レオナルド ダ ビンチ。 レオナルド・ダ・ビンチを育ててみたいのですが、植える場所に悩んでいま...

レオナルド・ダ・ヴィンチの名言・格言集。天才の言葉

レオナルド ダ ビンチ

春バラの開花時期にバラ園へ出かけた時ですが、このダ・ビンチさんだけが、葉が全く汚れずに花も綺麗に咲いていたのが、驚きというよりショックでした!! バラ園の方へ尋ねると、このバラは本当に手がかからないバラですね!という事で自分も植えています。 最初は明るい日陰しか場所がなかったもので植えていましたが、結局生育がすこぶる悪くて、日光が4時間は当たる場所へ変えました。 覿面、どんどん成長しだしています。 離せないバラになりました。 これが全てに通じるということではありませんが自分の場合です。 多花性で、可愛い色で形でもうるさくなくすっきりしています。 日陰に植えることですが、バラに限らず植物は日光が必要です。 日光に充分当てる事によってそのバラの本来の性質がわかるし、力を発揮できると思います~~病害虫が寄り付きにくくなる等。 日光量が少ないと、どんなバラでも樹勢が落ち、病害虫の温床になりますね。 また、切花にしても日持ちするバラですね、、それには驚いています。 バラ栽培が慣れないお方のバラとしてはお勧めしたいバラですね。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド ダ ビンチ

