たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味。 「たとえ世界の終末が」の言葉

健康第一!

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

号泣する準備ができてから読んでください。 【あらすじ】 とある雪の日、ショッピングモールの屋上から、ひとりの少女が飛び降りようとしていた。 その様子に気づき、とっさに少女を助けたのは、関西弁のインド人「オム」と笑わないピエロ「修二」。 二十代半ばの二人は、屋上で開催されるイベントに、パフォーマーとして呼ばれていた。 彼らによって少女の命は救われたものの、その瞬間、オムと修二の運命の歯車は動き出してしまう。 飛び降りようとしていた少女の持ち物は、紙に包まれた一万円札。 こんな大金をどうして持っているのか、修二は少女に聞いた。 すると少女は、母親から「これでしばらく暮らしなさい」と言われたという。 修二は確信した。 そして、その確信を言葉にして少女に伝える。 「きみ、捨てられたんだよ」 実は、修二にも同じ過去があった。 二十五年前、産まれてすぐの修二は、真夜中の学校に捨てられた子どもだったのだ。 悲しい共感を抱く修二に、少女は一枚の写真を差し出した。 その写真に写っていたのは……三年前のピエロ姿の修二。 しかし、修二と少女が会ったのは、この日が初めて……。 いったい、少女はなぜ修二の写真を持っていたのだろうか。 そのヒントとなるのは、一万円を包んでいた「紙」に隠されていた。 若くして日本へ来たオムと、心に闇を抱える笑わないピエロの修二が、ひとりの少女との出会いにより、人生のシナリオと向き合うこととなる。 誰もが抱える後悔、消せない過去、見えない未来、いびつな感情をむき出しにしながら、若い二人は生きる上で最も大切なことに気づかされていくミステリアスな感動ストーリー。 大好きな作家さんの3冊目の小説。 これまでの2冊とはタイトルや表紙の雰囲気が違うから、新たな瀧森さんが読めることを心待ちにしていた本。 前作より、人間の心の描写が重厚になっていて読み応え抜群の1冊。 文章の細部に散りばめられている優しさは健在で「そうそう、瀧森さんのこの感じがたまらなく好きなんだよな〜」と、今回もうっとりしながら文章を味わえた。 各登場人物は、暗い過去を背負っているけど、そのなかで光る優しい人間味に涙が止まらなかった。。 すべて読み終わったあと、この本のタイトルが自分の宝物になるような本だった。 瀧森さんの本は、設定が悲しかったり重かったりするけど、それを凌駕する人間の温かさ、愛、優しさが「これでもか!」というくらい詰め込まれている。 「だから、気持ちい涙を流しながら読めるんだなぁ」とこの本を通して改めて実感。 魂をもっていかれるくらい、グーッと引き込まれるから、読んだあと少し疲れるけど、本当に読んでよかった1冊。 その散りばめられた温かさや愛、優しさを探しながら読むと作家さんとコミュニケーションをとっているような感覚になれてそれも楽しい。 いつも心がやさぐれたとき、瀧森さんの本が優しさ取り戻させてくれるほど、温かいあたたかい言葉を紡ぐ作家さん。 これからも、たくさんたくさん書いていただきたい。

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たとえ明日、世界が滅びても 今日、僕はリンゴの木を植える

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

16 30年以上もまえのミュンヘンで。 ある日本人女性が娘さんを現地の小学校に。 とても風変わりな学校だったそうで。 テストなし、点数もなし。 破天荒な学校世界だったそうですが、そんな学校が日本にもできるそうです。 シュタイナー学校というそうで。 絵と歌だけで勉強しない学校、やめておいたほうが、とまでいわれるほどだったとか。 遊びの中でふたつの外国語を。 畑仕事や家造りの作業が毎日。 でも算数を3週間、国語を4週間集中して勉強する「エポック授業」というのもやるそうで。 子どもたちを観察して気づいたことが、とお母さん。 幼いこころに何かが芽生え、時間をかけて熟していって、自分の生きる意味に出会っていく、という姿がそこに。 ドラマチックな姿、とお母さん。 納得し、共感したそうです。 ミュンヘンでの体験を日本で本にして出版。 大きな反響があったとのこと。 日本からドイツに留学し、シュタイナー学校の教員を志す若い人たちも。 彼らとともに無認可で東京シュタイナーシューレという学校を87年に開校したとのこと。 シュタイナー学校。 このほど国から正式に設立が認められ、学校法人として08年4月に「あしたの国ルドルフ・シュタイナー学園」が開校する運びに。 いじめに不登校、はては自殺する幼い子どもたちが連日のように。 このお母さん、詰め込みはダメ、ゆとり教育を、いや学力低下だ、競争を復活、とさまようようにゆれ惑う日本の教育を憂えつつ、シュタイナー学校の意味の大きさを訴えていて。 教育を受ける機会の平等が大切にされるいっぽうで、均一化しがちなのが教育現場では。 先生も、児童・生徒も、個性をもった一人ひとりの人間のはず。 教える内容は同じでも、教え方は先生によって違うのが当たり前では。 教育を受けるほうも、受け止め方はいろいろあってよいはず。 集団生活のなかで、個性の価値がないがしろにされてしまっていないかどうか。 経済優先の社会で、何のために生きているのかさえ考えなくなったように見える大人たち。 そんな大人社会の姿が、子ども社会に影響しないはずはないのかも。 平等性だけでなく、一人ひとりの子どもにあった教育が選択できるシステムもあったほうがよいような。 シュタイナー学校の登場で、個性的な学校が増えてほしいような気がします。 自分自身の生きる意味に出会えれば、遊びにしろ勉強にしろ、主体的に取り組んでいけるのでは。 そうした姿を通して、大人であり親である私たちの価値観も、見直したほうがよい面もあるのかもしれません。 東京・葛西臨海水族園で。 14 兵庫県の山あいにある市。 小京都と呼ばれる城下町。 武家屋敷や白壁の土蔵も。 でも旧市街は空洞化が進み、空き家が目立ってきたそうで。 そんな空きビルをつかったファッションショーが。 盛況だそうで。 地元の高校のデザイン科の生徒さんたちの取り組み。 ファッションショー。 初めは学校の文化祭で。 毎年続けるうちに、せっかくだから校外の人にも見てほしい、と生徒の間から。 空きビルをつかったら、と地域から申し出があって校外でのショーが実現。 話題になったそうで。 翌年は古いみそ蔵で。 皮革組合が皮の端切れをくれたり、元大工さんが舞台づくりを手伝ってくれたり。 老人会のおばあちゃんたちも衣装づくりに助言を。 近くの小学生もデザインに参加。 徐々に町ぐるみの取り組みに。 市などが主催する「皮革まつり」に組み込まれて、大きなホールが会場に。 観客は02年の150人から05年には2000人に。 着実に成長しつつあるようで。 衣装だけでなく、演出、照明、音楽、宣伝を生徒たちだけで。 いろんな経験ができて、やり終えたときには感動で涙が、と生徒さん。 卒業制作展は02年度から「町じゅう美術館」と名づけて旧市街の空き家や店舗で。 05年度は25ヶ所もの会場で。 夢中で準備に没頭する若い人たちの姿が目に浮かぶようです。 産学協同は大学が主体で進んでいるようですが、高校でもこのように。 瀬戸内海の小さな島が建築家の安藤忠雄さんらの協力でアートで島起こしをやって話題になっていますが、高校生主体で地域に密着した取り組みというのは、他の地域でもやれそうな感が。 若い人たちというのは、取り組み始めたら夢中になれるものでは。 高校生のファッションショーに2000人もの人たちが集まるというのはすごいことのよう。 それだけイベントとしての魅力がある、ということでは。 自主性や社会性が育まれる、という教育効果と、地域の活性化への貢献が評価されているようですが、若い人たちのパワーに注目したい気がします。 小さな新聞記事からは、なかなかうかがい知る事ができませんが、伝統的な城下町の風情と若い人たちの斬新なデザインが響きあっていたり、高校生を核にした地域の人たちの出会い、交流の喜びが、新しい地域文化を生み出す力を生んでいるのかも。 経済や商業主体でなく、若い人たちの、自分自身を表現したい、という意欲が、町を動かしているところがとてもすがすがしくて。 その声にこたえようとしている地域の方がたも、ボランティア精神にあふれていて町の気風をうるわしいものに。 ある意味では町そのものが学校の機能を果たしているのでは。 若い人たちのアートで町起こし。 そして町全体が若い人たちに温かいまなざしを。 「教育」「学校」、地域のこころ豊かなふれあい。 