輸送連合艦隊。 【艦これ】連合艦隊の編成方法

【艦これ】輸送連合って通常艦隊より安定しなくない?俺の艦隊運営が悪いんか

輸送連合艦隊

海洋に囲まれた日本は、外征の場合には陸上兵力の洋上輸送が必要であり、このため日本陸軍は戦前より、大発動艇(上陸用舟艇)や神州丸(揚陸艦)の様な上陸作戦支援艦艇を整備していた。 日本海軍においても、旧式駆逐艦を転用した哨戒艇の艦尾にスリップ・ウェイを設けて、大発を発進させる機能を持たせ、緒戦の島嶼攻略戦に使用した、 1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル戦では敵制空権下での兵員物資輸送が実施された。 これは、夜間に駆逐艦などの高速艦艇で突入し、夜明けまでに敵制空権外に脱出する任務であり、多くの駆逐艦を喪失することとなった。 このような背景から、高速大量輸送ができる輸送専門の艦艇が要求され、1943年(昭和18年)中期ごろに軍令部より2種の輸送艦の計画要求があり、これにより出現したのが第一号型輸送艦(一等輸送艦)および第百一号型輸送艦(二等輸送艦)である。 第一号型輸送艦の当初案では、松型駆逐艦を1軸にして、空いたスペースを船倉として物件搭載にあてようとしたものであったが、新しい艦を計画したほうが得策であるとされ、新規計画となった。 設計にあたっては、戦時急造に適するように簡易化につとめ、兵装や艤装も最低限にとどめられた。 また、船体線図も簡易型が採用され、ブロック建造方式に適するように考慮されて、電気溶接が大幅に使用された。 本型は艦尾にスリップ・ウェイを設けて、ここから兵員物資を搭載した大発を発進させる仕組みで、このための喫水調整用タンクや注排水装置を有した。 搭載できるのは14m大発4隻、補給物件260トンであった。 兵装は12. 7cm連装高角砲1基、25mm3連装機銃15挺(後に増強)、爆雷18個を搭載した。 第一号型輸送艦は46隻が計画され、21隻が完成し、16隻が戦没した。 竣工後に充分な訓練が行われないまま南方方面の輸送作戦に投入され、その多くが極めて短期間に失なわれた。 第九号輸送艦はレイテ方面、小笠原方面の輸送任務を生き抜き、戦後は復員輸送や捕鯨母船任務に従事した。 年月日 履歴 1944年(昭和19年)5月28日 起工。 1944年(昭和19年)3月15日 第九号輸送艦と命名。 1944年(昭和19年)7月15日 進水。 佐世保鎮守府籍に入籍。 1944年(昭和19年)9月20日 竣工。 1944年(昭和19年)9月25日 第一輸送戦隊に編入。 連合艦隊付属。 1944年(昭和19年)9月27日 呉発。 内海西部で訓練。 1944年(昭和19年)10月2日 佐世保着。 1944年(昭和19年)10月15日 佐世保発。 比島方面へ向う。 1944年(昭和19年)10月23日 レイテ島増援輸送を下令される。 1944年(昭和19年)10月24日 陸軍部隊350名の輸送を下令される。 ミンダナオ島カガヤン着。 陸兵収容。 1944年(昭和19年)10月25日 ミンダナオ島発。 1944年(昭和19年)10月26日 レイテ島オルモック湾着。 陸兵揚陸。 オルモック発。 ヒントトロ海峡(パナイ島とマスバテ島の間)において二等巡洋艦「鬼怒」と駆逐艦「浦波」を救援後マニラに向う。 1944年(昭和19年)10月27日 マニラ着。 1944年(昭和19年)10月31日 第四船団3隻とマニラ発。 レイテ島オルモックに向う。 1944年(昭和19年)11月1日 オルモック着。 揚陸待機。 オルモック発。 セブ島リロアンで陸軍第三十五軍司令部を収容、オルモックに向う。 第三十五軍司令部を揚陸後、パナイ島北東方に向う。 1944年(昭和19年)11月3日 第百三十一輸送艦の遭難現場に到着。 曳航してマニラに向う。 1944年(昭和19年)11月4日 レイテ島陸軍軍需品輸送を下令される。 1944年(昭和19年)11月5日 キャビテ着。 1944年(昭和19年)11月8日 第四船団3隻、駆逐艦「竹」とマニラ発。 レイテ島オルモックに向う。 1944年(昭和19年)11月9日 オルモック着。 陸軍第一師団の一部と大発2隻揚陸。 1944年(昭和19年)11月10日 オルモック発。 マニラへ向う。 1944年(昭和19年)11月11日 ボンドク半島南西端で座礁した「せれべす丸」から人員兵器を移載してマニラ着。 1944年(昭和19年)11月24日 多号作戦第五次第二梯団の輸送艦3隻、駆逐艦「竹」とともにマニラ発。 1944年(昭和19年)11月25日 マリンドゥケ島パラナカン湾に昼間避泊中、アメリカ空母機の攻撃により損傷を受けるが。 「竹」とともにオルモックに向う。 1944年(昭和19年)11月26日 損傷が大きいため、マニラ帰投を命ぜられ反転。 1944年(昭和19年)11月28日 マニラ着。 第七次多号作戦部隊第三梯団に部署され、レイテ島補給輸送を下命される。 