鈴鹿 8 時間 耐久 ロード レース 結果。 前代未聞の逆転劇!なぜ鈴鹿8時間耐久レースの優勝チームはヤマハではなくカワサキだったのか?

鈴鹿8時間耐久ロードレース2019年決勝レース結果!カワサキが優勝!暫定結果からの逆転劇!

鈴鹿 8 時間 耐久 ロード レース 結果

概要 [ ] 夏の鈴鹿を彩る名物レースの一つで、オートバイによる8時間のである。 現在は午前11時30分にスタートし、日暮れから日没をまたいで終盤はナイトレースとなり、午後7時30分を過ぎた直後にトップのチームがゴールラインを通過した時点で終了となる。 から開催され、からはレースのひとつとして組み込まれ、特に1980年代から1990年代初頭は日本のバイク人口のピークと相まって大いに盛り上がった。 当時の鈴鹿市の人口は約14万人だが、1990年の決勝レースはそれをはるかに上回る16万人の観客動員を記録、さらに大会期間中の延べ入場者数は36万8,500人を記録した。 時代と共に二輪車販売が大幅に減少してもなお、ロードレース界における夏の風物詩として国内有数の集客を誇るモータースポーツである。 よりがとなっている。 例年の冠タイトルは「」だが、一時期「」、または姉妹品「」の冠だった年もある。 かつては世界を目指す若手ライダーの登竜門的な存在であった。 、、らは、鈴鹿8耐の活躍での切符をつかんだ。 は、無名時代の1981年に初出場ながらポールポジションを獲得したことが名を知られるきっかけとなった(WGPデビューは1983年)。 そうして成長を遂げた彼らの海外における活躍と相前後し、WGPを退いて間もないと全日本の第一人者によるコンビ結成(1985年)も大きな話題となり、以後日本の4大オートバイメーカーが威信を懸けてWGPやからトップライダーを送り込んだため、1980年代中盤 - 1990年代の8耐はさながら「レーシングライダー世界一決定戦」とも言うべき活況を呈していた。 近年は、(旧・WGP)との日程重複やレース自体の過酷さによる消耗を嫌って海外ライダーの参戦が減少傾向にあるものの、レギュレーションの変更などによる運営上の試行錯誤や全日本選手権等を戦う日本人のエース級ライダーによって、以前に勝るとも劣らない熾烈な戦いが繰り広げられている。 決勝前日にはの国内ライセンスあるいはフレッシュマンライセンス所有者のみが参加できる「鈴鹿4時間耐久ロードレース」も開催される。 またオートバイによる来客が多いことにちなみ、二輪車をメインとした市内パレードも催される。 かつては暴走族が数千台規模で集まり、警察が出動したこともあった。 前夜祭にはコース上で「ナイトピットウォーク」や「バイクパレード」などさまざまなイベントが行われ、家族連れで大変にぎわっている。 2000年にはがヘリコプターを使った演出とライブで前夜祭を盛り上げ、キャンギャルオンステージが行われるなど、盛大に行われた時代もあった。 近年は『来場者とレースをもっと近くに』とのコンセプトから、大きなステージは作らず、ナイトピットウォークに時間を割くようになった。 2010年からは、が「鈴鹿サーキットモータースポーツ応援団」として参加し、コース上でライブをするなど、新たな盛り上がりを演出している。 非公式ながら『』と呼ぶ2人組のキャラクターも出没し、来場者との思い出作りに花を添えている。 1980年に世界選手権シリーズに昇格するまでの(1977年以前は6時間耐久)時代はレギュレーションが緩やかであったため、、、、からまでの市販車改造車と、やなどの純レーサーが、クラス分けもなく混走していた。 その中で、500ccを搭載した40馬力ほどのプライベーター製車両(後のの原型となった「ロードボンバー」)が8位入賞(1978年)するなどの出来事もあった。 TT-F1時代は前輪に片持ハブセンターステアのユニット、後輪に片持スイングアームユニットを持ち、かつメインフレームがないのような意欲的なマシンや、あえて軽量コンパクトさで勝負に挑んだホンダCBR600、トラストでチューンされたターボチャージャーを搭載するスズキGSX-R400、ヤマハのフレームを使用したBMW K75など、プライベーターでは個性豊かなマシンが出場していた。 近年は、学生を無料(要事前申込み)で招待する『ヤング割0円キャンペーン』や、大人1人分の料金で子供5人が無料入場できる『子どもと一緒にキャンペーン』、さらに2017年には国際レーシングコース横の交通教育センターでレース中にアーティストのライブを行う『8フェス』など、新規ファンの開拓にも力を入れている。 