羅生門 あらすじ。 あらすじ

芥川龍之介『羅生門』あらすじと読書感想文(シンプルな書き方です)

羅生門 あらすじ

羅生門の舞台と登場人物 この作品の舞台は、平安時代の京都。 平安時代と聞くと貴族たちの華々しい生活が思い浮かぶかもしれませんが、京都の街には疫病が広まり、地震や火事、飢饉などの天災が相次いで、多くの人が亡くなっていました。 タイトルの「羅生門」というのは、京都の朱雀大路にあった「羅城門」のこと。 この羅城門は平安京の正門として使用されていました。 羅城門には鬼が住むとされる逸話も残っており、他の物語の舞台にもなっていますね。 さて、芥川の「羅生門」に登場するのは 下人と 老婆の2人です。 下人は主から仕事をクビにされてしまい、生活に困っている男。 右のほほに大きなニキビができており、明日からの生活をどうしようかと悩んでいます。 一方の老婆は羅生門の上で下人が出会った人物です。 「 背の低い、やせた、猿のような老婆」と描写されています。 羅生門には死体が集められていたのですが、この老婆は女の死体から髪の毛を抜き取り、カツラにして売ろうとしているのです。 この2人のやり取りを中心として、物語は進んでいきます。 羅生門のあらすじ ある日の夕暮れに、京都の羅生門の下で下人が雨宿りをしていた。 この男は職を失い、雨の降りこめる京都の街をぼんやりと眺めていたのである。 明日からの生活が気がかりだが、かといって盗みに走る勇気はない。 せめて今夜安全に寝る場所を探して、羅生門の楼へと上ろうとすると、怪しい1人の老婆が目に留まる。 様子をうかがうに、老婆は死体から髪の毛を抜いているようだ。 それを見た下人の心には、この老婆に対する憎悪、そしてこの世のすべての悪を憎む気持ちが湧きあがり、勇気を出して老婆に対峙する。 取り調べに返答する老婆は「死体から髪を抜いてカツラにするのだ」と述べた。 老婆の返答には、失望と侮蔑しか湧いてこない。 下人の冷ややかな様子を感じ取ったのだろうか、老婆は言い訳を続けた。 「この女は生前に人をだましていたから、死体になってこんなことをされてもしょうがない。 自分のやったことも大目に見てくれるはずだ。 」 老婆の言い分を聞くうちに、下人の心には「ある勇気」が湧いてくる。 それは老婆を捕えた際のものとは全く違った勇気であった。 「では、俺が何をしてもお前は文句を言うまいな。 」 そう言ったかと思うと、下人は老婆の着物をはぎ取り、京都の街へと消えていくのであった。 羅生門の解釈のポイント この作品を解釈するには、 下人の心情がどのように変わったかに注目するのがポイントです。 特に注目したいのは「 勇気」という感情です。 この点にフォーカスして、心情の変化を追いかけてみましょう。 選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。 (中略) 下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない」という事を、積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 という部分です。 下人は生活に困りながらも 盗みを働く勇気がない、決心がつかないということがわかります。 なので、下人はぼんやりとしながら羅生門の下でたたずんでいたのです。 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。 そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。 むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。 この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。 それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。 この部分では、下人の心に正義感が湧きあがっています。 先ほどは「 飢え死にしたくはないけど、盗みを働くのもなぁ…どうしたらいいんだろう…」 というように下人の心には迷いがあり、問題は先送りにされていました。 しかし、倫理に外れた老婆の行為を目撃したことで下人の心情は大きく変化します。 この場面では下人の心は「 絶対に盗みなんて許せない!盗みを働くくらいなら餓死してやる!」という風に定まっているのです。 だから、老婆に対峙して捕らえてやろうという勇気が下人の心に湧いてきました。 老婆が下人に語ったことをまとめると、 確かに死体の毛を抜くのは悪かもしれないが、ここにいる死体はそれくらいのことをされて当然の者たちだ。 