レキシ 縄文 土器。 縄文土器の歌のタイトルは?あなたは弥生土器とどっちが好きw

縄文土器

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長岡市馬高遺跡出土「(馬高A式1号深鉢土器)」の3Dデータ 縄文土器の発見と定義 [ ] 縄文土器はをしたによって見出され、英文報告書で cord marked pottery(索文土器)とされた。 しかし貝塚土器など様々に呼ばれ、結局、縄目文様という発想から命名された「縄文式土器」の用語が定着した。 (50年)、は土器の名称に「式」を使うことの不合理を説き、「縄文土器」の名称を使うことを提唱し、以後、一般化した。 編年作業が精緻化した今日においては「縄文土器」の用語が用いられることが多く、その場合、「縄文(縄目文様)が施された縄文時代の土器」という意味(狭義の縄文土器)と「縄文時代の土器一般」(広義の縄文土器)という2つの意味で用いられる。 また、やなど一部の研究者で 縄紋土器の用語を用いているものもある。 これは、土器表面に施された模様が一種のの意味を成しているのではないか、という考えによるものである。 縄文時代と土器 [ ] 一般に、縄文土器の作られた時代が縄文時代であるが、日本列島における土器の出現=縄文時代の始まりであり、明確な文化に伴う土器型式はとされる。 また、上述のように、縄文時代の土器すべてが縄目文様を施すわけではなく、さらに縄文時代を通じて土器に縄文を施さない地域もある。 そのため、縄文時代に作られた土器をもって縄文土器であるという定義もある。 このような定義は再帰的かつ同語反復にも見えるが、あまりにも多様で、土器であるという以上の普遍的定義が難しい縄文土器の実態を考えると、境界領域では納得せざるをえない。 縄文土器の美的評価 [ ] 縄文土器の持つプリミティブな美は、いわゆる「伝統的な日本の美」とは異なる性質のものであり、当初は的には評価されていなかった。 はに著した論評『縄文土器 民族の生命力』によって、の立場から縄文土器の再評価や意義付けを行い、その後のに大きな影響を与えた。 文化圏と弥生土器との関係 [ ] 文化圏 [ ] 縄文土器は、尾張を境界に、東日本と西日本の文化圏に大別される。 西日本は、装飾の少ない簡素な土器が中心となる。 東日本は、東北に見られる かめがおかしきどき のように、火炎型の土器が特徴的である。 ただし、亀ヶ岡式は、祭祀用と見られ、東日本でも日常土器は簡素なものが多い。 東日本は、東北と関東中部に大別される、時代とともに、文化圏は変わり、また、下位の文化圏が生まれ消えていった。 弥生土器との関係 [ ] 西日本では、縄文晩期 弥生初期 、 は、 きざみめとったいもんどき である。 この土器は、板付遺跡などの水田のある最古の層の大部分を占める。 そのうちの数%の土器は、形は突帯文土器だが、技法は朝鮮無文土器であった。 その後、形は縄文系を保つが、作成の技法は、半島の無文土器を使うである板付1式に変わる。 この意味で、西日本の縄文土器は、 の系譜に連なっている。 使用目的 [ ] 縄文土器は多様な大きさと器種・装飾的な文様などさまざまなものが存在するため、土器の機能や使用される場面も異なったものであると考えられている。 縄文土器の使用用途には食料資源の・加工や盛り付け、目的が考えられている。 食料の調理 [ ] 縄文土器のうち深鉢などには煮沸痕を有するものがあることから、を(煮沸)ため、あるいはするために用いられたと考えられる。 縄文土器が出現した時代は、後期旧石器時代ののような大型哺乳類が日本列島で絶滅した時期と重なるため、旧石器時代のにより得られた獣肉をとするスタイルから、狩猟・漁労に加えて堅果など植物質食料を組み合わせた食習慣に変化した。 また、堅果の多くは収穫時期が限られるために、貯蔵する必要が生じた。 さらに、堅果を食用とするためには加熱・粉砕・煮込みなど加工過程が必要となったほか、獣肉や魚介類のように直火で炙るのは困難であるため、加熱するには調理器具としての土器が必要となったと考えられている。 縄文土器にはとが作り分けられており、これは「」の器と「ケ」の器を区別したとする説がある。 なお、縄文土器が煮沸具として器種の多様性を有するのに対し、弥生土器は画一化されたが用いられている。 