問題山積の今の世の中ですが、解決の糸口は、政治や教育界よりも、地域や、若い人たち自身のなかに見つけられるのかも。 あきらめずに、目をこらし続けたいと思います。 ファッションショーを実施しているのは兵庫県立龍野実業高校デザイン科。 2006年第8回「朝日のびのび教育賞」を受賞。 江戸東京たてもの園。 14 ローマでのお話。 夕暮れ時に、通りを走る小型トラックから聞こえて来るそうで。 スピーカーで「ポルチーニあるよ〜」と渋い声。 石焼いもを連想させる節回しだそうで、きのこ売りだとか。 思い思いに鍋や袋を持った人たちが集まってきて。 グリルして食べるから、とかパスタにするの、などとにぎやかに。 大きさなどの品定めを。 おいしいもの好きな人には、イタリアの秋はたまらないそうで。 日本の石焼いも売り。 かつてはリヤカーで。 たしか、東北地方の農家の方たちの、農閑期の出稼ぎの仕事だったのでは。 最近は軽トラックに変わって。 コンビニなど24時間営業の店舗がふえたのが影響したのか、めっきり減ってしまった感がありますが。 以前は石焼いも売りのおじさんが少女マンガに登場したり。 秋が深まるとやってくる、という季節感もあって、恋にあこがれる少女が、石焼いも売りのおじさんとひと時の心温まるふれあいを。 きのこ売りのトラックにも季節感があって。 集まって交わされるにぎやかな会話。 陽気なイタリアの女性たちの明るい声が聞こえてきそうです。 ローマあたりには「秋の味覚まつり」が開かれる町もたくさんあるんだとか。 千円弱ほどの入場料で、トリュフをのせたパンやできたてのワイン、イノシシ肉のパスタソースなんかが味見できるそうです。 「利きオリーブ油」のイベントというのも。 あるローマ郊外の会場には100人ほど地元の人たちが。 搾りたてのオリーブ油が壇上に。 利き酒そっくりに口にふくんで香りや味を確かめるそうです。 参加した日本人が。 日本酒で鍛えたやり方で同じようにまねしたら歓声があがったそうで。 飲み会のように盛り上がったとか。 食文化。 最近のテレビは、食べ歩きや地方の料理などを紹介する番組が多いようで。 料理人が主人公のドラマも時どき。 おいしさに感服するタレントたち、そして美しい盛り付が画面に。 料理は食べるとなくなってしまうし、じっさいに食べないとおいしさがわからないので、何度も複数の人たちで鑑賞できたり、写真やCDでも鑑賞できるアートや音楽とは違うのですが、料理も立派なアートでは、と、このごろ思います。 料理人さんたちの姿を見ていても、名人といわれる人たちにはやっぱりアーティストのような雰囲気が漂っていて。 イタリアはアートの国。 食文化が豊かなフランスにしても、中国にしても、伝統的に、やっぱり優れたアートの国。 日本も似ているようで。 ローマのきのこ売りのトラックに集まって楽しく買い物をする人たち。 アートを前に豊かな気持ちで会話をはずませる人たち。 豊かな気持ちになれる、という点では共通しているようで。 こころを豊かにしてくれるものがアート。 でも、こころ豊かになれる人もアーティストかも。 アートやおいしい食べ物が人びとのこころを豊かにしてくれますように、と願わずにいられない、悲しいニュースの多い今日このごろです。 06年11月、横浜。 13 中国南部の少数民族が住む自治州の一地域。 人口は3000人。 そこに歌舞団が。 団員は20人。 地域の旅行会社に所属し、要請を受けると出演するそうで。 この民族にとって、歌は宝、とのこと。 歌をよく知っていることが教養だとか。 子どものころから歌に親しむそうで。 この民族には文字がなくて、祖父母や両親から子どもたちに口伝えで文化は受け継がれるんだとか。 歌が果たす役割は小さくないようです。 鳥や虫の鳴き声、水の流れる音なども歌の中に。 歌詞には自然や労働や愛や友情などが散りばめられて。 絶妙の混声のハーモニーが美しい、とのこと。 歌詞の内容も、豊かな自然や、自然と人々の心の通うような営みが歌いこまれているようで、とても美しそう。 歌を知ることが教養、というのがよくわかるお話では。 美しい民族衣装をまとって歌い踊る若い女性たちの姿が写真に。 歌や踊りが好きでたまらない、といった明るい笑顔とともに。 歌をうたうことの原点が息づいているような民族では。 この民族の間では「米は体を養い、歌は心を養う」という伝承が。 米だけでは人は生きていけない、人間には心を養うものが必要なのよ、ということを語りかけられているような気がします。 筆者としてはアートは心を養う、と言い換えたいところ。 アートするこころこそが、人間が人間である証のように思えてならないのですが。 歌舞団があるのは中国南西部の貴州省黎平県堂安から5キロほどの肇興郷。 貴州省南部は少数民族の自治州で、2006年は自治州成立50周年の記念の年。 06年11月。 11 「大漢和辞典」。 全15巻の大著。 筆者、初めて手にしたのは大学2年生のとき。 美術史学の研究室に進学してから。 あまりに大部すぎて使い方さえわからなくて。 検字の方法といい、詳細さといい、無学の学生には手にあまって。 本格的に美術史の勉強をするようになってからは、そのありがたさといったら。 そしてその刊行にいたる経緯を知ったのはずっと後になって。 想像を絶する困難の果てに完成された「大漢和辞典」。 著者・諸橋徹次博士のことなどを少しだけ。 「大漢和」が構想されたのは1925年。 出版社・大修館書店の社長・鈴木一平氏が、漢字研究で知られた諸橋博士に打診。 博士、あまりの途方のなさに断ったそうで。 でも社長は1年以上も交渉を。 博士、熱意に口説き落とされた、とのこと。 予備調査が行われて。 その結果わかったこと。 当初の予想をはるかに超える膨大なものに。 社長、博士ともにためらった、とのこと。 でも協議の末に刊行へ。 会社は専用の組版所を設置。 第1巻の刊行は1943年。 この時すでに構想から18年。 ところが、時は戦時中。 終戦の年の1945年2月、戦災で大修館本社ごと印刷用の原版すべてが灰燼に。 社長、博士、あまりのことに、血を吐く思いだったのでは。 戦後、疎開させて無事だった試し刷りを元に、作業を再開。 でも予定していた活字印刷は、文字の量の膨大さ、職人の不足などから不可能なことが判明。 しかもそのころ、博士、心労・過労がたたってか、片目を失明、残った右目も視力が衰えて。 印刷方法は、新しく発明されて間もない写真植字という方法に。 依頼された写真植字の発明者・石井茂吉氏、やはり体調を理由に、できないと。 でも大修館社長、ここでも一年以上かけて説得。 石井氏による写真植字の原字作成も、何年にもわたる、病魔との壮絶な闘いだったそうです。 13巻が完結し、一応の完成を見たのは1960年。 構想から実に35年。 かかわった人は、のべ25万8000人。 「大漢和」をたたえて1965年に諸橋博士に文化勲章が。 1982年、諸橋博士、永眠。 でもその後も修訂作業が続けられ、「修訂版」の刊行や「語彙索引」の追加が行われて。 2000年(平成12)の「補巻」刊行で、諸橋博士が当初構想した「大漢和辞典」の編纂作業が完結したそうです。 75年が費やされた大辞典。 感慨深いものが。 ところで、諸橋博士が亡くなる数年前、博士から増補を遺嘱された学者が二人。 筆者、そのお一人にお会いした事が。 米山寅太郎氏。 美術館在職時代に、静嘉堂文庫美術館へ展覧会のための美術品借用のお願いに。 その文庫長が米山氏(当時)。 「大漢和」への感謝の思いをお話ししたら、米山氏、肩をすくめるようにして「おはずかしい限り」というようなお言葉を。 そのあまりの謙虚さに感銘を。 偉大な仕事を成し遂げた人はこんなにも、との思い。 「大漢和」完成までの関係者の壮絶な闘いは、とても短い言葉では尽くせませんが、やはり後世に残る仕事というのは、これほどまでの困難を伴うものか、と言うほかはないようで。 漢字といえば、過日亡くなられた漢字学者白川静氏の仕事も思い浮かびます(「」)。 漢和辞典にかぎらず、辞典類のおかげで、私たちの生活がどれほど豊かに彩られていることか。 国語辞典に百科事典、音楽辞典に美術辞典。 優れた辞典類のかげには、やはり人々の壮絶なドラマが秘められているのかも。 無味乾燥な感じがしてしまう辞典類ですが、そんなことを想像しながら使うようにすると、辞典にも格別の愛着がわいてくるようです。 東京立川市・昭和記念公園で。 漢字文化と東洋文化にしばし思いを。 10) 熊本の山村に小さな橋が。 その橋を作った建築家、ふつう、橋にはコンセントをつけない、とのこと。 当たり前ですが、この橋、「コンセントがなくて不便」とクレームがついたそうで。 さて、どうして不便なのか。 それに一体どんな橋? 小さな橋だとか。 横から見ると大まかな形は唇みたい。 上と下に弓なりになってるそうで。 上は人と車が通り、下は人専用だとか。 下側の橋は、渡っていくと川の真ん中に向かって水面に近づくように下がっていって。 