ノン フィクション 一夫 多妻。 [バビロンの犯罪と裁判所判決] ハンムラビ法典4(1~14条): 不動産の重箱の角

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A Story of Violent Faith 著者 Jon Krakauer Doubleday出版(2003年) 座って読んでいるのに、この本を読み終えた時の疲労感はきつい。 ノン フィクションであると余計に重さを感じる。 まして雨続きのNY市、今日10月13日はNY市ではユダヤ教の断食の日ヤム キッパーで殆ど何処も休み。 先週はロシャシャナ。 イスラムラもラマダン中だ。 それならノンフィクションを読まなければイイのだが、私はノンフィクションが好きである。 それなら、疲れるなどと言うのは弁解の余地なしですが、しかし疲れた。 Krakauerは、人間が極端な境地に行った時の状態を記録するのが得意である。 標高が高く、しかも酸素が非常に薄く、過酷な天候の中の極端な雪山登山の情況を詳しく鮮明に記録している。 この登山に日本人女性の難波さんが参加して死亡している。 この本も、人間が極端な境地に入り込んだ様を記録している。 対象は1830年にNY州で誕生したモルモン教、それも原理主義者の実体である。 キリスト教ではあるが、一夫多妻主義を神聖な黙示とする為に、アメリカ史上NY州から追い出されることになり、それ以来、あちこち幌馬車で移動し、遂にユタ州に落ち着いた歴史に触れている。 その書き方は、本人は自覚していないとしてもモルモン教がKrakauerの血と肉であるかの様である。 Krakauerはモルモン教の環境で育った人である事を知った。 この本の主題は、極端な原理主義を貫くグループのRon Laffertyが犯した1984年7月24日の殺人事件である。 一夫多妻主義、夫への110%従順を強いる環境から逃げ出した妻と赤ん坊を残忍な殺し方で殺害した事件の裏の経過と、主犯が獄中で自殺する前まで続いた面談を詳細に記している。 モルモン教といえば、日本に居る頃に時々見かけた。 金髪を何時も端正に整髪し、背広とネクタイで自転車に乗って町の中を走っていた。 風呂から上がったばかりの様な清潔感があるが、何故か不気味な、ヘンな殺気を感じたものだ。 信者の数は世界に一千万人以上まで増え、ユダヤ教徒の数より多いそうだ。 問題視される一夫多妻主義は、1890年に中止する事になったが、それ以来、海外に目を向ける方向に進んだ。 黒人の牧師も誕生するに至って居る。 しかし、この黒人牧師導入を原理主義は受け入れる事が出来ない。 それが為に更に別離の距離は大きくなって行く。 原理主義者の数はカナダ、メキシコに3万人、米国西部に10万人以上居る。 男は少なくとも3人の妻を持つ事というのが神聖な黙示である為に、母子家庭が多く、原理主義に費やされる連邦、州の生活保護の額は年間6百万ドルである。 一夫多妻主義の他に同性愛を禁じ、更に異常に大切としている点は、肌の色が濃い黒人を悪魔とし、黒人は人間の一歩手前、人間に至らなかった動物で、人間の様に直立して言語を話す動物であり、更に天と地と人間は6000年前に作られたとする。 宇宙飛行士が月の表面を歩いたなどは、悪魔が見せかけた仕業で作られたものに過ぎない。 これを小さい頃から教会と家庭で教え込まれる。 また、少女が13歳、14歳の時に大人の男性との結婚を取り決められる事が頻繁で、否定すると天罰が下ると教え込まれる。 それが州法や連邦法のもとでは年少者への暴行罪、時には近親相姦の罪になる。 また、神から殺せと啓示があったとなると、殺人も正当と見る。 この神の啓示が1984年の殺人事件に繋がったと見るのは甘い、とするのは、この主犯を診断した精神病理学医Gradnerと心理学医Goldingの分析である。 この分析がまた非常に興味深い。 この懲り様は、次の掲載にします。 長くなる傾向にある私の掲載と、ここまでおつきあい下さった事、感謝します。

