日航 機 墜落 事故 中曽根。 日航ジャンボ機123便墜落事故には総理だった中曽根だけが...

「日航123便墜落事故 真実と真相」「524人の命乞い」小田周二

日航 機 墜落 事故 中曽根

中曽根康弘元総理大臣は日航機墜落事故の真相を握っている?御巣鷹山で何が… 中曽根康弘は戦後政治の裏面を知る最後の生き残り 中曽根康弘は、1918年生まれの政治家です。 人は、長く政治や組織の中枢にいると、実際に妖怪や生霊になるのかもしれません。 戦前、戦後の日本政治の闇を知る人間は、いよいよこの人物が最後の生き残りとなりました。 中曽根康弘は、東京帝国大学卒業後、悪名高き内務省の官僚となり、戦争中は海軍主計将校として赴任。 終戦後に内務省に戻ると、退官後は衆議院議員となりました。 1959年に初入閣を果たした中曽根康弘は、1966年に自らの派閥、中曽根派を結成します。 自由民主党の中では、その変わり身の早さが「風見鶏」と称され、派閥・金権政治の古いタイプの政治家といえましょう。 1982年、田中角栄の助けを得て、内閣総理大臣に就任した中曽根康弘は、時のアメリカ大統領レーガンと、ロン・ヤスと呼び合う大物ぶりを披露しますが、1989年、案の上、リクルート事件に関与して、自民党を離党。 それでも、自民党に復帰した中曽根康弘は、1997年、大勲位菊花大綬章を受章。 2003年には小泉改革によって、とうとう引退を要請されて、政界から引退します。 中曽根康弘、85歳の時でした。 そして月日は流れ、2016年。 中曽根康弘は98歳になりました。 彼は、戦後数々の汚職事件の多くに関与し、今ではその真相を知る唯一の人物といえます。 中曽根康弘が日航機墜落事故で墓場まで持っていく真実とは?! 中曽根康弘に関しては、1985年に起きた、群馬県の御巣鷹山日本航空123便墜落事故について、墜落による被害拡大を防ぐため、自衛隊機で撃墜を命令した、というとんでもない噂が流布されています。 これは、中曽根康弘本人が、「真実は墓場まで持って行く」と、思わせぶりな発言したことが原因です。 しかし実際は、田中角栄のロッキード疑惑がまた蒸し返されないよう、政府筋がボーイング社の報告書の作成を急がせ圧力をかけたとする説が、やがて都市伝説化したのではないかと想像されます。 しかし、歴史というものは時として、決して真相にたどり着けない、深い闇を抱えるのも事実。 日航機墜落事故は、今も多くの謎を抱えています。 中曽根康弘元総理大臣の経歴!政界引退の理由は何? 中曽根康弘がバブルや格差社会の原因を作った?! 中曽根康弘の内閣総理大臣在任期間は、1982年から1987年の5年間。 当時は、田中角栄がロッキード事件により自民党を離党しながらも、無所属で衆議院議員に当選し、自民党を「闇将軍」として実質支配していた頃です。 結局、田中角栄の支持を勝ち取った中曽根康弘が、福田赳夫や大平正芳を抑えて、自民党党首となり、内閣総理大臣となりました。 中曽根康弘は、国会での施政方針演説で、従来の基本的な制度や仕組みをタブーなく見直す「戦後政治の総決算」を行うと、大見得を切りました。 しかし、その実態は、田中角栄による金と数による従来政治の踏襲に他ならず、「田中曽根内閣」「角影内閣」などと揶揄されました。 外交においては、「日米両国は運命共同体」として、日米間のさらなる軍事協力強化を進めた中曽根康弘。 アメリカの時の大統領、ドナルド・レーガン大統領と、お互いをロン、ヤスとミドルネームで呼び合う親密性を強調しました。 内政においては、新自由主義的な経済政策で、日本専売公社、日本国有鉄道、日本電信電話公社の3公社を、それぞれJT、JR、NTTとして民営化。 さらに、半官半民であった日本航空の民営化も推進しています。 しかし、これら新自由主義的経済政策が結果的にバブルを引き起こし、現在の格差社会を招いたといえるでしょう。 中曽根康弘は小泉改革によって政界を引退させられた?! 中曽根康弘率いた内閣は、バブル期に向け、一見華やかにみえ、1986年の衆参同日選挙で大勝したものの、消費税の導入をほのめかした自らの失言で、支持率が一気に低下します。 結局、中曽根康弘は、後継首相に竹下登を指名して、1987年、首相の座を降りました。 