ハプスブルク家 障害。 ハプスブルク展|国立西洋美術館

ハプスブルク家の現在とは?末裔に日本人がいるの?歴史も解説!

ハプスブルク家 障害

wikiより引用 1273年、大空位時代(ドイツで皇帝を名乗る人物が複数登場して、混乱していた時代)はハプスブルク家のが皇帝に選出されたことで終わりを迎えた。 ハプスブルク家が歴史の舞台に大きく一歩踏み出した瞬間である。 彼から始まるハプスブルク家の血筋であるが、その血の維持には強い方針があった。 「戦争は他家に任せておけ。 幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ。 」 ハプスブルク家は戦いに勝利して他国の土地や権力をもぎ取るのではなく、他国の要人またはその近親者と結婚をすることで勢力をのばした。 ある意味とても平和的な家系である。 当時の結婚としては当たり前だが、その結婚のほとんどが政略結婚であった。 しかし、外部から勝手にくっつけられた結婚であるにも関わらず、ハプスブルク家は夫婦円満で子だくさんであることが多かった。 女帝と呼ばれた マリア・テレジアなどは16人の子供を産んでいる。 そのほとんどが安産であったというから、もはや特技:出産といっても過言ではない。 wikiより引用 ハプスブルク家の人物、何人もその肖像画が残されているが、その顔にはある 特徴がある。 その特徴は主に3つで、鼻がワシの鼻のようにこんもりしている、いわゆる ワシ鼻であること。 次に下顎前突症という、歯を見せた時に上の前歯よりも 下の前歯のほうが前にある口であること。 最後に、 ぽってりとしたたらこ唇であること。 この身体的特徴は遺伝がかなり強かったようで、ハプスブルク家の人物の肖像画を見るとかなり多くの人物が特徴に当てはまる。 ワシ鼻はともかく、口周りはかなり特徴的なので目立つ。 結婚政策と子だくさんの伝統から、この顔を持つ人間は絶えなかったのである。 結婚と出産の弊害 結婚政策で領土、権力の拡大を行うと同時に、そこで得た領土や権力を結婚によって失うのを避けていた。 自分たちは結婚して相手のものをもらうが、その逆をされるのは嫌なのである。 そのため、いとこ同士であったり、叔父と姪などの組み合わせで結婚することが多かった。 そうやって一族の力の流出を避けていたのだ。 しかしその弊害として、近親婚を繰り返したことにより、体が弱い子供、産まれてもすぐに死んでしまう子供が多く、また育ったとしても身体的・精神的な障害を持っていることが多かった。 そのことから、なにかしらのハンディキャップを抱えた王が誕生し、結局権力を奪われるということにもなった。 スペイン=ハプスブルク家の最後 1556年に、は神聖ローマ皇帝を退位する際に、広大なハプスブルク帝国を一人で統治することは不可能と考えた。 そこで、弟のフェルディナントのオーストリア=ハプスブルク家と、子のフェリペ2世のスペイン=ハプスブルク家とに分割することにした。 こうしてハプスブルク帝国は分割され、二つの家系に分かれることとなったのだが、スペイン=ハプスブルク家の最後は少しせつない。 最後の男子となったは生まれた時から病弱であり、口の形が例によって通常と異なっていたためにいつもよだれが垂れていたという。 また、知的障害もあったと言われており、まともな教育を行うことは無理なほど、発達が遅れていた。 結婚はしたものの、性的にも障害があったとされ子供ができることはなかった。 そこからが起こり、フランスのに奪われてしまったのである。 カルロス2世のハンディキャップは繰り返し行われた近親婚ゆえと言われている。 関連記事: カテゴリー• 131• 377• 372• 1,433• 150• 817• 595• 173• 100• 181• 145• 135• 108• 569•