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【国際恋愛】一夫多妻制ってどんな感じ?【気になる結婚】

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いずれも(以下 )が提供する映像「dTV R 」の「TV+」(提供)において、番組としての視聴が可能となり、DMAXは(木)24時、IDは(金)24時より配信開始します。 DMAX(読み:ディー)は、自分の生き方にこだわりをもつ男性向けのとして、ディスカバリーの豊富なの中から厳選した・テイメント番組を展開します。 同は、、、では放送とので展開されており、その他、を含む全域で人気のとなっています。 ディスカバリーは「・・」におけるグローバルとして、全世界で年間8,000時間以上の番組を放送し、様々なにおいて世界中で多くのを魅了しています。 今回の新のもと、日本初のな番組を配信することで、国内の層の拡大を目指します。 は、世界最大級のを持つ映像力を有効活用し、今後も引き続き、日本のお客様にとって魅力的な新を提供してまいります。 経済危機の中、6人の男たちが文字通り人生を賭けた大勝負に出る。 で金の採掘に挑戦するのだ。 家族を引き連れ、すべてを捨てて挑む人生最後の一攫千金の。 果たして、大金持ちになることはできるのか?(全10話) 2)番組名:ノマド・【日本初】 配信日時:(木)より4週連続 番組概要:料理人で冒険家のが世界各地の辺境の地でを学び、そこから着想を得た新作料理を自身が経営するので提供。 お客に最高の食体験をしてもらうことを目指す。 旅、料理、文化の融合、挑戦といった様々な要素が凝縮された新感覚。 3)番組名:秘境【日本初】 配信日時:(木)より4週連続 番組概要:、、の親友3人組が単調な日常から抜け出し、ほとんど人が訪れない辺境の地を訪問。 の中で3~4日間にわたり前後を徒歩や、ラフティング、などで移動しながら自ら撮影する。 激流の川、極寒の山からまで、過酷な環境で行われる男たちの究極の冒険に密着。 犯人は巧妙な手口で犯行に及び、時には証拠をねつ造したり匿名の手紙を送ったりして警察を出し抜き、完全犯罪を成し遂げようとするのだ。 番組では毎回1つの陰惨な事件に注目。 捜査に当たった刑事の目線から事件をたどる。 捜査の過程で浮かび上がった仮説と実際に起きたことを再現映像でに描き、犯行現場の真相に迫る。 2)番組名:愛という名の凶器 配信日時:(金)より6週連続 番組概要:人は愛する人のためにどこまでできるのか。 嘘をつく、自ら命を断つ、もしくは…人を殺すことさえできるのだろうか。 本では、愛情や忠誠心、信仰心といったものがとなって起きた猟奇的殺人事件の数々を紹介し、その真相に迫る。 愛情という名の"凶器"を得た者は、極めて計画的な犯行に及ぶのだった。 3)番組名:、妊娠してた!?【日本初】 配信日時:(金)より4週連続 番組概要:予期せぬ妊娠や驚くべき出産を経験した女性の。 寝室の床で婚約者が寝ている間に産気づいた女性から小売店での勤務中に出産する5児の母親、昏睡状態のまま帝王切開で出産した女性まで、信じられないような体験を本人や関係者の証言を交えてに再現。 人間の強さと弱さ、人体のふしぎを描く奇跡の実話。 4)番組名:愛との殺人事件簿【日本初】 配信日時:(金)より8週連続 番組概要:世間を震撼させた驚愕の殺人事件の真相に迫る。 被害者の友人や家族、親戚、、捜査関係者、専門家などの証言を基に事件を克明に再現。 当時の世相や社会背景、嫉妬や強欲、復讐心といった人間心理をにする。 <番組画像> DMAX: ノマド・【日本初放送】 <TV+について> が運営する総合です。 「TV+」でしか観ることのできない番組や地方の人気番組、、音楽など充実したナップで提供しています。 「TV+」は、dTVでご視聴いただけます。 <dTVについて> がより提供を開始した映像です。 「TV+」や・専門「very 」を含め、映画、、、音楽、、など 31 のな専門を見放題で楽しめます。 