こと しょう ほう 琴 ノ 若。 招揺(ショウヨウ)|女性チャンネル / LaLa TV

琴奨菊和弘

こと しょう ほう 琴 ノ 若

アマチュアアメフト選手。 大相撲力士時代の四股名は、 若ノ鵬 寿則(わかのほう としのり)。 身長195cm、体重162kg。 得意は右四つ・寄り。 最高位は西筆頭(7月場所)、はO型、愛称はソス。 従兄弟は元・。 恵まれた体格と若年での出世から将来性を評価されていたが相撲の基本から外れた破天荒な取り口と粗暴な言動故に批判も多く受け、から三役寸前まで昇進しながら最終的には刑事事件を直因としてわずか3年半の土俵生活に幕を閉じた。 人物 [ ] 露鵬、兄弟と同じロシア・北オセチア共和国出身で、露鵬の父親にを習い、ロシア国内のジュニア王者になる。 その能力を露鵬が高く評価し、彼の誘いに応じて(平成16年)9月に来日し、に住み込みで日本の相撲部屋の生活を経験する。 外国人は1部屋に1人までの入門制限のため同じに所属するに入門し、(平成17年)3月場所で初土俵を踏んだ。 同期生には、、、、らがいる。 2005年9月場所は7戦全勝で優勝、翌(平成18年)1月場所ではで6勝1敗、7人による優勝決定戦に進出し、決勝でに敗れたものの、その高い能力の一端を示した。 その後も勝ち越しを続け、同年11月場所では東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し、初土俵から負け越しなし、所要11場所での十両昇進を果たした。 18歳5カ月での十両昇進は史上8位タイの年少記録で、外国出身力士ではの18歳9カ月を更新し最年少である。 しかし本人は、「17歳で上がりたかった」と悔しがった。 として初めて土俵に上がったの1月場所は、相撲の型がまだ固まっていないこともあって苦労し、5勝10敗とふるわず初の負け越しを経験した。 翌3月場所は東幕下2枚目で5勝2敗と好成績を残し、西2枚目で同成績だったを退け1場所で再十両を果たした。 西2枚目から東3枚目だったことが大きな決め手となった。 その後も十両で勝ち越しを続け、2007年9月場所には十両筆頭で10勝5敗と大勝ち。 11月場所で新入幕を果たした。 19歳3ヶ月での新入幕は史上6位タイの年少記録だが、外国出身力士では白鵬(19歳1ヶ月)の後塵を拝している。 欧州出身の力士が20歳前後で入門する例が多い中、16歳で初土俵を踏んだ。 四股の所作にぎこちなさがあったように、下半身にやや脆さがあり、取り口も未熟で課題を抱えていたが、素質は申し分ない逸材とされた。 しかし立合いの変化が多く、親方をはじめ現役力士からも「恵まれた体格があるのに勿体無い」と苦言を呈されていた。 2007年1月場所では5勝中3勝が立合いの変化、1勝が不戦勝であった。 特に相手の背中に乗りかかるような体勢ではたき込む動作は「」と呼ばれ、新聞など各メディアで格好のネタにされた。 ただしこれは悪い癖と認めており、2008年1月場所でに変化(跳び箱)を読まれ敗れた事を機に「もうやらない」と語っている。 しかし同年5月場所14日目にはに同じような八艘飛びで白星を挙げている。 また2008年1月場所9日目の戦では右手を握ったまま張り差しを繰り出し、市原の顔に拳を叩き込んだ(取組は寄り切りで若ノ鵬が勝利)。 禁手反則の「握り拳(こぶし)で殴ること」 に触れる恐れがあったが、審判長のは「手首が返っていない」として不問にした。 2008年5月場所5日目の戦、鶴竜の変化にバランスを崩し手を付いたにもかかわらず相撲の流れが若ノ鵬にあったために行司、審判は見逃し、取組は続行され寄り切りで勝利した。 のには手をついた場面がはっきりと捉えられており、アナウンサーも誤審と明言。 相撲協会には抗議電話が殺到した。 この場所は最終的に8勝7敗と勝ち越したが、もしこれが見逃されていなければ負け越しだった。 また、8日目にはに豪快なで敗れた後、悔しさの余り部屋の風呂場の壁を叩き割り風呂桶を壊すなどしたため、厳重注意を受け、間垣親方(元横綱)は理事長に謝罪した。 本人も謝罪したが、その一方で「負けたら悔しい」「皿とか壊したくなる」などとの発言も見られた。 また「安馬が朝青龍に見えた」などと横綱を呼び捨てにするなどの発言もあった。 2008年7月場所は上位陣に歯が立たず、8連敗で入幕後初の負け越しとなったが、9日目に連敗を止めた。 奇しくも相手は先場所敗北した安馬、それも立合いにジャンプしたところ、結果的にこれが相手のもろ手突きを止めることになり押しつぶしたという形であった。 にで検挙され、相撲協会からされた。 そのため、2008年9月場所の東前頭8枚目は空位となり、番付け発表翌日には検挙に伴う大麻の簡易検査を実施した(この検査で同じロシア出身の露鵬と白露山が解雇)。 この解雇について、復帰を望んで協会を相手取り処分撤回を求める申請および訴訟をに起こした。 仮処分申請は2008年10月30日に却下された。 若ノ鵬は1月24日までに訴訟を取り下げて解雇が確定し 、1月29日に退職金に当たる約580万円の養老金が支払われた。 に東京都内のホテルで個人的にを行ったが、角界関係者は誰も参加しなかった その後、2月13日ロシアに帰国した。 解雇後 [ ] 格闘技転向も取り沙汰されたが、のプロ選手となることを目指し、2010年、の ()での選手となった。 ウェバー国際大学で2年間プレーした後、2012年は ()のフットボールチーム( ())に移籍した。 しかしこの年のシーズンにサウス・フロリダ・ブルズは低迷し、シーズン終了後にコーチ陣が刷新され、若ノ鵬もメンバーから外されることとなった。 2013年からは ()のフットボールチームに所属した。 2014年8月の記事では、引き続きウォーナー大学に所属していると報じられていた が、同大学のフットボールチームの2014年メンバー表には名前が見当たらない。 フットボールと並行して、アマチュア相撲でも活動している。 2013年9月にはUS Sumo Openというアメリカのアマチュア相撲大会に出場し、重量級でウラムバヤル・ビャンブジャブ(元幕下力士の)に次いで2位に入賞した。 2014年にもUS Sumo Openの重量級に出場したが、準決勝でモンゴルのアルタンゲレル・ダワニャム(元柔道家 )に敗れ 、続く3位決定戦でもアメリカのロイ・シムズに敗れて入賞を逃した。 大麻所持事件 [ ] 詳細は「」を参照 2008年、財布の中に大麻入りのたばこを所持していたとして大麻取締法違反で逮捕された。 現役幕内力士の逮捕は史上初の出来事であった。 その後には緊急理事会を開き、同日付での解雇が決定された。 20歳1ヶ月での引退は関取経験者では実力本位で番付が掲載されるようになった明治以降では最年少。 、初犯であったことや解雇によって社会的な制裁を受けたことが考慮され起訴猶予処分となった。 後に若ノ鵬自身は同年10月27日の『』において「逮捕前日となるに、とと自身の3人で間垣部屋の個室に行って大麻を吸っていた」と証言した。 若ノ鵬はまた同誌で「栃ノ心はグルジアにいたころから吸引していると自ら話していた。 大麻を買うために一緒に渋谷に行こうと誘われた」と主張している。 若ノ鵬がこうした告発に踏み切った理由は「逮捕されてから一方的に関係を切ろうとしている」「手紙を人を介して渡しても連絡がない」からなどとしているが、一方で栃ノ心は「あいつはウソばかり言っている」と疑惑を全面否定した上で「あいつとは仲がいいわけでもない。 間垣部屋(個室)にも行ったことはあるけど、DVDを借りたりしただけ」と若ノ鵬の主張に強く反論した。 八百長証言問題 [ ] 2008年9月29日、記者会見を開き、会見で自身が入幕後八百長を強いられたことを八百長裁判(の大相撲告発記事をめぐり相撲協会がを名誉毀損で訴えた裁判。 詳細はを参照)で週刊現代側の証人として証言する意向を示した。 会見および週刊現代に掲載されたインタビューで、現役大関らの実名を挙げ「幕内に上がった直後に八百長を強要された」「断ったらをすると脅された」などと証言した。 講談社側が 10月20日に第一次・第三次提訴における元若ノ鵬の陳述書を提出したが、21日東京地裁は証人申請を却下した。 は却下の理由を、記事の対象となった2006年11月場所・ 2007年1月場所より、若ノ鵬の新入幕(2007年11月場所)が後で、対象と異なる時期だったためと推測している。 また、元若ノ鵬が週刊現代の記事内で八百長を強いられた、と話した、、、魁皇の四人を講談社側は第一次・第三次提訴で尋問申請したが、東京地裁は10月 23日までに却下した。 2008年11月27日、代理人の弁護士が、日本相撲協会に力士としての地位確認を求めた訴訟で、「週刊現代」での八百長告発が虚偽だとする内容の陳述書を提出したと公表。 これに対し週刊現代編集部は「本人に確認をとったら、陳述書提出について知らないと否定した」と反論した。 翌28日には弁護士と会見を開き、「週刊現代の取材を仲介したある男(「X氏」とした)に『虚偽の告発をすれば相撲界に戻れる』と騙された」と発言した。 また、魁皇ら実名で告発した力士のみならず、週刊現代編集部に対しても謝罪した。 元若ノ鵬によれば、自分が「週刊現代」誌上で発言したことは全てX氏の創作で、「週刊現代」には虚偽の告発で迷惑をかけてしまったという。 仲介人の素性については明かせないとした。 会見前日に編集部と接触したことを認めた上で、編集部に告発内容が虚偽だったと報告した、と明言した。 元若ノ鵬の会見に対し、週刊現代編集部は「支離滅裂で、事実とは考えられない」とコメントした。 