1944年(昭和19年)12月2日 本艦と「竹」の第三梯団および「桑」と二等輸送艦2隻の第四梯団は、マニラ発。 オルモック着。 揚陸作業後、アメリカ駆逐艦3隻、魚雷艇4隻が来襲。 交戦の結果、「桑」沈没と引き換えに、「クーパー(Cooper)」を撃沈、「アレン・M・サムナー(Allen M. Sumner)」を撃破し、敵部隊を撃退した。 1944年(昭和19年)12月3日 オルモック発。 マニラへ向う。 1944年(昭和19年)12月4日 マニラ着。 1944年(昭和19年)12月 香港に向けマニラ発。 1945年(昭和20年)1月9日 香港着。 1945年(昭和20年)1月11日 香港発。 1945年(昭和20年)1月16日 佐世保着。 1945年(昭和20年)1月19日 佐世保発。 1945年(昭和20年)1月21日 呉着。 入渠修理。 1945年(昭和20年)2月18日 呉発。 1945年(昭和20年)2月21日 横須賀着。 1945年(昭和20年)2月28日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)3月3日 横浜着。 1945年(昭和20年)3月8日 横須賀発。 八丈島着。 1945年(昭和20年)3月13日 八丈島発。 横浜着。 1945年(昭和20年)3月17日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)3月21日 横須賀着。 1945年(昭和20年)3月28日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)3月30日 横浜着。 1945年(昭和20年)4月1日 第一輸送戦隊は解隊。 連合艦隊付属。 1945年(昭和20年)4月27日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)4月30日 横須賀着。 1945年(昭和20年)5月10日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)5月12日 横須賀着。 1945年(昭和20年)5月25日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)6月5日 横須賀着。 1945年(昭和20年)6月21日 横須賀発。 輸送任務。 行動先不明。 1945年(昭和20年)7月21日 横須賀着。 1945年(昭和20年)7月25日 横須賀発。 1945年(昭和20年)7月26日 横須賀着。 1945年(昭和20年)8月11日 横須賀発。 1945年(昭和20年)8月14日 呉着。 1945年(昭和20年)8月23日 呉発。 1945年(昭和20年)8月24日 横須賀着。 1945年(昭和20年)9月15日 除籍。 1945年(昭和20年)12月1日 特別輸送艦に指定。 1945年(昭和20年)12月20日 輸第9号と呼称変更。 一時、捕鯨母船として使用。 賠償艦としてアメリカに引渡。 1948年(昭和23年)6月26日 石川島重工業で解体完了。

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抜錨!連合艦隊、西へ! E

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戦争: 年月日:- 場所:・・(メレヨン) 結果:アメリカ軍の勝利 交戦勢力 指導者・指揮官 戦力 1, 5 8, 2 2, 補助艦船多数 航空機 約270 11, 戦艦 6 巡洋艦 15, 駆逐艦 48 9 航空機 約700 損害 沈没・擱座 駆逐艦 1, 哨戒艇 1 駆潜艇 1, 小型艇 16 支援艦 9, 輸送船 16 損傷 戦艦 1, 哨戒艇 1 駆潜艇 1, 支援艦 1ほか 撃墜・全損 航空機 147 沈没 潜水艦 1 損傷 潜水艦 1 撃墜・全損 航空機 25• パラオの地図。 パラオ本島(コロール島・バベルダオブ島)に艦隊泊地、ペリリュー島に主要飛行場があった。 1944年(昭和19年)2月のにより、日本艦隊は、それまでの前進根拠地だったトラック泊地の使用継続が困難となった。 そこで、3月8日に発令された新たな作戦計画のでは、パラオ泊地(パラオ本島=・)がトラック泊地に代わる前進根拠地となった。 連合艦隊司令長官の古賀峯一は、連合艦隊であるに座乗して自らパラオに進出し、主力(軍隊区分では遊撃部隊と呼称)の5隻(愛宕、高雄、鳥海、妙高、羽黒)・3隻を率いて作戦に備えた。 空母部隊であるは日本本土やで再建中だった。 艦隊の後方支援のためやなどの支援艦船もパラオに集まった。 また、パラオはニューギニアや(当時の日本軍呼称はメレヨン島)方面への補給の中継地でもあったことから、多数の陸海軍徴用輸送船も寄港していた。 