従来の鈴鹿8耐は選手権の序盤に行われてきたが、選手権のプロモーターである・イベントの代表フランソワ・リベイロが、2017年の選手権は2016年9月に開催予定ので開幕させ、年をまたいで2017年7月の鈴鹿8耐を最終戦にすることを発表した。 2019年2月、モビリティランドと ACO は鈴鹿サーキットとル・マンの友好協定を締結。 これにより鈴鹿8耐でのヨーロッパトップチームに「ル・マンアワード」を、でのアジアトップチームに「鈴鹿アワード」を贈呈するなど取組を行っていくと発表した。 歴史 [ ] 大会名 [ ]• 1978年 - 1979年:インターナショナル鈴鹿8時間耐久オートバイレース• 1980年 - 1983年:世界選手権シリーズ 鈴鹿8時間耐久オートバイレース• 1984年 - 1987年:世界選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久オートバイレース• 1988年:世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 1989年 - 1990年:FIM耐久カップシリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 1991年 - 1996年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 1997年:FIM世界耐久選手権シリーズ " クール"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 1998年 - 1999年:FIM世界耐久選手権シリーズ "スプライト"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 2000年 - 2005年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 2006年:FIM世界耐久選手権シリーズ/FIMカップ エンデュランス・オブ・ネーションズ "コカ・コーラ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 2007年:QMMF FIM世界耐久選手権シリーズ ""鈴鹿8時間耐久ロードレース• 2008年 - 2012年:QTEL FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 2013年 - 2016年:FIM世界耐久選手権シリーズ "コカ・コーラ ゼロ"鈴鹿8時間耐久ロードレース• 428 2011 秋吉耕佑 伊藤真一 清成龍一 F. TSR Honda (ホンダ・CBR1000RRW) 11 217 8:00'50. 922 2012 秋吉耕佑 岡田忠之 F. TSR Honda (ホンダ・CBR1000RRW) 11 215 8:01'35. 450 2013 高橋巧 MuSASHi RT (ホンダ・CBR1000RRW) 634 214 8:00'01. 280 2014 高橋巧 レオン・ハスラム マイケル・ファン・デル・マーク MuSASHi RT (ホンダ・CBR1000RRW) 634 172 6:56'13. 056 2015 YAMAHA FACTORY RACING TEAM () 21 204 8:00'29. 708 2016 中須賀克行 ポル・エスパルガロ YAMAHA FACTORY RACING TEAM (ヤマハ・YZF-R1) 21 218 8:00'40. 124 2017 中須賀克行 アレックス・ロウズ マイケル・ファン・デル・マーク YAMAHA FACTORY RACING TEAM (ヤマハ・YZF-R1) 21 216 8:00'32. 959 2018 中須賀克行 アレックス・ロウズ マイケル・ファン・デル・マーク YAMAHA FACTORY RACING TEAM (ヤマハ・YZF-R1) 21 199 8:00'01. 728 2019 ジョナサン・レイ レオン・ハスラム Kawasaki Racing Team Suzuka 8H () 10 216 7:55'36. 