以後は弁護士側と週刊現代側がそれぞれの正当性を主張し続けている。 また、週刊現代側は闇の勢力による圧力で証言撤回を余儀なくされた・黒幕の人物は架空であるという説も主張している。 なお、第三次提訴では八百長に関与したとされる豊ノ島が、元若ノ鵬のインタビューとされた記事では無関係であるとされ 、武田の記事内容と違いがみられる。 さらに後の号 では、「以前の連載で豊ノ島が力士であると報じ、元若ノ鵬の証言もそれを裏付けている」と記述し、武田の署名連載時(豊ノ島がガチンコ力士とは一度も書いてない)と明確に矛盾している。 八百長証言問題 2011年度〜 [ ] 2月にが発覚しが八百長を認め、再び注目を浴びた。 民放のインタビューで、相撲協会から八百長証言を撤回しないと退職金を支払わないと言われ、撤回したら翌日に700万円振り込まれていたと発言した。 でのインタビューでは、関取になってから春日錦に八百長の協力を求められ『これが日本のルールだよ。 長く相撲取りたいならみんなと一緒にやれよ』と詰め寄られ『はい、わかりました』というしかなかった、と証言した。 さらに八百長の仲介役とされたから『琴欧洲のように、すごく早く大関に上げてやる。 オレがプロモーターになるから、大関になったら300万くれよな』と大関昇進のための八百長工作を打診されたという。 さらに同月21日発売の週刊現代で力士21人の実名を挙げて八百長を告白したが相撲協会の特別調査委は関心を示さなかった。 その後も週刊現代に八百長告発記事が掲載されたが、3月11日の以降週刊現代から相撲関連の記事が激減したため続報はなく、この件に関する現在の動向は不明である。 略歴 [ ]• 1988年(昭和63年)7月8日 - にて出生。 (平成16年)9月 - 露鵬の薦めで来日しの住み込みとなる。 (平成17年)3月 - に入門し16歳で初土俵。 2005年(平成17年)9月 - 全勝優勝。 (平成18年)11月 - 最年少にて。 (平成19年)11月 -。 (平成20年)5月 - に負けた日に風呂場で暴れ厳重注意を受ける。 2008年(平成20年) - でされる。 2008年(平成20年) - 相撲協会をされる。 2008年(平成20年) - となる。 (平成21年) - 養老金を受給。 2009年(平成21年) - 個人的にを行う。 2009年(平成21年) - 母国に帰国。 エピソード [ ]• 幕内土俵入りで客の方を向いて笑顔を見せる仕草が当時の中継映像からも確認されるが、「相撲のしきたりとに反する」と批判されたこともある。 支度部屋では普段よりイヤホンから音が漏れる大音量で音楽を聴いていた。 主な成績 [ ]• 通算成績:131勝81敗 勝率. 618• 幕内成績:39勝36敗 勝率. 520• 現役在位:21場所• 幕内在位:5場所• 各段優勝• 序二段優勝:1回(2005年9月場所) 場所別成績 [ ] 若ノ鵬寿則 一月場所 初場所() 三月場所 春場所() 五月場所 夏場所(東京) 七月場所 名古屋場所() 九月場所 秋場所(東京) 十一月場所 九州場所() (平成17年) x (前相撲) 東序ノ口18枚目 6—1 西序二段64枚目 5—2 西序二段26枚目 優勝 7—0 東三段目30枚目 6—1 (平成18年) 西幕下49枚目 6—1 西幕下21枚目 5—2 西幕下12枚目 5—2 東幕下7枚目 4—3 東幕下6枚目 6—1 東幕下筆頭 4—3 (平成19年) 西十両12枚目 5—10 東幕下2枚目 5—2 東十両13枚目 10—5 東十両4枚目 8—7 西十両筆頭 10—5 西前頭13枚目 9—6 (平成20年) 東前頭10枚目 10—5 東前頭4枚目 8—7 西前頭2枚目 8—7 西前頭筆頭 4—11 解雇 —— x 各欄の数字は、「 勝ち-負け-休場」を示す。 脚注 [ ]• いずれも若ノ鵬が解雇されてからの関取昇進。 2008年1月22日閲覧。 元若ノ鵬が訴え取り下げ=地位確認訴訟-東京地裁 時事通信 2009年1月30日• 元若ノ鵬への養老金支払いを報告/大相撲 - スポーツ - SANSPO. COM 2009年1月30日• 「大相撲:元若ノ鵬・大麻所持 都内で「断髪式」」 - 毎日新聞2009年2月2日 東京朝刊• 「元若ノ鵬が母国ロシアへ帰国」日刊スポーツ2009年2月14日紙面• John Gunning 2010年11月11日. 2012年5月3日閲覧。 2012年5月3日閲覧。 2013年3月5日閲覧。 Official Site of. 2013年3月5日閲覧。 2016年1月11日閲覧。 2017年6月5日閲覧。 Warner University. 2017年6月5日閲覧。 USASUMO. com. 2017年11月26日閲覧。 桑原弘樹 2009年5月1日. WEB武藤塾. 2017年6月5日閲覧。 USASUMO. com. 2017年11月26日閲覧。 大相撲・若ノ鵬容疑者を逮捕=大麻所持認める-吸引パイプも押収・警視庁 時事通信 2008年9月20日• 若ノ鵬を解雇=間垣親方は理事辞任-大麻事件で相撲協会 時事通信 2008年9月20日• 元若ノ鵬を起訴猶予=大麻所持事件-東京地検 時事通信 2008年9月20日• 大相撲:八百長疑惑報道訴訟 元若ノ鵬の証人申請却下毎日新聞2008年10月22日東京朝刊• 日刊スポーツ 2008年10月22日紙面から• スポーツニッポン 2008年10月24日配信 [ ]• 大相撲:元若ノ鵬・地位確認訴訟 一転「八百長ウソ」東京地裁に陳述書 毎日新聞2008年11月28日東京朝刊• 元若ノ鵬ウソ告発代250万円発言撤回で涙の謝罪会見 中日スポーツ2008年11月29日紙面から• 【元若ノ鵬会見詳報】(2完)八百長報道『モンゴル人力士も出して』 MSN産経ニュース2008年11月28日配信• 週刊現代2008年12月13日号、「若ノ鵬証言を葬る闇の力」• 週刊現代2008年10月18日号• 週刊現代2008年12月6日号、武田等の署名はない。 夕刊フジ 2011年2月21日 月• MSN産経ニュース 2011. 21 20:55• スポーツニッポン 2011年2月22日配信• 朝日新聞DIGITAL 2008年8月22日10時59分• sumodb. 2012年4月7日閲覧。 大麻問題により秋場所前の8月21日に解雇。 東前頭8枚目に掲載される予定だったが、若ノ鵬の名前が番付から削除されその地位は空欄となる。 外部リンク [ ]• - 日本相撲協会• - 相撲レファレンス.

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豊昇龍智勝

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来歴 [ ] 中学校入学時点で身長が180cm超を計測し、その体格を活かして柔道部員として県大会団体戦準優勝などの活躍を果たした。 加えて砲丸投げに助っ人として駆り出されて山形県大会での6位入賞を果たすなどスポーツ万能の少年として尾花沢市内で話題となっていった。 この話題を聞きつけた元の佐渡ヶ嶽はその3日後に勧誘を開始した。 最初は周囲が反対し本人も断ろうとしたが、10回を超える訪問などの熱心な勧誘や「私に任せてください」という口説き文句に折れて入門した。 3月場所のを同じ佐渡ヶ嶽部屋のなどとともに受検したが、緊張のあまり血圧が急上昇し不合格とされが1場所遅れた。 5月場所初土俵の同期生には・がおり、非常に仲が良いことで知られている。 の父とは中学時代に砲丸投げでしのぎを削っており、今野が6位入賞を果たした際に白鷹山の父は優勝を果たしている。 若い頃は大事なに弱く出世も遅れがちだったが琴錦の稽古台にされたことが幸いして力をつけ、7月場所に新、2場所で通過し同年11月場所には新入幕を果たした。 7勝8敗とて跳ね返されたが(この翌場所の番付編成は非常に不可解で、新入幕時には幕内最下位でなかった琴の若(当時)は幕内残留が濃厚と見られていたにも関わらず十両陥落となった)3月場所再入幕、今度は9勝6敗とて以後に定着した。 9月場所には新小結で8勝7敗、その後小結と平幕の往復が続く中1995年7月場所は2大関に勝ち初の三賞で敢闘賞。 3月場所は初日から7連勝し2大関に勝ち11勝で2回目の敢闘賞。 7月場所にはとの両を撫で斬りにしダブル金星で9勝6敗、(殊勲賞)を獲得した。 1998年7月場所は2日目から10連勝して11勝3回目の敢闘賞、9月場所は1横綱1大関に勝ち2回目の殊勲賞4個目の金星。 11月場所に小結で10勝5敗と勝ち越してやっと関脇に昇進。 過去にも小結での勝ち越しはあったが番付運に恵まれず、2桁勝ってようやく同期生の琴錦に最高位で追いついた。 新関脇となる1999年1月場所も8勝7敗と勝ち越したが左膝の負傷でを明け渡し低迷。 その後は三役に戻る事はなかった。 それでも時折実力のあるところを示し横綱やを幾度か倒すなど地力のある所を見せ、その甘いマスクと伴って人気は衰えなかった。 しかし2000年3月、膝の半月板損傷の大怪我が致命傷になった。 さらに2002年7月場所や2003年11月場所など膝の故障にはその後も何度も苦しまされ、晩年は4本ある膝の靱帯のうち3本が切れて1本しかなくなり、医者が「この膝でどうやって相撲を取るの?」と言うほどだった。 半月板の故障も甚だしく、引退後の2012年3月ごろに病院に駆け込んだ際に発覚した事実について「ヒザの水を注射針で抜いているうちに半月板の欠片がどんどん流出し、ついには自然消滅した。 