食料の加工・生業 [ ] やなどのは、食料とするために小河川などに作業場を設け、水漬けやを使ってアクの成分であるを渋抜きをする工程が必要であり、そのため灰が必要であった。 を得るために大量の草木を燃やした事が、土器製法の発見につながった。 あるいは土器を製作する際に生まれた灰から、ドングリやトチノミを渋抜きする方法が発見されたと考えられる。 土器の製法と渋抜きの方法のどちらが先に発見されたかは不明だが、日本列島において世界的に見て最初期に土器が普及したのは、こうした事情によると想像される。 面では活動においてやに用いる錘として、土器胎土の断片から作られたが用いられた。 また、土器片を円形に加工した土器片加工円盤が作られ、中心を穿孔するものはとする説もある。 縄文土器を用いた祭祀 [ ] 祭祀面では住居内に土器をする(うめがめ)が存在し、埋葬に関わる施設であると考えられている。 後期後葉から晩期には、西日本を中心にが見られ、土壙墓など共に墓域を形成する。 弥生時代にも甕棺は存在するが、弥生時代は棺用に土器を作成するのに対し、縄文時代では煮炊きに使用した土器をそのまま棺桶に使用する。 そのため、成人ではなく乳幼児を埋葬したものと考えられる。 作成法と形と系統 [ ] 粘土加工と文様 [ ] いわゆる縄目文様は撚糸(よりいと)を施文原体とし、これを土器表面に回転させてつけたもので、多様な模様が見られる。 しかし実際には縄文を使わない施文法や装飾技法も多く、これは土器型式によって様々である。 縄目文様以外の施文法として、爪形文やの茎・動物の管骨などを施文原体とする竹管文、を施文原体とする貝殻条痕文などがある。 縄文土器は表面を凹ませたり粘土を付加することが基本で彩色による文様は少ない。 しかし、文様が変化に富み多く用いられ、装飾は時には容器としての実用性からかけ離れるほどに発達した。 この特徴は、日本周辺の土器にはみられない。 縄文土器の底部には網組痕や木葉痕など、土器が製作され段階のうちに置かれたなどの痕跡である外底面圧痕が残されているものが存在する。 外底面圧痕は土器の持ち上げによる再配置で重複したものや、外底面のにより抹消されたものも見られる。 種類と焼成法と用途 [ ] 縄文土器の形は深鉢が基本であり、量的にも多い。 特に前半の時期は深鉢以外の器形は稀である。 しかし、中頃から浅鉢のような器形が現れ、続いて注口付き、香炉形、高杯、壺形、皿形など様々な形が現れた。 とくに東北地方晩期のいわゆるは器形の変化が多様であった。 胎土は粗く、やや厚手で大型のものが多いが、用途や時期によっては薄手、小形品、精巧品も作られている。 男性原理の象徴と考えられているに対して、食料の保存加工に用いる土器は女性原理に属するものであると考えられており、信仰に関わる土製品には代表的なのほか、土器片を再利用して人形状土製品や鏃状土製品、土製円盤、土器片錘などが作られた。 土器の文様と系統 [ ] 土器の年代的な編年が精緻になってきて、前の型式から次の型式へ連続的に変化していることが明らかにされてくると、系統的なつながりが問題とされるようになった。 縄文土器には、水平の帯状に文様が加えられている部分がある。 これを山内清男は、文様帯と呼び、そのつながりに注目した。 それを 文様帯系統論と呼ぶ。 各型式の土器は、固有の文様帯配置をもっている。 その文様帯は、型式ごとに継続されたり、分裂したり、融合したり、新しく生まれたり、消滅したりする。 文様の生命は非常に長く、土器の系統を知る上で役立つ視点である。 土器の写真 [ ] いずれも東北から関東、中部地方で、別の文化圏である西日本の土器の写真は無い。 火焔型土器は、縄文中期に盛んで、東北を中心に、関東、中部が主だが、遠く九州にまで及んだ。 早期・前期• 注口土器 縄文晩期 青森県亀ヶ岡遺跡出土 蔵 種類と形 [ ] 式 各地の出土土器の地域の型は、式で表される。 数が非常に多い。 土器の編年や系統は、式を用いる。 外形と製作技法が細かく調べ記載される。 それゆえ、系統や製作者の集団まで推定が可能になる。 板付式土器 板付も、層により、板付1式、2式などと区別される。 発見場所の土器をその系統の土器の名称にすることも多い。 板付と同じで、発見した時調査がなされる。 次の例がある。 夜臼式土器(ゆうすしきどき)• 山ノ寺式土器 総称名称にも式が使われる。 