613 優勝回数の記録 [ ]• 5回 - (97, 98, 00, 04, 05)• 4回 - (85, 86, 91, 92)、(97, 98, 06, 11)、(05, 08, 10, 11)、(13, 14, 17,18)、(15 - 18)• 3回 - (78, 81, 84)、(93 - 95)、(96, 01, 02)、(07, 11, 12)、(95, 99, 12)、(10, 13, 14)、(16, 17,18)、(13,14,19)• 2回 - (78, 80)、(86, 89)、(87, 88)、(00, 02)、(01, 03)、(15, 16)、(12,19)• 1回 - (79)、(79)、(80)、(81)、(82)、(82)、(83)、(83)、(84)、(85)、(87)、(88)、(89)、(90)、(90)、(91)、(92)、(93)、(94)、(96)、(99)、(01)、(03)、(04)、(06)、(07)、(08)、(09)、(09)、(09)、(10)、(15)、(19) ポールポジションの記録 [ ]• 7回 - 伊藤真一(98, 99, 03 - 06, 08)• 5回 - ワイン・ガードナー(81, 84, 86, 87, 89)• 4回 - 中須賀克行(12, 13, 17, 19• 3回 - グレーム・クロスビー(79, 80, 83)、マイケル・ドゥーハン(90, 91, 93• 2回 - (15, 16)• 1回 - (78)、ピエール・E・サミン(82)、(85)、ウェイン・レイニー(88)、(92)、スコット・ラッセル(94)、(95)、アーロン・スライト(96)、加藤大治郎(97)、芳賀紀行(00)、梁明(01)、アレックス・バロス(02)、カルロス・チェカ(07)、秋吉耕佑(09)、酒井大作(10)、加賀山就臣(11)、(14)、ジョナサン・レイ(18) レギュレーションの変遷 [ ]• 1980年 - 1983年 TT-F1(1,000cc以下)• 1984年 - 1993年 TT-F1(4ストローク750cc以下、2ストローク 500cc以下)• 1994年 - 2003年 スーパーバイク(4ストローク4気筒750cc以下、3気筒900cc以下、2気筒1,000cc以下)• 2004年 - 2006年 スーパーバイク(2006年はワークスのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック• 2007年 スーパーバイク・JSB1000(8耐のみ参戦の国内チームのみJSB・4ストローク1,000cc以下)、スーパープロダクション、スーパーストック• 2008年 Formula EWC(4ストローク 4気筒1,000cc以下 2気筒1,200cc以下)およびスーパーストック 主な出来事 [ ]• 1982年 台風の接近でレースを6時間に短縮して開催。 6時間後に振られたのは、ではなく赤旗であった。 1989年 126周目周回遅れのマシンを抜き損なったマイケル・ドゥーハンが周回遅れと接触し転倒。 ドゥーハンは左手薬指と小指を切断するケガをしてリタイアとなる。 1989年 8時間経過後、全車に対してチェッカーフラッグが振られる前に観客がコースへ乱入し、赤旗が提示されてしまった。 その後、「全てのライダーにチェッカーを」を合言葉にアップが始まった。 いずれもオイル旗の処理がなかった。 1994年 スタートから30分後に周回遅れの1台のマシンがオイルを吹き転倒して炎上。 そこへトップグループが差しかかり、オイルに乗って数台が転倒し炎上する炎の中に突っ込んだ。 このため赤旗中断となり、史上初の2ヒートレースとなる。 中断によりレース進行が遅れたため、観客の帰りの交通手段の確保を優先し、19時30分に赤旗が振られレース終了となった。 1995年 この年のレーススタートから当時のレース実況アナウンサーのが観客に呼びかけて10秒前からの全員でのカウントダウンが始まった。 それ以前からもアナウンサーがカウントダウンをしたり観客が自発的に手拍子を取ることはあったが、サーキット観客が一体となって行われたのはこの年が最初であった。 このカウントダウンはライダーのフライング防止にも一定の効果があった。 また同時に8時間の経過の10秒前からのカウントダウンもこの年から行われ、カウント0とともにアーロン・スライトが前人未到となる鈴鹿8耐3連覇のチェッカーフラッグを受け、10秒前カウントダウンは鈴鹿8耐の定番として定着していった。 2000年 決勝レース中の12時46分にが130Rで転倒。 病院収容後に死亡。 享年47。 鈴鹿8耐史上初の死亡事故となった。 2003年 決勝レースのスタート直後、オーヴァーレーシングのマシンがオイルを吹きながら最後尾を走行し、2周目の1コーナーでこのオイルにトップ集団の数台が乗ってクラッシュしペースカーが入る。 その際、渡辺篤や岡田忠之やが回収車に乗ってピットに戻ってきたために失格となる。 