、上のから気軽に視聴でき、専用の対応をご利用いただくことでご家庭のでも視聴することができます。 なお、本はャストが番組調達を担当し、とが共同で企画・運営しています。 6月より米国での放送を開始。 現在以上の国と地域、45言語にて放送を行っており、世界27億世帯が視聴可能な世界最大級のノン・企業です。 ディスカバリーは、・・におけるグローバルとして、年間8,000時間以上の番組を放送し、様々なにおいて世界中で多くのを魅了しています。 近年は、やディスカバリー・を軸としたテインメント事業への拡大を積極的に行っています。 内においては、より「」、より「」のCS放送を開始。 にはの展開をし、宇宙、ネイチャーなど地球上で起きている驚きのあるを厳選しに配信しています。 さらに1月には国内初の・専門「very 」もチしています。 配信元企業: 関連ニュース•

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西山嘉克は一夫多妻だけど嫁や息子と娘など家族構成は?ノンフィクション

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2016年9月15日 『チグリス川とユーフラテス川の両大河に挟まれた地』という意味の[メソポタミア]の南部半分を[バビロニア]と呼び、さらにその南半分を[シュメール地方]と呼んだが、B. C4000年ごろのこの地に移り住んだシュメール人が築いた[シュメール文明]が『世界最古の文明』だといわれている。 C3500年ごろのこの地には神殿の高級神官が頂点に立つ都市国家が出現していたのだ。 さらにB. C2900年ごろから初期王朝の時代が始まり、B. C2600年ごろのウルク第1王朝にギルガメシュ王が実在していることを後代の考古学者が証明している。 当時の日本はまだ縄文時代だったが、エジプト、インド、中国にも文明が芽生えて、世界4大文明が出揃うことになった。 他国に押し入る侵略者にとっては比較的に侵入しやすい地の利を持つメソポタミアには、様々な人種が何波にも分かれ時の権力者に戦いを挑み、ほうぼうの地に独自の都市国家を築いていった。 最南のシュメール地方に対した北バビロニアをアッカド地方と呼ぶが、ここに都市国家[バビロン王国(B. C1830~B. C1530年)]の[バビロン第一王朝]が興り、第6代目の王になったのが[ハンムラビ(1810~1750年)]で、晩年には全メソポタミアを統一し、史上4番目の法典[ハンムラビ法典]を編纂したことで王の威信を広く知らしめている。 この日本語訳を見た限りでは近代国家における民法に類似す如何なる法律とも趣が異なることから、すでに起こってしまった事件に裁定が下された『判例集』のように思える。 ただし、罪を犯した者が目お潰されたり歯を折られたり、そこまでやらなくてもよいと思うのに、水刑で殺されたりと死刑になるケースが多いように思えるが、古代法の研究者の一人は、『条文はあくまでも悪に対する歯止めのための文書上の罰則であって、本当にこの法典通りやったとは思えない』というような感想をもらしている。 古代メソポタミアの4000年も前にあった[バビロンの都市国家内の社会生活]の概略を知っていないと混乱すことになるので、社会的システムを書き記す。 詳しく説明できないのは、そんな細部までは私自身が知らないからだ。 どちらにしても、考古学者の先生方だって推測の域をでていないことがかなりの部分にまたがっているようだ。 それらの素晴らしい推測が展開される賜物に目を通していると、古代の地に立って当時の人々の暮らしを垣間見る思いがする。 そして心が跳ねる。 当時の縦割り社会だが、まず『王』の下にかしずくブレーンである貴族と神殿の神官があり、[アウィルム(自由民)]という兵役義務のある国の召使がいた。 これらは農耕や牧畜の経営者階層で、その下に[ムシュケーヌム(半自由人)]がいて、最下層の『ワラドウム 奴隷))』により、4つの社会的階層が絡み合い経済的安定が保たれていた。 [ムシュケーヌム(半自由人)]や[アウィルム(自由民)]階層の[国に対する義務]としては、『納税』、『国王軍への兵役』がある。 また、[アウィルム(自由民)]が死亡した場合は、『彼の財産は子どもたちの間で分けられ』るために、土地は次第に小さく分断されていくことになる。 [ワラドウム 奴隷)]階層は、必ずしも[アウィルム(自由民)]階層より経済的に劣勢にあるわけではなく、[アウィルム(自由民)]であっても日々の生活での負債を精算するために彼ら自身や自分の子を奴隷として売らなければならないような者もあり、[ワラドウム(奴隷)』階層といえども、彼ら自身の権利で財産を所有することができ、裕福な生活を楽しむ部分もあった。 『ハンムラビ法典』内での争議の項のように、必ずしも『目には目を』的な扱いではなかったような伏(フ)しがある。 確かに奴隷が逃亡すれば死罪、主人に反抗すれば耳を削がれたりはしたが、彼らが売買契約の主体となっても結婚することもできたようだ。 さらに、債務を帳消しにして奴隷を開放する『徳政令』などを度々行ってもいたようだ。 証拠も無いのに他人を中傷する言動を持って、無実の者を罪に陥れようとする者を厳しく罰するということだと思うが、[ハンムラビ法典]の第1条にこれを据えたということは、『個人に対する罪の観念では無く、バビロニアの司法神[シャマシュ]に対する『虚偽の罪』と考えた方が自然である。 この条項は、シュメール時代以降に確立した[同害報復の『タリオ法』]をこの法典第1条を持って明示したものと言える。 後の条項(第196条・第200条)に顔をのぞかせる『目には目、歯には歯』などは、後のB. C400年前後に完成されたと言われる[旧約聖書(ユダヤ教聖書)]にも援用されているためか、一人歩きを始めてしまった。 『タリオ法』と先に言った[タリオ]というラテン語の語源はローマ法などで使われた[同害報復]と訳されているが、本来は『同じような・・・、このような・・・』といった意味の単語なので必ずしも刑法上の原則ではなく、むしろ[ハンムラビ法典]では『民事上の損害賠償が同じ[アウィルム(自由民)]階層間で下されるという一貫した原則』として貫かれいる。 『真犯人が自分の犯行を他人に被せて利益を得る』というパターンは小説やテレビドラマや映画の題材に何千回も取り上げられているが、容疑者が警察の職業的な誘導で自白を強制されたり、検察官の証拠捏造などにより無実でありながら重い罪を課された人々は膨大な人数にのぼることが推測されている。 つまり、無実でありながら獄に繋がれ、死刑になっていった人も大勢いたものと思われる。 無実の人間が刑に服しながら無実を訴え続け永い時間の経過の果てに無実が証明された例はあるが、その例は非常に少ない。 上告を重ねながら無実を勝ち取った者は、法で拘束された期間の自由に対する保障は当然の事として国が責任をとっているようだ。 この場合、自白を迫った警官や、無実と知りつつ依頼者の利益を優先させて罪の立証をする弁護士や、面子のためにムリムリ虚偽を強要して罪に貶める検察官や、その不当性を見ぬけず判決を下す裁判官にも、自分達が無実の者に罪悪者の烙印を押し付けたペナルティーが有ってしかるべきだと思っているが、それを耳にすることはなく、国家の賠償責任で辻妻を合わせているだけのようだ。 このような場合を[ハンムラビ法典]に照らして考えれば『自白を共用した取り調べ警察官、証拠物件を捏造した検察関係者、その者たちに何らの疑問も湧かないで判決を下した裁判官は、死刑とまでは言わないまでも、無期懲役を賜った殺人犯や性犯罪者が屯する雑居房で寝泊まりする懲役18ゲツの実刑が妥当だと私は思うが、関係者の気分を害しなければよいが。 河神の河川がその者を捕らた(水死した)時は、魔法を使ったと告発した者は魔法を使った嫌疑をかけられた者の家屋を所有することができるものとする。 もし河神の河川が魔術を使ったと言われた者の疑惑を解消し、無事に河川から助かった時は魔法を使ったと告発した者は死刑に処せられる。 