水俣病 まとめ 2ch。 水俣病に関するトピックス:朝日新聞デジタル

水俣病について知っておいてほしいこと

水俣病 まとめ 2ch

別に口外して憚られる事ではないと思います。 調べれば分かる事だし多くの人は既に知っていること。 水俣病を引き起こしたチッソの社長、江頭豊氏は皇太子妃雅子さまの母方の祖父。 彼は水俣病被害者に対し「死んだ魚を食べる乞食がカネせびりに来たな」「腐った魚を食べるから汚い病気にかかる。 伝染るから近づくな」 株主総会で一株株主の患者達に)と恫喝したり、暴力団を雇って患者や新聞記者を襲わせた。 この時、アメリカ人カメラマン、ユージン・スミス氏(水俣病の写真を世界に発信していたことで有名)が脊椎を損傷。 片目を失明した。 このような人物の血縁者が皇室に入る事には当然当初から賛否両論あり、皇太子さまも婚約内定会見で「チッソの事もあり宮内庁から慎重論が出ていた。 一時は断念せざるを得なかった」と仰っています。 皇居に怨旗が立つと言った者もいたようです。 水俣病患者や遺族の方々にしてみれば、雅子さま自身には何の罪も無いにせよ国民と共にあるべき天下の皇室がチッソの親族を受け入れるというのは複雑な思いだったことでしょう。 そういう事もあって、東宮家が色々とうまくいっていないのは「水俣の呪い」だなんて言う人もいます。