オフィシャルとしては当然の裁定であったが、失格したにもかかわらずそれを無視して岡田が数周にわたり抗議の走行をした。 ちなみに岡田が優勝した1995年のレースでは、1コーナーでクラッシュした加賀山と田村がオフィシャル判断にて回収車でピットロードまで運ばれているが、この際には「東コースショートカット」の扱いで1周減算で済んでいる。 2007年 俳優のが大会の名誉顧問に就任している。 ポールポジションの岡田忠之が8耐史上初のフライングペナルティをとられた。 2011年 を原因とする電力供給不足を考慮し、この年のみスタート時間を例年より1時間繰り上げて10時30分とした。 これに伴ってゴール時間も18時30分となり、夜間走行時間はなくなった。 2014年 決勝スタート直前に西コースで降雨があり史上初のスタートディレイとなった。 これによりスタート時間が12時35分となるが、ゴール時間は従来通り19時30分となった為6時間55分のレースとなった。 またレース中4度のセーフティーカーランが発生した。 2016年 この年からレギュレーション変更により車両のはとなる。 ただし以前からの恒例であるオフィシャルからのライトオンサインは継続して実施されている。 レースはセーフティーカーランが1度も発生せず、優勝したYAMAHA FACTORY RACING TEAMと2位のは現行のコースレイアウトとしては最多の218周回を記録した。 また、ホンダ勢はトップチームが低迷し、1988年以来27年ぶりに表彰台を逃す事態となった。 2018年 土曜日のTOP10トライアル(公式予選上位10チームより1台ずつのタイムアタック)がの影響により40分間・10台同時の計時予選に変更となった。 レースはYAMAHA FACTORY RACING TEAMと同チームのが4連覇を達成し、共に連勝記録を更新した。 但し、中須賀はこの年のみ予選で転倒した影響で決勝レースに出走していない。 2019年もの影響でTOP10トライアルは中止となった。 レースは終了2分前にトップを走行していたKawasaki Racing Teamが最終ラップで転倒。 直後に赤旗中断となり終了した。 EWC規定によりKawasaki Racing Teamは未完走、2位を走行していたYAMAHA FACTORY RACING TEAMが優勝と発表され、この順位で表彰式を実施した。 しかし後に規定の運用を巡る抗議が認められ、赤旗が提示された1周前の順位が適用されることになり、一転してKawasaki Racing Teamが優勝という結果となった• 2020年の第43回は当初、の開催期日を考慮して例年の7月最終週開催から変更し、2020年7月19日が決勝日となる予定だったが 、の拡大防止対策の一環で10月30日から11月1日に順延することが決まった。 併催予定の4時間耐久レースと、当初10月31日・11月1日に開催される予定だった「第52回 MFJグランプリ スーパーバイクレースin鈴鹿」が中止となった。 テレビ・インターネットによる中継 [ ] 記録映像 [ ]• 1985年にホンダランド(後の鈴鹿サーキット)とにより公式記録ビデオが制作される。 生中継 [ ]• 1986年にはホンダランドと飛鳥映像による初の同時衛星中継が行われ、と青山本社に送られた。 また、1985年と1986年の模様を一つにまとめたが発売された。 1989年からしばらくの間による完全生中継が行われた。 しかし、スポンサー名を放送しないなどの自主規制を行って放送した。 また、1992年と1994年は中盤の4時間が野球中継に切り替わる、1996年はのため生中継が行われないなど完全放送とは言いがたい内容であった。 1989年 - 1997年までNHKによるハイライトが8月下旬に放送されるようになった。 その一部がレーザーディスク(1990年、1991年はBGM変更版)やビデオで販売された。 NHK-BS、スカイスポーツ(、後の)を経て、1996年からはTBSが放送権を取得、2002年にはTBS系BSデジタル局で8時間完全生中継を行った。 2002年からは鈴鹿サーキットが企業などの協力を得て、独自のによるライブ動画配信が行われたこともあり、2005年はがインターネットライブ中継を実施。 なお、2006年のライブ中継では、CS・ネット共に内での実況音声が使われていた。 2003年からは(PPV)番組として、にて事前番組及び8時間完全生中継を実施。 また、鈴鹿サーキットの公式パートナー局である制作のダイジェスト番組がテレビ東京系列で放送されていた。 2007年は、及びが特別協力として参加。 