例えば、この死体の女は生前、蛇を魚だと偽って売っていた。 嘘をついて売らなければ飢え死にしてしまうから、女のしたことを悪いとは思わない。 同じように自分が死体の髪を抜きカツラを作るのも生きていくためだから、悪くはない。 ということを主張しています。 老婆の話を聞き、下人の心境は以下のように変化しました。 これを聞いている中に、下人の心には、 ある勇気が生まれて来た。 それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。 そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。 下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。 その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。 先ほどとは正反対ですが、下人の心は定まります。 「飢え死になんて絶対にしない。 この老婆のように俺も奪えばいいんだ。 」 そうして、老婆から着物を奪い、闇に消えていくのです。 解説のまとめ ここまで見てきた下人の心情変化をまとめてみると、• 飢え死にはしたくないが盗みをする勇気もない。 盗みは許せない。 悪を働くぐらいなら飢え死にしてやる。 (老婆を捕えようという勇気が湧きあがる。 飢え死になんて絶対にしない。 盗みを働く勇気が湧いてくる。 このようになります。 しかし、まだ疑問が残るかもしれません。 それは「 どうして下人には盗みを働く勇気が湧いてきたのか」ということです。 これについて色々と考察して自分の思ったことを書けば十分に感想文は書けると思いますが、それでは解釈が分かれてしまいますよね。 出来るだけ本文に沿って、下人の心情を解釈していきましょう。 本文を読んでみると、老婆の着物を奪う前に下人はこのように発言しています。 老婆の話がおわると、下人はあざけるような声で念を押した。 そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰にきびから離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこういった。 「では、己おれが引剥をしようと恨むまいな。 己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。 」 先ほどの老婆の言い訳を思い出してみると、老婆は「 生きていくために必要なことをしたのだから悪いことではない」と言っています。 下人もこの老婆の理屈を使って、 「じゃあ、俺が盗むのも生きていくためだから仕方がない」と 自分を正当化したのです。 さらに付け加えて言うなら、老婆の様子も下人に盗みをさせる要因になっていると考えられます。 最初に老婆を見たとき、下人は恐怖を感じています。 下人は、六分の 恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。 目の前で得体のしれない人物が死体をあさっていたら、誰もが恐怖を感じると思います。 しかし、先ほども見てきたように、老婆が死体から髪の毛を抜いていると分かったとたん、下人には「悪を憎む気持ち」が湧いてきます。 そして老婆を捕え、質問を浴びせるのですが下人の心はまた変化していきます。 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。 そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。 下人は老婆を侮蔑するのと同時に、失望したと書かれています。 先ほどは「何か得体のしれない人物」であった老婆が、平凡な答えを返してきたことで、「 ただの弱々しい老婆」という認識になったのでしょう。 だからこそ、下人は退屈そうに老婆の話を聞き、最後には着物を奪ってしまったのです。 例えば、これが老婆ではなく筋骨隆々の男が相手だったら、下人は盗みを働くことはなかったと思います。 この「老婆の平凡さ」も下人が盗みを働く一因となっていると解釈できます。 書評・総合評価• 小説は非常に短いので、とても読みやすいですね。 下人の心情も詳しく描写されているので、どの場面でどんなことを思っているも理解しやすいと思います。 一方で、今回も解説したように「 下人はなぜ盗みを働くに至ったか」という、話全体の流れを理解するには何度か読み返す必要があるかもしれません。 内容自体も非常に面白く、考えさせられます。 下人や老婆の姿を通して、芥川の人間観が浮き彫りになってきますね。 