「天才が残した厖大なノートから、わかりやすい文章を選び2冊に編集する」と表紙に書かれてありますが。 ……わかりやすい、とは…? とりあえず「厖大」は「膨大」と書いていただけるとわかりやすいんですが。 が、これは序の口。 冒頭の3Pから今日日使われていない旧字体のオンパレードです。 文脈的に「洗禮」は「洗礼」なんでしょうが。 最後は…洗礼「図」? でも、その後も同じ漢字が使われていましたが、「受胎告知図」や「三王禮拜図」なんて言い方は私は聞いたことがなかったし、グーグル検索しても殆ど出てきません。 漢字の書き順や旧字体のウェブサイト、くにがまえで漢字を調べても納得のいく答えが得られず、岩波文庫さんに問い合わせメールを出しました。 「お宅の出版社が出している本の漢字がどう頑張っても読めないから、なんて読むか教えて?」なんて出版社に問い合わせをするなんて人生で初めてです(笑) 普通の本ならインターネットか辞書で解決できる問題なんでしょうけどね…。 するとその日のうちに、というかわずか三時間でこのようなお返事がきました。 それにしても、なんて美しい日本語なんでしょう。 さすが老舗出版社。 岩波文庫編集さん当人ですら「今となっては随分いかめしい感じ」がするという文章が載せられたこの本、私が持っているのは2016年8月4日の66刷発行ですが、他の方もレビューでおっしゃっているような意図があって旧字もフォントも変えていないんでしょうね。 もういっそ67刷もこの路線で突っ走っていただきたい。 内容は天才の意外な一面というか、本になったものではなくメモの集大成が編集されたものなので、読み手の事を考えて書かれた文章ではないものも多々あり、思い付きのような走り書きがリアルです。 序盤は彼の学歴コンプレックスのような、他者への仰々しい悪態から始まっています。 文学ではお笑いコントのような小話も創作していて、意外に下ネタというか夜の生活的なものもあります。 司祭や尼僧のジョーク等は、シュールすぎてちょっと笑えないんですが…。 彼の生活や気づき、画家への呼びかけや気取らない健康法等、生き方そのものが浮き彫りにされて面白いです。 下巻はお買い物メモなんてものもあります。 画家レオナルドを知りたければその画を観ればいい。 天才レオナルドを知りたければこれらを読むといい。 よく天才だの万能の人だなどと言われているがその理由は良く分らない、という方々にお薦めである かつての私がそうだった。 自らの経験を土台とし、そして思考する。 そうした外界への飽くなき探究の態度は、既に与えられた情報に満足しがちな自分には新鮮且つ教訓的だった。 この二冊を読むと、自然科学とはこういうものだったのかと教えられる。 まず絵画論が目的で購入したのだが それは上巻に収録されている)、同じ目的の方々には是非とも下巻も読んで欲しい。 下巻には水の運動や鳥の飛翔、人体に関する記述等がある。 上下共に、みたもの経験したものすべてを書き尽くすという勢いだから自ずとイメージを喚起する記述に溢れている。 画家の眼とはかくも激しいものなのかと逆に画家レオナルドに思い至る。 ただその描写が難解な部分もあって書き手のせいでなければ、これはもう読解力の限界か、もしくは翻訳の限界か。 とにかく経験と知識について考えさせられる点だけでも読む価値は十分ある。 私がこの本を最初に手にしたのは高校生の時だった。 その時は難しい画数の多い旧書体の漢字についていけず途中で挫折した。 あれから数十年。 最近になって、また読んでみたい衝動にかられて購入した。 奥付けをみると「2009年3月5日 第60刷発行」となってるが高校時代に手にしたまんまの古い書体と小さな文字のままで驚いた。 難しい書体の漢字は読めても、老眼が出始めた今 今度は小さな文字が苦痛になってきた。 これだけ版を重ねても、新しい大きな書体にリニューアルする気はさらさらないようである。 岩波さんは頑固で一徹だ。 そこまで頑なにならなくともと思う。 しかし、この読みにくい書体は「古い文献」を読んでいるという気にもさせられる。 もしかして、それを意図してあえて 新しく読みやすい書体にしていないのだろうか? レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯に13,000枚にのぼる手記を書いたと言われるが、現存しているのはそのうち約5,000枚だそうだ。 この文庫本は、近代になって整理された手稿から抜粋し、大雑把にジャンル分けしてしてあり、上巻が人生論・文学論・絵画論等、下巻が主に科学論となっている。 50年以上前の翻訳でやや読みにくいが、古字体の小さな字でさらに読みにくい。 これらの手記のほとんどは鏡文字で書いてあるらしく、これはレオナルドの秘密主義あるいはある種のセキュリティなのかと思ったが、どうもレオナルドは左利きでその方が書きやすく、一種の癖でもあったようだ。 頭から読み始めると数十ページのうちに、 ・経験の弟子レオナルド・ヴィンチ。 ・権威をひいて論ずるものは才能にあらず。 ・想像力は諸感覚の手綱である。 といった箴言的なフレーズに出くわす。 既成概念によらず、あくまで観察と実験によって事実を抽出し、適切な帰納的推論によって論理を組み立てるというスタンス。 近代合理主義の濫觴たるレオナルドの面目躍如の言葉群が満載である。 初期のルネサンスは、フィレンツェのメディチ家が主宰した「アカデミア・プラトニカ」の周辺に花開いたと言われるが、フィレンツェの巨匠ヴェロッキオの工房に属して名を上げたレオナルドが、メディチ家とは袂を分かちミラノに向かった原因は、彼のスタンスがギリシャ的な観念論とは相容れないものであったからではなかろうか。 レオナルドの合理主義は、すでにおそらく19世紀以降のレヴェルでの唯物主義・実証主義に近く、例えば、 ・感性は地上のものである。 理性は観照するとき感性の外に立つ。 なんてフレーズは、カントかウィトゲンシュタインかと見紛う近代哲学的な箴言である。 で、合理主義者であり創作者でもあったダ・ヴィンチの自己への訓戒が、 ・十分に終わりのことを考えよ。 まず最初に終わりを考慮せよ。 となるのは当然といえば当然であるが、このフレーズを読んでふと思い出した句があった。 ・あなたの職務は行為そのものにある。 決してその結果にはない。 行為の結果を動機としてはならない。 (バガヴァッド・ギーター) ギーターはインド(ヒンドゥー教)の聖典マハーバーラタ中の大叙事詩。 西洋合理主義と東洋思想がこれほど正反対だってのは、なんとも面白いなぁ・・・。