テレビ朝日系列のBSデジタル局およびCSチャンネルでもダイジェスト番組が放送された。 2013年から2018年の間は、で中継放送(制作協力)を実施した。 2013年は13時からの遅れ録画放送だったが、2014年からは完全生中継による放送を実施しており、トゥエルビでは数少ない自社制作の生放送番組となっていた。 2017年以降は2音声体制を実施。 主音声ではサーキットの場内実況、副音声ではトゥエルビ独自実況となっており、副音声では八代俊二、といったゲストを招き、鈴鹿8耐の魅力やTwitterによる質問を募集していた。 CM前とCM明けのそれぞれ数秒間は全てトゥエルビ独自音声に統一し、CM明けでは懸賞品の応募電話番号などを通知していた。 レース数週間前から番宣が放送される他、2015年は土曜日夜に1時間の特番を放送した。 2015年・2016年に鈴鹿サーキット公式で、4耐を含む全セッションのインターネット中継(8耐決勝を除く)を、2017年の公式での配信では特別スポーツ走行・8耐決勝のタイミングモニター配信を含む全セッションのインターネット中継を行った。 またが公式生放送(2013年分以降トゥエルビ協力)で、2012年のフリー走行・予選・4耐の予選決勝の生中継、2013年・2014年の録画中継(2015年開催時)、2005年 - 2015年のダイジェスト放映(2016年開催時)、2015年・2016年の全セッションの生中継(8耐決勝を除く)を行った。 2018年は、鈴鹿8耐と、併催される鈴鹿4時間耐久ロードレースにアジア圏からのエントリーが増加していることを受けて、を通じた日本国外へのライブ配信を実施。 鈴鹿8耐は英語とタイ語、鈴鹿4耐はタイ語での実況配信が行われる。 は、鈴鹿8耐を含めたの2018 - 2019年、2019 - 2020年の2シーズンの放映権を取得。 先行して2018年は8耐ハイライトと併せて2017 - 2018年シーズンハイライトが放送された。 番組内での企画・放送 [ ]• 1985年 - 1999年は、自動車情報番組『』(系列)でダイジェスト版が放送されていた。 『』(テレビ東京系列)では1983年より毎年8耐の特集企画を放送。 番組内での全面協力を得て参戦チームを組織し、4耐・8耐に参戦もした。 『』()で、毎年8月の番組終了後に率いるの参戦ドキュメントが放送された(1988年 - 1995年)。 また紳助は、当時レギュラー出演していた日曜日朝の生番組『』(系列)を休んで参戦していたが、同番組が毎回チーム紳助の様子を番組の冒頭とエンディング時に中継で結んでいた。 1986年 - 1988年はで関連番組が放送された。 2009年より、CBCテレビがレース数週間後に「鈴鹿8耐 ドキュメント」として30分のドキュメント番組を放送している。 鈴鹿8耐が登場する作品 [ ] 文学・漫画 [ ]• 『』(、、1981年 - 1985年) - バイク漫画で初めて耐久レースを主題に取り上げた作品。 本作では鈴鹿8耐を舞台にした物語が物語中盤と後半に2回描かれている。 『冬のひまわり』(、1985年) - 1984年の8耐を舞台とした禁じられた恋愛物語。 グランドスタンドの1コーナー寄りには遠野麻子と森谷透の出会いの場所として五木の歌碑のプレートがあったが、スタンドの改修工事中に紛失された。 『』(島田紳助、1988年) - 1986年に初参戦したチーム・シンスケの挑戦を題材にした小説。 『』(、、2002年 - 2006年) - 主人公のスーパーマルチドライバー・斑鳩悟が、メカニック・清水初音の依頼で、怪我をした8耐ライダーの代わりに出場する。 (第5巻 Episode 17「オン・ザ・ロード」) 映画・テレビドラマ [ ]• 『』(1987年) - 劇中の(主演)のコンサートシーンは、1987年の8耐前夜祭で撮影された。 『風よ、鈴鹿へ』(TBS、1988年) - 同名の上記小説を原作としたテレビドラマ。 『 』(TBS、2001年) - 素人を数カ月の特訓で鈴鹿8耐に参戦させる企画「バリバリ伝説」を放送。 『 』(TBS、2011年)- 一度は引退したライダー・中木亮輔の依頼に応える形で、『がんばろう日本』をスローガンに16年ぶりにチーム・シンスケを復活させた。 ゲーム [ ]• 『コカコーラ スズカエイトアワーズ』(…後の、1992年) - 業務用体感ゲーム機。 最大4人まで同時プレイ可能でセンターモニターで中継さながらのレースの模様が流れる。 8耐冠スポンサーの「コカコーラ」とタイアップしている。 『スズカエイトアワーズ2』(ナムコ…後のバンダイナムコゲームス、1993年) - 全4コースが選択可能となった続編。 