続く1989年になると、影の実力者をもくろんでいた中曽根康弘でしたが、リクルート事件への関与が明るみに出て、自民党を離党します。 1991年、しぶとく復党を果たした中曽根康弘でしたが、2003年に、小泉純一郎首相から定年制導入のために引退を要請されると、ついに政界を引退し、その政治家生命を終えました。 中曽根康弘が98歳でやっとただの人に戻った日 中曽根康弘は、「政治家は選挙に出なければ、ただの人」との言葉もなんのその、政界引退後もかくしゃくとして、政治活動を続け、日本における憲法改正推進派の長老として君臨してきました。 しかし、これは、まさに「死人に口なし」の効用からでしょう。 21世紀も四半世紀を経た今、戦後政治の裏面を知る大物政治家や、影のフィクサーと呼ばれた人物は全て死に絶え、中曽根康弘が今何を語ったとしても、定かではありません。 中曽根康弘の政治家としての功罪は、もはや今後の歴史家の評価に委ねられる時を迎えています。 そんな中曽根康弘に、最近、こんなニュースが伝えられました。 中曽根康弘は、この7月をもって、SPの警護対象から外されていたと。 SPの警護対象とは、総理大臣や、その経験者、衆参議院の議長、国務大臣や各政党の代表、国賓として来日した海外の要人など、「警察庁の警備局長が指定した」警護を必要とする国家的重要人物を示します。 中曽根康弘がその対象から外されたということは、もはや彼が、政治的な影響力を持たないと日本の警察がみなしたということです。 「我が憲法を打ち立てて、国の礎築くべき歴史の責を果たさんと、決意は胸に満ち満てり」。 これは、今から60年前、自民党の青年将校と呼ばれた中曽根康弘が、自主憲法作成を願って詠んだ歌です。 しかし、憲法改正は、逆に、戦争を知らず戦後政治のしがらみもない、今を生きる人々が、じっくり考えて決めたほうがよいことなのかもしれません。

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グリコ・森永事件、日航機123便墜落事件の黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。

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【JAL123便墜落事故】 国家機密を守るため、特殊部隊が編成され事故処理にあたった。 123便の乗客、乗務員はこの者達の手にかけられ、処分された。 殺人鬼が迫って来る瞬間、彼等は一体何を思ったのだろうか? 彼等は無残にも、毒ガスで息の根を止められたり、 火炎放射器で生きたまま焼かれた。 待機命令に反し、人命救助に急いだ隊員は射殺された。 精神状態がおかしくなる隊員も少なくなかったという。 4名の重傷生存者と520名死亡の犠牲を出した。 このとき、横田基地所属のC-130機が墜落現場を発見し、座間基地所属の陸軍ヘリUH-1が救助活動のため現場に入ろうとしたが、どうした訳か(日本政府から協力を拒まれ?)、墜落現場の真上でロープ降下しようとしていた救助ヘリと上空で待機していたC-130を引き返させるという不可解な命令が出た。 米C-130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確な墜落場所を知らせている。 自衛隊は、当日から明け方まで墜落場所の誤報を意図的に繰り返していた。 朝になって長野県警のヘリが正確に位置を確認、 生存者を発見したのも長野県レスキュー隊。 自衛隊はそれまで何かを運び出すのに精一杯)だった。 () 実際の事故機墜落現場は早くからわかっていたが、 訓練中の標的機(オレンジ色)が123便にぶつかった残骸の回収を優先 JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり より(抜粋引用) 「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。 ナゾの自衛隊のチームの ナゾの10時間の行動。 かれらは なにをしていたのか。 狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。 それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。 