そして、告発した者の家屋は魔法を使ったとして告発された者の所有となる』 [解説] [ある者が、自分の飼っている羊の中の15匹が泡を吹いて死んでいったのは「この者の魔術のせいだ」と訴え出た。 魔術により他人の財産を失わせたと疑われた者は、自身の無実を証明するためには川の神が住むというユーフラテス川の流れの急な深みに飛び込み川底の小石を拾って岸に戻れば川の神は彼の潔白を証明したので、彼が魔術を使ったと訴えでた者は死罪となり、その者の財産はすべて川の神の審判を受けた者のものになる。 反対に嫌疑をかけられた者が川の神に引きずり込まれて死んでしまったときには、訴え出た人は彼の総ての財産を取ることができる。 今日に残る古代バビロニア[神名表]には、2千近い神々の名が載っている。 古代ギリシャや古代エジプト同様、見える物も見えない物にも全て神がやどっていたと考えていて、メソポタミアの歴代の王朝や大小の都市国家の命運にかかわることの実行前には、都市神に犠牲の羊を捧げて腹を裂き、羊の肝臓の色や形で命運を占う[肝臓占い]を行っていた。 麻酔もかけずに腹を切られて肝臓を切り取られる羊はさぞや痛かったことであろう。 [ハンムラビ法典]の第2条の河神による[神明裁判]は、すでに[リビト・イシュタル法典(B. C1934~B. C1920在位のイシン第一王朝の5代目王が創る)]の第17条にも記されているのを見ると、シュメール時代から普遍的な規定として普及していたものと思われる。 その[リビト・イシュタル法典]の[河川における神明裁判]では、明らかに『容疑者を縛ったまま水に投げ込む』こと、そして容疑者がこの神明裁判を切り抜けて神の裁きによって自分の無実を立証できたとみなされた時、その容疑者を告発した者は火炙りによって死刑に処せられている。 [ハンムラビ法典]の[第2条]には、告発した側の処刑法について何も述べていないが、おそらく同じように[火刑]によりケリを付けたのだろう。 ただし、前2ヶ条が『原告の立証責任』についてのものに対して、当3条は『その時審理中の事件に対して証人として立った者が偽証をしたり、無責任な陳述を何の考慮もしないまま証言するようなこと』を[防止]する目的の規定だと思われる。 そして、その事件が生命に関わるような重大な事件であるのに証言者の偽証が判明した場合は、その無責任な陳述を行った者に『死刑』の判決が出されることもあると、定めたものと考えられる。 現在の日本の刑法が偽証罪を『3ケ月以上10年以下の懲役(刑法第169条)』と定めているのと較べると、かなり重い規定であり、「当時の世界に生まれなくてよかった」と思っている政治家や電力会社の経営陣もおいでになるかもしれない。 帝政になったローマがキリスト教を受け入れたA. D300年代当時に[カノン法(カトリック教会法典)]として西欧の倫理感の中で発展してゆくと、偽証は神に対する宣誓違反であり『神を汚す大罪』としての要素が加わってきたようである。 なお、[カトリック教会法典]にある[偽証]以外の『神を汚す大罪』としては、妖術・偽りの誓・殺人・私通・強姦・離婚・姦通・一夫多妻・同棲・いかさま賭博・中傷などが『死に至る罪』となっている。 厳しい掟ではあるが、キリスト教信者だってすべてを守っている訳ではない。 ましてや一般の無神論者に適用しない項目があるのは、その総てを起訴して死刑にした後の人口減少に『打つ手なし』の政府の方針のようにも見受けられる。 第3条に続いて証拠を厳正なものとして維持させる目的で収賄を禁じ、無責任な偽証をした者が判明した場合、その訴訟で訴えられている金額と同額の損害賠償責任をその証言した者に課している。 第3条が、生命に関わる訴訟だったので偽証に対する刑罰を[死刑]と定めたのに対して、当4条は『穀物や金銭に関する民事訴訟』なので、その訴訟額と同額の損害賠償が定められている。 今も昔も変わらないが他人の訴訟に証言者として偽証するような者は原告か被告から金銭で買収(収賄)されていると相場が決まっている。 こんなやつを甘やかすことはない、争われている金額の5倍の罰金が妥当だと私は思う。 