真ん中に着いてから先はゆっくりと上っていく感じ。 上下ひっくり返った太鼓橋。 向こう側に着くと、上下の橋がまた一緒になるという構造。 設計した建築家いわく、道は、今では交通のための空間にすぎないけれど、昔は生活の場だった、とのこと。 そんな意味での道を復活できないか、と思っていたそうで。 作ったのは「馬見原橋」という橋。 橋の開通式の夜に、もう一度、橋を見に行ってみたそうで。 ゴザが敷いてあって、そこでは宴会が。 川面をわたる風が吹きぬけ、上の橋が雨や日光をさえぎるひさしの役目を。 川は清流。 夜になると、毎日三々五々と集まって、宴会になるんだそうで。 コンセントが必要なわけがわかったとのこと。 うれしかった、とも。 コンセントがあればカラオケもできたかも、と。 灯りをつけたり、料理をしたり、いろいろ便利だったのでは。 東京では日本橋周辺で、橋のすぐ上を走っている高速道路を地下に埋め、川の両岸を緑豊かな公園にする計画が現実のものに(「」「」)。 川の周辺が緑豊かな公園にできるのなら、橋そのものも、ただ交通のためだけの橋でなく、「馬見原橋」を設計した建築家が言うように、生活の場、いこいの場にして欲しいような。 コンセントもあって、コンサートなんかのイベントもできたり。 なによりも、橋が人と人とをつなぐコミュニケーションの場になったら。 水の浄化が前提になりますが、水辺には、もともと海でも川でも、ロマンティックな雰囲気が。 景観に配慮するにとどまらず、人のこころを潤す橋。 そんな橋が都会でも増えて欲しいような。 そんな気がした「馬見原橋」のお話でした。 夏はたくさんの人がこの川で川遊びを。 川はきれいで鮎などがたくさんいます。 9 長男さんが20歳になるそうで。 仕事は歌、大学の仕事、本の執筆の三本柱だとか。 1972年のデビュー時はミニスカートにポックリ靴の愛らしい姿。 香港から来たばかり。 たどたどしい日本語の歌声もかわいくて。 たちまち国民的なアイドルに。 翌年は日本レコード大賞音楽新人賞を受賞し、紅白歌合戦にも。 そのアグネス・チャン。 お父さんの死、そしてヒット曲に恵まれず悩む日々があったそうで。 そうした中で「歌の力」というものに目覚める出来事が。 お母さんの故郷は中国大陸の貴州省。 そこで出会った子どもたちがきっかけに。 歌で大勢の人たちの心が結ばれる、という体験をしたとのこと。 歌には翼がある、歌手として信念を持ってやっていこう、との決心をその時に。 アグネス・チャン、デビュー翌年に上智大学へ。 海外留学も。 教育学博士号をもつ教育者としての顔も。 日本人と国際結婚し、出産後も仕事と育児の両立を。 「子連れ出勤」が話題に。 1985年に干ばつで苦しむエチオピアを訪問、衝撃を受けたそうです。 海外支援も。 1998年に初代日本ユニセフ協会大使に。 子どもたちへの思いを涙ながらに語るアグネスをテレビで見たことが。 「災害でも戦争でも子どもにしわ寄せがいく」「大人が子どもたちの声をいかに拾うかが重要」と力を込めて新聞にも。 2007年は日本デビューから35周年。 それに先立ち、12月1日に「平和」がテーマの記念コンサートを。 歌の仕事と社会的な活動を合体させるのは初めてだとか。 愛や平和、自由を、歌で伝えられたら、との思いとのこと。 世界的に戦争で問題を解決しようとする傾向がある中で、日本は平和を代表する国であってほしい、とも。 デビューの頃と変わらない笑顔がある新聞に。 芸能活動と平和活動、教育者としての活動。 本も3冊執筆中だそうで。 さまざまな幅広い活動をつづけるアグネス・チャン。 一人の人間として、また女性としての生き方には惹かれるものが。 誰にでもまねのできることではありませんが、アグネスの姿に触れて、あとに続こうという人たちも、きっと出てくるのでは。 優しい笑顔で、これからもますます活躍して頂きたいものです。 「ひなげしの花」でデビューしたアグネス・チャンへ心を込めて。 立川・昭和記念公園。 9 オーストラリア大陸の東側(西太平洋)にちらばる小さな南の島々。 ミクロネシアと呼ばれる海域にトラック諸島というのが(1989年以降はトラックからチュークに改称)。 ここで神話や昔話を集めている研究者の話。 自然豊かな美しい島々なのに、不用となった「文明国」の製品がそこらじゅうに散乱しているそうで。 増え続けているとのこと。 南の島のごみ問題。 日本人とも無関係ではないようで。 どこまでも広がる澄んだ青い空と海。 白い砂浜、大きな太陽にヤシの木。 筆者のパソコンの壁紙はだいたいそんな写真。 癒される感じがして。 トラック諸島もそんなところだそうで。 でも、トラック諸島では、よくみると、あちこちに廃車や空き缶、空きびん、プラスチックごみが。 トラック諸島の島々には、廃車の解体処理工場も、近代的なごみ焼却場もないとのこと。 ごみを回収して、生産した会社や国に送り返す仕組みも何もないんだとか。 ミクロネシアの国々の政府、ごみ問題には無関心らしくて。 数十年前までのミクロネシアでは昔ながらの生活が。 自然の恵みを利用する生活。 不用品を捨てても、いつかはもとの自然に帰るので、ごみ問題は発生せず。 物質文明がもたらしたもの。 「南海の楽園」が先進工業国製品の墓場に。 神話の研究者、このままだと南海の楽園は陸上も海底もごみだらけになってしまう、と警鐘を。 ミクロネシアの人々の暮らしについて研究者。 大自然の循環のなかで、人間は賢明な暮らしを営んできた、との見方。 そして物質文明が急激に押し寄せた結果が目の前に。 日本では。 ごみ処理やリサイクル、不用な品物を買わない、使わない、ごみそのものを減らす、という考え方が浸透してきているようで。 いろんなかたちでごみ問題への取り組みが。 でも海外へ輸出されたものがどうなっているか、までは想像力が及んでいない、と研究者。 なにか、とてもショックな感じが。 途上国といえば貧困問題や食糧問題がすぐ頭に浮かびますが、ごみ問題も深刻とは。 景観の美しさが損なわれると、いずれは人々の心の荒廃をもたらすかも。 しかも、それに日本が加担していることに。 トラック諸島。 かつて日本が委任統治していた時期が。 そして海軍の一大拠点に。 第2次大戦ではアメリカ軍の大規模な爆撃も。 現地の人々に多大な被害をもたらしたのでは。 今も各地に旧日本軍基地の跡が残っているそうで。 今度はごみ処理で、日本が現地の人々の美しい暮らしを守ることに貢献しては。 トラック諸島はダイビングで有名な観光スポットだそうですし。 新しい日本の首相は「美しい国」と盛んにおっしゃっているようなので、日本の政府が率先して南海の美しい国々の暮らしも守って頂きたいような気がするのですが。 東京・葛西臨海水族園からの眺め。 8 白川静氏。 漢字を学ぶには必須といわれた「白川文字学」。 2004年には文化勲章を受章。 最後の「碩学」とも。 その白川氏、決して順風満帆な人生ではなくて。 不遇ともいえる日々を乗り越えての偉業。 白川氏の人生を少し。 生まれは福井市の貧しい商家。 尋常小学校卒業と同時に「丁稚奉公」に。 かわいそうに思ったお父さん、別れぎわに、栄養がつく、と牛乳を一本飲ませてくれたそうで。 代議士の事務所で、玄関横の門番のような、書生のような生活を。 その代議士、漢籍(漢文の書物)にくわしかったそうで、代議士が書く手紙には漢詩や漢文がたくさん。 白川少年、その原典を調べるのが日課だったとか。 それが漢字との出会いのよう。 代議士宅にはたくさんの漢文の書物が。 コピー機などない時代。 手で書き写し続けたそうで。 夜間の学校から大学も立命館大学の夜間部へ。 学生時代は古書店通い。 書店の漢籍を写し続けるために。 あまりの熱心さに古書店主も目をつぶってくれたとか。 徐々に研究成果が。 世に問うほどに。 でも普通の漢字だけでなく、古代中国の文字がたくさん使われる研究。 出版社が難色を。 白川氏、「ガリ版」の原紙に自分で鉄筆を持って。 何万もの貴重な資料が「謄写版刷り」という簡素な印刷物で。 白川氏の研究姿勢。 氏の学問には人間があった、とのこと。 「愛」という字について。 膨大な古代文字の研究にもとづいての結論。 後ろを振り返りながら立ち去ろうとする人の体から、心臓が飛び出した形、との説明が。 文字一つにも生きている人間のドラマ、生活を見出そうという姿勢。 人間を見る温かさがそこに。 中国の孔子の研究『孔子伝』。 神のような孔子ではなく、挫折し、所を追われ、それでも信念を説きつづける人間としての孔子を描き出したとのこと。 少なからぬ批判が。 でも新しい仕事というのはそんなものでは。 自説はゆらぐこともなく。 白川氏、ある時こんなことを。 「人間は傷だらけの経験をせんと、精神や思想は後世に残らんもんよ」。 人類に残すべき精神や思想をみずからの力で獲得した人。 一介の商人の家に生まれ、若き日に偶然のように漢字と出会い、その漢字に生涯を。 