ハイサイ おじさん 歌詞。 「ハイサイおじさん」闇と光

ハイサイおじさん 歌詞「喜納昌吉」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

ハイサイ おじさん 歌詞

ハイサイおじさん はいさい[おじさん] haisai[おじさん] 語句・ はいさい こんにちは。 <はい やあ。 +さい 目上の人に使う男性の丁寧語。 女性は「たい」を使う。 つまり「はいたい」。 〔[]は明らかなヤマトグチ。 発音もヤマトグチで記してある。 例 [おじさん][整形][株主]。 ・ なー ・・かい?軽い質問になる。 ・ んでぃ ・・と ・ あんせー それでは。 あんしぇー ともいう。 二、 ハイサイおじさん ハイサイおじさん 年頃なたくと妻小欲さぬうんじゅが女小や呉みそらに ありあり童えー童 汝や童のくさぶっくぃて妻小とめ言んなえー童 あんせおじさん二十歳や余て三十過ぎて白髪かめてから妻とめゆみ はいさいおじさん はいさいおじさん とぅしぐるなたくとぅとぅじぐわーふさん 'うんじゅがうぃなぐんぐわーやくぃみそーらに'あり'ありわらばー'えーわらばー'っやーやわらびぬくさぶっくぃてぃとぅじぐわーとめーゆんなー'えーわらばー 'あんせーおじさん はたちや'あまてぃさんじゅーしじてぃしらぎかみてぃからとぅじとぅめゆみ haisai[おじさん]haisai[おじさん]tushigurunatakutu tujigwaahusaN 'uNjuga winaguNgwaa ya kwimisoorani 'ari'ari warabaa 'ee warabaa 'yaaya warabinu kusabukwiti tujigwaa tumeeyuNnaa 'ee warabaa 'aNsee[おじさん]hatachi ya 'amati saNjuu shijiti shiragi kamitikara tujitume e yumi こども) こんにちはおじさん こんにちはおじさん 年頃になったので嫁さんをもらいたい あなたの娘をくださいませんか? (おじさん) あれあれこども おいこども おまえはこどものくせにませていて 嫁がほしいというのか おい こども (こども) それではおじさん 二十歳を越して三十過ぎて白髪になってから嫁さんはもらうのか? 語句・ なたくとぅ なったので。 目上の人に使う。 ・ が の。 ・ くさぶっくぃてぃ ませていて <くさぶっくぃゆん 動 ませる。 こましゃくれる。 ・ とぅじ 妻。 ・ とぅめーゆん めとる。 もとめる。 ・ しじてぃ 過ぎて。 <しじゆん 動 過ぎる。 ・ まぎさ 大きい。 <まぎさん 形 大きな。 ・ みみじ ミミズ。 みみじゃー とも。 ・ ぐわんす ご先祖 ・ ん も。 +よーい だよ。 ・ あしがどぅ あることこそが。 栄える。 これは、ネットでみるかぎり、いろいろな方の訳に誤解がある。 「もてる」と訳しているのが大多数。 しかし、「むてーゆん」は「枝が茂る」からきているのであり、「もてる」の意味はない。 ・ くまとーてぃ こもっていて。 <くまゆん こもる。 ・ たきちきゆみ 最悪になるかしら? <たきちきゆん 動詞 病状や苦痛が最悪になる。 滝原康正補作。 喜納昌吉がまだ高校生の時につくられ、全国でヒット、戦後の「沖縄ブーム」のきっかけにもなった。 メロディーはほぼ沖縄音階だけで作られているし歌詞も一部を除いてウチナーグチ。 私事ながら中学生になりたてのころ深夜放送に熱中していてラジオではじめて聞いたときの不思議な感覚を覚えている。 三線ではなくエレキギターと激しいドラム、意味がわからない言葉が聞き慣れないが新鮮なメロディーに乗っていた。 今の若者には志村けん がふざけて歌う「変なおじさん」のもと唄がこれだといえばわかるかもしれない。 いずれにしても この歌が大きなインパクトを与えたことは確かだ。 「おじさん」には実在のモデルがいて、沖縄戦の悲惨な体験が精神の病となった。 (共同通信社の編集委員室が作る企画ページ「アジアに広がる「花」の歌 ミュージシャン喜納昌吉(きな・しょうきち)」より) 「喜納昌吉(51)は中学生の時、忘れられない事件に遭遇する。 精神に異常を来した近所の母親が、七つの娘の頭をまな板に乗せ、おので首を切り落としてしまった。 「女の子が毛布に包まれて横たわっている。 その子の父親が『なぜこの子の足は冷たいの。 おかしいよ』と毛布を取ったら首が無い。 父親は魂を落としたような顔で、しばらく言葉を失った」 最初の作品「ハイサイおじさん」は、これを契機に生まれた。 まだ高校生だった。 」 おじさんは、この事件を契機に酒におぼれる。 その「おじさん」をこどもがからかう歌なのだから笑えない歌である。 しかし、明るい曲にアップテンポでやられると ついつい踊りたくなる。 内容と形式のミスマッチは喜納昌吉が計算したものだろうか。 悲しみを笑いとばすという強さが、この曲をはじめ、多くの沖縄の曲のなかにはある。 痛烈な社会風刺の歌と云っても過言ではない。 この歌を酔って歌って「ああ、気持ちよかった」と思ったことのある観光客が、 沖縄戦の事実や、本土と沖縄の歴史を知るきっかけになることを望みたい。 本名は関洋(せきひろし)。 宮崎市出身。 現在、広島市在住。 琉球民謡協会教師。 広島で三線教室の指導や唄三線の活動にかかわる。 海田公民館三線講座、横川三線教室、中国新聞文化センター「楽しい沖縄民謡と三線講座」、YOU果報バンドの主宰。 (参考辞書など)・「沖縄語辞典」(国立国語学研究所)〔【沖辞】と表記〕 ・「琉球語辞典」(半田一郎)〔【琉辞】と表記〕・「石垣方言辞典」(宮城信勇)〔【石辞】と表記〕 ・「琉歌大成」(清水彰)・「こりくつタンメーのウチナーグチ解説メモ」(胤森弘) ・「沖縄語の入門」(西岡敏 仲原穣)・「島うた紀行」(仲宗根幸市)「沖縄古語辞典」(角川書店)その他。