板付式を含む、弥生時代すべてに板付式を含む総称が次である、• (おんががわしきどき) 縄文土器の形(器種と形式) 鉢(はち)、甕(かめ)、壺(つぼ)、円筒の区別は、口と胴の境のすぼまりで区別される。 器の大まかな形状を形で区別し、時代で変わる様式を型と言う。 以下のような形があるが、前期や中期、後期、晩期などで仕様、形状が異なる。 深鉢形は、焚き火の熱を横から吸収し煮るのに適した形状である。 器種と形• 深鉢形土器(はち、口や胴の区別が無く、開いた形) 深鉢形土器は、粗製、精製と区別される事もある。 浅鉢形土器(食器、皿として使う)• 壺形土器(つぼ、縄文時代西日本では、めずらしい、口が狭まった形)• 甕形土器 かめ、胴が膨らんだ形• (お茶のきゅうす、コーヒーポット、形より上位の分類) 特殊祭器用の装飾の型• 付加形状 さらに、器に加えられた特殊な形状を、• 把手付• 人形装飾付• 片口付• 等と 付で表す。 底の尖ったものを 尖底と言う。 底のまるいものは珍しく、 丸底と言う。 かなり自由で、刻目突帯(きざみめとったい)などもある。 刻み目をいれ、出っ張って土器の周りに廻ると言う意味。 縄文土器の文様 文様は、 文と書いて区別する。 (むもんどき)• (きざみめとったいもんどき、口唇部が膨れる) 土器の系統と集団の移動 [ ] 縄文土器の型式は、その地域に存在していた型式から次の型式へと変化しいくものである。 しかし、一つの地域でばかり次々へと変化していくばかりではない。 別々の場所で生産され、系統性も異なる土器が、一つの遺跡に共存したり、ときには別の系統の文様が一つの土器に併用されていることや西日本の一型式が遠く離れた関東に移動し、その遺跡の起源となるといった系統の大移動などが知られている。 また、ある型式の土器が移動し、在地の土器と混合しないで、一軒の住居跡から発見されることも知られている。 このような現象の背景には、縄文人の集団の移動や集団間の接触・交渉があったと思われる。 また、それらの現象を引き起こした原因を追究することで、今まであまり追究されてこなかった縄文人の集落や社会についての解明が進むであろう、と考えられている。 土器の年代 [ ] 年代学 [ ] ()で出土した草創期の土器片 土器の年代的変化を客観的にとらえようとする研究が地質学者によって始められた。 松本は、土器型式の違いを年代差ととらえ、貝塚の層位的発掘によってその年代順位を確認していく方法をとった。 この方法を受け継いだ一人にがいた。 山内は、(昭和10年)頃までに日本を九つほどの地域に分け、各地に約20ほどの土器型式を配列した。 激しい論争の末認められ、科学としての土器研究が確立した。 また、山内は、縄文時代の大きな時間的区分として、早期、前期、中期、後期、晩期を示し、後に草創期を付け加えた。 時代区分 [ ] 縄文時代を通じて派生した型式数は数え切れない程だが、それらを整理して様式としてまとめると70程度とされる。 さらに時間軸でまとめると6期に区分され(後述)、時代を通じて概ね継続する地域文化圏ないし領域が日本列島全域で7〜9あったようである。 しかし、最終的にはいくつの型式に細分されるか今でも分からない。 草創期:約16,000年前〜(ただし、縄文文化的な型式の変遷が定着するのは草創期後半から)• 早期:約11,000年前〜• 前期:約7,200年前〜• 中期:約5,500年前〜• 後期:約4,700年前〜• 晩期:約3,400年前〜(ただし、晩期から弥生時代への移行の様相は地域によって相当に異なる) 上記の年代はを較正した暦年代観に従っているが、いずれにせよ精度の高い推定は難しく、現在でも研究途上である。 最古の縄文土器 [ ] 縄文土器の出現はどうやらが終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いものだが、大陸側の極東地域 には、作成技法が異なるものの、同時期の土器文化の存在が知られ、東アジア一帯で世界最古期の土器が同時並行的に出現したとみられており、相互の関係が注目される。 現在までに知られている最古の土器はや(うしろの)・ などから出土した文様のない無文土器 であり、大平山元I遺跡から発見された土器の年代測定の算定は16,500年前(暦年較正年代法による)とされている。 