当時 突然 垂直尾翼が大破し 不可解な「攻撃されているというSOS信号」が発信され JAL123便の「スコーク77」の発信 自衛隊機2機がスクランブル発信しました(自衛隊のマッチ・ポンプ?)。 そのあと墜落までの数十分間 管制塔との交信がされていて レーダーでも捕捉されています。 そして 空中で ナゾの爆発が2回起こり 前後に付き添う2機の自衛隊機が目撃されています とうとう 御巣鷹山に墜落。 「奇跡的四人の生存」の件だが、これは現場自衛隊員による、上官命令に逆らった「名誉ある反乱」の結果だろう。 軍事隠蔽からすれば「全員死亡」がシナリオだった筈だ。 御巣鷹山墜落現場に辿り着いた消防・救命救急及びアメリカ軍・救命救急まで「軍事拒否」している訳だし。 自衛隊員の告白 本当の話です。 当時訓練で標的機を飛ばしていて、それが操縦不能になって、行方が分からなくなり、そのとき近くを飛んでいた123便にぶつかったんだ。 墜落現場には標的機のオレンジ色の残骸があったから、誰もいないうちにヘリで回収したんだ」と。 実際の事故機墜落現場は早くからわかっており、地元民らは救出に向かおうとしていたのに、わざと違う事故現場を報道させ、また地元民らにも救出に向かうことを禁止した。 日本自衛隊・人命救助に急ぐ隊員を射殺! JAL123便墜落時には、「待機命令に反して御巣鷹山へ怪我人救助を急いだ自衛隊員1名が射殺された」旨、当日のNHKニュースで発表 引用 日本の国産OS「TRON トロン 」と日航ジャンボ機事故 ここまででの話でもかなり衝撃的と言える内容だが、更にあるのが、当時日本の国産のOSとして注目されていた 「TRON(トロン)」の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。 「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった。 「TRON(トロン)」とは、当時「Windows(ウィンドウズ)」と「Machintosh(マッキントッシュ)」が、少しずつ広がっている中で、純国産で作られていた日本版のOS(オペレーティングシステム)である。 OSとは、今のWindowsと同様のソフトと考えればいい。 これが、当時でWindowsの10年先を行くと言われていたものであった。 すなわち、今のWindowsの代わりに日本産のTRONがコンピュータを席巻するかも知れない状態、と考えてほしい。 これをアメリカが脅威と思わないわけがない。 アメリカでは、コンピュータのソフトに力を入れ始め、軍事から始まった「インターネット」の構想が大きく練られていた頃である。 もちろん、こんなことが理由で飛行機を打ち落とすとは思いたくないが、TRONがその価値に値するほどのものであったことは言える。 国防上の大きな脅威であったことはアメリカは認識していたと思う。 今の状況を見てもわかるように、「OS」とは、全てのコンピュータを制御する中核となる技術であるからである。 その開発に「しのぎ」を削っていたアメリカがその重要性を知らないはずはなかった。 この事故が全てではないが、かくして 「TRONプロジェクト」は大きく後退せざるを得なく、実際に世界のOSを握ったのは、Windowsのマイクロソフトであった。 しかも、この後の1989年にアメリカが強力に日本に貿易不均衡を主張し、いわゆる「スーパー301条」という強硬手段に出たときに、なぜかTRONがやり玉に挙がった。 アメリカは、TRONを日本政府が応援するのは市場への介入である、という訳のわからないことを言ってきた。 日本のOS市場が「TRON」に支配されることを恐れたのである。 もちろん日本政府は、アメリカの言うとおりにして、かくしてTRONは衰退を余儀なくされた。 なお、TRONの生みの親である 「坂村健(さかむらけん)」氏は今も健在で、活躍されている。 そして、国産のOSである「TRON」はちゃんと生きており、少しずつ広がっている。 トヨタ自動車がそれを採用したことも言われ、確かな技術の芽はなんとか健在である。 坂村氏は国産に大きなこだわりを持っており、しかも、無償で提供することに強いポリシーを持っている情熱家である。 しっかり広がってほしいと思う。 引用 てつログ.