しかも不遇や批判に傷つきながら、前へ前へと生き抜いてこられたようで。 でも、だからこそ、人間を温かく見つめる視点をいっそう大切にされるようになったのかも。 不遇やつまづきや無理解や。 いわれなき中傷やいじめも。 でも、それでも前へ進み続けるのが人間かも。 それを乗り越える事ができた時、人は優しくなれるのかもしれません 06. 8記事に追記。 96歳。 和室の雰囲気がやわらいで。 立川・昭和記念公園の日本庭園で。 7) 立体絵本というのが。 絵に切り込みが入れてあって、片方のページを垂直に立てると、絵が立体的に浮き上がる仕掛け。 浮き上がる瞬間のわくわく感は大人でも楽しいもの。 それをハガキにした人が。 絵柄はアートな町並み。 「町並みはがき」。 愛らしい色使いで下町の様子を。 切り込みに沿って折り曲げると建物が立体的に浮かび上がる仕掛け。 工業デザイナーの山岡進さんの作品。 郵便関係の博物館(逓信総合博物館)の専門家が一目ぼれしたそうで、このハガキを博物館で扱う事にしたそうです。 4種ずつ2セットあって、それぞれ1260円。 ふつうのハガキより高めですが、ほのぼのとした優しい図柄、小さな立体絵本には、心のこもったあいさつが似合いそう。 もらった人は特別な感じがするのでは。 山岡さんの作品には、紙を切り張りして細かく作りこんだ季節のあいさつ状「起こし文」というのも。 もらった人が手紙を開くときのわくわくする思いを大切にしたいとか。 読んだ後も飾って楽しめるように、開くと立体的になる手紙を作り始めたそうです。 手紙を差し出す相手への心遣いが「起こし文」や「町並みはがき」を生んだようで。 インターネットを通じたメールや携帯通話の便利さもよいですが、そうしたなかで、こうしたレトロな味わいのあるもの。 格別の心遣いが伝わるのでは。 恋人や大切な家族や友人に。 思えば、文字を書く、というのも、上手・下手は度外視してアートな営みでは。 丁寧に書けば、文章の内容とべつに思いは伝わりますし。 パソコンを使うにしても、フォントの選択やレイアウトに工夫を凝らせば、それなりに伝わるものが。 人への心遣いそのものがアート、といえるのかも。 年賀状や季節のごあいさつに一工夫したくなるのが人情では。 そんな時、「町並みはがき」のようなものがあると、相手への思いが伝えやすいかも。 ほのぼのとしたものが。 江戸東京たてもの園。 7) ベッキーさん。 ある連続TVドラマで初主演を。 容姿に絶大な自信をもち、あらゆる男性の注目の的と勘違いしているリリという女の子の役だとか。 原作はマンガ。 ラブコメディーだそうで。 丸い顔立ちに大きな目、バラエティー番組で見る明るいキャラのベッキーさんにぴったしのよう。 ご本人。 プラス思考なところ、人のために何かしてあげたい、という性格は同じだそうで。 リリという女の子。 家族に愛されて育った子では、と。 リリよりは周りは見えてると思う、と念のために。 マンガ主人公と現実の人間が、同じ性格のはずはないのですが、そんなことを言ってしまうのもベッキーさんらしい感じ。 家族の皆さんとたくさんのペットたちとの穏やかな時間が大切とのこと。 他人がキレるのを見るのが何よりつらいとか。 撮影中、みんながハッピーかどうか、とても気になる様子。 差し入れをしてあげて、食べてない人がいればお菓子を持っていく、というほどの気の配りよう。 カメラのコードが絡まると自分から手を出して。 人任せは苦手とか。 ホームページは文章も扉の絵も自分で。 器用な人なのかも。 芸能人にはタレント活動にとどまらず、本格的な絵描きさんだったり、手芸のテレビ番組で先生として生徒に手ほどきする人、ダンスの世界選手権に出場する人も。 さすが芸能人といったところ。 ベッキーさんも、ぼーっとしている時間がないそうで。 ハッピーの源をたずねられ、感謝の気持ちを忘れずにいること、と即答。 ベッキーさんの愛されるキャラクターのわけが納得できたような。 ベッキーさんの明るい雰囲気に合った、テンションの高い役が多いようですが、殺人犯の役とかもやってみたいそうで。 「イメージやジャンルを決めないで、いろんな世界をつまみ食いしたい」とのこと。 若いベッキーさん。 芸能人として芸幅をどんどん広げていきたいというのも、とてもプラス思考では。 テレビ番組に出演している姿だけでは、わからない面が多い芸能界の人たち。 筆者など、ただにぎやかな人、という印象が強かったベッキーさん。 そんな優しい人がらだったとは、とちょっと意外な感じ。 新聞に、しゃがんだ姿の全身像が大きく。 灰色のきれいな目でじっとこちらを。 カメラマンの心の中がハッピーかどうか気になるような澄んだまなざしで。 これからはベッキーさんを見る目が少し変わりそう。 それこそプラス思考で、ゴシップのようなニュースや記事はほどほどにして(視聴率や読者の関心も経営上大事でしょうから、無くして、とは申しませんが)、そんな芸能人や有名人のステキな素顔をどんどん紹介して欲しいものです。 6) 電車で。 幼い二人のお子さんを連れたお母さん。 3ヶ月のお子さんはだっこ、2歳のお子さんは手を引いて。 大きなかばんも。 立って乗っていたそうで。 前の座席には派手な格好の若い男性。 足を投げ出して大声で友だちとおしゃべりを。 そんな男性が席を譲ろうとしてくれたそうで。 でも遠慮を。 若いお母さんの思いを少し。 新聞のコラム記事から。 お母さん。 子どもを連れているとき、なるべく座席の前に立たないようにしている、とのこと。 「席を譲らなければ」という気持ちを起こさせては申し訳ない、と遠慮をしてしまうそうで。 子どもは立たせたままでよい、という考え方なのかも。 自分は若いし、ということでは。 でもその日は息子さんが疲れきっていたそうで。 ひとつ空いた席に息子さんを。 となりが派手な若い男性だったとか。 まさか席を譲らないだろう、と思い込んでいたんだそうで。 男性は「どうぞ」と席を立ってしまったとのこと。 混乱してしまったお母さん、座ると赤ちゃんが泣くから、と遠慮を。 本当は座りたかったそうで。 疲れていたし。 男性はそんな気持ちを察してくれたのでは、とお母さん。 男性、恥ずかしそうに座りなおしたそうで。 友だちにもからかわれて。 断られるといづらくなるし、席を譲るには勇気が、とお母さん。 「親切にこたえられなくてごめんなさい。 でもあなたの一言で、座って休む以上に元気がでましたよ」と心の中で感謝を。 筆者、高校生のころブラスバンドに。 あるときトランペットのケースとかばんを抱えて満員電車に。 立ったままで。 目の前に座っていた若い女の人が見かねてケースを持ってくれたことが。 でも座って持っても大きくてかさばって。 となりの人にも迷惑を。 20分ほどの乗車時間。 ありがたかったけれど、とても申し訳なくて。 高校生だった私。 自分で持ちます、と言い出す勇気もなくて。 若いお母さんのような心遣いをする人は少なくないのかも。 そして席を譲ろうとした若い男性のような人だって。 譲る勇気がなかったり、はずかしかったり。 「近ごろの若者は」といわれがちですが、見た目とはうらはらに心優しい人たちも。 席を譲ってもらえなくても、そんな思いの人たちもきっと近くにいるのでは。 感受性豊かな年代の若い人たち。 個性的なファッションの若い人たちが時どき。 見とれてしまうような事も。 でもだからといってこころの中まで自分中心というわけではないはず。 コラム記事のお母さん。 このお母さんだって32歳の若さ。 とても優しいこころをお持ちのよう。 コラム記事。 優しさに満ちたアートのように感じてしまいました。 ともあれ、若い人たちの善意はなかなか気づかれにくい世の中なのかも。 どうか小さな親切でも、そんな若い人たちの優しさがかき消されてしまいませんように。 5 プロ野球の投手。 22年間で215勝。 平均すると、ほぼ毎年10勝近くを22年間もあげ続けたことに。 村田兆治さん。 1990年に引退。 引退した翌年、離島の小学校へ講演に。 人口は380人。 小学校の全校児童はわずか15人。 講演後、子どもたち全員を校庭へ。 打席に立たせ全力投球を。 球速は軽く140キロを超えていたそうで。 子供たちから手紙が。 「立派な漁師になります」。 「無医村なので看護婦になりたいです」。 村田さんが投球にこめた思いは子どもたちにしっかり伝わっていたようで。 教育現場の荒廃と、プロ野球選手と離島の子どもたちのこころの通った交流と。 村田さんの思いを少しだけ。 村田さん。 小学校5年生のとき。 お父さんと広島市民球場でプロ野球を初めて。 鳥肌が。 その時の夢がプロ野球選手への道を決めたそうで。 離島の子どもたちとの交流で気づいた事が。 都会から遠く離れた辺境の島には、日本人が忘れかけた夢を語る子どもたちがいる、と。 ファンへの恩返しに、手弁当で全国の離島を回ろう、と決めたとのこと。 