なお、パラオ近くの有望泊地としてもあったが、日本海軍は観測所を置いた程度で本格利用はしていなかった。 パラオ方面にいる日本の基地航空隊は、編成間もない隷下の部隊が中心で、で消耗して再建中の第6空襲部隊(第26航空戦隊)に属する31機・20機などがに駐留していたほか、第2空襲部隊(第22航空戦隊基幹)のうち戦闘機30機・陸攻4機がウォレアイ環礁およびにいた。 またの戦闘機約100機・陸攻34機・約12機などが、各地に展開していた。 本空襲に対応するための陸攻がなどからも飛来しており、以上を合計するとパラオ大空襲時の日本側航空兵力は海軍機約270機であった。 連合軍のホーランジア反攻計画 [ ] 太平洋方面での連合軍の対日反攻経過。 太平洋方面の連合軍は、海軍を司令官とする太平洋正面からの経路と、陸軍を司令官とするニューギニア伝いの経路の、2方向から対日反攻作戦を実施していた。 1944年2月下旬、マッカーサー大将は次のによる攻略目標としてニューギニア北岸の(現在の)および()を選び、4月15日(その後22日に延期)を上陸日と計画した。 ホーランジアは既存の連合軍拠点から遠いため、ニミッツ配下の高速空母機動部隊であるアメリカ海軍(司令官:)が航空支援に協力することとなった。 第58任務部隊には上陸当日の航空支援に加え、パラオ周辺に集結中の日本海軍の艦隊を事前に排除する任務が与えられた。 アメリカ軍は、パラオ所在の日本艦隊がホーランジア攻略作戦にとって深刻な脅威になると考えていた。 このパラオ攻撃は、日本海軍の水上戦力及び航空戦力の撃滅そのものも目的としていた。 第58任務部隊によるパラオおよびヤップ島・ウォレアイ環礁・ウルシー環礁への空襲作戦は、ディセクレイト・ワン作戦(: Operation Desecrate One)と命名された。 作戦参加兵力は、大型空母5隻(、、、、)・小型空母6隻(、、、、)を中心に、戦艦6隻(アイオワ、ニュージャージー、ノースカロライナ、サウスダコタ、マサチューセッツ、アラバマ)などの強力な護衛部隊が随伴することになった。 なお、上陸直接援護のためのホーランジア空襲はディセクレイト・ツー作戦(: Operation Desecrate Two)と命名されている。 また本作戦の支作戦としてインド洋でイギリス海軍によりが行われた。 戦闘経過 [ ] 機動部隊の接近 [ ] メジュロ環礁に集結したアメリカ海軍空母機動部隊。 1944年の撮影だが、本作戦時の写真かは不明。 第58任務部隊は、3月22日に集結地点のを出撃し、パラオへと向かった。 途中3月26日に給油艦9隻と会合して洋上補給を受けた。 28日にも給油艦4隻を含む第50. 15任務群(その他に護衛空母4隻・重巡3隻・駆逐艦12隻)から洋上給油を受けた後、第58任務部隊は3つの任務群に分かれ、攻撃隊の発進地点へと向かった。 アメリカ海軍は、不時着した友軍パイロットの救助と脱出する日本艦船の撃破のため、部隊も展開した。 パラオ周辺に7隻、ヤップ島とウォレアイ環礁近海に1隻ずつが配置された。 このうち、パラオ沖にいたが3月26日夜にパラオに入港しようとする日本のを襲撃したが、発射したの自爆により沈没してしまった。 日本海軍は、アメリカ機動部隊の行動を早くから察知していた。 第58任務部隊のメジュロ出撃翌日には、輸送任務中の潜水艦によって偶然に発見していた。 連合艦隊司令部は、トラック基地航空隊による3月25日・26日の敵艦隊発見報告、の結果をふまえ、パラオへの空襲の公算が大きいと判断した。 28日にはパラオまで750(1389km)のウォレアイ南方に迫っているのが航空偵察で確認されたが、連合艦隊司令部はまだ時間的余裕があると見ていた。 他方、パラオ守備隊であるは独自の判断を採り、輸送船団の一部を29日に繰り上げ出航させた。 3月29日朝、ペリリュー島から発進した日本軍偵察機が、第58任務部隊を発見した。 連合艦隊司令部は急遽パラオの陸上に移動し、旗艦武蔵と船団護衛任務で寄港中の第17駆逐隊(、、、)などを遊撃部隊に編入してへの退避を命じた。 夕刻にパラオを出た遊撃部隊(武蔵、愛宕、鳥海、高雄、春雨、白露、満潮、藤波、浦風、磯風、谷風、浜風 )は、待ち伏せていたアメリカの潜水艦の襲撃を受けた。 武蔵が1発を受けて損傷し、駆逐艦3隻(白露、満潮、藤波)を連れて修理のためへと向かうことになってしまった。 他方、同じ連合艦隊所属でも支援艦船は港内待機を命じられた。 その他の一般輸送船は第30根拠地隊が緊急出港させようとしたが、準備が間に合わず30日未明出港となった。 日本の基地航空隊は、ペリリュー島に一航艦から増援を送るなどして迎撃態勢を整えた。 29日夕刻に陸攻10機・艦爆5機による先制の攻撃隊が出撃し、重巡1隻撃沈や空母・戦艦各1隻撃破などの戦果を報じたが、アメリカ側の記録によれば被害はない。 日本側は陸攻6機・艦爆3機を失った。 