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日航機墜落事故の真相!生存者の川上慶子ら4人のその後/現在は

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基本的に政府というものは、国民の利益のために存在している、とみんな思っているわよね。 でも、仮にその政府が国民の抹殺目的で動いているとしたら……怖すぎる。 機墜落事故はそういう可能性を秘めている事故 事件 なの。 ()は、1985年8月12日、東京(羽田)発大阪(伊丹)行のボーイング747SR-46がに墜落した事故です。 520名の死者数は航空機単独の事故では、現在でも世界最悪の記録となっています。 この機事故は乗客や遺族の悲劇としてさまざまな映画やドラマでも描かれています。 30年以上経っても消えない疑念・ 1987年6月、機墜落事故は次のような最終報告を出しています。 ちなみにと圧力隔壁の場所や構造、関係は下の図のようになっています。 しかし、や機内写真、生存者の証言、多くの航空機専門家の意見などを照らし合わせると、この最終報告書は矛盾だらけな内容であることが見えてきます。 さらに、墜落地点は上空から特定できていたにもかかわらず、救助活動開始するまで16時間以上かかったこと、さらにはにより救助活動を妨害するような行為まであったことまで知ってしまうと 日本政府はにおいて、都合の悪い事実を隠蔽、証拠隠滅までやっていた可能性まで見えてくるのです。 疑念が消えない理由 疑念が消えない理由については、たくさんありすぎて、この記事だけでは書ききれないのよね。 だから、重要だと思う項目をピックアップして、以下で説明してみるわね。 圧力隔壁破損による客室内での急減圧が起きた可能性は極めて低い 航空機は気圧の低い高度上空を飛行するので、乗客たちが影響を受けないように、常に機内は気圧コン 加圧 されています。 圧力隔壁に穴が開いたことで、この加圧された空気が機体後部に、を吹き飛ばした、というのがの主張です。 ジャンボジェットの頑丈なや機体後部を吹き飛ばすほどの空気が噴き出したとなると、機内は高度上空の気圧の低い状態、つまり急減圧が起きたことになります。 急減圧が起きると、機内では何が起きるのか? イメージ的には「高度8000メートル超のエベレスト頂上に人間がいきなり降ろされた」状況になります。 登山ならば、ゆっくりと登っていくので、高山にある程度適応していけますが、航空機の急減圧は一瞬の出来事です。 肺から空気が吸い出されたり、頭痛がひどくなり、鼓膜が破れたり、という苦痛を伴うことになります。 また、機体に穴が開けば、機外に空気が吸い出されることで、すさまじい風が起こり、人や荷物が穴に向かって吸い込まれてしまう事態にもなります。 このような航空機の急減圧事故の典型的事例が、1988年4月に起きたアロハ航空243便事故です。 この事故では、-200型機の天井部分が広範囲にわたって吹き飛ばされ、まるでオープンカーのようになってしまいました。 乗務員が一人機外に吹き飛ばされ死亡しました。 ところが、墜落した機では上記のような状態はいっさい起きてないのです。 このように急減圧が起きていない直接証拠に対しては全部無視して、推論のみで「急減圧は存在した」の一点張りだったのです。 圧力隔壁の破壊があった航空機事故の事例として、「タイ航空機爆破事故」があります。 この時は来ないでまさに典型的な急減圧の上昇が強い風で人が吹き飛ばされ、乗客乗員が聴力を一時的に失い、多くの人が航空性中耳炎になった。 機事故のは、のや機体後部の強度計算まで持ち出し、圧力隔壁破損部からの風圧に耐えられず破損したという結論を出したわけです。 