おれの勝利数くらいの島へ行けないか、との思いも。 15年間で回った離島は延べ100以上。 行けば必ず子どもたちに豪速球を投げるんだとか。 ある島での別れぎわ。 村田さんが乗った船を子どもたちが漁船で追いかけて。 遠くで「村田さん、さようなら」との叫び声をあげながら次々に海に飛び込みを。 白い水しぶきがいくつもいくつも。 感動したそうです。 「漁師になる」と書いてきた少年。 東京の大学へ。 でも島に戻っても職がなかったそうで。 フリーター生活が何年も。 20歳半ば、都内の鮮魚店でやっと職を。 今は夜遅くまで魚をさばく日々だとか。 かつての少年いわく「村田さんは私を立たせて豪速球を投げ込んだ。 小学生を相手にそんなことをする人はいない。 」 本物に触れる機会の少ない子どもたちに、本物のすごさを見せたかったのでは。 「看護婦になる」と書いた少女。 中学校の修学旅行で東京ドームで村田さんと再会。 村田さんから名前を呼ばれ、忘れていないんだと興奮したとのこと。 村田さんからもらったサインボールは「人生先発完投」。 生涯努力・挑戦の、夢を追い続ける人生であってほしい、との思いが込められているようで。 村田さんの離島めぐりによく付き合う人が。 やはり元プロ野球選手、福本豊さん。 この人も13年連続盗塁王を獲得した超人。 4年前、身体障害者の野球大会を甲子園で実現。 「車イスやギブスの子を見ていると、現役で大きなケガもせずに活躍できたのも、この子たちが身代わりになって守ってくれたおかげ」と感謝の思いを。 努力の人は、なんと心優しいことか。 筆者など両元選手の爪のあかを頂きたいような思いに。 離島交流少年野球大会というのが。 村田さんの熱意で2005年から始まったそうで。 2006年開催予定だった長崎県の島・壱岐(現在壱岐市)。 台風の直撃で今年は中止になってしまったそうですが。 村田さんの夢。 離島甲子園の開催とのこと。 心優しい努力の天才野球選手たちと、こころ清らかな子どもたちの交流。 何か、教育の原点を見ているようで。 都会を離れた離島などに、これからの教育が目指すべき姿があるのかも。 そして本当に努力の尊さを知る人こそが、子どもたちの心を知ることができるのかも。 野球に限らず、大人が何かで本物の人間になること。 一流の人間になること。 それこそが教育の原点では、ということを思い知らされたような、村田さん、福本さんの子どもたちとの交流でした。 清らかな緑。 立川・昭和記念公園。 4 「だっこ」が宿題とお子さんから聞いたお母さん。 ほんとなの?と。 本当とわかって、子供たちを思って下さる先生への感謝の思いとともに、子どもたちを取り巻く現実の厳しさへの実感も。 あるお母さんの投稿記事から。 「宿題」だからだっこして、と親にお願いしなければ、だっこしてもらえない子もいるのかも。 「宿題だから」と頼まれてやっと我が子を抱き上げる親もいるのかも。 そんなことを思われたようで。 痛ましい子どもへの虐待や自殺の報道がひんぱんに。 子ども同士のいじめに不登校に。 先生からのいじめさえ。 子どもたちだけでなく、先生を取り巻く現実の難しさも。 教師になる夢を果たした若い女性教師。 なのに、先生になってわずか数ヶ月で自殺に追い込まれた小学校の先生も。 お母さん。 胸が締めつけられるようだった、と。 お子さんは小学校一年生。 ご長男だそうで。 仕事から帰ったご主人に、だっこしてもらえたんだとか。 ニコニコ顔の我が子を見て、温かい幸せな気持ちになったそうで。 「ママにこうしてもらうと安心する」。 お母さんに抱きしめられて子どもさんが。 お母さん、忘れられないそうで。 家庭が子どもたちにどれだけの安心感を与えられているだろうか、との疑問も。 だっこの宿題は親自身への宿題のような気がした、とも。 お母さん。 38歳の方。 想像力豊かな優しい人柄が文章から。 父親には代わることができない母親の愛情。 我が家では。 父親からすると、叱っているような感じがすることも。 でも母親にしっかりだっこしてもらっているときの満ち足りた表情。 せめて家庭が子どもたちにとって安心できる場所であってほしい、との願いには切実なものが。 いじめや不登校を克服して、タレント活動をしたり、文学賞を受賞した若い女性も。 きっと温かい愛情で支えてくれた人たちが周囲に。 大人たちがストレス社会でくたくたなのも現実かも。 子どもにまで気配りする余力がない、という人たちだってきっと。 思うことは、そんな現代社会のなかで、何かアートにできることは。 子どもたちをだっこしてあげたくなるようなマンガやゲームや。 大人たちが子どもたちとやなんかも思い浮かんで。 広い意味で、大人も子どもも、こころを豊かにしてくれるもの。 それがアートでは。 そんなものが世の中に少しずつでも増えてくれたら。 アクション映画やホラー映画もよいけれど、ひところはやったたまごっちや。 闇が深いだけに、こころを温めてくれる文化が広がってくれることを願っているのですが。 動物たちとの心あたたまる交流。 3 動くのを見るのは楽しいんですよ。 旭山動物園副園長さんの話。 動物と観客の距離が近くて両者の間でコミュニケーションも。 観客をえさと間違えてダイビングしてくるシロクマくん。 なわばりをあらす侵入者として観客をからかうチンパンジー。 さて、そのからくりは? 北海道・旭川市の旭山動物園。 東京の上野動物園の入園者数を2004年夏に抜いたとか。 昨年度は年間200万人以上。 今年度は250万人を超えるのでは、との声も。 筆者はテレビで何度か。 ペンギンたちの愛らしい園内パレードが目の前を。 動物の生態に詳しい専門家ならではの発想で、動き回り、じっとしていない動物たちを見せて観客を楽しませる努力に感服。 秋ごろから我が家の庭で、放し飼いをはじめたアヒルのミク。 寝ているときもありますが、だいたい、家の周囲をいつもあちこち歩き回って。 雑草を食べたり、ヘラのようなくちばしで泥んこ遊びをしたり。 衣装箱プールで水遊びも。 縁側のガラス戸ごしに時々白い姿がゆっくり横切っていくのが見えて。 庭に出て近寄っていくと、驚いて離れたりもしますが、そっと近づくと寄ってきて。 家の中に戻りかけるとガァガァとついてきて。 最初のころは、人恋しいのか縁側に座り込んで。 ガラス戸ごしに居間にいる私たちをじっと見つめる日々が数日間。 副園長さんの話を聞いて、コミュニケーションや、放し飼いで動き回る姿にひきつけられている事を改めて実感。 これは実に楽しくて。 動物園の動物は安全とエサが保障されて動かないのが当たり前、とのこと。 でも旭山動物園では。 最初に書いたシロクマくん。 プール越しながら、観客の頭の先だけが水面の上に。 エサのアザラシの頭と間違えて、観客めがけて豪快なダイビングを何度も。 びっくりしながら大喜びの観客。 クマのほうが観客のすぐ前まで行ける獣舎も。 強烈なパンチを強化ガラス越しにくらったり。 「プーさんは本当は怖いのよ」と、あるお母さんが楽しそうにお子さんに。 アクリルチューブを通って獣舎に侵入してくる観客。 チンパンジーがチューブに飛び乗って上からバンバンとやるんだとか。 こうなると、どっちが楽しんでるんだかわからない感じも。 パンダなど、めずらしい動物がいるわけでもないのに、動物園がこんなに魅力的に。 それなら、美術館だって、有名なアーティストや名作なんかなくたって、人が集まってしょうがないシステムができそうなものでは。 アートの場合は生態ではなくて、作品の生い立ちや歴史などから展示方法を考え直してみたら。 いわば生きているアート。 アートは動かないものがほとんどだけれど、動いているように見える工夫もできるかも。 ある美術館で体験した事。 チェロの「白鳥の湖」の生演奏を聴きながら鳳凰(想像上の鳥)を描いた屏風を見ていたら、なんだかほんとに生きて羽ばたきそうに見えてきたことが。 何人ものお客さんの感想にもそんなことが。 ふるい中国陶磁の大きな花瓶に、精巧な造花を活けてみたら、花瓶に描かれた鳥が飛び出してきそうな感じがしてきたことも。 動くもの、動きそうなもの。 旭山動物園の動く動物たち。 楽しさからすれば、アートそのもののようにも。 サーカスの楽しさは人工的なものだけれど、旭山動物園の楽しさは、自然に近い状態を人間が上手に再現している、と見る事も。 動くものを見る楽しさ、こころが通い合う楽しさ。 それは動物園も美術館も変わらないのかも。 ただ働いて稼いで食べて寝て、だけでは人は生きていけなくて。 人生には楽しい時間が必要なのでは。 動物園にならって、大勢の人たちが、美術館で人生の楽しい時間を豊かにすごせるようになったらいいな、と思った旭山動物園のお話でした。 06年初秋。 2) DC10。 380人乗りのジャンボ機。 それを改造して山火事の消火専用機に。 赤い消火剤を機体のおなかから散布しつつ低空飛行する映像がテレビで。 