医者には『親方、半月板無いですね。 手術したんですか? 』と問われた。 」と語るほど悪い状態にあった。 現在でも急な段差を下りると膝が外れるという。 それでも得意の上手を取れば全盛期同様豪快な上手投げも見せた。 末は横綱と思わせるほどの堂々とした体躯で素質は十分。 大関昇進を期待されたが故障が多く実現できなかった。 しかし本人は「もう1回三役に」を目標に取り続けた。 攻めが遅く「ミスター1分」のあだ名を持っていた。 この特徴は速攻相撲には弱点になるが、一旦相手の速攻を止めに近い大相撲になると「攻められ強く、しぶとい」という長所にもなる。 実際水入りも4度経験(1994年武蔵丸戦や2001年貴闘力戦など)した。 しかし、この攻めの遅さが災いした。 1996年4月に師匠の長女と婿入りの形で結婚。 この時点で佐渡ヶ嶽部屋を継承することが決まった。 2000年1月場所、弟弟子のの金星に刺激され自身も貴乃花から金星を奪取。 2003年3月場所では横綱・朝青龍に勝ち3年ぶり7個目の金星を奪取し、2003年7月場所では、またも朝青龍に勝って金星を挙げるが右大胸筋を挫傷し箸すら持てない状態になり、気の遠くなるようなリハビリを強いられた。 2003年11月場所の戦では再び膝に怪我を負い、その影響から引退も考えたが子供からの励ましで吹っ切れ、2004年3月場所は11勝と33場所ぶりの三賞獲得。 9月場所でも優勝争いをしていたを千秋楽に破り、その年2度目の三賞となる5回目の敢闘賞を獲得した。 に佐渡ヶ嶽が体調を崩し入院すると、部屋付き親方が5名いる中で師匠代理を務めた。 その後、佐渡ヶ嶽が65歳の停年(定年)を迎えた11月場所13日目()を最後に琴ノ若は現役を引退し、年寄・13代佐渡ヶ嶽を襲名した。 なお、この日の取組はに敗れて5勝8敗と負け越し、翌日の戦は不戦敗となった。 全盛期より衰えたとはいえの地位を維持できる実力はまだ十分にあったが、の年寄は65歳の停年を迎えると部屋の師匠を続けることができず、それによって部屋の師匠が不在になればその部屋に所属している力士は本場所に出場できなくなるという事情があったため、琴ノ若は停年を迎えた師匠の跡を継ぐためにやむを得ず現役を引退する形となったものであり、彼自身は現役最後の場所を千秋楽まで務められなかったことを残念がっていた。 による現役続行を望む声も上がっていたが、実現には至らなかった。 、でを行った。 引退相撲は長男・将且と行い、入門後には「琴ノ若」のを継承させることを約束した。 将且は高校在学中の11月場所から佐渡ヶ嶽部屋に入門し、「琴鎌谷」の四股名で初土俵を踏んだ。 翌2016年1月場所では序の口で全勝優勝を果たしている。 実際に「琴ノ若」を継承するのは、最低でも三段目以上への昇進以降としており、義父でもある先代佐渡ケ嶽の現役時の四股名でもある「琴櫻」は、大関昇進以降であれば継がせてよいと生前の先代親方と約束していたという。 当の琴鎌谷は2016年の5月場所では三段目に昇進し、父が琴ノ若の名を継がせることを考えたが、将且は「まだ名乗れるほどになっていない」としてその時点で襲名を辞退した。 そして幕下に昇進し、2019年5月場所では幕下東2枚目で4勝3敗と勝ち越し、2019年7月場所番付編成会議で十両昇進が承認されたことにより将且は二代目琴ノ若を襲名して関取となることが決まった。 引退時はの土俵に立った経験のある唯一の現役関取・かつ幕内力士だった。 力士としての息の長さと、長時間にわたる取組の多さから、「最も長い時間本場所で相撲を取った力士」、「相撲が好きな力士」と呼ばれた。 2010年3月場所より審判部の所属となり土俵下にその姿を見ることができたが、7月場所直前に弟子のがにより解雇処分となり、責任をとる形で同場所を謹慎処分となり、さらに9月場所前にこの問題の責任をとる形で委員から平年寄へと2階級降格処分となり、同時に審判部から巡業部へ異動となったため、審判委員を務めた時期は実質2場所のみである。 さらに4月には弟子のがにより引退勧告処分となり、責任を取る形で昇格停止3年の処分を受けた。 年寄据置処分が明けた2014年4月に発表された新たな職務分掌では委員に再昇格した。 2020年3月の職務分掌では役員待遇委員に昇格 し、巡業部副部長・警備本部副部長となった。 つき手か、かばい手か [ ] 7月場所中日の結びの一番は、歴史に残る一番となった。 全勝の横綱が、それまで1勝しかしていなかった幕内最年長琴ノ若の上手投げで裏返しにされた。 このとき朝青龍はの体勢でこらえながら、琴ノ若のを最後まで放さなかった。 一方、「すでに朝青龍は」と判断した琴ノ若は、横綱の上に倒れては危ないので手を着いた。 その手が、朝青龍が落ちるより一瞬早く土俵に着いた。 「」と見たの軍配は琴ノ若に上がったがすぐにが付いた。 3分15秒にわたる審判団の協議の結果、朝青龍の体が落ちるのと、琴ノ若の左手が「」と見なされ、それが同時と見てとなってしまった。 取り直しの一番では、朝青龍が豪快なで8連勝を飾った。 しかしこの一番で死に体の解釈をめぐり、審判団の解釈は紛糾した。 琴ノ若の手は明らかに早く着いてはいたが、「生き体」ならば朝青龍、「死に体」ならば琴ノ若の勝ちになる。 結局、審判団の意見が分かれ「取り直しにするしかなかった」という同体判定にされてしまう。 さらに取組後のインタビューで琴ノ若は「あれは『つき手』でなく『かばい手』だった。 はっきり勝負が着いていたから手をついたまで。 あのまま横綱の上に倒れこんでいっても良かったのだ。 取り直しになるのなら『死に体』なんて制度は無くした方が良い」と憤慨しつつ語った程であった。 中継後、には数十件以上の電話があり、殆どが「朝青龍は既に死に体で、琴ノ若が勝っていた」との抗議だったという。 それから3日後の11日目、琴ノ若はと対戦。 琴ノ若に左上手を取られた玉乃島は、で敗れた。 なおその一番で玉乃島が崩れていく時、琴ノ若は朝青龍戦と同じように手を着いて玉乃島の体をかばっていた。 玉乃島は取組後「琴ノ若関が手を着いてくれなかったら自分は大ケガをしていただろう」と、その琴ノ若の気づかいに感謝していたという。 改名歴 [ ]• 今野 満也(こんの みつや)1984年5月場所• 琴今野 満也(ことこんの - )1984年7月場所 - 1988年1月場所• 琴の若 實哉(ことのわか - )1988年3月場所 - 1998年7月場所• 琴乃若 將勝( - まさかつ)1998年9月場所• 琴乃 若 將勝(ことのわか - )1998年11月場所 - 1999年5月場所• 佐渡ヶ嶽 満宗(さどがたけ みつむね)2005年11月 - 主な成績 [ ]• 通算成績:785勝764敗100休 勝率. 507• 幕内成績:608勝657敗84休 勝率. 481• 現役在位:130場所• 幕内在位:90場所(歴代8位)• 三役在位:9場所(関脇2場所、小結7場所)• 幕内通算出場:1260回(歴代8位)• :7回• 殊勲賞:2回(1996年7月場所、1998年9月場所)• 敢闘賞:5回(1995年7月場所、1996年3月場所、1998年7月場所、2004年3月場所、2004年9月場所)• :8個(1個、貴乃花3個、若乃花2個、朝青龍2個)• 各段優勝• 地元の尾花沢市では、地元企業でもあり後援会のスーパー「」が、琴ノ若が白星を挙げると花火を揚げ、市民に勝利を報告していた。 7月31日には地元山形で、などと少年相撲教室を開催した。 琴欧洲が大関に昇進したときに、親方はまだ断髪前だったのでまげを結ったままだった。 が適用された最後の力士である。 親方となってからは、場所中度々の奥に現れて、土俵上の弟子の取組を心配そうに見つめている様子が、でも映されている。 とは初期の頃は相性が良く対戦成績で圧倒していた(2001年7月場所まで7勝1敗)。 とは1997年頃まで8勝24敗だったが、その後14勝5敗と力関係が逆転していった(通算22勝29敗)。 と相性が良く、2003年11月場所まで16勝1敗だった。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 佐渡ケ嶽部屋ホームページ• 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p56• 『相撲』2013年11月号81頁• スポニチアネックス 2015年9月11日(2015年11月8日閲覧)• スポニチアネックス 2015年11月8日(2015年11月8日閲覧)• ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 2019年5月29日. 2019年5月29日閲覧。 JIJI. COM 2020年03月25日19時48分(2020年3月29日閲覧)• szumo. 2007年6月7日閲覧。 - sumodb 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 日本相撲協会•

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琴勝峰吉成

こと しょう ほう 琴 ノ 若