また、美川のの最下層の第9層から細隆起線文土器、第6層から薄手の無文土器、第4層から押型文土器と厚手の無文土器が出土している。 その中でも細隆起線文土器は約1万2000年前のもので、日本最古級の土器の一つである。 発展段階 [ ] 日本列島最初の土器は次の4段階をたどると考えられている。 まず最初の第1段階は無文土器 を特徴とし、第2段階は と群 であり、第3段階は爪形文土器群 であり、第4段階は多縄文土器群 である。 ちなみに、弥生時代になってからも、東日本では縄文土器の伝統を反映した、北海道では縄文土器の直系と言える続縄文土器、沖縄諸島では前半の系統を引く土器が作られた。 中国の縄文式土器の出土地 [ ]• 時代の縄文式土器• 博物館蔵の細目縄文式土器• 博物館蔵の縄文式脚付き碗• 甘粛省博物館蔵の縄文式筒瓦• 山東大学博物館蔵の縄文式高脚鉢• 香港 Lord Wilson Heritage Trust蔵の縄文式土器の破片 脚注 [ ]• この画像の土器は、「新潟県馬高遺跡出土品」として重要文化財に指定されているものとは別個体で、「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されているものである(列品番号J - 39036)。 大久保喬樹『日本文化論の名著入門』角川書店〈角川選書〉2008年、 pp. 221-233. この画像の土器は、「新潟県馬高遺跡出土品」として重要文化財に指定されているものとは別個体で、「伝馬高出土」として東京国立博物館に所蔵されているものである(列品番号J - 39036)。 中国や東アジアにも表面に縄を押しつけた痕跡のある土器があるが、それらは叩き締めという技法で、縄を叩く板・棒に巻き付けられており、その痕跡であり、日本の縄文・弥生土器とは異なる。 寺内浩「愛媛のあけぼの」 内田九州男・寺内浩・川岡勉・矢野達雄『愛媛県の歴史』山川出版社 2003年 16ページ• 発見されている無文土器は全て小破片である。 それらの少破片を元に器形を復元想像してみると、縦断面は平底から胴部にかけて外側に膨らみ、口縁部にかけては直立する鉢形か深鉢型であろう。 を伴う。 豆粒文土器は長い楕円形の粘土粒を口縁部で縦列か斜列に等間隔に、胴部上半分では横列に貼り付けている。 隆起線文と組み合わせて文様がつけられ場合と隆起線文だけで文様を構成する場合がある。 復元品では器形丸底の深鉢土器。 隆線文土器とも呼ぶ。 豆粒文土器とともに、から出土。 福井洞穴や泉福寺洞穴から出土。 爪形文土器が単独で発見されている場合は東北地方北部、北海道帯広市まで分布する。 その数は必ずしも多くない。 器形は深鉢で、口縁部がやや内側に膨らみ胴部が大きく外側に膨らみ底部が丸底や口縁部が外側に膨らみ乳房状尖底などがある。 押圧縄文、絡条体圧痕文、回転縄文を施した土器であり、これらの縄文を施した時期に土器を分類することができる。 近畿地方以東の本州東部に分布する。 参考文献 [ ]• 「土器 年代学・形式学」今村啓爾『日本の考古学』奈良文化財研究所編 学生社 2007年 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• () ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 この項目は、に関連した です。

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東京都内で縄文土器作り体験 歴史の教科書で、必ず序盤に登場する 縄文土器。 1万年以上前に作られたとは思えない造形美に、誰もが「どうやって作ったんだろう?」と思ったはずです。 そこで今回、東京都多摩市にある 東京都埋蔵文化財センターで行われた 縄文土器作り体験に参加し、その作り方を取材してきました。 東京都埋蔵文化財センター 「多摩の縄文土器を作ろう」と題された体験メニューでは、多摩ニュータウンの遺跡から出土した縄文土器をお手本に、土器を一から作ることができます。 2日間かけて形を作り、その後に野焼きを行うため、計3日間参加できることが応募条件となっていました。 本格的な土器作りにもかかわらず、なんと参加費は無料。 参加者は30名ほどいましたが、人気のため抽選だったようです。 