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ハイサイおじさん(作詞 、作曲 喜納昌吉)|ムジカ・ピッコリーノ7期・17話「お祭り騒ぎ」演奏曲

ハイサイ おじさん 歌詞

先週の日曜から、「ハイサイおじさん」づいてます。 そして、に激似のキャラが、舌を出しながら、ニヤニヤ笑ってます。 頭には花をさしています。 そばに、「ケムンパス」もいます。 その歌詞は、先ほどの「 」のページにも紹介されているようです。 その他、の歌詞と、標準語訳が紹介されたページがいろいろあるようです。 (単語の解説もあり。 「ハイサイ」とは、「こんにちは」等の挨拶言葉のようです。 ちなみに、によると、「ハイサイ」は、男性の使う言葉。 女性の使う場合は、「ハイタイ」だそうです)• (ハイサイおじさんの演奏が動画として紹介)• (こちらは、歌詞と、単語の読みも紹介されてます。 なので、これを使うと、結構、歌える。 というかたのために。 しかし、その陽気なサウンドと対称的に、その歌が作られたきっかけは、あまりにも・・・ 以下、共同通信社の編集委員室が作る企画ページ「」より、引用します。 喜納昌吉(51)は中学生の時、忘れられない事件に遭遇する。 精神に異常を来した近所の母親が、七つの娘の頭をまな板に乗せ、おので首を切り落としてしまった。 「女の子が毛布に包まれて横たわっている。 その子の父親が『なぜこの子の足は冷たいの。 おかしいよ』と毛布を取ったら首が無い。 父親は魂を落としたような顔で、しばらく言葉を失った」 最初の作品「ハイサイおじさん」は、これを契機に生まれた。 まだ高校生だった。 < 「戦後、家を失ったり精神的におかしくなった女性がたくさんいた。 事件の家の父親もそんな女性を家に連れ込むから夫婦げんかばかり」。 母親の狂気の原因をたどると沖縄戦にたどり着く。 > ・・・この父親は事件後、酒におぼれた。 喜納の家に毎日泡盛を求めに来た。 「顔を出すと僕に向かって古い民謡を歌う。 ハイサイ(こんにちは)と声を掛けて僕も酒をあげる。 それを繰り返しているうちに歌を作ってあげようね、と急に思った。 ダンダダンダダンとリズムが生まれてきて」。 不思議な感動だった。 ______________________ そして、のコメントには、 「ハイサイおじさんのモデルはもともと校長先生にまでなった優秀な人だったのだが、沖縄の戦乱の中でアル中になり狂ってしまった実在の人物である。 そんな彼を、少年時代の昌吉は沖縄の伝統的共同体のやさしい眼差しで歌っている。 」とある。 あまりの衝撃的な事件により、酒に溺れる「校長先生にまでなった優秀な人物」を慰める如く伸、突き抜けた、陽気な歌。 それが、「ハイサイおじさん」。 この「ハイサイおじさん」を作った彼「喜納昌吉」の心を思うと、・・・。 そして、それをシングルカットし、発売してみると、大ヒット。 しかし、その吉報が彼の耳に届いたのは、麻薬不法所持で逮捕され、投じられた「獄中」で・・・。 闇と光を内包する「ハイサイおじさん」。 陽気な曲は、心の闇を、そっと包み込むのに、ちょうどいい。 ======追加@2006/01/27====== ハイサイおじさんのじゃけ画像のリンク切れたようなので、 こちらを紹介しま~す。