『スズカエイトアワーズ』(ナムコ…後のバンダイナムコゲームス、1993年) - スーパーファミコンへの移植作品。 音楽 [ ]• 「NEXT GATE」/ 作詞・作曲:白井貴子 鈴鹿8耐のテーマソングとして白井が作詞・作曲した楽曲である。 レースの前夜祭に野外ライブが行われるのは鈴鹿サーキット史上初めてである。 このライブの大成功がきっかけとなり、以後の鈴鹿8耐では、毎年必ずミュージシャンによる前夜祭ライブが行われることとなった。 「風の旅人」 作詞:五木寛之、作曲:海つばめ()• 「boys on the road」/ 作詞:中村あゆみ/作曲:• 「少年の瞳」/中村あゆみ 作詞・作曲:中村あゆみ• 「」 作詞:島田紳助/作曲: - 同名の上記テレビドラマの主題歌として制作された曲。 「風がうねる日」 作詞・作曲:• 「8耐」 作詞・作曲:左嵜啓史• 「明日へのONE MORE TRY」 作詞:/作曲・• 「Lock ON SUMMER」(2003年八耐イメージソング)/ソルティータ• 「サーキット音頭」作詞 高原兄• 「rush 〜その先の何か」/ 脚注 [ ] []• Response 2016年3月30日. 2016年3月31日閲覧。 モビリティランド 2019年2月23日. 2019年2月24日閲覧。 鈴鹿サーキット. 2016年3月9日閲覧。 オートスポーツweb. 2019年7月28日閲覧• 鈴鹿サーキット. 2019年7月29日閲覧• 株式会社モビリティランド 2020年4月27日• オートスポーツweb・2018年3月9日・同日閲覧• - autosport web• 中日スポーツF1特別号17面、2016年10月 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (鈴鹿サーキット公式サイト内)• (全大会の詳報あり)• - BS日テレ 公式サイト.

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2018年 第41回 鈴鹿8時間耐久ロードレースの結果と各選手のコメント

鈴鹿 8 時間 耐久 ロード レース 結果

優勝してしまったことにより、来シーズンの「国内A級」昇格が確定してしまったのだ。 まだ、鈴鹿で「壁」すら越えていないというのに・・・ 6月のある日、鈴鹿での練習走行中に、2分29秒台がたったの1周だけ記録された! ひょっとすれば計測上の誤差かもしれない。 そんなことより、とりあえず1周だけとはいえ「壁」を越えたことに安堵する・・・ そして、4耐直前のレースにエントリー 1990. 後半 あらら・・・、自己ベストを3秒も更新してしまった。 ただ、これではまだ4耐の予選通過には届かない。 周りの下馬評によると、24秒台を出さなければ予選通過は難しいようだ。 あと1か月ちょい・・・ 専属メカニックなど当然いないわけだが、練習走行の合間、相方はブラブラして喋ってばかり。 相方は自力での予選通過なんて夢のまた夢。 ならばマシンの整備だけでもヤレや! と思うが、これもからっきしダメ。 タイヤ交換ぐらいなら、と任せたらローテーション(進行方向)を逆にセットしよった・・・ これに気付くのに時間が掛かり、高速コーナーで今までに無かった挙動の対策に結構な時間を費やし、貴重な練習時間を無駄に・・・ いい加減プッツンした僕は、当時の彼女にこう言っていた。 「何が何でも予選は突破したる!でも決勝は走らん!!」 1990. 尻上がりに調子を上げていくタイプの僕は、5周目以降26秒台を続けて記録するのだが・・・ メインストレートに戻ってきた時にコントロールタワーの時間表示を見上げる。 残り時間は「1分」表示。 「最後の周になるな・・・」 メインストレートを走りながら考える・・・ 「あと2秒どうやって縮めるか・・・」 「ブレーキングを頑張っても、立ち上がりでモタついたら意味がないしリスクが高すぎる、コケたら元も子もない」 「鈴鹿サーキットにコーナーがいくつあるか知らんけど(知っとけよ!)、全部のコーナーであとコンマ1秒ずつスロットル(アクセル)開けるのを早めよう・・・」 こうして最終ラップのトライが始まった・・・ トライが終わってピットに戻って来ると、ピットクルーやスタッフが大騒ぎしている。 「どっかで見たことある光景やな・・・」 ちなみに、2時間耐久ロードレースというのがある。 4耐の予選落ち上位60台で争い、3位までは4耐に敗者復活できるのだ。 26秒台なら2耐の方は確実なんだろう・・・「2耐ぐらいで騒ぎ過ぎなんじゃないの?」 