3月30日の空襲 [ ] 炎上するペリリュー島の日本側地上施設。 3月30日午前6時30分、パラオ南方90海里(約167km)の地点に到達した第58任務部隊は、パラオに向けて第一次攻撃隊を発進させた。 空襲開始時のパラオ本島では、などが護衛するネ003船団(あさしほ丸以下加入船3隻)がへ 、駆逐艦やなどが護衛するパタ07船団(五洲丸以下加入船7隻)がへ脱出しようとしていたが、泊地の内外で攻撃を受けてしまい 、いずれもほぼ全滅した。 連合艦隊司令部から残留指示を受けていた船舶は、第30根拠地隊の指導で攻撃困難と思える地点に隠れたが、これもほとんどが碇泊したまま撃沈された。 でも小型艇9隻が撃沈された。 アメリカの空母、、から発進した航空隊は、艦船や地上施設に対する攻撃に加え、パラオの港内や周辺への投下を行った。 これは、実戦においては史上初の空母搭載機による機雷敷設であった。 同様の航空機雷敷設は、4月1日まで通常の空襲と並行して行われた。 対する日本側航空部隊は第58任務部隊に対する攻撃を計画していたが、離陸時の事故で中止となった。 日中は戦闘機30機以上が迎撃戦闘に従事したが、ほぼ全滅した。 地上での損害も続出し、ペリリュー島駐留の26航戦は壊滅状態に陥った。 一航艦や22航戦などは、サイパン・グアムから約70機の攻撃隊を発進させて、攻撃後にペリリュー島へ着陸する薄暮攻撃を実施した。 巡洋艦1隻撃沈や戦艦1隻・巡洋艦2隻撃破などの戦果を報じたが、アメリカ側に該当記録はない。 攻撃隊は敵戦闘機の迎撃を受け、空中戦や着陸事故で約25機が使用不能となった。 連合艦隊司令部は、第58任務部隊に反撃するため、トラック島や本土にいる潜水艦部隊に出撃を命じた。 また、第三艦隊に対してもへの出動準備を命じるとともに、その空母搭載機部隊であるに訓練を打ち切ってダバオへ進出するよう命じた。 この日の夕刻、福留繁連合艦隊参謀長は、連合艦隊司令部のパラオからの移動を決めた。 午後6時に、迎えの3機をダバオへ待機させるよう命令を発している。 3月31日の空襲 [ ] 3月31日も、第58任務部隊はパラオへの空襲を続けた。 ただし、第58. 1任務群だけは、ヤップ島およびウルシー環礁に向けて攻撃隊を発進させた(を参照)。 残っていた艦船の多くがとどめを刺され、特設第5日正丸、2隻や輸送船4隻などがこの日に沈没ないし擱座した。 ペリリュー島にはマリアナ諸島から一航艦の戦闘機46機が応援に到着していたが、正午までの迎撃戦闘で全滅した。 日本側航空隊は少数機の索敵攻撃で逆襲を試みたが戦果は無く、陸攻6機などが未帰還となった。 アメリカ軍の空襲終了後の午後8時、連合艦隊司令部移動用の二式大艇2機がダバオから到着した。 古賀司令長官以下の司令部要員は2機の二式大艇に分乗して、午後10時にあわただしくダバオへ向かって発進した。 しかし悪天候のため2機ともし、消息不明となってしまった。 周辺島嶼への空襲 [ ] 3月31日、第58任務部隊のうち第1群(第58. 1任務群)は、ヤップ島およびウルシー環礁の空襲を担当した。 この攻撃でヤップ島では地上施設や市街地の大部分が焼失した。 ウルシーでは観測所が炎上したほか、碇泊中の特設監視艇第1亀宝丸が擱座した。 4月1日には、第58任務部隊の全力でウォレアイ環礁を攻撃した。 日本側の損害はレーダーや通信設備が破壊されたほか、備蓄燃料の多くを焼失した。 飛行場も滑走路が穴だらけとなったが、翌日午後には復旧した。 第58任務部隊は4月2日に洋上給油を受けた後、4月6日にメジュロ環礁へ帰着した。 なお、は、第58任務部隊が北上して日本本土へ襲来することをおそれ、指揮下の部隊や本土方面所在の航空部隊に迎撃準備を指示していた。 警戒態勢は4月6日に解除された。 結果と影響 [ ] 本空襲で撃沈された工作艦の戦前の艦影。 (1939年撮影) 日本軍は、水上戦闘艦こそ事前退避で多くが難を逃れたものの、碇泊中の多数の支援艦船・輸送船の大部分が撃沈された。 主な水上戦闘艦では駆逐艦・哨戒艇各1隻が沈み、支援艦では工作艦2隻・給油艦6隻など9隻が沈没、給油艦1隻が損傷、徴用輸送船も陸海軍合わせて15隻が沈没または擱座した。 支援艦・輸送船として徴用中の商船損害は、戦史叢書によると計21隻で8万4千総トンに達する。 各種支援艦の中でも、日本唯一の本格的工作艦であった明石の撃沈が、日本海軍の艦船整備能力を著しく低下させる最大級の痛手だった。 また、7隻もの給油艦の損害により連合艦隊の機動力は激減し、以後のなどにおいて日本海軍にとって厳しい足かせになった。 航空部隊の損害も計147機喪失と大きく、26航戦の再建は保有機をほぼ全損して振り出しに戻り、次の決戦の主役に予定された一航艦も実動兵力の半数を失ってしまった。 一方、アメリカ軍の損害は航空機25機喪失のほか、支援のため行動中だった潜水艦のタリビーが沈んだのと、友軍機の誤爆で潜水艦のタニーが軽微な損傷を負っただけであった。 