どのタイプがお好み?縄文土器選び 選べる4タイプ。 一番右端が人気でした。 実習室に案内され、まずは各自作りたい土器のタイプを選びます。 人気は一番右のタイプ。 パッと見て、いかにも縄文土器っぽいですもんね。 筆者も最初は右のタイプを作ろうとしたのですが、じっくり見ているうちに思ったのです。 これ、焼いたら取れそうだな・・・ ということで、わりと頑丈そうで文様も目立つ左のタイプを選びました。 多摩ニュータウン遺跡から出土された縄文時代中期前半(約5000年前)のものとみられる土器。 縄文土器作りの材料と道具 制作に必要な材料や道具もすべて用意されていました。 竹べら、ハマグリの貝殻など 縄文土器作りセット。 粘土、木台、竹べら、ハマグリの貝殻、敷物に葉っぱか網代が選べます。 なんとこの粘土も、 縄文時代に使用されたものと同じ! 多摩ニュータウン近辺に住んでいた縄文の人々は、現在の京王相模原線多摩境駅近くの山から土器の粘土を採掘していたそうです。 今回は、そこから採ってストックしていた粘土に、市販のテラコッタと川砂を混ぜて1年寝かした粘土が使用されました。 縄文土器の作り方 縄文土器は、 輪積み法という粘土紐を積み上げる方法で制作していきます。 最初に、見本となる土器を採寸。 私が作るタイプは、底の直径が約10センチ、高さは30センチほどでした。 厚みがあるように見えますが、実は1センチに満たない程度で大丈夫なのだとか。 底の部分 まず木台の上に葉っぱを敷き、葉脈の跡がつくように粘土を丸く押し付け、底の部分を作ります。 そして、雑巾で湿らせた板の上で粘土紐を作り、積み上げてはくっつけるという作業を繰り返していくのです。 粘土紐を底に乗せる 粘土が乾かないうちに、少しずつ指で粘土をくっつけて固定します。 空気が入ると乾燥で外れたり、焼いたときに取れてしまうので、注意しながら進めなければいけません。 指の腹で下の粘土となじませていく。 これで10本分くらい。 …まだまだ先が長い… 3本ほど積んでは表面も整えます。 外側は木べらで、内側はハマグリの貝殻を使ってなめらかに。 土器の形がゆがまないように手を添えて整えます。 どんどん広がってしまうので軌道修正中。 (スタッフさんが手直ししてくれています) 内側は貝殻を使って。 縄文人、賢い! ある程度の高さになったら、裏返して敷物を取り、底の周りも木べらで整えます。 葉脈の跡がきれいに付きました その後も粘土紐をひたすら積んではくっ付け、1日目(約6時間)はベースとなる形が出来ました。 地味な作業ですが、意外と腕が疲れます。 縄文土器作りといえば、文様付け! さて、1日目でベースができたので、2日目は文様をつける作業です。 正直、これが縄文土器作りの醍醐味ではないでしょうか。 文様がわかるように配布されたプリント。 思った以上に複雑で目が回りそうです。 見本の土器や、配布されたプリントをもとに、竹ひごで下書きをしていくのですが・・・ 縄文人、クリエイティブ過ぎません?(汗) 「え?ここでくるっとなって・・・え?」竹ひごが迷子状態。 縄文中期の土器によく見られるこれらの文様、一体何をモチーフにしているのか気になりますよね。 スタッフさんにも聞いてみましたが、よく言われるヘビ(動物)なのか、ワラビのような植物なのか、はたまた別のものか、はっきりは分からないそうです。 それでも「この部分、何を表しているのかな?」「縄文人はどんな意味を込めたんだろう?」と想像しながら作るのが面白い!(そして難しい) 粘土紐をのせ、竹管で模様をつけてみるとこんな感じ。 仕上げは、お楽しみの縄文付け! 一度霧吹きで全体を湿らせたら、表面にコロコロと模様をつけていきます。 これぞ縄文土器。 2日間で形が完成しました! ちょっとずん胴気味ですが、そこはご愛嬌。 2日間、朝から夕方までみっちり作業しましたが、時間が足りないという方もちらほら。 スタッフの方が手伝ってくれたおかげで、なんとか形になりました。 もちろん、まだ完成ではありません。 ここから乾燥させ、2週間後に野焼きが行われました。 縄文土器の野焼きに立ち会う 野焼きは、埋蔵文化財センターのお隣にある 「縄文の村」で行われました。 朝9時半に、自分が作った土器を持って村内に入ると・・・ すでにめちゃくちゃ土器焼いてる 参加者の皆さんも、自分の土器が焼かれる様子を見守る。 