も同じだ。 りく(杉咲花)に、そして息子・金治に会いたい一心で走り続ける小松。 しかし、ソ連軍が放った銃弾が無情にも小松の体を貫いた。 動かなくなった小松を見つけた孝蔵は「何寝てんだよ、久蔵」と、彼をゆすり起こそうとする。 小松との別れを、孝蔵は孝蔵らしく惜しんだ。 「俺の『富久』最後まで聞いてねえだろ!」と泣き叫びながら。 これまで何度も描かれてきた孝蔵の『富久』。 孝蔵が落語に出会ったきっかけでもあり、はじめて高座にあがったときの演目でもある。 久蔵が一心不乱に駆け抜ける姿は、孝蔵や第一部の主人公・四三の情熱として描かれてきた。 しかし今回の『富久』は、小松との出会いによって孝蔵の『富久』から、正真正銘、古今亭志ん生の『富久』へと生まれ変わった。 そしてこの出来事が、小松の息子・五りん(神木隆之介)と志ん生(ビートたけし)を結びつけたとも言える。 引き揚げてきた孝蔵は「みんなで揃って上向いて、這い上がって行きゃわけねえや!」と笑った。 ビートたけし演じる飄々とした志ん生の姿と重なった。 森山未來だからこそ演じられた、あっけらかんとした志ん生の笑顔だった。 今回、戦争が生み出した憎悪と死を避けることなく描いたことも印象的だった。 冒頭、日本兵は中国人を無下に扱った。 しかし戦況が変わると、中国人は日本人に銃を放ち、「死ね」と言いながら何度も何度も体に蹴りを入れた。 彼らは「次は殺す」と小松らを見逃したが、その目は確かに日本への恨みで満ちていた。 また小松の死後、満州に取り残された孝蔵の台詞も忘れてはならない。 「ソ連軍が本格的に来てからはひでえもんだったよ」 「沖縄で米兵が……もっと言やあ日本人が中国でさんざっぱらやってきたことだが……」 戦況が変わっていくのを見続けてきた孝蔵だからこそ発せられる台詞だった。 そしてOP。 第一部では足袋が、第二部では聖火が描かれていたカットは、今回、ボロボロになった足袋が吹き飛ばされるカットに変わっていた。 戦争によって断ち切られた青年の夢。 東京都在住のライター兼絵描き。 映画含む芸術が死ぬほど好き。 大学時代は演劇に明け暮れていた。 2 current.

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