じっさいの山火事消火ではなく、デモ映像だったので何か航空ショーを見ているような錯覚に(本当の航空ショーだったのかも)。 機体は赤を基調にしたデザイン。 美しい光景でした。 消火剤の積載量は50トンとか。 ヘリコプターの3〜10倍も。 これまですでに数回出動し、効果をあげているそうです。 場所は山火事が頻発するアメリカ西海岸のロサンジェルス。 ジェット機を消火に使う、というのはやっぱりアメリカらしいお話。 発想といい、規模といい、お金の使い方といい。 機内の映像も。 もともと多数の旅客をのせる広いスペース。 機体を軽くするためにまったくのからっぽの空間。 地上に駐機中には何かに使えそう。 緊急出動ができる体制が必要でしょうから、目的外使用はムリかも。 でも、よそでは見られない特殊な空間なので、とても印象に残りました。 床はやはり軽いジュラルミン製なのかピカピカに光ってて。 まるでアートそのもの。 パイロットもテレビに。 消火剤散布は量(ノズルの開き具合)も散布時間(ノズルの開閉時間)もすべてコンピュータ制御だそうで。 パイロットは安全に飛ぶことに専念できるよう。 無人のジャンボジェットを操るのはどんな気分がするものか。 山火事の上空を飛ぶのはけして生やさしい仕事ではないでしょうけれど。 ピカピカの広々とした床。 かまぼこドーム型の何もない空間。 ずらりと無数にならんだ小窓。 どうも頭に焼き付いて。 そんなだだっ広い空間をほおっておくのも、アメリカらしい感じがして。 やっぱりアメリカのモダンアート以外ではありえない感じがしたジャンボジェット消火飛行機の映像でした。 空港展望台で間近に見るジャンボ機は、轟音にも旅情が感じられるようでした(タイトル、記事とは直接関係はありません)。 1) 結婚したばかりの29歳の奥さん。 ご主人は超多忙で帰りは毎日終電で深夜の帰宅。 ご主人の健康が気がかり。 会話をする時間さえ。 若い奥さんの知恵に感服しました。 ある新聞のコラム記事から。 6時10分。 毎朝おにぎりをひとつ。 深夜の夕食は胃に負担が。 朝は食欲がなくても、仕事中に食べられるからと。 深夜の夕食は主食のごはんはナシに。 豆や野菜中心のおかずだけ。 おにぎり。 お米を炊く水を多めにすると、夜までぱさつかない、との知恵も。 夏はショウガご飯、梅干しやシソ入り、根菜ご飯、チリメンジャコにヒジキなどの具をおにぎりに。 具を考えるのが楽しいそうで。 新婚とはいえ、とても優しい奥さん。 さすがに会話を交わす時間が少ないのはさびしいそうで。 でも「おいしかった」の一言がうれしいとか。 それと、不規則な生活と働きすぎのご主人の生活。 ちゃんと食べてくれているとわかって、少し安心感も。 夜おそくまで働いてくれるご主人に感謝、とも。 我が家は結婚してかれこれ15年以上。 思えば毎日ちがうメニュー。 これは私がやるとしたらとんでもない頭脳労働。 帰宅時間がまちまちだった10数年間は、食事の用意のすばやさ、手際のよさに舌を巻く思いも。 レンジが日常化してからは温めればおいしく食べられるメニューを上手に。 麺類好き(特にラーメン)の筆者。 でもコレステロール高めの体質には良くないようで。 偏らないように野菜類や魚類をバランスよく。 子供たちが育ってそれぞれに好みが。 家族全員がちがったメニューだったことも。 これは子供でも大変さがわかるようで。 仕事のストレスで会話をかわすことさえおっくうになってしまっていた数年間。 愚痴もいわずに子供たちを愛情豊かに育ててくれていた奥さん。 ちゃんと感謝をしないと。 新婚の若い奥さん。 ご主人の忙しすぎが心配ですが、きっとステキな家庭を築かれていくのでは。 最近はやりのアート弁当。 子供さんが生まれたらあるいはそんな工夫も。 ともかく賢い奥さん方の無償の愛情と労働が世の中を支えている事は確か。 筆者を筆頭に、男性方が奥様方に感謝の思いを忘れないようにしたほうがいいような。 父親のそんな思いは子供たちにも伝わる事でしょうし。 仕事中心になりがちな筆者。 奥さんの存在の大きさ優しさに、改めて気づかされた若奥さんのコラム記事でした。 横浜、06年10月。 30 新庄選手の引退によせてもう少し詳報を。 「頂点に立てたら死んじゃう」と話していた人が最後に頂点に立てたんだとか。 死なないで! アメリカ大リーグ移籍後、不振でマイナーリーグにいた時期が。 早朝からのバス移動は10時間も。 「でも、みんなとワイワイ。 こんなに野球が楽しいのは、子どものとき以来」。 これは名言。 5年で12億の条件をけって2200万円の年俸でアメリカへ。 「おれほどやりたいことをやった人間はいない。 こんなやつがいてもいいじゃん」。 そんな人がいないとだめじゃん! 「これからはメジャーでもセ・リーグでもなくパ・リーグです」。 そんなことが言えて、その通りにできるのは新庄選手ぐらいでは。 引田天功ばりの派手なパフォーマンスの訳がわかりました。 高さ50mの札幌ドームの天井から空中ブランコで降りてきたことも。 危険すぎて体が資本のプロスポーツ選手のやることじゃないでしょうに。 そこまでやってパ・リーグの時代を築こうとしていたのかも。 「ファンのために選手個々がいろいろなことを最初にやる勇気を持ってほしい」。 これも名言。 野球界に限ったことではなくて。 涙が出てきて止まらなくなりました。 北海道は巨人ファンばかりといわれていたとか。 でも札幌ドームの開幕戦。 実数発表で初の4万台だったとのこと。 1回から9回までファンばかり見ていたそうで。 やり遂げた、との思いで4月18日に引退宣言を。 そうでしたか…。 一度も打率3割を打ったことがないそうで。 でも17年間使いつづけたグローブ。 大切にして他人には触らせなかったそうで。 優勝して涙にくれる新庄選手の写真が新聞に。 こんな美しい新庄選手は見たことがありません。 「あとは新庄らしい生き方を楽しみたい」。 きっと自分が楽しむだけじゃなくて、ファンも楽しませてくれるのでは。 夢を追いつづけた人がまた一人。 夢を追い続けることの素晴らしさ、価値を、身をもって教えてくれた人がここに。 新庄選手のおかげでいっしょに夢を追い続けようと思った人はどのくらいいることでしょう。 そんな人生でありたいもの。 そんな人になりたいものです。 28 日本シリーズで勝って、44年ぶりに日本一に輝いた北海道日本ハムファイターズ。 シーズンはじめに早ばやと今期を最後に引退を表明していた新庄選手。 最高のかたちでの引退となりました。 17年間の現役生活だったそうですが、ごくろうさまでした。 そして、おめでとう、新庄選手。 シーズン中は、随分派手なパフォーマンスで観客を楽しませてくれた新庄選手。 奇怪な怪獣のお面をかぶったりスパイダーマンに扮したり、引田天功ばりの大掛かりなイリュージョンであっといわせてくれたり。 その上、チーム優勝まで。 引退の記者会見には17年間愛用してきたグローブとともに。 体力の限界だよ、とグローブが教えてくれていたんだとか。 これからの新庄選手。 現役を引退しても新庄剛志は新庄剛志だ、とも。 夢を追い続ける人生でありたい、というようなことばとともに。 これまでどおり、みんなをあっといわせる存在であってほしいもの。 一時、大リーグにもいた新庄選手。 否定的に見られていた時期が。 それほど活躍する機会は多くなかったかもしれませんが、大リーグで得てきたものは大きいのでは。 人生は挑戦の連続でありたいような。 でも最後の優勝は本当によかったと思います。 これまでの人生で一番になったことなどなかったと、優勝決定後にぽつりと。 優勝を決めた試合。 最後のバッターボックスでは涙が止まらなかったそうで。 敵軍の谷繁選手から「泣くな。 まっすぐしか投げないから」とまで。 三振かホームランしか考えていなかったとか。 じつは守備中も涙で目がかすんで、自分のところに打球が来たら取れなかっただろうと試合終了後に。 現役で仲間と戦える最後の公式戦、という思いがこみ上げてきたそうで。 新庄選手らしい熱いところが如実に。 ある政党から出馬の打診もあったりしているようですが(本人はその気はないようで)、どのような世界に進むにしても、新庄らしいパフォーマンスで楽しませてくれるのでは。 大きな越前クラゲがたくさん魚網にかかって網を傷めたり、漁獲に悪影響するなど漁師泣かせの大量発生ばかりが報道されて。 寿司ネタにして食べる方法が模索されたり。 見た目と違って美味しいようで。 その越前クラゲの知られざる側面を海洋生物学者がテレビで。 意外にもアジの成長を助長している面が。 さて越前クラゲとアジのもちつもたれつとは。 テレビで見た海洋生物学者。 たしか京都大学の人だったようで。 東京大学に比べ、京大は個性的な研究が多いような気がしていましたが、やっぱりテレビの海洋生物学者も目の付けどころが少し。 アジは数センチの小さなものから数十センチのものまでが数匹づつクラゲの傘の下に群れていたそうで。 