人物 [ ] 大相撲入門前 [ ] 建設会社の社長をしている父の三男として生まれる。 の山下泰裕物語に影響された祖父の下、小学3年生で相撲を始める。 祖父がつくった自宅の庭の土俵で1日2時間の稽古を行い、隣のグラウンドでは100メートルのタイヤ引きを1時間かけて40本行い、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けた。 ソフトボールで4番打者を務めた経験もある。 幼少期から体は大きく、ソフトボールの試合には子供サイズのユニフォームが着られないため監督のものを借りて出場した。 そのため背番号が30という本来の少年ソフトボールではありえない事態もあった。 幼少時に、地元に巡業で訪れた貴花田(後の横綱・)の膝に乗せられて記念写真を撮ったことが相撲を続ける上での大きな励みになったという。 大相撲巡業柳川場所に関しては、他にもに胸を出してもらったことがある のに相撲留学し、3年生となった1998年にはで優勝してとなり、その後、明徳義塾高校に進学して活躍した。 小学生のころからの知遇を得ており、初心通りに佐渡ヶ嶽部屋へ入門した。 後年になる2019年10月26日の秋巡業広島場所で、角界入りした理由について4人の小学生男女から聞かれた際に「親孝行をしたかったから」とユーモアめかして答えていた。 大相撲入門後〜大関昇進 [ ] 2002年1月場所に琴菊次(こときくつぎ)のでを踏んだが、当初は誤って「こときくじ」と読まれることが多かったという。 序ノ口、序二段は各1場所、三段目も2場所で昇進と順調に出世したが、幕下昇進後は7場所で負け越し3度と上位の壁に苦しむ。 立ち合いで上体が立つ癖があったが、竹縄親方(元・、現)の指導により、上体の前傾姿勢が土俵と水平に近くなり、圧力が増すようになる。 2004年1月場所から3場所連続で勝ち越し、7月場所に新へ昇進、この時に佐渡ヶ嶽から「人から尊敬される力士になれ」との意味で送られた「琴奨菊」の四股名を得る。 十両昇進後は3場所連続で勝ち越し、2005年1月場所に新入幕を果たした。 新入幕となった1月場所では5勝10敗と大きく負け越して、翌3月場所には十両へ陥落したが、その3月場所で13勝2敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たし、同年5月場所に再入幕を果たすと、その後は幕内上位に定着した。 前頭筆頭に昇進し昇進が期待された2006年7月場所では3勝12敗の大敗に終わるが、前頭2枚目で迎えた同年11月場所では10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。 東筆頭に据え置かれた2007年1月場所ではとの2大関を破る活躍を見せて9勝6敗と勝ち越し、翌3月場所では一気に西へ昇進した。 その3月場所では7勝8敗と負け越し、西へ下がった同年5月場所でも千秋楽にに敗れて7勝8敗と負け越し、翌5月場所では平幕へ陥落した。 小結へ復帰した2007年11月場所では初日に・に初めて勝利して、9勝6敗と勝ち越しを果たして2回目の技能賞を受賞した。 翌2008年1月場所では9日目から途中休場したものの、12日目から再出場して9勝を挙げた。 西関脇へ復帰した翌3月場所では12日目に横綱・に初めて勝利し、8勝7敗と勝ち越しを決めて初のを受賞した。 翌5月場所でも8勝7敗と勝ち越したものの、翌7月場所では6勝9敗と負け越して5場所連続して務めた三役から陥落した。 以降は大関昇進を期待されながらも、2008年9月場所から2009年5月場所にかけては5場所連続で平幕に留まるなど、三役には定着しきれない日々が続いた。 西関脇の位置で迎えた2011年1月場所では11勝4敗という好成績を挙げて、三役では初めてとなる二桁勝利を挙げて3回目の技能賞を受賞した。 と入れ代わる形で、自身初となる東関脇の位置で迎えた続く5月技量審査場所では、終盤に失速したものの関脇の位置で2場所連続しての二桁勝利となる10勝5敗の成績を挙げた。 大関獲りへの挑戦となった翌7月場所では、初日にに敗れたものの、以降は9日目にに敗れる以外は白星を重ね、11日目には横綱・白鵬も破り、大関獲りが実現する雰囲気が一気に高まったものの、13日目に平幕のに敗れ、続く14日目にも平幕のに敗れてしまい、最終的には11勝4敗の成績となり、2回目の殊勲賞は受賞したものの、大関獲りは次場所への持ち越しとなった。 この好機を逃したことを本人は「次はない。 あれで上がれないんだから自分は上がれないんだろう。 」と嘆き、場所後は朝起きるのもいやなくらいだったという。 しかしその頃ちょうどNHKの番組「アスリートの魂」の密着取材を受けていたため「一日中テレビカメラを向けられて、気持ちが乗らなくても稽古しないわけにいかない。 だったらしっかりやろうと思った。 それがよかったのかもしれない。 名古屋場所ではシャットアウトしていたマスコミを、秋場所では受け入れて心が強くなった。 」と心機一転して続く9月場所に挑んだ。 この時、取材を担当していたNHKの中元健介ディレクターへの信頼は厚く、その後もよき相談相手になっている。 再び大関獲りへの挑戦となった翌9月場所では、初日から7連勝した。 途中で2敗したものの、13日目にはその時点で1敗だった白鵬を2場所連続で破る活躍を見せ、千秋楽まで白鵬と共に優勝を争っていた。 千秋楽ではに上手投げで敗れて12勝3敗の成績となり優勝は逃したものの、3回目の殊勲賞と4回目の技能賞を受賞した。 また、この場所を終えた時点で大関昇進の目安とみなされている直近3場所合計33勝に達したため、場所後に行われた理事会で満場一致による大関昇進が決定した。 日本出身の大関誕生は、2007年9月場所に新大関昇進を果たしたかつての兄弟子である(2010年5月場所後に解雇処分)以来4年ぶりのこととなった。 では「大関の地位を汚さぬよう『万理一空』の境地を求めて、日々努力精進致します」と口上した。 大関時代 [ ] 2011年 - 2012年 [ ] 新大関の場所となった2011年11月場所は、白鵬と共に初日から9連勝と好調だったものの、10日目で把瑠都に初黒星を喫してから4連敗し優勝争いから脱落したが、千秋楽に同場所大関獲りだった関脇・稀勢の里を下して11勝4敗の成績で終えた(尚稀勢の里は場所後大関昇進を果たした)。 翌2012年1月場所では初日にに黒星を喫し、以降も調子が上がらずに7勝7敗の成績で千秋楽を迎え、千秋楽の日馬富士戦に勝利して8勝7敗と辛うじてた。 翌3月場所では終盤に崩れて9勝6敗の成績に終わった。 5月場所と7月場所でも終盤に失速したが共に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。 3月場所後に関脇・が大関へと昇進したことによって、史上初の6大関時代(琴欧洲・日馬富士・把瑠都・琴奨菊・稀勢ノ里・鶴竜)の幕開けとなりこれが把瑠都が大関陥落するまで三場所に渡り続いた。 同年9月場所では、3日目の戦においてで敗れた際に左膝を痛め、左膝内側側副靱帯損傷により全治1週間という診断(同場所10日目にさらに3週間加療の診断書が提出された)を受けて、翌4日目より休場した。 本人の途中休場は、2008年1月場所以来2回目のこととなった(他大関陣は同4日目に、6日目にも途中休場)。 次の11月場所は自身初の大関となった。 この場所は苦戦し、14日目に旭天鵬を破ってなんとか勝ち越し、角番を脱出した。 2013年 [ ] 1月場所は初日から3連勝したが、中盤で4連敗するなど、最終的には千秋楽に8勝7敗と勝ち越しにとどまった。 翌3月場所も2場所連続の8勝7敗に留まった。 2013年5月、年寄名跡を取得した。 5月場所は初日から4連勝、千秋楽では最後まで白鵬と幕内優勝を争っていた稀勢の里を一方的に、5場所ぶりの二桁勝利となる11勝4敗で終え久々に存在感をアピール。 7月場所は5連勝の好スタートだったが、6日目以降黒星が増え9勝6敗に終わった。 千秋楽では先場所に引き続き稀勢の里を寄り切りで下した。 翌9月場所も中日まで3敗を喫し優勝争いから早々脱落した結果、10勝5敗に留まった。 しかし11月場所では2日目の戦で押し出しで勝利したが、その際自らも倒れこんで土俵の淵に右胸上部を強打したため、勝ち残り であるにも拘わらず、応急処置を優先して苦悶の表情で直後花道を下がり支度部屋へと引き上げた。 病院での検査・診断の結果「右大胸筋断裂で全治3カ月の見込み」の重傷により3日目から途中休場となり 、翌2014年1月場所は7場所ぶり2回目の大関角番となる。 2014年 [ ] 次の2014年1月場所は怪我が完治していない状態で苦しみながらも12日目で勝ち越しを決め角番を脱出した。 尚、この場所4日目の戦と勝ち越しを確定した後に行われた千秋楽の稀勢の里戦の計2番で不戦勝を獲得している。 翌3月場所では、14日目に勝ち越しを決め、千秋楽に鶴竜に敗れ、8勝7敗と場所を終えた。 この場所は両横綱を破り、結果的に鶴竜の初優勝にも貢献した。 2014年5月3日には片男波部屋で行われた二所ノ関一門の連合稽古で日馬富士、稀勢の里と14番取り、これが4か月ぶりとなる関取との申し合いとなった。 この稽古では怪我の状態を考えて右四つを模索していた。 5月場所は右肩胸部に一切テーピングをせずに土俵に上がり続けた。 この場所は13日目の白鵬戦でが決まり、5勝10敗と二桁黒星を喫した。 大関の地位での2桁黒星は、2009年3月場所で大関として2勝13敗とワースト皆勤敗数を記録した以来5年ぶり。 次の7月場所は通算3回目の大関角番となったが、2011年11月場所以来となる中日勝ち越しを達成する絶好調ぶりで角番を脱出。 9日目に鶴竜、12日目に白鵬に敗れたが、14日目にとの2敗同士対決を制し、白鵬と同じく12勝2敗で優勝争いの先頭を走った。 