撃墜された航空機の搭乗員44人のうち、26人までは友軍によって無事救助された。 パラオの基地機能は、支援艦や航空部隊の壊滅により失われた。 日本軍はウルシー泊地の使用も断念し 、ダバオへ逃れていた遊撃部隊は、4月5日にはるか西方のまで後退した。 アメリカ軍は日本艦隊主力の捕捉にこそ失敗したものの、遠く追い払ったことでホーランジア攻略の妨害を予防するという戦略目的を十分に達成したといえる。 この後第58任務部隊は4月22日のホーランジア攻略に参加した()。 アメリカ軍機の置き土産である機雷は容易に処理できず、パラオの基地機能喪失を長引かせた。 パラオ泊地に出入りする主要水路であった西水道とマラカル水道は放棄され 、ヨオ水道と港内だけが4月23日にようやく掃海完了と判定された。 この間、4月9日に病院船が触雷により擱座している。 アメリカ軍が使用したのは接触により作動する旧式機雷ではなく、磁気変化に反応して起爆する感応機雷で、日本軍は適切に対応できなかった。 パラオ空襲は、日本の連合艦隊司令部の遭難という事態も引き起こした。 古賀司令長官は殉職し、を巡る大混乱が生じた。 福留参謀長は生還したものの、連合軍側により一時拘束されて、新Z号作戦の作戦要領や暗号書など重要機密書類を奪われてしまった。 ( 詳細はを参照。 ) このほかのパラオ大空襲の影響としては、日本軍にパラオまたはフィリピン南部攻略の可能性が高いとの誤った予想を抱かせ、による緊急防備強化が決定されたこと。 その反動としてマリアナ諸島の防備強化の優先順位が下げられたこと。 再建中の第三艦隊第601航空隊に反撃のための移動命令が出され、訓練が中断されてしまったことなどが挙げられる。 いずれもその後の戦局に重大な影響であった。 日本軍の敗因 [ ] 日本軍が1月半前のトラック島空襲の二の舞ともいうべき大損害を出した原因については、せっかく事前に敵機動部隊の接近に気付いていながら迅速な対応を行わなかったことや、戦闘艦以外の支援艦船や輸送船の退避が徹底しなかったことなどが指摘されている。 初動が遅れた点に関して、は敵艦隊が750海里まで迫っているのに福留連合艦隊参謀長は余裕があると判断していた事実を問題視し、低速な戦艦中心時代の感覚が身に染みており、高速の空母中心時代に対応できていなかったのではないかと評している。 また、船舶の避難が徹底しなかった点に関して、当時の軍令部次長は、(1)陸軍徴用船を管理するが反対したこと、(2)船長が第30根拠地隊の命令に服従する義務があるのか疑問を持っていたこと、(3)出航準備の進捗が遅く夜間となってしまい、船団指揮官が出港を断念したことを指摘している。 そして、「連合艦隊は避難に関して熱心でないように思う」とまとめている。 これに対し、吉田俊雄は、連合艦隊司令部が陸上に移動したり戦闘艦艇は避難させていることを指摘し、避難に熱心でなかったという評は不正確だと主張する。 吉田は、福留連合艦隊参謀長らの感覚が近代的な総力戦に合っておらず、工作艦や輸送船の価値を二義的なものと認識していたことが問題なのだと主張している。 船舶に対する退避命令の権限が問題になったことに関しては、その後、海上護衛総司令部が連合艦隊管理地域でも独自の退避命令権を有すると明確化された。 このほか、日本海軍による調査では、輸送船の船長らが出港を嫌った背景として、すでに手遅れであるから港内にとどまることで人命だけでも救おうと考えたという事情が指摘されている。 また、乗員がすぐに陸上に避難してしまったため、が十分にできなかったことも沈没船を増やした一因と分析している。 日本側艦船損害一覧 [ ] 沈没・擱座 擱座したものの一部は後に復旧。 戦闘艦艇• 正規艦艇 - 駆逐艦、、• 特務艇 - 、 、• その他 - 特設駆潜艇第5昭和丸 、特設第5日正丸、第2勢栄丸 、同第1亀宝丸• 支援艦船• - 、特設工作船浦上丸• - 、、、特設給油船あまつ丸、同あさしほ丸、同あけぼの丸• 特設神風丸• 輸送船• 海軍徴用 - 五洲丸(特設航空機運搬艦)、呉山丸、雷山丸、隆興丸、那岐山丸、第18真盛丸• 陸軍徴用 - 第2運油丸(タンカー)、北泰丸、てしお丸、備中丸、吉備丸(日之出汽船) 、吉備丸(栃木汽船) 、忠洋丸、昭勢丸、松栄丸• 小型艇(アンガウル島で沈没 ) - No. 3 Akita Maru、Chichibu Maru、Yae Maru、Toku Maru、Kiku Maru、Hinode Maru、Yamato Maru、Ume Maru、Akebono Maru 損傷 擱座に至らない損傷のうち主要なもののみを挙げる。 戦闘艦• 正規艦艇 - 戦艦、 、• その他 - 特設監視艇八紘丸• 支援艦• 特設給油船第2菱丸 脚注 [ ] 注釈 [ ]• ただし、によれば沈没または擱座した陸軍輸送船は全部で8隻であり 、同名船2隻がいたとすると計算が合わない。 日本語表記不明。 機銃弾により船体破孔150か所、爆雷装填台破損など。 