何をしているんだろう?といったところだったよう。 実はクラゲはプランクトンを食べて成長するそうですが、アジとしてはクラゲが集めたプランクトンをまとめて頂いたほうが(クラゲの胃?をねらっているようで)、自分で集めるより効率がよいそうで。 越前クラゲと一緒にいるアジのほうが成長が早い事が実験で実証されたそうです。 とてもわかりやすいグラフのデータを示しながら海洋生物学者が説明を。 ただ、アジといえどもクラゲの触手に触れるとさされるそうで、体表がただれたアジがときどき。 なので一匹よりも複数でいたほうが触手に触れる機会が減るので群れるのでは、というのが学者の見解。 大きな魚に襲われるのを防ぐために大量に群れるにしても、だだっぴろい大海のなかで小さな稚魚同士が出会うより、大きな越前クラゲを目印にしたほうが群れやすい、とも。 アジの天敵となる大型の魚がいる海域では、数cmから70cmにもなるアジが越前クラゲの傘の下に寄り添っていたそうで。 そして越前クラゲの日本海北上といっしょに、アジも成長しながらプランクトンがより多く得られる北の海域へと北上。 生物学者も潜水調査の際には越前クラゲにさされながら調査をするそうで、アジの気持ちも察しながらの研究のよう。 面白いような気の毒なような。 エサの得やすさ、群れやすさと、さされる危険。 学者の立場からすれば、アジの成長を助長しているメカニズムが明らかになっていく快感、潜水そのものの楽しさ、それとクラゲにさされる痛み。 一方で、クラゲを食べる魚も。 サバやカワハギはクラゲを食べるそうで。 これら魚たちにクラゲを食べさせてクラゲを減らし、魚を大きく育ててから漁獲すれば一石二鳥とも。 学者の発想で思った事。 敵を知る事、というよりも悪者と決めつけないで、どんな暮らしをしているのかを知る事で、人との共生の発想が生まれるようで。 ところで最近、核開発などを行った国が。 単に悪者扱いされやすい国際政治の世界。 生物学者のような発想が、政治の世界にも生かせないものでしょうか。 きっと、経済や食物、交易の世界ではもちつもたれつの面も。 アートとは関係がないのですが、生物学者とクラゲや魚たちの関係にもそんなものが感じられて。 筆者の仕事も、アートの研究でアートに貢献しつつ、アートのおかげでお給料が頂けている、という面が。 何事もひとつの価値観だけで判断せずに、もっと広い視点をもちましょうよ、という生物学者の発想は、とても大切な感じがしました。 神奈川・八景島シーパラダイスで。 最近は職場でも普段はノーネクタイの人が。 筆者もその一人。 でも機会に応じてネクタイを。 お客様の応対時や会う相手、出席する集まりによっては。 ネクタイを締めると、よそ行きの気分に。 さあ出かけるぞ、との気合も。 たくさんある中でお気に入りのデザインのネクタイが数本。 そればっかり。 擦り切れるまで。 さてネクタイのはじまりなど。 ネクタイは17世紀に東ヨーロッパの国クロアチアの兵士が着けていたのが最初とか。 妻や恋人からお守りの意味を込めたものだったそうで。 でもそのころはスカーフみないな感じだったとのこと。 それをフランスの王様が気に入って広めたんだそうです。 それもおしゃれなフランスらしいところかも。 ネクタイが今のかたちになるのは19世紀。 イギリスの上流貴族の社交の場だった競馬場でのこと。 イギリスの競馬といえば、あのオードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」の有名なシーンが思い浮かびます。 確か20世紀初頭のビクトリア朝のスタイルを忠実に。 あの雰囲気とあまりちがわないのでは。 映画の印象的なシーン。 目の前を駆け抜ける騎手めがけてオードリーが「ケツをひっぱたけ」と思わず叫ぶ場面。 社交界の着飾った華やかさ。 もちろんオードリーも。 でもそんな言葉さえもオードリーの美しさをいささかもそこなわず。 場違いの激しさに、おなかを抱えて笑い転げてしまう場面。 逆に社交界の貴族たちの気取った様子の滑稽さが際だつ面も。 そのオードリーの言葉を聴いた青年が恋に落ちて歌うのが「君住む街角」。 その青年がどんなネクタイを締めていたかは覚えていないのですが(気になる方はDVDなりでご確認を)、ともあれあの社交界の雰囲気の中で生まれたのが今のネクタイだったことに。 日本では明治以降の洋装化の流れの中で徐々に。 でも第二次大戦中は敵国の装いとして販売停止だったとか。 戦後復活し、1966年からは「父の日」キャンペーンもあって普及したそうで。 ファッションエッセイストによると、ネクタイは紳士としてのパスポートだとか。 でもネクタイを締める男性は二つのタイプに分かれるそうで。 一方は「男の制服」なので仕方なく。 もう一方はスーツを着たときに唯一自己主張ができる場と考えて色やデザインを工夫するタイプ。 でも筆者は両方に属するようで。 着けるときは仕方なく。 でも何でもよいわけではなくてお気に入りだけ。 ただし擦り切れても気づかずに着けるので、とても自己主張などとはおこがましくて。 ついでに蝶ネクタイのお話もちょっとだけ。 学生時代のバンドマンのアルバイトで。 蝶ネクタイを一年ほどユニフォームとしてステージで。 それと美術館時代。 美術館でのサロンコンサートの司会で。 演奏者が華やかなドレスやタキシードで盛装するのに、ビジネススタイルでは失礼と考えて。 再びステージに立つことがあればやっぱり蝶ネクタイをつけようと思っています。 美しいものを語るのが仕事なので、人前でのファッションには気を使うべき、と思うのですが、ふだん家では郷里の博多弁をつかうのと同じで…(具体的な姿はご想像にお任せします)。 でも、今のネクタイがあの「マイ・フェア・レディ」の雰囲気の中で生まれたというのを想像するのはなかなか楽しいことでは。 今度からネクタイを締めるときはあの映画のシーンが思い浮かびそう。 ネクタイで仕事をしていて不愉快な事があったら、オードリーにならって「ケツを…」と心の中で叫んでみるのもいいかも。 少しは気分転換になるかもしれませんよ。 新宿駅ビル・SHUNKANにて。 不穏な軌道上を動く天体が。 地球に接近しつつあって、いずれは地球に衝突することが判明。 さて科学者たちの対応は。 妖星ゴラス。 大きさは地球と月の間ぐらいだったような。 赤く輝きながら近づく妖星は、日に日に大きさを増しながら夜空に不気味に輝いて。 科学者たちの対応。 地球上に無限にある水素。 これを燃やして地球そのものをロケットのように動かして、妖星の軌道から外れる、というもの。 確か、南極に、水素を燃料にした巨大なジェット噴射装置を建造して。 今考えればものすごい環境破壊や、地球温暖化をこえて地球高熱化を起こしそうなアイデア。 でも当時としては子どもだったこともあって、何だか現実に起こったらありえそうな話に思えて。 時代を感じさせる宇宙科学ホラー映画。 妖星の異様な引力か放射能の影響か、噴射装置の建造中に巨大なセイウチがあらわれて高齢の生物学者があまりの巨大さに驚いて釘付けに。 生物学者を演じていたのは志村喬(で主役格の勘兵衛を演じています)。 映画「妖星ゴラス」で唯一覚えている出演者です。 衝突の寸前に、南極大陸全体からの、ものすごいジェット噴射で地球が本来の軌道から移動。 すんでのところでゴラスをかわすシーンが記憶に鮮明に。 テレビで再放送したりDVDがあってもいいような面白い映画だったのですが、映画で見たっきり、友人に話しても筆者のまわりには誰も見た人がいなくて。 あまりに荒唐無稽ということなのかも。 今なら妖星のほうを、地球に近づく前に何らかの方法で爆破してしまうというアイデアが現実的では。 宇宙空間であれば核爆弾を使ってもよいのかも(だって太陽は核反応で燃えているんだし)。 子どもの頃、甘辛い豆菓子があって、表面に亀裂がはいっててその亀裂が赤かったり緑だったりで妖星ゴラスにそっくり(今も駄菓子屋あたりにはあるかも)。 最近の宇宙科学や環境保護のことを考えていたら、ふと思い出した映画「妖星ゴラス」。 アメリカ大陸には巨大な隕石がぶつかってできたらしいクレーターがあったりするようなので、可能性としてはありえるのかも。 筆者は非核主義者ですが、そんな空想にふけっていたら、あるいは核爆弾の製造方法ぐらい人類が知っておくのは悪くないのかなぁと思ったり。 でもそんなことを空想できる妖星ゴラス。 近年の子どもたちの科学離れにはとても刺激になっていいような気もするのですが。 2006年9月、東京。 太平洋と大西洋を結ぶ運河。 スエズ運河と並ぶ長大でスケールの大きい運河。 このほどパナマ共和国で運河拡張の是非を問う国民投票が。 圧倒的多数の賛成で可決。 現在2レーンある運河に、それよりさらに大きな船舶が運航できる3つ目のレーンが2014年に。 完成すると、船長366m、船幅49m、喫水15m(現在はそれぞれ294m、32m、12m)の巨大船舶が航行可能に。 