次の

水俣病とは?|ノーモアミナマタ 第2次訴訟弁護団

水俣病 まとめ 2ch

水俣病が起こるまでの経緯 ー熊本県ー 水俣病が最初に発生した熊本県水俣市には、明治の終わりに 日本窒素肥料㈱が設立されました。 戦後の高度経済成長期では重化学工業が推進され会社はどんどん発展していき、これに伴い水俣市も成長していきました。 1950年代前半から魚の大量死や猫の怪死が相次ぎ56年に手足の麻痺を訴えた患者4人が水俣市の病院に入院しました。 これが水俣病の公式発見の日とされています。 熊本大学の研究班が水銀が原因であるとの見解を示し、汚染源としてチッソ水俣工場を指摘しました。 しかし、同社は他の物質が原因であると主張し化学工業会が開いた有識者会議でも有機水銀説が否定されたため原因の究明は難航しました。 熊本大学の研究班はその後も調査を続け 1963年についにメチル水銀が原因であることを突き止めましたが、 アセトアルデヒド生産は続けられました。 結局 1932年から1968年の37年間にかけてチッソ水俣工場でアセトアルデヒドが生産されていました。 工場ではアセトアルデヒドが生産されていました。 1965年に原因不明の疾患を患っていた患者が新潟大学附属病院で診察を受けたところ有機水銀中毒の疑いが持たれました。 後にこの患者の頭髪を検査したところとても高い値の水銀が検出されます。 同じ年に他にも数名の患者が現れ、有機水銀中毒患者が発生していると正式に発表されました。 発表直後に新潟県は「有機水銀中毒研究本部」を設置し、約6万9千人を対象に調査を行いました。 1966年に昭和電工鹿瀬工場の排水が原因であると各省庁に報告しましたが、経済産業省が資料が不十分であると反論し結論は保留されました。 その後厚生労働省の研究班が原因は昭和電工鹿瀬工場の排水であると報告し、新潟大学も工場の排水が原因であると明らかにしました。 昭和電工鹿瀬工場はこれを否定し、1964年に発生した新潟地震によって流出した農薬が原因であると主張しました。 昭和電工鹿瀬工場は1968年に政府統一見解で同工場が原因であるとの発表があった後も農薬説を主張しましたが、 1971年の裁判で原因は工場排水であることが確定しました。 そして血液により全身の臓器に運ばれ、特に肝臓と腎臓に多く蓄積します。 メチル水銀は他の有機水銀化合物とは異なり、 血液脳関門や胎盤関門を容易に通過できる性質を持ち、脳内へと移行し中枢神経に蓄積し、神経症状や精神症状が引き起こされます。 また、胎盤を通過することで母親から胎児にメチル水銀が移動し、生まれながらに水俣病を発症する 胎児性水俣病があります。 血液脳関門 血液から細胞外液または中枢神経系への物質の移動を制限する構造。 これにより、必要な物質が血液中から脳に供給され、逆に脳で産生された不要物質が血液中に排出されるようになっている。 水俣病の症状 典型的な症例の神経症状は、 手足の抹消の感覚障害(しびれがあったり、痛覚などの感覚が低下する)、 運動失調、 言葉がうまく話せない、 視野狭窄、 聴力障害、 振戦などがあります。 重症者では狂躁状態、意識障害があり、死に至る場合もありました。 被害者の大多数は上にあげた症状の一部しか発症していない場合が多く、水俣病であるか判別しづらく、外見からは健康な人との判別が困難であったそうです。 治療法は現在でも確立しておらず、痛みを和らげる対症療法やリハビリ療法が治療の中心となっています。 また、先天性の胎児性水俣病では成人の場合と比べて重傷者が多く、知能障害、発育障害、言語障害、歩行障害、姿態変形など脳性麻痺の症状が見られます。 新潟県で確認されている胎児性水俣病患者は1名だけです。 このように最小限の被害にとどまったのは、水俣病発生初期に妊娠可能な女性に対する受胎調節指導があったからでした。 これは水俣病を防ぐうえで効果的でしたが、人権侵害との声もあります。 漁業への影響 水俣病が公表されると、水俣病の発生地域で捕れた魚というだけで売れなくなり敬遠されました。 1965年には新潟県から漁業組合に対して、阿賀野川下流域での漁獲規制などが適用されました。 1978年に阿賀野川の安全宣言があるまで食用制限は続けられました。 水俣病の発生以来新潟県は川魚の総水銀値とメチル水銀値を計測してきましたが 1994年以降は基準値を超える個体は見つかっていません。 その地域から水俣病患者が出ると魚が売れなくなることから、地域ぐるみで水俣病隠しを行った漁民たちもいました。 