出典 [ ]• Smith 1996 , pp. 19-20, 23. Smith 1996 , p. 129-130. 365. 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ〈新戦史シリーズ〉、1991年 第2版、105-107頁。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、195頁。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、198頁。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、214頁。 19『 宛略 YB機密第〇二一二二五番電 YB〔4S 摩耶欠 5S 2sd 27dg 春雨白露 24dg 満潮 藤波武藏17dg〕ヲ率ヰ「パラオ」発途上武藏満潮藤波白露ヲ呉ニ向ケ分離 三日午前着ノ予定 爾余「ダバオ」着』• 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、203-204頁。 『第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』、画像11・18枚目。 『昭和十九年三月三十日パラオ島付近戦闘詳報』、画像50-53枚目。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、205-207頁。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、200頁。 C08050010000、画像45-46枚目。 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、208-209頁。 C08030270800• 防衛庁防衛研修所戦史室(1968年)、202頁。 大井(2001年)、221-222頁。 吉田(1984年)、226頁。 吉田(1984年)、227頁。 第三十根拠地隊 第二十二号駆潜特務艇 『第二十二号駆潜特務艇戦闘詳報 自昭和十九年三月三十日 至三月三十一日 西カロリン方面対空戦』JACAR Ref. C08030270400• 第三十根拠地隊 第三十六号駆潜特務艇 『第三十六号駆潜特務艇戦闘詳報 自昭和十九年三月三十日 至三月三十一日 西カロリン方面対空戦』JACAR Ref. C08030270400• 第三十根拠地隊司令部付 第五十三号駆潜特務艇 『自昭和十九年三月三十日 至昭和十九年三月三十一日 戦闘詳報』JACAR Ref. C08030269800• 第三十根拠地隊 特設駆潜艇 第五昭和丸 『特設駆潜艇 第五昭和丸 戦闘詳報 自昭和十九年三月三十日 至三月三十一日 西カロリン方面対空戦』JACAR Ref. C08030270200• 第三十根拠地隊 特設監視艇 第二勢栄丸 『第二勢栄丸戦闘詳報 自昭和十九年三月三十日 至三月三十一日 西カロリン方面対空戦』JACAR Ref. C08030270300• 『第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』、画像19-20枚目。 参考文献 [ ] 公刊書籍• 『海上護衛戦』 学習研究社〈学研M文庫〉、2001年。 戦史室 『マリアナ沖海戦』 〈〉、1968年。 『四人の連合艦隊司令長官』 文藝春秋〈〉、1984年。 Carter, Worrall Reed. , Washington DC : Department of the Navy, 1953. Roscoe, Theodore. United States Submarine Operations in World War II, Annapolis MD : Naval Institute Press, 1949. Smith, Robert Ross. United States Army in World War II: The War in the Pacific. Washington DC: United States Army Center of Military History, 1996. 公文書類 (JACAR)のウェブサイトで閲覧可能。 『昭和十九年三月三十日パラオ島付近戦闘詳報』 JACAR Ref. C08030622600、画像45枚目以降。 『自昭和十九年三月一日 至昭和十九年三月三十一日 第三十六号哨戒艇大東亜戦争戦時日誌』 JACAR Ref. C08030625200• 第10戦隊 『昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第10戦隊戦時日誌 5 』 JACAR Ref. C08030050400.