しかる後に、前の訴訟で言い渡した賠償額の12倍の賠償金を裁判官が支払わなくてはならない。 さらに、その裁判官を裁判官の座席から追放し、決して元に戻ることも他の裁判官と共に裁きの職席に座ることがあってはならないものとする』 [解説] この第5条の条文は、裁判自体の根本原則から外れた[裁判官の職責]に関する重要な規定を謳っている。 第5条の条文を見る限り、当時の裁判官の地位と職責については、近代国民国家の裁判官よりも相対的に低い地位に置かれていたと考えられる。 [民事]または[商業]に関する訴訟の場合、裁判官が前に自分の下した判決を勝手に変更したり、その内容を変えたりすれば、自分の下した判決の訴訟額の12倍もの多額の賠償金を払わねばならなかった。 だが、はっきりしていることは各裁判で下された総ての判決の事細かな内容が刻まれた粘土板を判決文書として密封保存されたものがきちんと残されていただろうし、後にその判決を参照する時に、前の判決の粘土板文書は開かれ、かってどのように裁判されたかの証拠としてハンムラビ王の前に提出され、それが吟味されたことだろう。 その結果、かってに判決を変更した裁判官は、永久に裁判官として地位を失う弾劾規定がこの条文である。 当時の社会での裁判官の中には余程の悪が多かったのか、ここに掲載しきれないくらい膨大な点数の粘土板の記録が発掘されているのである。 裁判官の不正については、[旧約聖書]の多くの預言書の中にも取り込まれている。 その中の一つの[サムエル記・上(最後の士師であったサムエルにちなんだ命名で、この中にはダビデ王の活躍なども含まれている)]には、『サムエルは年老い、イスラエルのために裁きを行うものとして息子たちを任命した。 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤといい、この二人はベエル・シェバ(イスラエル南部地区の都市)で裁きを行なった。 しかし、この息子たちは父の道を歩まず、不正な利益を求め、賄賂を取って裁きを曲げた』とある。 このような形で[ハンムラビ法典]の[第5条]の規定は後に宗教的色彩が加わり、ユダヤ法としては[立法(ヤハウィ神がイスラエルの民に示す宗教的・論理的教えの書だそうだ)]から[タルムード(ラビの言語録などが載る現代ユダヤ教の主要宗派の経典らしい)]へと発展していった。 [ハンムラビ法典]と[ヘブライ法]との比較考察をした学者の著書には、『盗難に関する賠償に関しては、ヘブライ民族が4倍の損害賠償であるのに、ハンムラビ法典は30倍の賠償とかなり高い』とあるそうだ。 裁判官が自分の判決したものを後で変更して生じる損害賠償が、12倍と言うのが何故かと言う言及はない。 このバビロニア時代には、ひとつの裁判を担当した裁判官は3人から10人ぐらいであったとの記録が残っているので、その裁判官たちが損害賠償額を分担して払ったのかも知れないが、本当のところは誰も知らないという。 また盗んだ者より盗品を受け取った者は、有償無償に拘わらず死刑とする』と、言っているが、この第6条から第25条までは[重犯罪に対する処罰規定]だ。 特に第6条から第8条までは[神殿]と[宮殿]と言う当時のバビロニア社会の頂点ある支配階層の神聖な場所に関する条文で、この場所からの窃盗犯人の建前上の刑罰は『死刑』である。 古今東西に関わらず、窃盗や詐欺や大がかり強奪(カツアゲ)や、組織力を用いた貴金属や美術品のような芸術的な窃盗犯罪の場合、その獲物の換金を受け持つ部門が必ずある。 盗ったものを家の天井裏の特製の小部屋に入れて置いたとしても、犯行準備のために使った資本金の回収ができなければ、それは失敗なのである。 期間に余裕を持って隠しておくなら、それを買い取る側の古物商のような仲介人の陰の実力者だ。 この連中にうまく立ち回られるようならば、犯人を捕まえるどころか金輪際盗まれたものなどそのままの姿で表の世界に顔を出さない。 ハンムラビの時代も同じだったはずなので、盗品を買い取った者も死罪にすると脅かしたわけだ。 