そう、最終ラップを走り終えた僕はそのまま一周してピットに戻る。 つまり、最終ラップのタイムをサインボードで知ることができないのだ。 騒ぎの中、タイム計測をした友達が震えながらストップウォッチを見せてくる。 529 あらら~、「2秒縮めよう」と思って走ったら縮まっちゃった・・・ 普通はタイムなんてこんな縮まり方しない、1周2秒なんてとてつもない数字だよ。 語るまでもないだろう。 しかも、決勝日にメカニックを買って出てくれた友達は、僕の指示を無視して勝手なキャブセッティングをしおった。 おかげで、ストレートで6速に入らないというチンタラぶり・・・ 後になって思えば、すぐにピットインしてセッティングの変更をするべきだったのだが、決勝はかなり投げやりだったので「まあ、どうでもいいか・・・」 と。 スタートでエンジン始動に手間取り出遅れ、SP400軍団に囲まれる(ゼッケン18) すぐに抜け出す・・・ 給油&ライダー交代 レース後半、S字でチェーンが外れる・・・ これにも裏話があり、決勝前「チェーン換えとかんでいいか?」と、相方に言っていたのだが、何もせず・・・ なんか・・・、何もかも一人で背負った挙句、忠告も聞きやがらんと結果これかい! マシンを押しながら悔し涙がボロボロ出てきた・・・ レース終了後、ポールシッターの及川 玲君とランデブー せっかくの晴れ舞台なので、福岡から両親と妹を呼んでいた。 それに弟の嫁が加わってグランドスタンドで観ていたらしい。 後で感想を聞くと、 「あんたが(兄ちゃんが)走っとる時はどんどん抜いて来るけん面白かっちゃけど、相方に替わったらどんどん抜かれてくるけん、いっちょん面白なか。 イライラしとった・・・」 だって。 妹と弟の嫁は、僕が走っている時はレースを観ていて、相方に替わると遊園地でジェットコースターに乗っていたらしい・・・.

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全日本ロードレース:観戦情報・サーキット情報

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それに伴い、オフィシャルファンサイトもリニューアルし、「SUPERBIKE. JP」として生まれ変わりました。 全日本ロードレース選手権シリーズ「MFJ SUPERBIKE」の様々な情報を満載する他、ギャラリーやコラムなどのエンターテインメントも充実してお届けします。 是非ご覧ください。 MFJ SUPERBIKEオフィシャルファンサイト「SUPERBIKE. JP」は左のバナーをクリックすると表示されます。 MFJ SUPERBIKE全日本ロードレース選手権を観戦するなら、特典付きのシリーズパスをゲットしよう!! 詳しくは、で。 エントリーリスト、タイムスケジュールについては大会開催10日〜1週間前、その他の項目については走行 レース 終了後、出来る限り迅速に掲載することを目指していますが、項目によっては開催当日中、開催翌日以降に掲載される場合もあります。 全日本ロードレース選手権の暫定シリーズランキングを、大会が終わるごとに更新してお知らせします。 ここに記載するランキングは暫定のもので、正式ランキングは種目ごとの専門委員会、スポーツ委員会の承認を得てから確定されます。 したがってシリーズ戦終了後も、正式発表まではしばらくお待ちいただくことになります。 MFJ SUPERBIKEシリーズ各戦の決勝日朝に配布される予選速報紙「MFJ SUPERBIKE EXpress」。 グラフィカルな予選速報レポート・決勝グリッド、イベントやサーキットからの情報を掲載し、各サーキットでダイレクトに来場者の皆様にお届けしています。 その「MFJ SUPERBIKE EXpress」のバックナンバーをPDF Portable Document Format 形式で データベース化したのがこのコーナーです。 PDFファイルでの掲載となりますので、AcrobatReader 無償 を入手後ダウンロードしてご覧ください。 なお、紙面制作の都合上、ページ構成がサーキットで配布されるものと一部異なる場合、グリッド情報が掲載されていない場合などもありますので、あらかじめご了承ください 左の写真は参考です。 PDF書類をご覧いただくには、アドビ・アクロバットリーダーが必要です。 右のアイコンをクリックし、Adobe社のサイトから無料でダウンロードできます。 また、インターネット関連雑誌などの付録についている場合もあります。

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