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帝国海軍符合

輸送連合艦隊

その候補はいくつかありましたが、イベントバナーにて示されたのは かつてイベントモチーフにもなった コロンバンガラ沖夜戦! 神通教官率いる二水戦が、念願の水雷戦隊の真骨頂をキメた戦いです。 同時に、 ツルブ輸送も並行して行われるということで 大発動艇の積めるようになったミカ大回転な海域ということになりますね。 実戦不参加だった川内と時雨にはないかもです。 水雷戦隊、特に睦月型が主体となるためその脆さに悩まされることになるでしょう。 また、 連合艦隊にも出番があり、 出撃する艦数はかなりのものとなります。 なんでも、 最終海域ではいっぱい札が付くというので 可能な限り温存してケチっていきたいところです。 なお、 このE-5海域には戦艦・正規空母を出すことが出来ません。 必然的に、貴重な軽空母から抽出せざるを得ないことになります。 なかなかどうして、後々を考えるとボディブローのように効いてくる海域といえましょう。 E-5海域でのドロップ艦は、新規艦の初春型の有明と アメリカ艦のヘレナが共にドロップにて邂逅となっています。 ヘレナは、後の海域でも出会えるそうですね。 まずはコロンバンガラ沖に潜伏している、 あの因縁の軽巡を引きずり出さねばなりません。 いつものように、行き止まりまで行って勝つ! ですね。 Fマス・S勝利 早速、コロンバンガラ組を出していきましょう。 フミィ(文月改二)は、さっちん(皐月改二)の付き添いです。 大発要員でもあるので、無駄にはならないでしょう。 あと、ユッキー(雪風)はだいぶ前に仕上げていたセカンドです。 最低限の練度ですね。 まずは、通常艦隊で様子見です。 ……様子見するならするで、必須のことをド忘れかましてやがりますが。 E-5-Dマス・コロンバンガラ島に向かう! 続け! E-5-Eマス・能動分岐 何処にどういう敵が潜んでいるのか不明なため、基地航空隊は見送っています。 まずはフレーバーマスから、能動分岐です。 おっと、基地空襲! E-4海域からの引き継ぎな防空部隊によりシャットアウトされます。 制空権確保している上に、ほぼ補充も必要ないため 敵制空値はE-3・E-4海域のものよりもずっと低いと思われます。 E-5-Hマス・潜水艦隊 Mマスに続き、Qマスも水雷戦隊でした。 ここでは、低確率ながら新規艦のヘレナがドロップする ようですね。 可能な限りは、S勝利を狙っていきたいところです。 もっとも、この時は知る由もないままに普通にS勝利していますが。 それが、ギミック解除条件でした。 E-5-Uマス・逸れ それから、Uマスに逸れて出撃終了です。 何故か、今後たびたびお世話になることに。 ……見事なまでにケチってますねぇ。 セカンド艦以降なので、今後の札には影響しないはずです。 くまりんこ(三隈)なんて、なんかあった時(新季節グラとか)のために取っておいた子ですしね。 基本として水上打撃部隊で組んだのですが、これが罠……! もしかしたら南下するんじゃないかな~と思って、 基地航空隊をこんなふうに出しましたね(空振り)。 E-5-Jマス・水雷戦隊 タネが割れて辿り着いてしまえば、勝つのは容易です。 おや、谷風リーダー。 構成要員のほとんどを駆逐艦に頼っていたので、これは逆に痛い。 うかつに低速軽空母を出していたとしたら、ここで泣きを見るという意地悪です。 結果的に、貴重な高速軽空母を消費するハメになるというわけですね。 神楽も、セカンド・ガンビーちゃん Gambier Bay を出しましたが。 なお、先の Wマスには低速艦でもOKだそうです ……紛らわしいわ! バシィ 基地航空隊は、当然Vマスに。 E-5-Rマス・空襲 夜戦までいって、ギリッギリのS勝利でした。 あんまり例として宜しくないですな。 とはいえ、ここで艦を浪費するわけにもいかず。 ルートギミックを全解除しまして。 戦力ボスマスが出現しました! あ、またギミック解除音に注力してルート出現が撮れてない! セルフバシィ 母港に帰投しまして、ピロリーンと鳴りました……。 というわけで、こうなりました。 なんか、セカンド・プリンちゃん Prinz Eugen がいますけど。 対潜装備を持っていないのは今度はガバではなく、 基地航空隊で対処する腹積もりだからです。 というわけで、 基地航空隊は東海部隊をIマスの潜水艦に。 陸攻攻撃隊をボスマスに。 これで、開幕で随伴艦全滅です! さすがに、ボスの開幕雷撃は防ぎようがありませんが……。 