千秋楽はこの1番に大関取りを懸ける豪栄道と対戦して黒星を喫するも、場所自体は12勝3敗の優勝次点という好成績に終わった。 これを受けて、翌9月場所の番付は在位18場所目で初めて東正大関となった。 しかし、東大関で迎えた9月場所は、5日目からの3連敗で早々優勝争いから脱落、後半戦で立ち直ったが9勝6敗に留まった。 続く11月場所も不調で中日で3勝5敗と黒星先行、13日目からは3連敗で6勝9敗と2014年5月場所以来大関として2度目の皆勤負け越しを喫した。 2015年 [ ] 角番で迎えた翌1月場所は、3日目の戦で早くも土がつく。 さらに、続く4日目の戦も注文相撲で敗れてしまい、序盤で2連敗を喫してしまう。 しかし、その後の中盤は順調に星を重ね、5連勝と調子を取り戻す。 7勝2敗と角番脱出に王手をかけ挑んだ日馬富士戦には敗れるものの、翌日に鶴竜を破って角番脱出。 しかし、終盤に負けが込んでしまい、この場所は9勝6敗で場所を終えた。 続く3月場所は、2014年7月場所以来の初日から4連勝を達成する。 しかし、5日目の栃煌山戦で土がつき、対栃煌山戦は2連敗となる。 翌6日目の逸ノ城戦でも黒星がついて、対逸ノ城戦も2連敗し、奇しくも2場所連続で栃煌山・逸ノ城戦で連敗を喫してしまった。 9日目の豪栄道戦にも敗れ、翌10日目も好調の戦にも敗れてしまい、2回目の2連敗を喫してしまう。 11日目の戦は勝利し、12日目の白鵬戦、13日目のライバル・豊ノ島戦でも2連敗を喫するものの、14日目に対戦成績で勝ち越している横綱・日馬富士を4場所ぶりに破る活躍を見せ勝ち越しを決める。 奇しくも琴奨菊は2場所連続で横綱を破り勝ち越しを決めた。 千秋楽に稀勢の里に敗れ、8勝7敗で場所を終えた。 だが、翌5月場所は、中日で4勝4敗、9日目に4勝5敗と黒星が先行。 14日目に日馬富士に敗れ6勝8敗、千秋楽も稀勢の里に負けて6勝9敗と、3場所ぶり3度目の大関皆勤負け越しとなった。 次の7月場所は、通算5回目の大関角番となった。 序盤から波に乗れずに、12日目は白鵬に敗れ5勝7敗と絶体絶命、関脇陥落の大ピンチとなってしまう。 だが、そこから3連勝し、千秋楽は新大関の照ノ富士を立合いで変化して叩き込み、8勝7敗と辛くも勝ち越しカド番を脱出した。 続く9月場所は、持ち味のがぶり寄りが発揮して10日目に勝ち越しを決め、最終的には11勝4敗と、7場所ぶりの2桁勝利を挙げた。 ご当地で迎えた11月場所は、2014年7月場所以来の初日から5連勝。 しかし、6日目に逸ノ城に敗れると、9日目から4連敗するなど精彩を欠いた。 13日目に妙義龍に小手投げで勝って勝ち越しを決めたが、左前脛骨筋挫傷で14日目から休場した。 2016年 -初優勝- [ ] 2016年1月場所は、4日目の安美錦戦こそ際どい相撲だったが、中日には稀勢の里との58回目の対戦( - とならび史上最多)に寄り切りで勝利すると、10日目鶴竜、11日目白鵬(全勝対決)、12日目日馬富士と3横綱を圧倒し、優勝争いの先頭に立つ。 3横綱連破は1991年初場所、霧島が旭富士、大乃国、北勝海を破って以来25年ぶりのことである。 13日目に2敗で追う豊ノ島にとったりで不覚をとり白鵬と並んだが、14日目は栃煌山に勝って1敗を守り、自身の取組後に白鵬が敗れたため、再び優勝争いの単独先頭にたった。 千秋楽はを突き落としで破り、2006年1月場所の以来10年ぶり(59場所ぶり)の日本出身力士の優勝(帰化日本人を含めれば2012年5月場所の以来3年半ぶり)を決めた。 なお、31歳11カ月での初優勝は、年6場所制が定着した1958年以降、の31歳9カ月を抜いて旭天鵬、に次ぐ3位の年長記録。 初土俵から84場所での初優勝は、優勝制度が制定された1909年5月場所以降、に次いで6番目のスロー記録。 新入幕から66場所での初優勝は、1909年5月場所以降、旭天鵬に次いで2番目のスロー記録。 大関26場所目での初優勝は、昭和以降の新大関で、21場所のを上回る史上最スロー記録。 佐渡ケ嶽部屋の優勝は2008年5月場所の以来14度目。 二所ノ関一門も琴欧州以来。 部屋別では九重部屋の52度が最多となっている。 福岡県出身力士としての優勝は、に次いで3人目。 32歳の誕生日の1月末に結婚式を行った。 3月場所は、今までの安定感の欠如から、高い水準での優勝、内容が求められる、という条件のもと、初の綱獲り場所となった。 初日から先場所の勢いそのままに4連勝。 しかし、5日目の隠岐の海戦で土俵際のはたきこみに屈して初黒星。 9日目からは稀勢の里、豪栄道、照ノ富士の3大関に敗れ3連敗で4敗、場所後の綱取りは消滅した。 13日目以降の3横綱との戦いもいいところなく全敗し、8勝7敗の成績で終えた。 5月場所は6日目までに格下相手に2回立合い変化を受けて2敗し、早々に優勝戦線から脱落。 最終的には10勝5敗だった。 7月場所は大関となって初の開幕4連敗スタート。 5日目に同じく4連敗のを破ってようやく初勝利を挙げた。 しかし6日目に隠岐の海に敗れ5敗目を喫し、古傷の左膝などを痛めたため、翌日から日本相撲協会に「左膝内側側副靭帯損傷、左アキレス腱周囲炎のため約14日間の安静、加療を要す」との診断書を出して休場。 7日目の魁聖戦は不戦敗となり、魁聖は2014年初場所の琴奨菊自身以来となる1場所2度目の不戦勝。 秋場所は6度目の角番になる。 大関角番6回は武双山に並ぶ歴代6位の記録。 9月場所は9勝6敗で角番を脱出するも千秋楽に豪栄道に敗れ全勝優勝を許してしまった。 11月場所前の11月4日、尾車部屋の九州場所宿舎で行われた二所ノ関部屋の連合稽古では、それまで182kgあった体重を173kgまで落としたにもかかわらず稀勢の里に馬力勝ちする場面もあり「ちょっとやせて、動きやすくなった。 もうちょっとやせてもいいのかな。 馬力もしっかり乗っているし」と本人も手応えを感じていた。 しかし、11月場所は連敗が続くなどし11日目に横綱・日馬富士に下手投げで敗れ負け越しとなり来場所は歴代ワースト4位の7回目の角番となる。 13日目に栃煌山に勝利し連敗は6でストップさせ、この場所は5勝10敗で場所を終えた。 2017年 -7度目の角番で大関陥落- [ ] 7度目の角番ながら前年の初場所に続いての連覇と横綱への昇進を目指し稽古場でも稀勢の里を圧倒すなど好調な様子を見せ 、歴代10位タイとなる32場所目の大関在位で挑んだ初場所は初日勝利。 しかし、翌日に早くも黒星。 3日目は勝利するもその後連敗。 早くも初場所連覇を目指していた優勝争いから脱落しそれどころか6日目で4敗と角番脱出に苦しい星になる。 琴奨菊は「しっかり自分を立て直して、一つ良い相撲を取れば違ってくると思う。 それまで我慢ですかね」と話し気持ちを切り替えていた。 また、7日目に西横綱の日馬富士が休場したため対戦機会が消滅し角番脱出に追い風が吹いた。 しかし、7日目の高安戦は故障を抱える足がついていかずはたきを残せずバッタリと土俵に落ちて敗北し5敗といよいよ苦しくなり 、翌日も松鳳山に小手投げで敗戦し4日目から5連敗で6敗目。 これに佐渡ケ嶽親方は角番で関脇に陥落しても引退はさせない考えで「すぐに10勝すれば大関に戻れる。 諦めたら終わり。 はい上がった姿こそが尊い」と奮起を促した。 その甲斐あってか9日目に全勝だった大関・稀勢の里を寄り切りで倒し連敗をストップさせ3勝目をあげた。 この白星について琴奨菊は「やるべきことをやった。 よく我慢できた」と手ごたえを口にし連敗を止めるため安易な張り差しで墓穴を掘るなどしていた相撲内容を反省し、この日の立合いは部屋の若い衆の考えを聞いて決めたとのこと。 そして残り6日での逆転角番脱出へ気合いを入れていた。 だが、翌日大関・豪栄道に7敗目を喫し、いよいよ大関陥落へ後が無くなった。 琴奨菊は風呂場で思わず「あーっ! 」と叫び、支度部屋では「まあしゃあない。 うーん。 はあ…強くならんとアカン。 それだけ。 我慢して、我慢して、強くならないと」「よっしゃよっしゃ、明日頑張ろう」と自分に言い聞かせ最後まで諦めない様子を見せていたが 、11日目は横綱・鶴竜が休場したため不戦勝となり幸運な形で4勝目をあげた。 しかし、翌12日目に新関脇・玉鷲に押し出しで破れて力尽き、ついに32場所在位した大関から関脇への陥落が決定し、前年初優勝した初場所とは明暗がはっきりわかれる場所となった。 大関陥落は琴欧洲(途中休場により大関陥落決定)以来3年2ヶ月(19場所)ぶり16人(19度)目で、相撲を取っての大関陥落決定は2009年11月場所10日目の千代大海の対朝青龍戦以来7年2ヶ月(42場所〈2011年3月場所は八百長問題で中止のため〉)ぶりとなった。 なお大関陥落が決定した場合でも、次場所の番付発表の前日までは大関として扱われる。 琴奨菊は「まあ、これが今の力だと思う。 まだ場所中ですから、気持ちをしっかり切り替えて、やるべきことをやる。 負けて終わりじゃないから。 辞めたら終わりだから。 しっかりと気持ちを立て直してやっていきたい」と引退や休場はせずに残りの3日も相撲を取り続ける考えを示した。 この日の解説は大関特例復帰を2度果たしている栃東の玉ノ井親方であり「腰が高い。 土俵際で体が伸びあがっている。 満身創痍だろう」と語り、それでも「土俵の感覚を整えて、挑戦者の気持ちで行った方がいい」と来場所のために残り3日間の出場を勧めていた。 佐渡ケ嶽親方は「落ちるのは恥ずかしいことじゃない。 はい上がる方が格好いいじゃないか」と来場所へ向けて鼓舞した。 