そうなると、同じ圧力隔壁破損で急減圧が起きた事例として、機よりハッキリとした急減圧が起きた 圧力隔壁破損部からより強い風圧の風が起きた タイ航空機では、当然が破損していなければならないことになります。 ところが、タイ航空機のケースではは無傷だったのです。 機の事故とタイ航空の事故では航空機の機種は違いますが とA 300-600 、機体の強度にそこまで差があるということはまず考えられません。 政府は、2011年に発表した、の調査報告解説書において「急減圧が起きたのは圧力隔壁付近だけで、客室内ではあまり減圧しなかった」などと書いています。 しかし、圧力隔壁付近に位置する機体最後部に座っていた生存者4人は、誰一人として、急減圧を自覚するような発言をしていないのです。 落合由美子さんの「一瞬だけ白い霧が発生してすぐ消えた」という証言は短時間の軽度の減圧を示唆するもので、急減圧とは呼びません。 生存者の証言の大部分を無視しているが、この落合さんの証言に飛びついて、「これぞ急減圧の証拠」だと決めつけています。 結局、減圧があったとしてもせいぜい「軽」減圧程度だったものを、それでは破壊の原因にならないので、頑なに「急減圧」というワードにしているとしか思えません。 政府の姿勢は、ある意味とても分かりやすいものです。 最初の実験では 機関士会が見学 、被験者が急減圧状態でモロに影響を受けてしまう結果になってしまいました。 慌てて実験をやり直して、急減圧前に被験者にたっぷり酸素を吸わせたり、実験タンク内でも酸素を吸わせたりして、急減圧状況下でも人体はそれほどの影響を受けなかった 当たり前 という結論を発表したのです。 日本政府が明らかに間違っている圧力隔壁破壊説にする態度は極めて不自然ですが、これは後述するカ政府主導で出てきた路線であり、日本政府はそれに追随した経緯が判明してきます。 4人の生存者以外にも生きていた乗客が多数いた? は生存者4人以外はほぼ即死だったという判断でした。 生きている人間はほとんどいないのだから、救助開始が16時間後になってもたいしたことではない、という理屈でしょう。 しかし、生存者4人中3人(生存者一人は当時8歳の女の子)が墜落した直後に乗客たちの声を聞いていて、声が聞こえたと証言しているのです。 この発言は非常に重大なものです。 この後に説明する救出活動の大幅な遅れが、これらの多くの生存者を見殺しにしてしまったことになるからです。 例えば生存者の一人、川上慶子さんは手足の軽いケガがあった程度で、意識はクリアーだったのですから、彼女の証言内容はほぼ事実として扱うべきでしょう。 まるで「生存者がいることは都合が悪い」みたいな政府の態度が見えていて、本当に恐ろしいと思いました。 事故原因を究明するという目的であるはずの調査報告書が、むしろ政府は生存者を抹殺したかったのではないか?という疑念を強める内容になっているのです。 墜落地点を特定していた米軍の救助の申し出を日本側が断った 機墜落直後にカ軍のC-130輸送機が墜落地点を発見していたことが、当時同機に搭乗していたアントヌッチ航法士の証言で明らかになっています。 アントヌッチ氏の通報により、からヘリコプターが急行し、隊員がロープを使って事故現場に降りようとしました。 しかし、隊員が事故現場に降り立とうとする寸前にから救助活動中止命令が下りました。 中止の理由は「日本政府がカ軍の救助の申し出を断っていた」ということです。 「自分たち日本人の手で救助活動に手出しは無用」と言って断ったくせに、実際に日本政府が救助活動に着手できたのは16時間後。 この動きも、まるでカ軍を邪魔者扱いして、あえて放置したようにしか見えません。 の特番は毎年のようにテレビで放送されていますが、そのほとんどはカ軍のC-130輸送機が墜落現場上空に飛んでいた事実は完全に黙殺しています。 これも政府が生存者を見殺しにしたのではないかという疑惑の根拠になっています。 