これだけの数の縄文土器が揃って焼かれている光景、なかなか見られません。 しかしこの現場、かなり暑い。 当日は気温が高かったうえに、この野焼きです。 顔を真っ赤にしながら、付きっきりで土器を焼き進めてくれるスタッフの皆さん、本当にお疲れ様です。 ある程度焼いたところで土器が中央に集められました。 その上から木の枝がかぶせられ・・・ ファイヤー!!! 近くにいると、かなりの迫力。 キャンプファイヤーでこの火力だったら、通報されるでしょう。 さすがに皆さん遠巻きになりました。 この炎の中で、土器たちは一気に焼かれていきます。 本日は都内にて、My縄文土器を焼いていただいておりました。 どきどき — レキシペリエンス rexpmedia 火が落ち着いてきたら、土器の姿も見えてきました。 無事に焼けたかな? 焼きあがった土器たちは、水で洗われます。 じゃぶじゃぶ。 今回は全体的にこんがり焼きあがったようで、若干色が黒い部分も。 しかしそれも土器ならではの味ですね。 途中でパーツが取れてしまった土器もありましたが、おおむね焼き上がりも成功したようです。 焼きあがった土器を並べれば、まるで縄文時代の風景! ついに完成!マイ・ファースト・縄文土器 自分で作った縄文土器は愛着もひとしおです。 おもに煮炊きに使用されたとみられる縄文土器ですが、どうやって使おうか、妄想が膨らみます。 (縦に長いから、パスタでも茹でてみようかしら) 余談ですが、もし不要になっても土の中に埋めたりしないで!とのこと。 なぜなら、本当にいつの時代の土器か分からなくなるから。 なるほど(笑) 縄文初心者の筆者ですが、初めての土器作りで、より縄文の魅力にハマってしまいました。 埋蔵文化財センターでは年に数回、土器やアクセサリー、縄文食の体験イベントも開催されています。 詳しくは公式サイトをご確認ください。

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『縄文土器 弥生土器 どっちが好き?』の正式タイトル それではお聞きいただきましょう この曲のタイトルは「 狩りから稲作へ」 歌は レキシ feat. 足軽先生・ 東インド貿易会社マン 作詞:池田貴史・いとうせいこう 作曲:池田貴史 なるほど納得のせいこうさんクオリティ。 (因みに足軽先生の正体もせいこうさん) そして作詞作曲の池田さんが、レキシ氏です。 そして 2007年、 レキシとしてソロデビューを果たしました。 Sponsored Links 歌に負けず大層シュールな動画も人気に 狩猟での暮らしから稲作へと 移ろいゆく歌詞もさることながら その動画も何やら シュールです。 人工物が何もない地球を連想させる映像から 海ではしゃぐカップル・・・ 稲作と現代社会の街並み・・・ 突然の米の3Dキャラ・・・ そして 狩猟でも稲作でも変わらぬ愛が 現代まで続いているよというような映像が ほんのりとクラシカルな画質で流れていきます。 イイハナシダナーか イイハナシカナー? に解釈が分かれるENDです。 いやいい話ではあるような気がするんですが、 シュールさが際立って話しが入って来ないw 因みにこちら、ファンが作った非公式PV。 ここまでしっくり来る映像を作りたくなるような パワーを持った曲です。 Sponsored Links どっちもドキ。 縄文土器でも弥生土器でも それを使う人にとっては 家族や仲間を想う 気持ちがあったハズ。 そう思えば、「 どちもドキ」という言葉が いやに哲学のような 意味深さを帯びてくるものです。 愛と歴史の勉強にぴったりな、 この素敵な楽曲は 2枚目のアルバム 「レキツ」に 収録されています。 このアルバムの他の楽曲も 大層シュールでありながら 結構真面目に勉強になります。 コラボしている参加アーティストも実に多く、 曲も耳に馴染む、うっかり口ずさむには もってこいな楽曲も多いです。 そしてそれを隠すような 見事なジャケットです。 大丈夫大丈夫、 例え間違えて買ってしまっても 名曲揃いだからそれぞれ楽しめるから。 こちらはご本人出演のPV Deyonnaさんは椎名林檎さんです。 この機会に歴史に思いを 馳せてみてはいかがでしょう。

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