また、4年前の1月19日は二所ノ関一門の元横綱・大鵬の納谷幸喜が死去した日で琴奨菊は朝稽古で「自分の相撲を見せられたら」と語っていたが厳しい結果になってしまった。 先代師匠の元横綱・琴桜は大関在位32場所で横綱になったが琴奨菊は史上10位タイの同じ32場所を務めて降格となっている。 対戦相手の玉鷲はこの一番が琴奨菊の大関陥落を決定させる8敗目となる取組相手となり、玉鷲が大関からの引導を渡す形になった。 この取組について玉鷲は「涙が出そうだった」と声を詰まらせ、二所ノ関一門である大関とは「十数年一緒に戦ってきた」という間柄だが「勝負の世界」と情け無用で一番に臨んだとのこと。 玉鷲は「悲しいより、いい方に考える」と前向きに捉え、琴奨菊については「次の場所頑張って、絶対また上がってくる」と話した。 この場所は結局休場せず最後まで大関として相撲をとり、13日目も横綱・白鵬が下手出し投げ、14日目の勢戦でも敗れ3連敗。 千秋楽の照ノ富士との大関対決で勝利。 最終的に5勝10敗で場所を終え、この場所稀勢の里が14勝1敗で優勝したため唯一勝利した相手となった。 大関陥落後 [ ] 師匠の佐渡ケ嶽親方は一緒に食事をして琴奨菊の現役続行の意志を確認したことを明かし「10勝すれば大関に戻れる。 全勝の稀勢の里に勝つ(1月場所9日目)力もある」と復活に期待を込め、3月場所で10勝以上をあげて、5月場所での大関特例復帰を目指す。 また、八角理事長も「堂々と戦い、堂々と負けた。 来場所は堂々と上がればいい。 何も恥じることはない」と再起に期待した。 2月16日の朝稽古では土俵に上がらず若い衆を相手に左四つの動きを確認するなどの軽めの調整を行うにとどまったが「大丈夫。 (上がらなかったのは)今日はたまたま」と、軽症をアピール。 初優勝後有頂天になっていたことや体幹トレーニングに傾倒して土俵での稽古が疎かになっていた琴奨菊は反省し、すもうの基本、四股、テッポウ、すり足を入念に行い、出稽古もひんぱんに行った。 夫人から「35歳まで頑張って」と激励され、すっかりその気になり、以前から「子どもが物心つくまでは現役で」と漏らしていただけに、まるで別人のような変身ぶりであった。 3関脇場所の東関脇2として迎えた3月場所、初日に休場明けの横綱・日馬富士を押し出し、4日目には初日から3連勝である横綱・鶴竜をのすくい投げで転がし土を付ける。 11日目から平幕の勢と宝富士に連続して敗れ5敗となり後がなくなる。 その後なんとか勝ち越すが14日目の大関・照ノ富士に、立ち合いの変化からのはたき込みを受けてしまい6敗。 特例での大関復帰が阻止され、来場所の大関復帰条件(10勝以上)を満たすことができなかった。 正面解説の立田川親方(元小結・豊真将)はこの事を受け、「今回大関復帰が叶わなかったのは残念だが、まだまだ力はあるのだしこれで現役を退くようなことだけは考えないでほしい。 また大関を狙って頑張ってほしい」と語っている。 琴奨菊は「自分との戦いだと思っていた」変化については「仕方がない」と発言していた。 千秋楽は勝利しこの場所9勝6敗で場所を終えた。 5月場所からは通常と同じ条件による大関復帰を目指すことになった。 4月7日、第一子となる長男が誕生。 長男は自分の下の名前から「弘」の字を取って「弘人(ひろと)」と命名。 琴奨菊の菊次家では祖父の代から名前に「一」の文字を入れてきたが「自分からリニューアルです。 健康でいてほしいこと。 とにかく遊ばせたい。 男の子は元気に育ったらいい」と目を細めた。 5月場所も関脇として場所に挑むが、初日から3連敗するなど負けが先行。 関脇・玉鷲に4日目にようやく勝利したがその後再び4連敗し横綱・白鵬に敗れた段階で7敗としたあと、踏みとどまって横綱・稀勢の里に勝利するなど3連勝していたが、12日目に小結・御嶽海に負けて8敗目を記録し負け越しで関脇からの陥落と3関脇の終了も決定した。 結局、この場所7勝8敗で場所を終えた。 7月場所は西小結の地位を与えられた。 2010年5月場所以来7年ぶりの小結。 戦後、大関陥落後に3場所連続で三役を維持したのは史上5人目。 その7月場所は初日から連敗。 5日目に1勝3敗だった大関・照ノ富士にようやく勝利し連敗を止める(この取組で照ノ富士は膝を痛めて休場)。 その後稀勢の里の休場で不戦勝し、大関豪栄道にも勝利するが11日目にに敗れて7敗となり、あとが無くなる。 14日目に栃ノ心に敗れ、来場所の平幕への陥落が決定した。 千秋楽は勝利し、この場所も7勝8敗で終える。 8月6日の夏巡業長岡場所では初めて長男を抱いての土俵入りを行った。 9月場所は西前頭筆頭の地位を与えられた。 初日から豪栄道、照ノ富士と大関二人に連勝。 3日目にも横綱・日馬富士をそのまま倒し、結局待ったは成立せず自身初の金星獲得となった。 初土俵から94場所目での初金星は昭和以降新入幕を果たした力士の中では4番目に遅い記録となり、元大関の金星獲得は2008年秋場所の雅山以来、史上15例目。 新入幕から76場所目での初金星は貴ノ浪の67場所を抜いて1位のスロー記録。 なお大関陥落者で金星を手にしているのは彼以前には貴ノ浪、出島、雅山の三人しかいない。 この取り組みでは待ったを認めるべきだという内容の抗議の電話が協会にも数多く寄せられ、も「立合い不成立は行司、審判長が止めるべきだ」と批判している。 その後4連勝まで伸びるが5日目から4連敗し9日目にようやく止め12日目に勝ち越しを決めた。 この場所は14日目に豪栄道が11勝目を挙げるまで優勝争いに加わっており、最終的にこの場所は久しぶりの二桁となる10勝をあげた。 三賞候補に挙がったが「元大関に三賞は失礼」という意見があり、結局受賞はならなかった。 黒姫山は11月場所前の自身のコラムで「三賞選考は元大関だろうと排除せず議論してほしい」「対象から外すことが失礼になるのではないだろうか」と考えを示している。 ご当地場所となる11月場所は東小結として迎えた。 初日からの上位戦は4日目に照ノ富士を破った以外は負けて、10日目に負け越しとなったが、11日目にはここまで3敗の貴景勝、千秋楽でもここまで4敗の逸ノ城を破るなど終盤に存在感を見せ、6勝9敗の成績だった。 2018年1月場所は西前頭2枚目の地位で迎えた。 初日から3連敗したが、4日目の横綱・稀勢の里戦で押し出しで勝利し、自身2つ目の金星を獲得。 翌5日目の横綱・白鵬戦は不戦勝で勝利する幸運を得た。 しかし7勝7敗で迎えた千秋楽で同じく7勝7敗のに敗れて負け越した。 翌3月場所は序盤の上位戦で負けが込み、11日目に負け越しが決定。 終盤やや持ち直して6勝9敗と一桁の負け越しに留めた。 14日目の戦で立ち合い変化されて敗れた際には、勝負が決まった後に阿炎を突き飛ばすなど苛立つ様子も見せた。 翌5月場所は序盤から好調。 勝ち越したが後半失速して8勝7敗に終わった。 7月場所は序盤から不調で、11日目から「左上腕二頭筋腱損傷、左上腕三頭筋腱損傷」のため休場し、9年連続で勤めた幕内上位から転落することが確実となった。 翌9月場所は西前頭8枚目で、久々に上位戦がない場所となった。 初日から3連勝と好調だったが、終盤失速して7勝8敗と負け越した。 2019年3月場所は優勝争いに加わっていたが13日目の明生戦でに敗れて3敗目を喫し、優勝争いから脱落した。 千秋楽の戦を勝つという条件付きで敢闘賞候補になったが、寄り切りで敗れ、11勝4敗で場所を終えて敢闘賞も逃した。 しかし11勝は優勝した時以来の好成績である。 東前頭9枚目の地位で土俵に上がった11月場所は10日目に負け越しを確定させるなど中盤まで不調であった。 終盤の成績次第では2020年1月場所の十両陥落も有り得る状況であった が、残りの5日間は14日目の大翔丸戦以外すべて白星で終え、6勝9敗として2020年1月場所の幕内残留を確定させた。 2020年1月場所は東前頭13枚目で迎えた。 この場所は7日目までは4勝3敗と白星先行だったが、そこから5連敗を喫して12日目に負け越しが決定。 残りの星によっては十両陥落も危惧されたが、13日目からはすべて勝利し、7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。 なお翌3月場所では先場所で負け越したものの番付編成の結果、1月場所と同じく東前頭13枚目に据え置かれた。 しかし結局3月場所も7勝8敗で終え、5月場所番付編成では一枚下がって東前頭14枚目となった。 靖国神社奉納大相撲 相手は高安関(2017年4月17日撮影) 取り口 [ ] 左四つの型を持ち、左を差し右上手を取り、がぶり寄りで相手を一気に寄り切るのを得意とする。 上手が取れなくても右からのおっつけや右で抱えて相手の左差しを封じながら寄ることもできる。 そのがぶり寄りの威力は(元関脇・隆乃若)が「まわしを取らずに抱え込んだままがぶる力士は過去にいなかったのでは」と評するほどのものである。 このがぶりは入幕からしばらくした頃ある場所の戦でたまたま出たことがきっかけで得意技となったという。 一方、立合いで頭を下げて突っ込むことが多いため、立合いの変化にあっさりと屈してしまうことがある。 大関を陥落し一場所での復帰を目指した2017年。 関脇として出場した3月場所では14日目において「陥落直後の場所での勝ち星10勝以上」という復帰条件のなか8勝5敗と後が無いなかで大関・照ノ富士に立合いの変化を受け叩き込まれて負けてしまい、大関復帰を逃した。 