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レオナルド ダ ビンチ

レオナルドダヴィンチの謎に包まれた人物像 レオナルド・ダ・ヴィンチ、天才の始まり レオナルドダヴィンチは 1400年代後半から1500年代前半に活躍した イタリアの期を代表する芸術家です。 生まれはごくごく普通の家庭で両親ともに 芸術家というわけでもありませんでした。 ダヴィンチという姓の由来は 『ヴィンチ村出身の』という意味だそうです 幼少期の記録はほとんどなく 平凡な家庭だったということが伺えます。 のちに『 モナリザ』や『 最後の晩餐』など を代表とした数々の名作を残し、 絵画や芸術の分野以外にも 、 音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学 、 動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、 物理学、光学、力学、土木工学 など様々な分野でも功績を残したようです! スーパーなんでも出来るマンですね! のちに 「 万能人 uomo universale 」 というあだ名までつきました! ルネサンス期の美術について 詳しくはコチラ ヴェロッキオに弟子入りした天才レオナルドダヴィンチ レオナルドが14 歳の時に彫刻家の アンドレア・ヴェロッキオの運営する工房に はいりました。 弟子入りですね! このころの逸話として、 レオナルドの描いた 絵を見た師匠の ヴェロッキオが あまりの才能に自信を喪失し 絵を描くことをやめてしまったと言います。 この逸話の元となった 『キリストの洗礼』 という作品は レオナルドが 20 歳の頃の絵で ヴェロッキオとの合作だと言われています。 作品の左側に描かれた天使は レオナルドが描いたと言われ、 それを見たヴェロッキオが自信を喪失し 画家の道を諦めたそうです。 この頃から多彩なる才能を開花させ 特に画家としての才能を現し始めました。 様々な分野での活躍 レオナルド・ダ・ヴィンチは芸術以外にも 様々な才能を発揮しています。 なんと、実は ヘリコプターもレオナルドの 発案から生まれたものだそうなのです。 他にも潜水服や装甲車など当時の時代には 考えられないような数々の発明、 発案された膨大なスケッチが残されています。 芸術に特化しながらも、幾何学や数学も 得意とするレオナルドだからこそ 発案できたものなのでしょう。 まさに万能の人という感じですね。 レオナルドダヴィンチの独立、未完成作品の数々 1478 年頃に独立し、最初の絵画制作が ヴェオッキオ宮殿、 サン・ベルナルド礼拝堂 の祭壇画の制作でした。 1481 年はサン・ドナート・スコペート修道院 の修道僧から 『 東方三博士の礼拝』の制作依頼も 受けていました。 しかし、礼拝堂祭壇画も東方三博士の礼拝も 未完成のまま放置されました… 未完成作品は他にも数多くあり、 かなり気まぐれで飽きっぽい性格 だったようです。 あの有名な『 モナリザ』や『 最後の晩餐』 なども未完成であり 完成作品は 生涯で 10点とも 言われています。 未完成の作品の中には膨大な数の素描や 飛行機、潜水服などの設計図、 人体解剖図や動物、植物のデッサンなど があったと言います。 そしてこの頃はミラノで17 年間 宮廷画家として活躍。 『 岩窟の聖母』『 最後の晩餐』 『 白貂を抱く貴婦人』など制作しました。 1499 年フランス軍がミラノを占拠した頃、 レオナルドはフィレンツェに戻ります。 そこで『 聖アンナと聖母子』 『 アンギアーリの戦い』『 モナリザ』を制作 その後はミラノにまた戻りローマにいきと 場所を転々としていたようです。 晩年の 1513 年頃からはヴァチカンに 身を移しました。 当時のヴァチカンは ミケランジェロや、 ラファエロも活躍していました。 そして死去するまでの3年間は フランソワ 1 世の居城アンボワーズ城 近くの クルーの館 が邸宅として与えられ、 そこで晩年を過ごしました。 64 歳ごろまでそこでずっと続けていた 解剖学や科学、哲学的研究 に没頭しながら 67 歳でその生涯を終えます。 レオナルドダヴィンチの主要作品!徹底解説 1470年代の作品 『 キリストの洗礼』 ヴェロッキオとの合同作品で レオナルドダヴィンチの 最初の作品 同じく弟子だった時代の作品として 『 受胎告知』がある。 『 受胎告知』 20歳頃に描かれた事実上のデビュー作 完成している作品としては最初期の作品です。 