また、「 下人の行方は、誰も知らない」という最後の一文が作品に余韻を与えており、読了後も様々なことが想起され、「流石芥川だな…」という感想を抱きました。 ですが、面白おかしいという話ではないので、そういう物語が好きな人にはあまり合わないかもしれません。 おわりに ここからは個人的な解釈ですが、 下人の正反対に見える心の変化こそ、人間の本質であり芥川はそれを描いたのだと思います。 私たちは日常、善とか悪という言葉をつかっていますし、それらが何を指しているかわかっていると思っています。 ですが、実際は 自分の都合に合わせて善とか悪は変わってしまうんです。 要するに、自分に都合の良いことが「善」、都合の悪いことが「悪」であって絶対的な基準がないということです。 もちろん、老婆の行いを見た下人のように、「悪いこと」をしている人を見ると「なんて奴だ!許さん!」と腹を立てることはあります。 しかし、それは一時の感情であり、平気で同じことをしてしまうのが私たちです。 例えば、あなたが信号をきちんと待っていると、気で信号無視をする人がいます。 これを見たあなたは「信号ぐらいちゃんと守れよ!」と思うでしょう。 ですが、自分が寝坊をして切羽詰まっているとなったらどうでしょうか。 「どうせ車も通らない道だし…」• 「他の人も無視してるから…」 と自分を正当化して、渡ってしまうのではないでしょうか。 明らかに一貫性がなく矛盾しているのですが、これが人間なのです。 そして羅生門の下人を通じて芥川はこんな人間の姿を描いたのだと思います。 羅生門が収録されているこちらの作品集もおすすめです。 芥川の作品はこちらにまとめてあるので、参考にしてくださいね。

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羅生門(芥川龍之介)のあらすじ | あらすじ文庫

羅生門 あらすじ

荒廃した京都の羅生門の下で、ある下人が雨宿りをしていた。 彼は数日前に主人からひまを出されて、行くあてもなく途方に暮れていたのである。 生活のために盗人になることを思いついたが、そうする勇気を持っていなかった。 一晩を門の楼の上で明かそうと、楼の上に登っていくと、そこに一人の老婆がいることに気づく。 そして、無数の死体が転がっている楼の上で、老婆がその中の女の死体から髪の毛を抜いているのを見つける。 下人が老婆に髪の毛を抜く理由を尋ねると、餓死しないために髪の毛を抜いて鬘をつくるのだと答え、さらに、この女は生前に人をだまして商売をしていたのだから自分も悪いことをしてもかまわないのだ、と語る。 老婆の話を聞いた下人は盗人になる決意をかため、老婆から着物を奪い羅生門から去っていく。 以上のあらすじをふまえて書きます。 スポンサーリンク 『羅生門』感想文の例 荒廃した京都の羅生門の下で、ある下人が雨宿りをしていた。 彼は数日前に主人からひまを出されて、行くあてもなく途方に暮れていたのである。 生活のために盗人になることを思いついたが、そうする勇気を持っていなかった。 一晩を門の楼の上で明かそうと、楼の上に登っていくと、そこに一人の老婆がいることに気づく。 そして、無数の死体が転がっている楼の上で、老婆がその中の女の死体から髪の毛を抜いているのを見つける。 下人が老婆に髪の毛を抜く理由を尋ねると、餓死しないために髪の毛を抜いて鬘をつくるのだと答え、さらに、この女は生前に人をだまして商売をしていたのだから自分も悪いことをしてもかまわないのだ、と語る。 老婆の話を聞いた下人は盗人になる決意をかため、老婆から着物を奪い羅生門から去っていく。 物語は下人の心情の変化をたどりながら展開していく。 羅生門の下で途方に暮れている下人の姿は、同じく芥川の『杜子春』の冒頭部分に似ている。 杜子春は、財産を使いはたして明日の暮らしに困りはてて道ばたにたたずんでいる。 不透明な先行きに打開策を見出しきれない姿は、下人も杜子春も、どちらも同じなのだが、下人はある考えを持っていた。 それは盗人になって悪事をはたらくことによって生きていこうという考えである。 しかしながら、彼にはそれを肯定する勇気がない。 つまり、この時の下人には、悪事をはたらくことを嫌う道徳心があった。 だから、死人の髪の毛を抜く老婆の姿を目にした時も、「下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許す可らざる悪であった」ので、悪に対する憎悪の心を深めていくのである。 しかし、悪を憎む下人の心は老婆の話を聞いたことによって一変する。 老婆の話によれば、いま髪の毛を抜いた女は、生前に蛇を魚と偽って売っていた。 それは餓死しないためにしかたなくしたことであるから、悪いことだと思わない。 