柿本 人麻呂 百人一首。 英語で百人一首 第三首「あしびきの…」柿本人麻呂

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)とは

柿本 人麻呂 百人一首

仮に名もない番人(たぶん農民でしょう)が歌った歌としましょう。 天智天皇が 668年2月から671年にご即位されてますから、その時代の農民たちです。 そんな時代背景を踏まえてこの一番歌を読み返してみましょう。 詠み人解説 詠み人:第38代天皇 天智天皇(てんぢてんのう) 在位期間:668年2月20日-671年1月7日• 即位前の名は 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ• 中臣鎌足と一緒に蘇我氏を滅ぼした人物• 日本で初めて 元号を用いた天皇様 天智天皇と大化の改新 聖徳太子(しょうとくたいし)の死後、 天皇中心の政治体制が 蘇我入鹿 (そがのいるか)によって崩されます。 天皇をないがしろにした政治を行っていく 蘇我入鹿をみて、 その政治体制を危ういと考えていた 中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともに、 蘇我氏を滅ぼし、天皇中心の政治体制を取り戻します。 中大兄皇子は天智天皇として即位された際に 「大化」と はじめて 元号を定めました。 その他、天皇中心とした様々な政治改革を行われたそうです。 その政治改革が後に 「大化の改新」と呼ばれるようになりました。

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百人一首/六歌仙

柿本 人麻呂 百人一首

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む 第三首は柿本人麻呂のこちらの歌。 人麻呂さんはどういう人物だったのかいまいちよく分かっていませんが、三十六歌仙に選ばれている歌人です。 いまいちよく分かっていないのに歌が残ってるってすごいですよね。 枕詞、いいですよね。 現代でも枕詞上手く使っている歌見ると興奮します。 あと、ざーっと見て分かりにくいのは「かも寝む」でしょうか。 「か」「も」両方とも係助詞で、「か」は疑問、「も」は強調かな 適当すみません。 「む」は推量の助動詞。 みんな大好きで、先ほどの「か」の影響により連体形になっています。 元も子もないこと言うんですけど、私男性って恋しないと思ってたんですよね。 何なら今もまだちょっとそう思ってる。 なんて言うか、すごく失礼なのは百も承知なのですが、結局男性目線の恋愛って身体の関係ありきでしょ、って考えてしまう節があるというか。 純粋にひとりのことを必死に欲しいと思ったりするの? って割と真面目に疑問なんです。 そんな中で、こう、理性的に恋情を表現している男性を見ると安心するというか。 山鳥は、一夫一妻の鳥で、雄の尾が長いことが特徴。 この「山鳥」というワードを枕詞で導き出して、尾のように長い夜を俺独りで寝るの? と疑問形で終わらせる。 唯一無二の貴女がいないことが寂しい、と一人格として素直に述べている、という感じが好きです。 人麻呂の時代に、山鳥が一夫一妻制だと分かっていたかは定かではないですが、生物の知識を歌の技法に自然に織り交ぜ恋歌にするなんて、そりゃ他に何したか分からなくても千年名が残るわ、と納得してしまいます。 笑 人麻呂と言えば、 ひんがしの野にかぎろいの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ が個人的に好きです。 高校の時の友人が結婚する際に、「ひんがしの野」というタイトルで数首歌を詠んでまとめたので、せっかくだしこの後晒そうかな。 なんのせっかくなのか分かりませんが.

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1番~10番|子供と愉しむ百人一首:百人一首の意味を知ろう

柿本 人麻呂 百人一首

解説・鑑賞 第三番歌は、三十六歌仙の一人である柿本人麻呂(以下人麻呂)の歌です。 宮廷歌人として天皇や諸皇子に仕えた、身分の低い下級官吏だったそうです。 一番歌天智天皇、二番歌持統天皇と続き、三番歌に人麻呂の歌が選ばれています。 天皇の御製が2首続くなか、次に選ばれるのは皇太子や大臣といった、権力のある政治家、 身分の高い人物の歌が選ばれそうですが、あえて下級官吏の人麻呂の歌が選ばれています。 このことから藤原定家が、身分で歌を選んでないということがわかります。 まして百人一首は多くの貴族に愛されたカルタです。 天皇や公家の目にもとまることになるでしょうが、 誰もその編纂に口を出さなかったことを考えると、当時は身分や階級制度はあったものの、 身分や出生よりも、その人の才能や能力を重んじる世の中であったと読み取れるそうです。 では歌を見ていきましょう。 これはよく、人麻呂が恋人あるいは妻に会えない秋の夜長を歌った歌と言われます。 「山の奥に棲むという山鳥の尾のように、長い長い夜を一人寝るのか」 という哀愁漂う 恋歌と捉えることが多いです。 これは山鳥という鳥が、昼は雄と雌が一緒にいるが、夜になると別々に離れ、谷を隔て寝る。 といった習性があると考えられていたそうで、離れ離れになった夫婦や恋人が、 互いに慕いあう連想へと結びつくことが多かったからだという説があります。 違った解説では、 「足を引くほど険しい山道の、深い深い山奥にいるという美しい山鳥を、 時が経つのも忘れて一人探している」 という山鳥を 探す歌であるというもの。 この山鳥を探しているというのは、人麻呂自身が山鳥を探している歌になります。 人麻呂は 歌人ですから、山鳥は比喩で、自分の詠む 作品・歌を山鳥に例えているというもの。 美しい山鳥を探すように、よい歌を詠むには、山鳥の尾をたぐり寄せるよう悩みに悩むが、 その先の山鳥を見ることは難しく、一人眠れない夜を過ごしていると歌ったというものです。 天才歌人と呼ばれる人麻呂も、一つの歌を詠むのに、様々な苦悩を抱えている。 そのことが歌で表現されているのだそうです。 作者解説 詠み人:柿本人麻呂 (かきのもとひとまろ) 生没年未詳? 生年未詳~709年頃?と言われる。 飛鳥時代の人と言われている。 身分の低い下級官吏• 宮廷歌人として天皇や諸皇子に仕えた• 平安時代になると歌聖と呼ばれるようになる天才歌人 まとめ 人麻呂が歌った三番歌は、 そのまま読み解けば、遠く離れた夫婦、恋人を慕う哀愁の歌。 深く深く読み解けば、人麻呂の歌を作りあげるときの創作苦悩ともとれる歌でした。 読み手に様々な想像を膨らませさせる歌を作ることこそ、 天才歌人と呼ばれるゆえんなのかもしれませんね。 天才歌人と呼ばれた人麻呂ですら、悩みに悩み、作品を作り上げていたのです。 また人麻呂が生きた時代は飛鳥時代とも言われています。 その時代の日本は、才能によって評価される時代であり、才能は天から授かるだけでなく、 その人の努力によって得られるということも、読み取れるのではないでしょうか。 百人一首に選ばれた歌はただの歌ではありません。 人麻呂のように考え抜かれて作られているのです。 その真意を読み取れるようになると、より百人一首の魅力に引き込まれることでしょう。

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