普段立合いで変化をしない稀勢の里でさえ2016年3月場所9日目の取組では立合いで右に動いて突き落としで勝ち、そのことについて稀勢の里が2016年9月場所前の雑誌のインタビューで「意識の変化というより、60回以上対戦していますから、そういう中でのことだと思いますよ」と語るなど、良くも悪くも猪突猛進の相撲であることが認知されている 相手を見ずにやみくもに突っ込む立合いであると批判する者もおり、元黒姫山などは2017年3月場所14日目に照ノ富士に立合いの突進を躱されて黒星を喫したことに関して「一部で『ヘイト』などと叫ばれているが、それは的外れな問題だ」「琴奨菊の立ち合いを見れば、相手からすれば当然、勝つために考え得る作戦だ」「過去には稀勢の里が琴奨菊に同じことをやっている。 高安も決めている。 しかし、その後もそういった反省が生かされていない。 だから大関復帰に必要な10勝以上の星を挙げられなかった」などと切り捨てている。 廻しを取ることが苦手な力士でもあり、元のは2014年11月場所前の座談会で「廻しを引かずに圧力に任せてがぶるのでは安定した成績を残せない」と指摘している。 他にこの座談会では元のが「廻しをしっかり取っていれば土俵際で逆転負けを食うことも無い」と話してもいる。 右を抱える相撲の結果として上述のように右胸筋断裂の重傷を負い、師匠の佐渡ヶ嶽も「右を抱えるのは危険」と判断して右四つの稽古を指導するようになった。 差し手を取っても相手を正面に置かないと脆い部分があり、2014年7月場所千秋楽の取組を終えた琴奨菊自らが「負けた相撲は全部(相手を)正面に置いていない」と場所を総括しつつ12勝3敗で優勝を逃した要因を口にしていた。 右四つの相撲を模索していた時期もあったが左上手を取る相撲というのは本領ではなく、2017年5月場所前の相撲雑誌の記事では西岩(元関脇・若の里)が同年3月場所11日目の勢戦に関して「なぜか、立ち合いから左上手を取りにいきましたけど、あれは失敗だったんじゃないですか。 苦しい時こそ、自分が積み重ねてきた相撲を信じて取った方がいいと思いますね。 後悔してもしきれないですよ」と話している。 それ以前は前に出て馬力で相手を持って行き、悪くしても落ちずに渡し込みを決めることもあったが、大関陥落を喫する数場所前から前に落ちる場面や足がついていかない場面が多くなった。 2017年5月場所5日目、照ノ富士戦で黒星を喫した後に「立ち合いからの流れはよかった? 勝ち切る力がない。 もっと集中力を高めないと…」と、自ら馬力の低下を認める発言を行っている。 それでも2018年1月場所12日目のように、腹を突き出して前に出ながら腕を抱えるとのような押し相撲の力士に対して有利に立ち回れる様子も見られた。 平幕陥落後は動きが改善されており、2019年3月場所10日目の戦ではがぶり寄りで若い動きを見せていた。 で解説をしていたは「えーっていうぐらい若い」と、その動きの良さに大きな声を出していた。 2019年11月場所9日目の炎鵬戦では投げを決めきれない相撲が見られ、体力の低下がうかがえた。 投げられた時などの受け身の上手さには定評があり、転がる必要がある時に無理せずに転がることが長く現役を続けられる要因となっている。 2010年代後半になって転がって受け身を取ることが下手でそのような稽古を積みたがらない力士が多い中では特筆される。 合い口 [ ] いずれも2020年3月場所終了現在。 横綱・には、7勝56敗(不戦勝1を含む)と幕内の対戦成績で一番大きく負け越している。 2008年1月場所から2011年5月場所まで19連敗していた時期もあった。 しかし幕内初優勝時の2016年1月場所、11日目に全勝対決で白鵬を押し出して勝利を果たした。 平幕に落ちた2019年7月場所は白鵬を破って自身3個目の金星獲得。 56敗は幕内における同一力士への敗戦数としては最多記録。 横綱・にも、22勝30敗(不戦勝1を含む)と負け越し。 鶴竜の大関時代までは16勝14敗と僅かに勝ち越していたが、鶴竜の横綱昇進後は6勝16敗と分が悪くなった。 後輩大関のには、8勝9敗とほぼ互角である。 後輩大関のに対してはかつては勝ち越していたが、2016年7月場所から12連敗があり、2019年5月場所で髙安の大関昇進後初めて勝利したが、12勝15敗と負け越している。 後輩大関のには、25勝10敗と勝ち越しているが、自身の大関陥落後は2勝6敗と分が悪くなっている。 後輩大関のには2勝3敗と負け越している。 大関在位時の対戦はない。 後輩大関のには2勝と負けたことはない。 いずれも朝乃山の大関昇進前における対戦成績である。 には大関在位中は2勝2敗の五分だったが大関陥落後は4勝11敗と分が悪い。 には22勝20敗と拮抗している。 (以下は引退力士)• 元横綱・には1勝15敗。 琴奨菊が勝ったのは2008年3月場所の1度だけ。 元横綱・には、33勝29敗と勝ち越していた。 特に2010年3月場所から2011年1月場所まで6連勝をするなど日馬富士を苦しめた。 しかし、日馬富士が横綱に昇進してからはやや分が悪くなっており、7勝14敗と負け越している。 前述の通り、平幕に落ちた2017年9月場所は日馬富士を破って自身初の金星獲得となった。 日馬富士は同年11月場所後に引退したため、これが両者の最後の対戦となった。 元横綱・には、36勝30敗と勝ち越している。 特に、初顔から稀勢の里が大関へ昇進するまで24勝11敗と大きく勝ち越し、2010年11月場所から2011年11月場所まで6連勝をするなど圧倒的に分が良かった。 だが、稀勢の里の大関時代に入ると、2012年5月場所から2013年3月場所まで5連敗を喫するなど、逆に9勝18敗と分が悪くなっている。 但し、稀勢の里の横綱時代では3勝1敗と再び分が良くなり、最後の対戦となった2018年1月場所では、稀勢の里から初めて金星を獲得した。 なお、幕内での対戦66回は歴代1位の記録である。 それまでは-戦の58回が最多だった。 さらに白鵬戦の63回は同じく2位、日馬富士戦の62回は3位の記録であり、自身の絡んだ取組が幕内対戦回数記録の上位を占めている。 同じ九州地方出身の元大関には12勝16敗とほぼ互角だったが、には3勝16敗と大きく負け越している。 元大関のには21勝30敗と相性が良くない。 元関脇のには30勝19敗と勝ち越している。 元関脇のには14勝13敗と拮抗している。 琴奨菊の大関昇進後は5勝3敗。 元関脇のには25勝7敗と勝ち越している。 の元関脇のとは同年齢。 小学校時代に出場した全国大会で初対面、以降も今日まで良きライバルにして親友という間柄で、初土俵も同期。 優勝した2016年1月場所では唯一の黒星をつけられた。 同期デビューだったこともあり、序ノ口、序二段で梶原(当時)に優勝をさらわれ、十両昇進も豊ノ島に1場所越されている。 豊ノ島には27勝13敗(うち、不戦勝・不戦敗各1)と相性は良いが、豊ノ島の弟弟子 年齢は時天空が上 のを苦手としており、7勝16敗と大きく負け越している(但し、大関昇進後は4連勝している)。 エピソード [ ]• で酒は飲めず、「ビールはグラス1杯でふらふら」「マドラーで混ぜた水で酔った」「奈良漬10本で記憶が飛んだ」といった逸話がある。 代わりに青汁を毎日飲んでいる。 アナログ人間を自称していたが、2008年より「琴奨菊物語」と題されたブログを開始し、同年6月にはテレビで紹介されてアクセス数が急増し好評を博していた。 ブログは2009年8月を最後に更新されなくなり、同年12月7日の記事で更新終了を宣言した。 その後ブログは閉鎖され、2011年2月に再開する予定だったもののの影響などもあり延期され、同年9月場所後の自身の大関昇進を機にブログを再開した。 また、2008年5月号から2009年12月号まで雑誌『』にブログとタイアップした企画「月刊ガブの部屋」を連載していた。 左利きであり、塩撒きも左手で行っている。 大関へ昇進してからは、最後の仕切りのときに左手に他の力士よりも多めの塩を握ったまま上体を大きく反らして深呼吸をするようになっている。 客席からもそのたびに歓声が上がる。 本人は2016年初場所千秋楽の打ち上げパーティーでこの所作をにひっかけて「 琴バウアー」と称した。 しかし、一部のメディア等では「菊バウアー」と称されたこともあり 、ファンの間でも呼び名が分かれるなど「論争」になっていたが、最終的にこのルーティンの名は「 琴バウアー」に落ち着いた。 ルーティンとしては「琴バウアー」に加えて太ももを激しく張り叩く動作もあり、初優勝を果たした直後の新聞記事では稀勢の里の静かな所作と好対照をなしていると書かれた。 のバラエティ番組の名物コーナーのパート12の最終戦に出場し1位通過のニアピンという記録を残した(ニアピン賞の賞金は千円だった)がこれは同番組の同コーナーに出場した力士及び相撲関係者の中で最高順位である。 琴奨菊の初優勝が稀勢の里を奮起させ、ひいては横綱昇進を射止めるまでに至ったとする記事が少なくはないが、2016年9月場所前の雑誌のインタビューではその影響について稀勢の里が「まあ、多少はあったかもしれないですけど……」「(ニ所ノ関一門の連合稽古で互いに肌を合わせて)いい稽古ができているからというのはあると思います」と答えている。 青色の廻しを非常にきつく締めていることで知られており、廻しを取ろうとした日馬富士の爪が割れたことまである。 2009年に知人の紹介で佐賀県在住の一般女性と交際し、その3年後の2012年11月場所番付発表の朝に婚約を発表し、2013年4月20日に挙式する予定を告知した。 2人でこの試練を乗り切ると決意し、敢えて自身初のカド番で挑む苦境の中で発表したのであった。 