女の髪の毛を抜く自らも、餓死しないためにしかたなくするのだから、同じように悪いことではない。 下人は以上のような老婆の話を聞くうちに、以前は欠けていた勇気を呼び起こす。 すなわち、盗人になって悪事をはたらく勇気である。 生きるためには悪いことを悪いことと思わぬような勇気がなければならないと自然に悟ったのである。 その時の下人の心のうちは、「餓死などと云う事は、殆、考える事すら出来ない程、意識の外に追い出されていた」のだから、下人にとって盗人になるということがもはや善悪という対立軸を乗り越えて、生きるための条件となったのである。 誤解してはならないのは、作品が悪を肯定しているわけではない点である。 あくまでも、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた時に見せる人間の生への執着心や、他者を押しのけて生きのころうとする利己心が描かれているのだ。 ただし、善悪の判断というものは、時と場合によって、さらにはその人の置かれた立場によって変化する移ろいやすいものであると言える。 自らの利益にかなうものは善であり正義である。 反対に、自らに不利益を及ぼすものは悪である。 人々が世間一般の倫理観を無視してそのような主張を押しとおすならば、それぞれの利害が対立しあらそいが生まれる。 現在でもなお、世界各地で戦争や紛争が絶えないのは、それが歴史認識からもたらされるあらそいであれ、宗教間の対立によってもたらされるあらそいであれ、お互いがお互いに自らの主張を正しいと信じて墨守するからである。 けっきょく盗人になるという下人の判断は必ずしも肯定できるもではない。 いっぽうで、簡単に非難することもできない。 なぜなら、下人の置かれた立場が、生死を問われる厳しい局面にあるからである。 しかし、下人の行動の中にも、我々が見ならうべき点はあるかもしれない。 それは、下人が老婆の話に耳を傾けた点である。 下人は、老婆に対する憎悪の心を燃やしながらも、老婆の話にはしずかに耳を傾けた。 たしかにそれは単なる好奇心から来る行動であったのだろうが、それでも老婆の話に冷静に耳を傾けたのは意味のあることだ。 その結果もたらされる下人の判断は肯定できかねるが、傾聴するという姿勢そのものは、あらそいの解決に向けた第一歩になるのではないだろうか。 (1743字) まとめ 『羅生門』は教科書にも掲載される作品です。 下人の心境の変遷をたどる描写は素晴らしいと感じますが、物語の内容は悪を肯定するものだと解釈することもできますので、子ども向けの教材にするのは難易度が高いような印象を持ちます。

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芥川龍之介『羅生門』あらすじ|悪を正当化するとき、人は真の悪人になる。

羅生門 あらすじ

羅生門の舞台と登場人物 この作品の舞台は、平安時代の京都。 平安時代と聞くと貴族たちの華々しい生活が思い浮かぶかもしれませんが、京都の街には疫病が広まり、地震や火事、飢饉などの天災が相次いで、多くの人が亡くなっていました。 タイトルの「羅生門」というのは、京都の朱雀大路にあった「羅城門」のこと。 この羅城門は平安京の正門として使用されていました。 羅城門には鬼が住むとされる逸話も残っており、他の物語の舞台にもなっていますね。 さて、芥川の「羅生門」に登場するのは 下人と 老婆の2人です。 下人は主から仕事をクビにされてしまい、生活に困っている男。 右のほほに大きなニキビができており、明日からの生活をどうしようかと悩んでいます。 一方の老婆は羅生門の上で下人が出会った人物です。 「 背の低い、やせた、猿のような老婆」と描写されています。 羅生門には死体が集められていたのですが、この老婆は女の死体から髪の毛を抜き取り、カツラにして売ろうとしているのです。 この2人のやり取りを中心として、物語は進んでいきます。 羅生門のあらすじ ある日の夕暮れに、京都の羅生門の下で下人が雨宿りをしていた。 この男は職を失い、雨の降りこめる京都の街をぼんやりと眺めていたのである。 明日からの生活が気がかりだが、かといって盗みに走る勇気はない。 せめて今夜安全に寝る場所を探して、羅生門の楼へと上ろうとすると、怪しい1人の老婆が目に留まる。 様子をうかがうに、老婆は死体から髪の毛を抜いているようだ。 それを見た下人の心には、この老婆に対する憎悪、そしてこの世のすべての悪を憎む気持ちが湧きあがり、勇気を出して老婆に対峙する。 取り調べに返答する老婆は「死体から髪を抜いてカツラにするのだ」と述べた。 老婆の返答には、失望と侮蔑しか湧いてこない。 下人の冷ややかな様子を感じ取ったのだろうか、老婆は言い訳を続けた。 