この疑惑について、の関係者だった、元中部航空方面官だった松永貞昭氏に対して行った質問インタビューの映像が残されています。 向こうから依頼があったのは確かです。 だけど、今、場所を特定している最中ですから待ってくださいと。 アントヌッチ発言の信憑性に耐えきれずに、事件発生当時は隠蔽していた米軍側の救助申し出があったことを認めたことになります。 墜落事故のの責任者に当たる人物の発言が状況によってコロコロ変わるのはなぜなのか? という組織自体が真相を隠蔽している、そしてウソをついているとしか考えられません。 圧力隔壁が証拠されていない• 墜落直後に生存者はヘリコプターの音を聞いていた• はむしろ救助活動を妨害していた?• の海底に沈んでいると思われるなどの航空機部品の調査探索を20日間で打ち切った• 事故に関する資料が政府の手で廃棄されてしまった 本当はこれ以外にもおかしな点がたくさんあるんだけど、キリがないのでこのへんにしておきます。 一つ痛感したのは、まだネット環境がなかったこの時代は、政府が隠蔽しようと思ったらできちゃったのかな、ということ。 今だったら誰もがを持っていて、動画や画像を撮影して、即座にネット上にアップできちゃうんだから。 最も可能性が高いストーリーはこれだ! 日本政府が矛盾だらけの圧力隔壁破壊説で強行突破を図り、の真相を隠蔽して、強引に幕引きを図っている理由はなんなのか? この記事の結論をここで述べます。 国民を守るために存在するが国民を傷つけるなんてありえないと思いたくなるところですが、それは事実ではありません。 には 「機雫石衝突事故」という前科があるのです。 戦闘機に乗った員はパラシュート脱出で助かる。 本来、民間航空機のルート周辺で戦闘機が訓練するなんて、あってはならないことです。 しかし、当時の実体として、民間旅客機を仮想敵機に見立てて訓練するために、戦闘機の方から民間航空機に接近していた、という元の告発があります。 でも、同様の構図があったのではないか、というのが強く疑われています。 墜落事故当日、脱落が起きたにおいて、「まつゆき」が試験航行していました。 まつゆきは、当時において最新の高度ミサイル防空システムを備えたハイテクです。 試験航行では、当然ミサイルに関わる訓練をしていたと考えるのが自然ではないでしょうか。 事故当日、がどのような内容の訓練をしていたかについては、一般国民が知る手段はありません。 日本の航空機事故に、カ政府が事故原因にまで深く介入したことは、新聞記事にもなっています。 機墜落 原因は「修理ミス」 米政府、意図的に漏えい (2015年7月26日 ) 機墜落の原因が圧力隔壁破壊だとすると矛盾だらけになるのは上記で述べたとおりですが、が頑なにこの説にしたのは、カ政府の意向だったのです。 その意図は、圧力隔壁破壊という「内部要因」を前面に押し出すことで、本当の原因である「外部要因」を隠したかったのではなかったでしょうか。 関東の空域はほぼが支配していることは事実ですし、がミサイルの新技術をテストしたとすれば、カ抜きでやることは考えられません。 つまり、機墜落に関して、とカ軍は「共犯関係」ということになります。 また、墜落現場で救出活動に入ろうとしたカ軍ヘリに対して、基地からはすぐに引き返すように指示。 さらに、帰還した空軍兵士に対し、「このことは外部に口外しないように」という命令。 にカ軍が関わっていた決定的証拠と言えるでしょう。 というわけで、この記事では以下のように結論付けたいと思います。 当時のスチュアーデス、青山透子さんの著作がベストセラーになっています。 機の事故から30年以上過ぎた今でも、日本政府の発表した内容を国民がいかに信じていないかという事実の反映でしょう。

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