次の

ハプスブルク展|国立西洋美術館

ハプスブルク家 障害

ウィーンはますます寒さが厳しさを強め、本日の最低気温はとうとうマイナス10度を下回っているのだとか!窓を開けると、身を切り裂くような寒気が流れ込んできます。 またそれとは反比例するように、クリスマスのイルミネーションは一層煌びやかに、街中やショッピング・センターに彩りを添え、とても綺麗です。 さて、本日は ハプスブルク家特有と評される独特の顔立ちについてお話したいと思います。 ------------------------------------------------------------------------------------ 先日著者がウィーン・リンク沿いにある美術史博物館を訪れたことは にて記しましたが、 その際に ハプスブルク家に代々伝わる興味深い顔の特徴を絵画や彫刻を通して、目の当たりにすることができました。 これらはほんの一例なのですが、男女を問わず下を向いた鼻と、下顎の形が非常に特徴的。 オーストリアではこれを "Habsburger Unterlippe"(ハプスブルク家の人の下唇)と呼ぶそうです。 パリに小旅行した際に「 マリー・アントワネットの鼻と口にハプスブルガーの典型的特徴がある」と著者の夫が述べたことは で既に記しました。 (王妃マリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世に嫁いだオーストリアのハプスブルク家の人間。 左写真参照) その時著者は意味があまり良く理解できず「???」という状態だったのですが、ここにきてやっとその訳がわかりました!なるほど、控えめに描写されているものの、鼻と唇に僅かながらハプスブルガーの特徴が見て取れます。 百聞は一見に如かず、ですね(笑) この ハプスブルガーの外見的特徴が最も顕著に表れているとされるのが神聖ローマ皇帝・カール5世であると言われています。 生来、顎の筋力が丈夫でなかったため口を閉じることもままならず、肖像画では常に髭を蓄えた姿で、外見的特徴を隠して描かれたのだとか。 「汝、結婚せよ」の言葉に代表されるように、ハプスブルク家の人間は何代にも渡り近親結婚を繰り返したため、疾患・障害を持ちながら帝位に就く皇帝や、病弱で夭折してしまう皇子・皇女が後を絶たなかったと言われます。 かの女帝、マリア・テレジアも16人もの子供を産みながら、成人したのは13人。 宮廷と言う恵まれた環境にありながら、成人後も病弱、もしくは夭逝した皇子・皇女が幾人もいました。 近代以前は医学があまり発達していなかったことや、当時の恒常的な栄養不足等も勿論一因であったとは思われますが、「領土拡大・保守」という至上命令のため、数多くかさねられた血族結婚による遺伝的原因もどうやら無視できなさそうです。 こういったエピソードを事前に知っておくと、美術館めぐりや絵画鑑賞も益々面白くなりますよね。 美術史博物館をご訪問予定の方は、ぜひハプスブルガーの絵画や彫刻を探して歩いてみて下さい! 今日の記事を愉しんで頂けましたら、 クリックのご応援、宜しくお願いします!• 特派員プロフィール• ウィーン特派員 ライジンガー真樹 スペイン語と異文化研究のため高校時代に南米チリへ留学、国際基督教大学(ICU)卒業。 外資系広告代理店のメディアプランナー、欧州系エアライン2社の客室乗務員を経て現在はモード業界 に。 オーストリアの今• オーストリアを旅する• オーストリアの詳細情報• 旅の準備• おすすめ特集•

次の

スペイン・ハプスブルク家、断絶の原因は「近親婚」か 研究結果 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