「この女は生前に人をだましていたから、死体になってこんなことをされてもしょうがない。 自分のやったことも大目に見てくれるはずだ。 」 老婆の言い分を聞くうちに、下人の心には「ある勇気」が湧いてくる。 それは老婆を捕えた際のものとは全く違った勇気であった。 「では、俺が何をしてもお前は文句を言うまいな。 」 そう言ったかと思うと、下人は老婆の着物をはぎ取り、京都の街へと消えていくのであった。 羅生門の解釈のポイント この作品を解釈するには、 下人の心情がどのように変わったかに注目するのがポイントです。 特に注目したいのは「 勇気」という感情です。 この点にフォーカスして、心情の変化を追いかけてみましょう。 選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、饑死をするばかりである。 (中略) 下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかに仕方がない」という事を、積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 という部分です。 下人は生活に困りながらも 盗みを働く勇気がない、決心がつかないということがわかります。 なので、下人はぼんやりとしながら羅生門の下でたたずんでいたのです。 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。 そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。 むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。 この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死をするか盗人になるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。 それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。 この部分では、下人の心に正義感が湧きあがっています。 先ほどは「 飢え死にしたくはないけど、盗みを働くのもなぁ…どうしたらいいんだろう…」 というように下人の心には迷いがあり、問題は先送りにされていました。 しかし、倫理に外れた老婆の行為を目撃したことで下人の心情は大きく変化します。 この場面では下人の心は「 絶対に盗みなんて許せない!盗みを働くくらいなら餓死してやる!」という風に定まっているのです。 だから、老婆に対峙して捕らえてやろうという勇気が下人の心に湧いてきました。 老婆が下人に語ったことをまとめると、 確かに死体の毛を抜くのは悪かもしれないが、ここにいる死体はそれくらいのことをされて当然の者たちだ。 例えば、この死体の女は生前、蛇を魚だと偽って売っていた。 嘘をついて売らなければ飢え死にしてしまうから、女のしたことを悪いとは思わない。 同じように自分が死体の髪を抜きカツラを作るのも生きていくためだから、悪くはない。 ということを主張しています。 老婆の話を聞き、下人の心境は以下のように変化しました。 これを聞いている中に、下人の心には、 ある勇気が生まれて来た。 それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。 そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。 下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。 その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。 先ほどとは正反対ですが、下人の心は定まります。 「飢え死になんて絶対にしない。 この老婆のように俺も奪えばいいんだ。 」 そうして、老婆から着物を奪い、闇に消えていくのです。 解説のまとめ ここまで見てきた下人の心情変化をまとめてみると、• 飢え死にはしたくないが盗みをする勇気もない。 盗みは許せない。 悪を働くぐらいなら飢え死にしてやる。 (老婆を捕えようという勇気が湧きあがる。 飢え死になんて絶対にしない。 盗みを働く勇気が湧いてくる。 このようになります。 しかし、まだ疑問が残るかもしれません。 それは「 どうして下人には盗みを働く勇気が湧いてきたのか」ということです。 これについて色々と考察して自分の思ったことを書けば十分に感想文は書けると思いますが、それでは解釈が分かれてしまいますよね。 