丁字有利と恵まれ、昼戦でも教官がガシガシ叩いていきます。 いやはや、特効とは恐ろしい。 ヘレナ来なかったなぁ……・ まだ、輸送ゲージや後の海域でもチャンスはありますが。 ギミック未解除なので、輸送ゲージが出現しただけですね。 母港に帰投して、ピロリーンと鳴ったのはなんだったのか? 戦力ゲージ・水上打撃部隊 まだY2マスに未練がありまして、 水上打撃部隊で踏めないものかとやってみました。 一応、連合艦隊での攻略も可能ということで。 基地航空隊は、Hマスに東海部隊を。 なんかネックになりそうなPマスに攻撃隊を。 教官で決着。 ドロップはうみみ(海風)でした。 例によって、現状未到達の行き止まりにお礼参りすることになりますね。 わかりやすくて簡単……だとは思います。 E-5-X3マス・逸れ はい、索敵値不足です(わざと)。 E-5-X1マス・潜水艦隊 全ルートギミックを解除しまして、 輸送ボスマスが出現しました! E-5-Aマス・逸れ Aマスが気になるので、潜水艦単騎で行ってもらいます。 しかし、後々検証で何度も来るハメになるのですよねぇ……。 輸送ゲージそのものが長いのもありますが、 ボスマスにてヘレナと有明がドロップしますので どうせなら輸送装備を積まない牛歩輸送で掘りもやっちゃおうという。 ……はやくいって。 次は、潜水艦を警戒して対潜装備を積んでいますね。 種明かしをすると、輸送ゲージ側には潜水艦はいません。 さっき行ったBマス……事故りますねぇ。 輸送ゲージ道中は、全て警戒陣で良いと思います。 敵もこのように、警戒陣を使ってもきますが。 空襲マスを輪形陣にするかはお好みですが、そもそもエアカバーを期待できませんからね。 E-5-Z1マス・巡洋艦隊 だいたいの輸送ルートの最終関門にして、 最も事故が多発するマスです。 対空するにしても、枠がありません。 一応、 皐月改二なんかは機銃のみで頼りないながらも特殊対空カットインが可能ですので ないよりはマシ程度に組み込んでみても良いでしょう。 四隻編成・下回りルート 四隻編成にすることで、下回りの航路を通ることが出来ます。 この場合は、低速艦がいてもOKです。 輸送ゲージ道中はだいたい把握しましたので、本格的に基地航空隊を出します。 道中の水上艦戦マスに一部隊、ボスマスに一部隊で。 敵制空戦力はないので、攻撃隊で良いでしょう。 ……対空砲火が激しいので、ボーキは飛びますが。 E-5-Z8マス・空襲 そんなこんなで、 Z2マスに逸れようと索敵値を調整しようとしてAマスに逸れまくったり、 やはり最短編成では火力が足りず下回り編成に変えて 瑞穂に制空の足しにしようと水戦を乗せたり。 水爆はほとんど効果がなく、ボーキを浪費するだけ。 また、瑞穂の開幕雷撃もほぼ効果がなく。 じゃあ、瑞穂を入れる理由に乏しいな……となってきました。 そうこうして空襲で負けまくって、遂に1200敗を超過しちゃいましたよ。 結局、オーソドックスな六隻編成(高速)に戻ってきました。 空襲で負けるのは、四隻編成で一隻あたりのダメージ比率が高くなって 大破即敗北みたいになっちゃったからですね。 被害を艦数で分散すれば、そうそう負けないという判断です。 あと、単純に手数と火力艦のデコイが多いってのは安定に繋がりますしね。 ……相手が優先的に火力艦を狙ってくるのはどーにもなりませんが。 基地航空隊は、一部隊を道中の水上艦マスに振り分け 一部隊はボスマスに向かわせました。 潜水ロリに東海部隊を出せば安定するでしょうが、基地入れ替えはケチるのです。 開幕で撃破ないし大破に出来れば、ほぼ被害はないのですし。 そうして、 Lv10になったもがみんを改造して航巡に。 これで、 いまいちコンセプトと不一致を起こしている瑞穂と 可哀想ですが交代させてもらいます……すまぬ。 航巡は、いくらいても困りませんし。 やっと、輸送ゲージを牛歩の歩みで半分まで削れました。 ここまで、実に70回出撃となっています。 途中、もがみんが加わるまではどうにも道中撤退が多発していましたが なんだか以降は安定しました。 しかし、リンガ泊地で発生した不具合の余波はかわかりませんが 急に通信エラーが多発するようになりまして。 機を見て出撃しても、無駄に終わることに。 な~んか、挙動が以前誤除外食らった時に似ている気もします。 遠征帰投のたびに猫るってことはないので、違うとは思うのですが。 さっさと輸送を終わらせてしまいましょう。 大発搭載可能なさっちん、フミィ、ミカに大発を満載し、 一気に輸送量を増やします。

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