捕まれば死刑になるのなら、捕まらないようにするのがプロの技量と言うもので、おそらく簡単に御用となった例は少ないはずだった。 話は変わって、神殿と宮殿ともに、その財産の中には耕地もあれば、牛、羊、驢馬、豚、小舟もある。 これらの窃盗による損害に対する賠償には、現物価格の30倍の賠償額が規定されていて命は助かるのだから、この第6条規定の対象物は、宮殿や神殿にとってもっとも重要なものだったのだろう。 もう一つ考えられるのは、この第6条規定が『プログラム規定』のようなもので、実際に犯人を捕まえて見てから、条項通り死刑にするか、次の次の第8条に準備してある賠償額をもっと高くするかは裁判官の裁量任せというこのとに落ち着く予感がする。 この条文を規定することで、『神殿や宮殿の貴重な物を盗めば死刑だからナイ!』ということを広く知らしめる必要から規定されたとみて、間違いない。 もしこれに違反して、子供や奴隷から金銀・奴隷・牛・羊・驢馬などを買い取ったり預かって保管した場合には窃盗犯とみなされて死刑となる、という凄まじい文言である。 この条文を広義で解釈するなら[所有権の保護]について謳ったものと考えられる。 通貨としての銀の価値観の一例を挙げると、労働者の日給が4シェ~6シェの銀薄片が相場だったようである。 このハンムラビの時代がCB. C1760年代前後で、古代ローマが銀を貨幣として初めて使用したのがB. C269年であったので、それより1500年も昔の古代バビロニアでは銀を通貨代わりに用いられていたことになる。 これは凄いことだと思うが、私が本当に凄いと思うのは古代メソポタミアの神話に類する文学や歴史的な事柄がエジプト、ギリシャ、さらにローマへと影響を及ぼして次代の絢爛たる文明の糧(カテ)となっている事実である。 ことに、ユダヤ教の経典、そこから枝分かれしたキリスト教の旧約聖書(B. C700年代~ B. C160年代)の内容はB. C2000年初頭に成立したい[ギルガメシュ叙事詩]に始まって、まさにメソポタミア史上の故事から題材を得たものだという人が多い。 悪い言葉でいえば『全部パクリだ!』というわけであるが、そんなことに関わっていると話はどんどんこんがらかってくる。 弁償できなければ死ぬ) 『もしある者が、牛、羊、ロバ、豚、あるいは船であっても、これを盗んだ時は、もしそれが神殿や官廷の物であるときはその価値の30倍のものを賠償しなければならない。 もしそれが[ムシュケーヌム(半自由人)]階層のものである時は、その価値の10倍のものを賠償しなければならない。 もしも盗人がそれを賠償出来ない時は死罪に処せられる』 [解説] 窃盗犯が盗んだ『牛、羊、驢馬、豚、小舟』などが神殿や宮殿の物なら、その価値の30倍を賠償しなければならないが、それが[ムシュケーヌム(半自由人)]のものなら10倍を弁償すればよいとしている。 しかし、それを払いなければその窃盗犯は死刑になる。 30倍もの罰金を払えば払ったで、「そんな罰金を払うことができるほど金を持っているのなら、なぜ盗んだりしたのだ!」などと、きっと皮肉を言われたことだろう。 [ムシュケーヌム]を半自由人階層と訳したが、バビロニア社会の中では[アウィルム(自由人)]階層の下に位置する特殊な階級であると考えられている。 一応、[ムシュケーヌム]も広い意味では自由人の中に入るが、社会的に[アウィルム]に従属していると考えられており、さらに王に仕える階級であったがために特別な保護が必要とされたからこんな条文が登場したものと思われる。 アッカド語の原本に[ムシュケーヌム]とあるのでそのまま記載されてはいるが、本来の自由人である[アウィルム]の所有物が盗まれた場合の規定がない以上、両者の階級の差をここで述べる訳にもいかない。 この[ムシュケーヌム]階層が登場するのは、ハンムラビ法典の登場する500年前に編纂された[エシュヌンナ法典]の中でだが、[アウィルム階層]との本質的差異は正直な話し、いまだにわかってはいない。 だが、[ムシュケーヌム]が神殿や宮殿内の様々な工事請負などを奴隷を使って完成させる役目も担っていた形跡がある。 