新潟県での被害者たちの戦い 水俣病の被害者たちは補償と救済を求めて訴訟を起こしました。 1965年に発生し、1967年に新潟水俣弁護団が結成されました。 ・判決 阿賀野川に発生した水銀中毒は昭和電工に過失があるとの判決で、 総額2億7,000千万円の賠償金を手に入れることができました。 賠償金が低額であったこと、再発を防止することなどから被害者たちは統一要求をまとめ昭和電工に対して直接交渉することにしました。 被害者らは署名活動などに取り組み、十数回の交渉を経て1973年に補償協定が結ばれました。 その協定により 認定患者に対する一次補償金、年金給付、医療給付などを手に入れることができました。 1989年の8陣までの提訴により234人が51億4,800万円の損害賠償を求めるものとなりました。 ・判決 第1陣を分離した1992年の判決では 88人が水俣病患者として認められ、 5億7,800万円の損害賠償を得ることができましたが、 国の責任については認められませんでした。 昭和電工と原告の両者がこれに控訴し、裁判は長引いていきました。 早期解決のため与党3党から最終解決案が提示され、この内容を踏まえて1995年に被害者団体と昭和電工の間で解決協定が結ばれました。 裁判所の判決までに10年、政治解決による和解までに13年半の年月を要し、この間に43人もの原告が亡くなりました。 体が麻痺していてつらいと思われる中、13年も戦い続けた患者の皆さんのご苦労は想像することができません。 しかも平均年齢もおよそ60歳と皆さんご高齢でした。 運動の最中は差別を恐れて、裁判で争っていることを周りに知られないために、途中で着替えたり、最寄りでないバス停から乗ったりしていたそうです。 水俣病は過去の問題ではありません 工場がメチル水銀を処理せずにそのまま川に流すことはなくなったため、新しい被害者は発生しません。 しかし、今でもこの病気で苦しんでいる人たちはたくさんいます。 損害賠償や認定を求める裁判は今でも続いており、今月(2020年3月)にも胎児・幼少期にメチル水銀に汚染されたとして8人が国・熊本県・原因企業に損害賠償を認めた訴訟がありました。 残念ながら敗訴となりましたがこのように患者さんたちの戦いは続いています。 最後に 水俣病は経済発展を優先させ、他のことを顧みていなかったために引き起こされました。 しかし、地元の人たちを始め日本全体がこれらの工場の恩恵を受けていたことも確かです。 いま私たちがこのように豊かな生活を送ることができているのも、このような工場による経済発展があったからといえると思います。 水俣病を教訓として私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。 現代社会はとても快適ですがこれを維持するためにかなり地球に負担をかけています。 水俣病では人間に害は無いと思って川に流した排水が食物連鎖を通して最終的に人間に牙をむきました。 普段の生活では意識されないことですが、私たちも自然の中の一部で他の生き物たちと同様に地球に生きていいることを水俣病は思い知らせてくれるのではないでしょうか。 地球温暖化を始め、森林伐採、プラスチックの海洋汚染などの環境問題があります。 プラスチックに関していえば、毎年およそ800万トンが海に流れていると推計されており2050年には世界の海のプラスチックごみの重量が魚を上回るとされています。 海の動物にはもうすでに被害が出始めています。 胃がプラスチックで埋め尽くされた海鳥やクジラの写真を見たことのある人もいるのではないでしょうか。 もちろん人間にも影響はあります。 海に流れていったものが細かくなり魚など海の生き物に取り込まれ、それを食べている私たちは週に5gものプラスチックを摂取しているそうです。 これはクレジットカード1枚分に相当します。 まだ目に見えて健康被害はでていませんが、私たちが無責任に海に流しているプラスチックが徐々に体を蝕んできていると思います。 水俣病のような悲劇を二度と起こさないためにも、私たちは自然を「利用」するのではなく、自然に生かされていることを自覚し 自然と「共生」していくことを心に留めておかなければならないと思います。 日本で発生した水俣病を通じて私たちの身勝手な経済活動がどのような結果をもたらすのかということについて考えていただけたなら幸いです。 最後まで読んでいただきありがとうございました。