1472年ごろの作品 『ブノワの聖母』/ エルミタージュ美術館 幼児期のキリストに花を差し伸べる聖母の絵画 レオナルドダヴィンチ初期の作品で、 未だ本領発揮できていない作品と いえるでしょう。 とはいえやはり表情などに 繊細さや優雅さがあります。 1475年ごろの作品 1480年代の作品 完成した作品はほとんどなく 未完成作品ばかりです。 完成度合いや支払を巡って長い論争となった 未完に終わった絵画のうちの1点が 『 荒野の聖ヒエロニムス』 描 き始めの時点で放棄された作品とも 言われています。 『 東方三博士の礼拝』 フィレンツェ郊外 サン・ドナート・ア・スコペート修道院の 注文により同修道院の中央祭壇画として 制作された作品です。 未完のまま放置された作品 1481年ごろの作品 『岩窟の聖母』 不朽の祭壇画とされています。 こちらも未完です。 1490年ごろ 『 最後の晩餐』 何と言っても有名なこの作品。 最も認知度が高く、最も劣化の激しい絵画 としても有名です 当時のフレスコ画(壁画)の手法では この壁画を描くことが困難だったため、 独自の手法で描かれたことにより 急速な劣化を 招いてしまったと言われています。 しかし模写や複製画の多い絵画の一つです。 捉えどころのない 謎めいた女性の微笑みが特徴の絵画です。 保存状態は完璧に近く 修復過失の後もほとんどありません。 『 聖アンナと聖母子』 完成していれば史上最高の レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作として 世に出されたであろう作品です。 晩年に制作された未完の傑作です。 1508 年ごろ 『洗礼者聖ヨハネ』 ダヴィンチ最後の晩年作品とされている絵画 モナリザ、 聖アンナと聖母子と この 洗礼者ヨハネを 生涯手元に残したとされます。 1513 年ごろの作品 ドローイングや素描、スケッチ 『ウィトルウィウス的人体図』 レオナルドダヴィンチが描いた有 名なドローイングの一つ 両手脚が異なる位置で男性の裸体が重ねられ、 外周に描かれた真円と正方形とに 男性の手脚が内接しているという構図 プロポーションの法則 Canon of Proportions あるいは「人体の調和 Proportions of Man と呼ばれることがあります。 膨大な数の多種多様な ドローイングや下絵が存在します。 ヘリコプターの元になったスケッチや、 潜水服を発案したのもあります。 設計図や発明を想像や創造するの が好きなんですね。 レオナルドダヴィンチを描いたドラマや映画。 天才の生涯が明らかに レオナルドダヴィンチを描いた 著書や映画、ドラマは数多くあります。 その中でも映像として出ている作品を 紹介していきたいと思います! 映画『 レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』 モナ・リザや最後の晩餐などの絵画をはじめ、 建築、彫刻、数学、物理、天文学など、 あらゆる分野にも多様な才能を発揮しました。 イタリアのルネサンスを代表する画家 レオナルド・ダ・ヴィンチの偉大な業績と、 いまだに多くの謎に包まれたその実像を、 研究の第一人者たちの解説と 再現ドラマを織り交ぜた作品。 傑作絵画「最後の晩餐」が最新の技術を 駆使した迫真の映像美が精細に映し出される。 監督は、「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」 のL・ルチーニです。 こちらは研究者が絵画の解析をし、 それを通して見えて来る当時の状況を解明、 解説した映画です。 ダ・ヴィンチの描いた下絵などを最新技術 によって見ることが可能になり、 ダヴィンチの当時の制作の様子や苦悩、 葛藤などを研究し解析して再現。 多くの謎に包まれる空白の数年間が明かされる。 超人的な知力と才能を持つ彼は、 自分が生きている現実と時代を狭く感じていた。 そんなある日、彼の前にある敵が現れる。 ダ・ヴィンチは仲間と共に真実を抑圧する敵 との戦いに向かって突き進む。 こちらはダヴィンチの生涯を元に スケールアップし空想などを交えた 壮大な冒険ストーリーのドラマのようです。 レオナルドダヴィンチを違う視点から見た 作品になってて斬新ですね。 2013 年制作 まとめ 今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの紹介でした! 様々な分野での天才ですが、 外国語と暗算は苦手だったようです… 少し親近感湧きます。

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