ところがその3ヶ月後の2月12日には、既に招待状を発送した段階にもかかわらず「人生観の違い」や部屋関係者曰く「大関の妻としての重責」を理由に婚約破棄に至った。 角界においても挙式寸前で白紙に戻すのは非常に珍しく、最近では1993年の貴乃花(当時は貴ノ花)以来である。 2013年11月場所2日目に負傷したが、協会指定の病院は担当医が手術中だった。 タクシーの運転手が紹介してくれたのが、やを担当した肩治療の名医だった。 だが閉所恐怖症でに入れず2014年1月場所初日の検査は断念。 怪我の影響で呼吸困難になるほどで、翌日からは精神安定剤を飲んで勝ち越しを決めたが3日目以降の薬がラムネだったことは後から聞かされた。 優勝争いに最後まで加わった2014年7月場所は「全てを受け入れて後悔しないようにやってきた。 だって失うモノはないんだもん。 体がちぎれてもいい」と前向きな気持ちで挑み、優勝に対する決意の表れとして部屋では場所終了を待たず祝勝会用に約8キロのタイを準備していたが、この場所に賜杯を抱くことは無かった。 地元の柳川市内の非鉄金属業者「甲斐田メタリックス」から宝船が描かれた化粧廻しを贈られた。 2015年7月10日、2月に婚約を発表していた一般女性と結婚。 プロポーズの際には自身で絵本を作り、それにダイヤの指輪を挟んでプレゼントしたという。 2016年3月場所前のインタビューによると、幕内最高優勝の経験がある大関であり新婚の身であるにも関わらず、家賃が月7万円のマンションで妻と暮らしており車は中古車を使用しているといい、質素な生活をしているという。 2017年9月場所は7日目終了時点で1横綱2大関を破ったが、「その方がいいかなと思った。 今後においても、今においても…」と、大関を務めていた自負もあって、NHKのインタビューを断っていた。 2018年のの『相撲めし-おすもうさんは食道楽-』(扶桑社)を紹介した記事によると、大の丼物好きであり、当該記事では夜食の唐揚げのタルタル丼が特にお気に入りだとされている。 2018年7月1日に松坂屋名古屋店で開催された「大相撲 Oh! SUMO展」のトークショーでは、直近数場所封印していた、かつての代名詞「琴バウアー」のリクエストがファンからあり、これには「やりましょう」と快諾して久々に披露し、「ソフトバンクの内川選手と話したときに『気持ちを敷き詰めたら、どんな球も打ち返せる気がする』と聞いて。 それで自分のことを考えると、しっくりこなくなっているな、と。 今、(別の)スイッチを考え中です」と封印した理由も説明。 第72代元横綱・稀勢の里とは、幕内で史上最多取組数の66回対戦している。 対戦成績は琴奨菊の36勝30敗(内不戦勝2・不戦敗1を含むため、実際に対戦した分だけで考えると34勝29敗)。 2019年1月場所4日目の朝、稀勢の里が現役引退の報道を聞いた際「思わず泣いてしまった」と、この日松鳳山の取組後に支度部屋で語りながら涙ぐんだ。 1月場所前には豊ノ島らと共に田子ノ浦部屋へ出稽古に行き「美談になるのは凄く嫌だが、強くなる為若手では出せないものを(お互いが)出せるかなと思って」と語った後、「(今場所も)当たるのが楽しみだった。 自分の成長を試せる、勝てば本当にノッていける相手だから…今後は(自身が)負けないようにやるだけです」と声を振り絞りながら、ライバルの引退を惜しんでいた。 ライバルの豊ノ島は引退に際して「悔いはありませんけど、あるとすればもう1回、菊(琴奨菊)とやりたかった」と未練をのぞかせていた。 福岡県繋がり [ ] 地元が福岡県ということで、福岡県内では引退した魁皇と共に人気がある。 本人は大関昇進後の会見において魁皇を目標とする力士として挙げており、逆に魁皇も自身の後継者として期待を寄せている。 地元の柳川市では琴奨菊が勝利した場合に花火が打ち上げられている。 番付上位者に対して勝利した場合には2発、それ以外では1発が地元有志によって打ち上げられる。 柳川市は「川下り」が有名であるが、「川下りでは縁起が悪い」として、大関昇進の際にはわざと川を遡る「川上り」パレードが実施された。 ・の大ファンであり、などのホークスの選手とは友人である。 2011年にホークスが優勝を決めた際には、地元メディアのインタビューに互いの健闘を誓うメッセージを寄せ、その年の九州場所の前の稽古期間中には地元テレビ局の企画ででのファイナルステージ第3戦(対)を観戦し、8年ぶりの進出の瞬間を見届けた。 本場所中はその日の取組について、大相撲中継担当のNHK福岡のアナウンサーの解説を交え、平日夕方6時台の福岡のニュース番組(2015年度からのなど)で詳しく伝えられている。 とは福岡県出身の九州場所御当地力士同士であり、取組の前には両者の名前を呼ぶコール合戦が行われ、のような盛り上がりとなる。 一方、の視聴者からは観客によるコールに苦言を呈する意見もあった。 略歴 [ ]• 初土俵:2002年1月場所• 新十両:2004年7月場所• 新入幕:2005年1月場所• 新関脇:2007年3月場所• 新大関:2011年11月場所• 初優勝:2016年1月場所(2006年の以来、10年ぶりの日本出身力士としての優勝)• 関取最年長タイになる:2020年3月場所(蒼国来・豊ノ島の幕下陥落に伴う) 主な成績 [ ] 2020年3月場所終了現在 通算成績 [ ]• 幕内出場:1306回(歴代6位)• 通算成績:817勝645敗38休(109場所)• 通算勝率:. 559• 幕内成績:708勝604敗38休(幕内勝星:歴代8位、90場所)• 幕内勝率:. 540• 大関成績:256勝192敗32休(32場所)• 大関勝率:. 571• 三役成績:161勝137敗2休(20場所)• 三役勝率:. 540• 関脇成績:100勝80敗(12場所)• 関脇勝率:. 556• 小結成績:61勝57敗2休(8場所)• 小結勝率:. 517• 前頭成績:291勝275敗4休(38場所)• 前頭勝率:. 514• 通算在位:109場所• 幕内在位:90場所(歴代8位タイ)• 大関在位:32場所(歴代11位タイ)• 三役在位:20場所(関脇12場所、小結8場所)• 前頭在位:38場所 各段優勝 [ ]• 幕内最高優勝:1回(2016年1月場所)• 十両優勝:1回(2005年3月場所) 三賞・金星 [ ]• 三賞:7回• 殊勲賞:3回(2008年3月場所、2011年7月場所、2011年9月場所)• 技能賞:4回(2006年11月場所、2007年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所)• 金星:3個• 白鵬1個(2019年7月場所)• 日馬富士1個(2017年9月場所)• 琴菊次 一弘(こときくつぎ かずひろ)2002年1月場所 - 2003年11月場所• 琴奨菊 一弘(ことしょうぎく -)2004年1月場所 - 2005年3月場所• 琴奨菊 和弘(- かずひろ)2005年5月場所 - 関連項目 [ ]• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 怪我だらけであることに由来しており、同じ二所ノ関一門の戦前の横綱・に与えられた異名に基づいて北の富士勝昭が命名。 顔が四角いことから大相撲解説者のが命名。 十両以上の場合、取組に勝利した力士は同じ方屋に控える後続の力士に力水を付ける役割がある。 平成25年11月場所2日目の琴奨菊の場合は結び二番前の取組に勝ち、この日の結び前の取組に出場した安美錦が敗れたため、本来であれば勝ち残りとして当日の結びの一番に出場する日馬富士に力水をつける役目になっていた。 右膝内側側副靱帯損傷及び右足関節捻挫により9日目から途中休場、12日目から再出場。 左膝内側側副靱帯損傷により4日目から途中休場。 右大胸筋断裂により3日目から途中休場。 左前脛骨筋挫傷により14日目から途中休場。 左膝内側側副靭帯損傷及び左アキレス腱周囲炎により7日目から途中休場。 関脇陥落。 左上腕二頭筋腱損傷、左上腕三頭筋腱損傷のため11日目から休場 出典 [ ]• NHK大相撲ジャーナル 2014年6月号• 2016年1月25日12時49分 スポーツ報知• 日刊スポーツ 2016年11月5日17時55分• 日刊スポーツ 2019年10月26日17時23分(2019年12月9日閲覧)• 2004年12月24日付紙面• 琴奨菊 大関昇進決まる 4年ぶりの日本人 スポニチアネックス 2011年9月28日• 琴奨菊「万理一空(ばんりいっくう)」と口上 nikkansports. com 2011年9月28日• 日本経済新聞 2013年11月12日• 朝日新聞DIGITAL 2014年7月27日20時13分• 時事ドットコム 2014年9月1日(2014年9月1日閲覧)• 毎日新聞 2015年1月14日(2015年4月5日閲覧)• 2016年1月24日(2016年1月24日閲覧)• 日刊スポーツ 2016年11月5日13時59分 紙面から• 日刊スポーツ 2017年2月17日9時11分 紙面から• 『大相撲ジャーナル』2017年6月号95頁• 日刊スポーツ 2017年4月16日• 日刊スポーツ 2017年6月27日• 『大相撲中継』2017年8月12日号 p86• 『大相撲中継』2017年9月16日号 p120• 日刊スポーツ 2017年9月13日9時55分 紙面から 2017年10月7日閲覧• 『大相撲中継』2017年10月13日号 p. デイリースポーツ Online 2019. 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