次の

水俣病に関するトピックス:朝日新聞デジタル

水俣病 まとめ 2ch

水俣病とは 水俣病とは,チッソ株式会社が排出した工場廃液に含まれるメチル水銀(有機水銀の一種)によって汚染された魚介類を摂取することで起こる健康障害のことをいいます。 水俣病はこのように,企業が排出した工場廃液が汚染原因となっている点で,単なる有機水銀中毒症とは区別され,公害病の一つとして扱われています。 水俣病の原因物質であるメチル水銀は,体内に摂取されると主に脳細胞に作用し,様々な障害を与えました。 発生当初は,手足が曲がったりけいれんを起こしたり錯乱状態となり発病から数週間で亡くなってしまう重症の患者も多数いました。 今現在,水俣病と診断される患者の多くは,以下のような様々な症状や日常生活の不便を抱えています。 実際の裁判で苦しい症状や心情を訴えた水俣病被害者の声はこちらを御覧ください()。 ・手足の先がしびれる。 怪我をしても痛くない。 やけどをしても熱くない。 ・手の感覚がなく物を落としてしまう。 字を書けない。 ・手がふるえて,ボタンをかけられない。 ・まわりが見えにくくなり,ふすまや壁にぶつかる。 足下が見えなくて,階段で転倒する。 ・つまずきやすい。 ふらつく。 ・舌が回らず言葉がスムーズに出ない。 ・人の言うことが聞き取れない。 声をかけられても気がつかない。 ・耳鳴りがひどくて夜眠れない。 ・何を食べても味がせずまずい。 料理を作ると味付けが濃いと指摘される。 ・手や足がつる(こむらがえり,からすまがり)。 ・頭が激しく痛む。 水俣病被害の発生 1950(昭和25)年ころから,水俣湾沿岸地域で魚が大量に浮上したり,猫が狂い死にするなどの現象が見られるようになりました。 当初,原因は分からず,奇病や伝染病として地元では怖れられていました。 1956(昭和31)年5月1日,チッソ株式会社(当時の商号「新日本窒素肥料株式会社」)水俣工場付属病院長が,原因不明の中枢神経疾患が発生したことを水俣保健所に届け出ました。 この日が,水俣病の公式確認の日にあたります。 当時,水俣病の原因となるメチル水銀は,チッソ水俣工場で化学製品の原料(アセトアルデヒド)を製造する工程で生成され,それが工場廃水に含まれた状態で不知火海に排出されていました。 不知火海に流されたメチル水銀は,食物連鎖を通じて魚介類の体内で蓄積されていき,その汚染された魚介類を地域住民がたくさん食べたことによって,水俣病という深刻な公害病が広がることとなりました。 メチル水銀による汚染は,老若男女を問わず地域住民のすべてに及び,さらには,未だ生まれていない胎児にまで被害を及ぼしたのです。 チッソの責任 チッソは,メチル水銀を含んだ廃液をそのまま海に流しました。 利潤のみを追い求め,工場廃液を排出し続けた結果,水俣病患者の大量発生を招きました。 チッソのこのような行いに明らかな過失があることは,裁判所においてもはっきりと認められました。 チッソの責任は,単なる過失にとどまるものではありません。 チッソはこれまでに様々な悪質な行為を行ってきました。 そのうち一部を紹介します。 ・ 猫実験 チッソは,工場廃液をかけたエサを猫に与え続ける実験を行いました。 その結果,猫が水俣病を発症し工場廃液が原因だと判明しました。 しかし,チッソは「猫に水俣病を発症していない」と嘘の結果を発表しました。 ・ 工場廃液提出拒否 水俣病の原因を調査していた熊大研究班がチッソに対して工場廃液の調査を何度も求めましたが,チッソは拒否しました。 ・ 排水口の変更 水俣湾周辺に重症患者が多発していたころ,当時水俣湾に廃液を垂れ流していたチッソは,排水口を不知火海に面した水俣川河口付近にこっそり変えました。 その結果,不知火海全域に被害が広まってしまいました。 ・ サイクレーターによるごまかし チッソは,浄化槽と称してサイクレーターという装置を設置し,工場廃液は人が飲んでも健康に影響がないと宣伝しました。 さらに,チッソの当時の社長は熊本県知事らを招いたサイクレーターの披露会で,ただの水をサイクレーターを通した廃液と説明して飲んで見せました。 ・ 見舞金契約 年の瀬も迫った1959(昭和34)年12月30日,チッソと一部の患者家族との間で,いわゆる見舞金契約が締結されました。 この見舞金契約はわずかな補償と引き換えに将来新たな補償金の要求は一切行わないという内容でした。 この見舞金契約は被害者の窮状と孤立に乗じて,被害者に無理矢理押しつけられたものといえます。 この見舞金契約は,後の裁判(水俣病第1次訴訟熊本地裁判決)において,公序良俗に反し無効と断罪されました。 国・熊本県の責任 国及び熊本県の責任(国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任)については,すでに最高裁判所の2004(平成16)年10月15日判決により確定しています。 では,実際に廃液を排出したわけではない国や熊本県が,水俣病被害者に対して賠償責任を負うのはなぜでしょうか? 国や熊本県は,チッソの工場廃液の排出を止める規制権限を持っていました。 しかも,水俣病の原因はチッソの廃液である可能性が高く,水俣病患者が次々に発生していたことからすれば,国や熊本県は,権限を使うべきだったといえます。 しかし,国や熊本県はその権限を使わず廃液の垂れ流しを放置しました。 そのため,多くの被害者を生んだ責任があります。

次の