出来るだけ本文に沿って、下人の心情を解釈していきましょう。 本文を読んでみると、老婆の着物を奪う前に下人はこのように発言しています。 老婆の話がおわると、下人はあざけるような声で念を押した。 そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰にきびから離して、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこういった。 「では、己おれが引剥をしようと恨むまいな。 己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。 」 先ほどの老婆の言い訳を思い出してみると、老婆は「 生きていくために必要なことをしたのだから悪いことではない」と言っています。 下人もこの老婆の理屈を使って、 「じゃあ、俺が盗むのも生きていくためだから仕方がない」と 自分を正当化したのです。 さらに付け加えて言うなら、老婆の様子も下人に盗みをさせる要因になっていると考えられます。 最初に老婆を見たとき、下人は恐怖を感じています。 下人は、六分の 恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は呼吸をするのさえ忘れていた。 目の前で得体のしれない人物が死体をあさっていたら、誰もが恐怖を感じると思います。 しかし、先ほども見てきたように、老婆が死体から髪の毛を抜いていると分かったとたん、下人には「悪を憎む気持ち」が湧いてきます。 そして老婆を捕え、質問を浴びせるのですが下人の心はまた変化していきます。 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。 そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって来た。 下人は老婆を侮蔑するのと同時に、失望したと書かれています。 先ほどは「何か得体のしれない人物」であった老婆が、平凡な答えを返してきたことで、「 ただの弱々しい老婆」という認識になったのでしょう。 だからこそ、下人は退屈そうに老婆の話を聞き、最後には着物を奪ってしまったのです。 例えば、これが老婆ではなく筋骨隆々の男が相手だったら、下人は盗みを働くことはなかったと思います。 この「老婆の平凡さ」も下人が盗みを働く一因となっていると解釈できます。 書評・総合評価• 小説は非常に短いので、とても読みやすいですね。 下人の心情も詳しく描写されているので、どの場面でどんなことを思っているも理解しやすいと思います。 一方で、今回も解説したように「 下人はなぜ盗みを働くに至ったか」という、話全体の流れを理解するには何度か読み返す必要があるかもしれません。 内容自体も非常に面白く、考えさせられます。 下人や老婆の姿を通して、芥川の人間観が浮き彫りになってきますね。 また、「 下人の行方は、誰も知らない」という最後の一文が作品に余韻を与えており、読了後も様々なことが想起され、「流石芥川だな…」という感想を抱きました。 ですが、面白おかしいという話ではないので、そういう物語が好きな人にはあまり合わないかもしれません。 おわりに ここからは個人的な解釈ですが、 下人の正反対に見える心の変化こそ、人間の本質であり芥川はそれを描いたのだと思います。 私たちは日常、善とか悪という言葉をつかっていますし、それらが何を指しているかわかっていると思っています。 ですが、実際は 自分の都合に合わせて善とか悪は変わってしまうんです。 要するに、自分に都合の良いことが「善」、都合の悪いことが「悪」であって絶対的な基準がないということです。 もちろん、老婆の行いを見た下人のように、「悪いこと」をしている人を見ると「なんて奴だ!許さん!」と腹を立てることはあります。 しかし、それは一時の感情であり、平気で同じことをしてしまうのが私たちです。 例えば、あなたが信号をきちんと待っていると、気で信号無視をする人がいます。 これを見たあなたは「信号ぐらいちゃんと守れよ!」と思うでしょう。 ですが、自分が寝坊をして切羽詰まっているとなったらどうでしょうか。 「どうせ車も通らない道だし…」• 「他の人も無視してるから…」 と自分を正当化して、渡ってしまうのではないでしょうか。 明らかに一貫性がなく矛盾しているのですが、これが人間なのです。 そして羅生門の下人を通じて芥川はこんな人間の姿を描いたのだと思います。 羅生門が収録されているこちらの作品集もおすすめです。 芥川の作品はこちらにまとめてあるので、参考にしてくださいね。

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