ハプスブルク家 障害

1547年の時点でのハプスブルク家の領土(緑の部分) ハプスブルク家は650年もの間、いろんな国の王様としてヨーロッパを支配していました。 他の家が王家になっている国には、ハプスブルク家の娘と結婚させて次々に身内にしていきましたから、「ヨーロッパ中の王族はみんなハプスブルク家の家族」といったような状態でした。 世界の歴史で、これだけ長い間1つの一族が広範囲の領域を支配したのは珍しいことです。 それ以前にも、後にも、一族での国の支配が続いたのは、長くても200年、300年がほとんどでしたから、ハプスブルク家がどれだけすごかったかが分かりますよね。 [ad co-1] トルコからヨーロッパを守ったのがハプスブルク家 ハプスブルク家は、自分たちを支配しようとする今のトルコからヨーロッパを守った一族としても知られています(もちろんこれは伝統的なヨーロッパから見た視点ですが) 昔のトルコは「オスマン帝国」という名前でした。 とても戦争が強い国で、色々なまわりの国を支配し、イスラム教の国にしていきました。 もちろん、トルコはヨーロッパも自分たちのものにしようとして戦争をふっかけたりしていました。 ヨーロッパがトルコに支配されずに済んだのは、ハプスブルク家のおかげだったのです。 ハプスブルク家の始まりはルドルフ1世 ハプスブルク家最初の神聖ローマ皇帝となったルドルフ1世(左から2人目の人物)。 鷹狩の途中で司祭を助け、それがきっかけで大司教からローマ王に選出されたという逸話がある。 ハプスブルク家が大きくなるきっかけは、ルドルフ1世という人が始まりでした。 この人がローマ帝国(今のドイツ)の皇帝に選ばれます。 まわりの人はルドルフ1世にあまり期待していなかったようで、影で皇帝をあやつる人を決めていました。 しかし、ルドルフ1世は国のリーダーとして活動する才能があったのです。 おかげで、ハプスブルク家は有力な貴族として大きくなっていくことになります。 [ad co-1] お城や宮殿は華やか ハプスブルク家の人々が暮らしていたお城はとても華やかです。 ハプスブルク家と聞くと、豪華なお城でぜいたくな暮らしをしていたというイメージが強いのではないでしょうか。 今も残っている宮殿を見ると、実際でも豪華な暮らしをしていたのだろうと簡単に想像がつきます。 今では世界遺産になっているところも オーストリアのウィーンにあるシェーンブルン宮殿 ハプスブルク家の人々が暮らしていた宮殿は、現在世界遺産になっています。 ハプスブルク家にゆかりのある世界遺産といえば、シェーンブルン宮殿ですね。 オーストリアにあるこの宮殿は上品な雰囲気のお屋敷で、観光に来た人々を今も勘当させています。 前にあるお庭もとても広くきれいに残されていて、当時の面影がそのまま保存されています。 政略結婚で家を大きくしていた ハプスブルク家は娘たちに「政略結婚」させることで力をつけていきました。 政略結婚とは、家の利益のための結婚のことです。 結婚すれば相手の家も身内になり、相手に口出ししたり影響を与えることも簡単になります。 むりやり結婚させられてさぞや嫌な思いをしただろう…と思いきや、ハプスブルク家の場合はそうでもありませんでした。 夫婦同士はとてもラブラブな関係だったとか。 政略結婚でも幸せな結婚だったのですね。 [ad co-1] ハプスブルク家は遺伝に問題あり!? ハプスブルク家最後の神聖ローマ皇帝・カール6世 ハプスブルク家の家族は、障害を持っている人がとても多かったことで有名です。 あごの形が普通の人と違っていたり、精神的な障害があったりしています。 体が弱い子供もたくさん生まれてきました。 何故そのようなことになってしまったのでしょうか。 障害の原因は「近親結婚」 ハプスブルク家は、政略結婚をしない人は近親結婚で血をつなげていました。 「近親結婚」とはその名の通り親せき同士の結婚で、たとえば異母兄妹やいとこ同士を結婚させることを言います。 しかし、親せき同士から生まれた子供は遺伝子に問題が起こりやすいです。 もう少し詳しく言うと、「一族共通で持っている遺伝子の問題」が表に現れやすくなるということです。 その「問題」は、体や心の障害となって現れます。 [ad co-1] なぜ、親せき同士から生まれた子供は遺伝子に問題が起こるのか 親戚同士から生まれた子供に遺伝障害が起きやすい理由は、「親せきで共通の遺伝子の問題」を持って生まれるからです。 生き物の遺伝子は、特定の病気にかかりやすいなどの問題を持っているものです。 他人同士の遺伝子が交われば、子供がその問題を持つ確率を下げられます。 