その結果、売った人物が窃盗犯ならその者は死刑に処せられる。 紛失品の主は彼の紛失品を取り、買主は売主の家より彼が支払った銀を取る』 [解説] この[第9条]には、[盗品故売]に関する詳細が述べられているが、如何せん文章が煩雑すぎる。 しかし、順を追って考えてみたら理解することができた、ので、大丈夫。 『盗品を転売した者、あるいは預かっただけの者、そしてまた、盗品または紛失品を所持していることを確証され、しかもそれに対して正当な文書を発行されていたと立証できなかった者は、死刑に処せられる』恐れがあった。 と言うことである。 日本では、民事法上盗難にあった物品に対して2ヶ年間はもとの所有者が所有権を行使でき、それを過ぎると時効となるが、[ハンムラビ法]では刑事、民事の区別なく、第9条~第12条において規定される条文が適用されるようだ。 つまり、時効は無いわけである。 また、紛失品の主はその紛失物を取り戻すことができる』 [解説] 前9条に続いて、社会生活におけるお互いの[証人]重要さが示されることになる。 そして、紛失物は当然のこととして本来の持ち主に返還される。 日本の刑法法では[横領罪]に近い扱いになり、刑罰は3年から10年以下の懲役と50万円以下の罰金となっているが、ハンムラビ法の延長上にある後代の[ユダヤ法]や[イスラーム聖法]になると刑罰は多少緩やかになっているが、それでも『盗人の手首を切断する』と非常に荒っぽい。 と規定したものと思われる。 ただし、裁判官が期間を6ヶ月と定めて、その期間内に証人を連れてきた方は罰金を取得して、証人を見つけることができなかった者は最初から嘘をついている者で、この訴訟に関する総ての罪を負わなければならない。 そして、場合によっては死刑になる。 条文には『息子』だけ書かれているが、『娘』もこの条文に含まれている者と解釈できる。 この幼児誘拐の罰則規定は、当時の状況下でその誘拐した子供を奴隷として売り飛ばすことを目的とする犯罪行為で、[ハンムラビ法典]では『幼い息子』を盗むという表現なので、親の出自に関係なくどのような階層の幼児を盗んでも、どのような者が犯人でも[死刑]になることを明白に規定している。 [ハンムラビ法典]のこの[第14条]に続く、第15条~第19条には[奴隷]関する規定が続くが、それは明らかにこの条項の[幼児誘拐]が奴隷制度に繋がるものであることを示している。 [ハンムラビ法典]の[第14条]の規定は、このB. C1760年代から約1200年くらい経ってから[ユダ王国(ユダヤ人の国)]の崩壊後に、ユダヤ民族は[バビロニア捕囚]として連行された後に[ハンムラビ法典]内の法規を継承した『旧約聖書』の編纂を開始し、それを成立させたもようだ。 その[第14条]の規定だが、フィクションかノンかは別にして、モーゼがユダヤ人を連れて荒野を目指す『出エジプト記』の時代が、ハンムラビ時代とバビロニア捕囚時代の真ん中あたりであるから、こうした誘拐罪の規定は古代よりずっと禁止されるものとして宗教法上も厳しく取り締まりの対象となり、普遍的に禁止されてきたものと解釈できるだろう。 [旧約聖書『出エジプト記』第21章16節] 『人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手元に置いていた場合も、必ず死刑に処せられる』 [申命記(出エジプト記のモーゼの説教を民族宗教に進展させた説話集?)第24章7節]には、 『同胞であるイスラエルの人々のうちの一人をかどわかして、これを奴隷のように取り扱い、またはこれを売る者を見つけたならば、そのかどわかした者を殺害して、貴方がたのなかから悪を除き去らねばならないものとする』とある。 これらすべての宗教規範及び法思想の根底となったのが、このハンムラビ法典第14条であると考えられるのである。 と、多少無理はあるが、一応こう言っておこう。

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