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ハイサイおじさん

ハイサイ おじさん 歌詞

新型コロナウイルス感染による肺炎で死去した志村けんさんが生み出したキャラの一つ、「変なおじさん」。 明るく踊り出したくなるようなメロディーで高校野球では沖縄代表の応援歌としてアルプススタンドでも響くこの歌を掘り下げると、過酷な沖縄戦、戦後を生き抜いた沖縄の悲しさ、強さが刻まれていた。 (玉城江梨子) 「ハイサイおじさん」は喜納さんが中学生の時に作り、1969年、21歳の時に、沖縄民謡の大家だった父親、喜納昌永さんのレコードに収録したもの。 「ハイサイ」とは沖縄の言葉で「こんにちは」。 歌詞の内容は、酔っ払いのおじさんと少年の会話で、「おじさんのはげは大きいね」「おじさんのひげは滑稽だね」などコミカルな掛け合いが続く。 観客もステージに上がり踊る中、「ハイサイおじさん」を歌う喜納昌吉さん=2016年、宜野湾海浜公園野外劇場 実はこの「おじさん」には実在のモデルがいる。 喜納さんが子どもの頃に家の隣に住んでいたアルコール依存の「おじさん」だ。 喜納さんの著書「反戦平和の手帖ーあなたしかできない新しいこと」(集英社新書)によると、おじさんと喜納さんの出会いは1950年代の初め。 喜納さんが4、5歳の頃だった。 おじさんは初めのころはまともだったが、酒の量が日に日に増え、正気でなくなっていったという。 その理由を喜納さんは「戦争は終わって復興は進むのですが、やっぱり戦前の沖縄には戻れないんです。 多くの住民は共同体を失い、生活はアメリカ化するし、ヤマトの文化も入ってくる。 心の穴を埋められないうちに環境が激変してしまったものだから、おじさんみたいな不器用な人はついていけなかったのだろうと思います」と説明している。 生活の場が戦場になった 米軍の慶良間上陸作戦=1945年3月27日(沖縄県公文書館提供) 「ハイサイおじさん」のモデルになった「おじさん」は戦前、那覇の遊郭へ人を運ぶ馬車引きをしていたが、戦争で遊郭も馬車引きの仕事もなくなった。 最初はまともだったおじさんの家庭だが、次第に壊れていく。 当時、戦争で家を失った人たちが路上で生活していた。 おじさんは路上生活をする女性に同情し、妻や子どもがいるのに、女性を家につれてきてしまう。 おじさん一家はもめ事が多くなり、1962年、事件が起こる。 精神を病んでいたおじさんの妻が自分の子どもを殺害するという事件だった。 喜納さんは事件について「沖縄戦で生き残った人たちが、さらに自分たちの内に残っている戦争の狂気を改めて認識したのではないのかと感じました。 実際、戦中、死ぬ恐怖、孤独になる恐怖に曝され、いっそのこと死んだ方がましだ、と思っていた人がいっぱいいたわけです。 (中略)破滅を目の当たりにする恐怖に耐えきれない気持ちが恐怖となり、戦争が終わっても残ってしまっていることに、多くの人が気づいたのではないか」と述べている。 癒やされない沖縄戦の傷 ブルドーザーで土地を敷ならし、普天間飛行場を建設する様子。 後方に松並木が見える=1945年6月(沖縄県公文書館提供) 沖縄戦は人々の生活の場が戦場になった。 家族や友人、自分の大切な人が目の前で殺されたり、重傷を負った家族を置いていかなければならなかったりした。 自分の大切な人がどこでどのように死んだかさえ分からない、遺骨もまだ見つかっていないというケースも少なくない。 平時でも自分の近しい人の死はつらい。 だが葬儀や法事などさまざまなプロセスを経て、人は大切な人の死を受け入れ、悲嘆は癒やされていく。 一方で戦場での死は悲嘆がケアされることなく、喪失が癒やされないままのケースもある。 さらに戦後の沖縄はアメリカに軍事占領された。 この時期、米軍の前に沖縄県民の人権はないに等しかった。 基地建設のための土地の強制接収、女性に対する性暴力、頻発する米軍の事故、事故。 戦争体験者の多くが「生きていくのに必死だった」という時代。 残酷な死に接した傷は癒やされないどころか、さらに傷口は広げられていった。 コザ騒動で群衆に襲われ炎上する米車両=1970年12月20日 話を「おじさん」に戻そう。 ただでさえ、酒飲みで疎まれていたおじさんはその事件後、村八分のような状態となり、子どもたちまでおじさんを追いかけて石を投げたりしてからかうようになったという。 しかし、おじさんは石を投げられてもあれだけつらいことがあっても喜納さんの家にお酒をせがみに来て、酒を飲み笑い続けていた。 おじさんのことを喜納さんは「不器用で、世間にうまくなじめなくて、立ち直れない部分は誰にでもある。 (中略)誰もがなかったことにしたい地獄を、おじさんが1人で背負っている。 1人で傷を引き受けている」と表現。 その上で「おじさんは非常に生命力のある人だった」とし、どんな状況でも生きていかなければならなかった「おじさん」への愛情を歌にしたのが「ハイサイおじさん」だった。

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