たとえば母親に目が見えなくなる可能性がある遺伝子を持っていても、父親の遺伝子がカバーすれば目が見える子供が生まれます。 一方親せき同士から生まれた子供は、カバーができず目が見えない子供が生まれやすくなるのです。 なぜハプスブルク家では近親結婚にこだわったのか マリア・アンナ。 「女帝」マリア・テレジアの妹 昔の王族は近親結婚をすれば「血が薄くならない」と考えていました。 たとえば、王家の王様と親せきではない女王様が結婚して子供が生まれると、その子供が持つ王族の血は半分になります。 その子供から孫が生まれると、王族の血はさらにその半分になります。 昔の王族は「それが続いたら王族じゃなくなる」と考えていたのです。 血のつながりがある人同士で子供を産んだ方が血が薄くなることはないと思い近親結婚をさせていました。 昔の王族は近親結婚が多かった ハプスブルク家だけではなく、世界中の王族で近親結婚はよくある話でした。 日本も第二次世界大戦まではさかんだったのです。 王族でなくても、力の強い貴族もやっていたことです。 当時は科学も進んでいませんし、遺伝のことなんて誰も知りません。 だから親せき同士で子供が生まれる危険なんて考えずに皆やっていたと言えますね。 現在は遺伝の危険性から近親結婚は禁止されています。 [ad co-1] どんな障害があった? 虚弱体質で精神障害を持っていたといわれるカルロス2世(ハプスブルク家最後のスペイン国王) たとえば赤ちゃんの内に亡くなったり、大きくなっても言葉が話せない、感情がコントロールできないといった障害です。 ハプスブルク家でもこのような障害がある子供がたくさん生まれました。 あごがしゃくれていた!? ある一定の世代以降、ハプスブルク家の人間はあごがしゃくれている人が多かったといいます。 つまり、下のあごが上のあごより前に出ているということですね。 これは「下顎前突症」という病気の名前がついています。 ひどくなると上の歯と下の歯がかみ合わず食べ物も食べづらい、なんてことも。 実際カール5世という人の食事は歯を使わず丸呑みでした。 ハプスブルク家は遺伝のせいで滅亡した? ハプスブルク家の王国は滅亡してしまいますが、その原因の一つに遺伝の問題があったというスペインの説が現在有力になっています。 ハプスブルク家最後の王様だったカルロス2世は、体が不自由で知的障害もありました。 その上子供を作れる体でもなく、後継者を用意するなんて不可能だったのです。 結局彼は39歳で亡くなり、ハプスブルク家は滅んでしまいます。 カルロス2世の体や知能の発達に障害があったのは、度重なる近親結婚のせいと言えます。 [ad co-1] ハプスブルク家の現在 実は、ハプスブルク家は今も続いています。 遺伝の問題があったのに、どういうことなのでしょう。 現在のハプスブルクはどのような状況なのでしょうか? 現在のハプスブルク家の末裔 ハプスブルク家は本家が断絶してしまいましたが、分家のロレーヌ家が現在も続いています。 今でも貴族ですが昔ほどのお金持ちではありません。 現在のハプスブルク家の当主はカールさんという政治家で、セルビアを訪問したりローマ教皇に謁見したりと忙しい毎日。 ロレーヌ家はマリア・テレジアがご先祖様で、唯一生き残っているハプスブルク家の家系です。 マリア・テレジアはマリーアントワネットの母親と言えばわかりやすいですね。 ハプスブルク家の子孫は500人以上!? ハプスブルク家の子孫は世界中にいて、500人を超えています。 あまりにも多すぎて、当主のカールさんも把握しきれていない状況です。 カールさんのお子さんなど、直接血のつながりのある親せきはオーストリアに住んでいる方が多いです。 ハプスブルク家の末裔には日本人も?鰐淵晴子ってだれ? ハプスブルク家の子孫は日本にもいて、有名なのが女優の鰐淵晴子さんです。 鰐淵さんは1990~2000年代を中心にドラマや映画作品に出演されていました。 代表作は「伊豆の踊子」で、これまで6回も映画化されている有名作品です。 彼女の母親がオーストリア人で、ハプスブルク家の末裔です。 また鰐淵さんにも娘さんや孫がおり、日本人のハプスブルク家の血はまだまだ続きそうですね。 [ad co-1] まとめ 今回は、ハプスブルク家について紹介しました。 ハプスブルク家はヨーロッパにとって、とても大きな影響を与えていました。 特にオーストリアは、今もハプスブルク家と関係が深い国です。 ヨーロッパの歴史に興味のある人や、ヨーロッパの旅行を考えている人は是非参考にしてみて下さいね。 [ad co-1].

次の