中国の焼物史の勉強を通じて、中国広州からマレー海峡を通じてアフリカにいたる壮大な海のシルクロードとよばれる海運史を学んできた筆者としては胸が踊るようなニュース。 中国の歴史書によれば、8世紀ごろにすでに長さ300mで1000人以上も乗れる木造船舶が建造されていたことに(技術的に可能だったのかどうか疑問は残るのですが)。 船舶労働者にはアフリカ人がたくさん乗っていたようなのです。 当時は季節風を利用した帆船による航海。 中国では船の上で野菜を育てたり動物も飼っていたそうで、風まかせの何ヶ月もの長旅にも耐えたんだとか。 そんな規模ならうなずける話。 それはともかく、三つ目のレーン。 工期は2007年から2014年までの7年。 事業費は約6200億円の超巨大プロジェクト。 土木技術が進んでいるとはいえ、どうか無事故での完成を祈りたいものです。 巨大土木事業といえば、かつて黒四ダム(本当は黒部ダムというそうですが)の大工事が映画化されて、危険で苦難に満ちた難工事を成功させた男たちのドラマが話題に。 そんなことを想起させるプロジェクト。 ちなみにパナマ運河の現在の通行料は1隻平均で644万円(5万4000ドル)。 これまでの最高額は約2700万円だとか。 南アメリカ大陸を迂回することを考えると、安いものなのかも。 それにしても規模の大きさがうかがわれようというもの。 最低は1928年に泳いでわたった人がいるそうで、現在の額でわずか43円ほど。 運河の全長は約80kmで、通過には通常9時間も。 太平洋と大西洋は水位は24cm差があって、水門で区切りながら高さを調節しつつ高地も過ぎていくんだそうです。 何か地球規模でものを考えられる高揚感があって。 、運河の全貌、工事の全貌を想像したくなるような気が。 国際政治がらみの歴史もありましたが、ここでは触れないことに。 工事の壮大さはアートそのもの。 巨大な船舶が壮大な運河を次々と航行していく様子を想像するだけでもわくわくするような。 ほかのところでも触れましたが、やっぱり巨大なオイルタンカーに乗せてもらって、ここも一度は通過してみたい場所です。 旅客機がプラモデルみたいにくっきりと。 いつか見た、もやもや画像の北朝鮮の招待所やミサイル施設なんかも、これならもっとくっきりと見れそう。 35キロ四方で2万5千円だそうで、個人でも買えそうな額(今まで同質の外国の衛星画像は60万円も)。 写したのは日本の地球観測衛星「だいち」。 販売しているのは日本の財団法人リモート・センシング。 解像度は2. 5mで白黒。 2万5千分の1の地図を作るのに最適だそうで。 自然災害の多いフィリピンや西部の広大な大陸部をかかえる中国なんかが画像を希望しているんだとか。 ただし、60万円の画像のほうは、時期と場所を選べるのに対し、「だいち」は同じ場所を飛ぶのは年に一回程度だとか。 天候がよくないと、注文に応じるのに数年かかる場合も。 でも格安感はとても魅力では。 アーティストなら、天候なんかの条件より、これで個人で世界地図ができるんなら、社会性を重んじる平和をテーマにした作品なんかをじゃんじゃん作れそう。 ミサイルだ、軍事施設だ、なんかの情報が飛び交う地点の衛星画像を一通り撮影しておいて、さて、そのころと比べてどうなの、なんてことを調べる時にとても役に立ちそう。 自分の国の平和アピールなんかにも画像で説明できるならすごい説得力が。 格安なのは、開発や打ち上げを国が負担したからだそうで。 やるじゃん日本、といったところ。 日本全土を50歳から数十年かけて測量しぬいた伊能忠敬がいた日本。 さすが、といいたいところ。 このプロジェクト。 発想したのは日本の役所の科学者や技術者では。 名前は残らないけれど、伊能のように顕彰したいところ。 集団の力と個人の力をちゃんと峻別して、それぞれを顕彰してほしいような。 日本のアート。 今は個人のアートが主流だけれど、江戸時代の徳川幕府が保護した画家集団・狩野派はむしろ団体戦に優れていたアーティスト集団では。 そんないろんなことを想起させてくれた「だいち」の旅客機写真でした。 東南アジアが大好きな私も、せまいマレー半島の海峡あたりをオイルタンカーが何隻も行き来するような画像を撮っといて、あわよくば海賊の画像なんかが取れたら、アートでもあり平和利用でもあり、なんて空想してしまいました。 サンゴ礁や海鳥の生息数、海の青さを競うような写真もいいかも。 大気汚染やら異常気象やら。 2004年10月の開館以来、150万人以上が来館とか。 街を変えた、とまでいわれる美術館とはどんな美術館? 美術館の周辺だけでなく、街じゅうがにぎやかになったそうで。 みんなの顔まで変わった、と美術館の館長さん。 一昨年もですが、現代美術館としてはとんでもない来館者数。 全面ガラス張りの丸い平屋の建物。 入り口は東西南北の四ヶ所。 中がわかるし、そこに人が集まってれば何なに?とのぞいてみたくなるのが人情。 入り口が多いのもデパート並み。 どうもいわゆる「美術館」とは発想が違うようで。 作品のひとつにプールが。 そとからは無料で見れてただのプール。 でも底はガラス張りでその下を見学者がぞろぞろと。 どうなってんのと興味がわいて、子どもならつい入ってみようよとお母さんに。 ようするに、難しく考えさえる作品の多い現代美術ではなくて、テーマパーク感覚で楽しめる見世物が集まった感じ。 それがたまたまアートと称されているものであればよい、とでもいいたくなるような雰囲気。

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マルチン・ルターの「たとえ世界の終末が明日であっても私はリンゴの樹を植える」という意味の言葉を引用し...

たとえ あす 終末 が 来 よう とも 今日 私 は りんご の 木 を 植える 意味

考察の杜 聖句 あいがない イエスが、物わかりの悪い宗教指導者達に向かって言った言葉。 ヨハネ 5:42 ただ、わたしはあなたがたを知っています。 あなたがたのうちには、神の愛がありません。 あいするものとともにいる ヨハネ 14:16 わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。 その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにいるためにです。 ヨハネ 14:17 彼は、真理の御霊です。 世は彼を受け入れることができません。 世はそれを見もせず、知りもしないからです。 しかし、あなたがたはそれを知っています。 それはあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにいるからです。 ヨハネ 14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。 わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。 ヨハネ 14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。 しかし、あなたがたはわたしを見ます。 わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。 ヨハネ 14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。 ヨハネ 14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。 わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。 」 ヨハネ 14:22 イスカリオテでないユダがイエスに言った。 「主よ。 あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。 」 ヨハネ 14:23 イエスは彼に答えられた。 「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。 そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。 ヨハネ 14:24 わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。 あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。 注:精霊に対する敬語は省かれています。 あいてにおうじてかみはかわる 詩篇 18:24 ヤーは、私の義にしたがって、 また、御目の前の私の手のきよさにしたがって 私に償いをされた。 詩篇 18:25 あなたは、恵み深い者には、恵み深く、 全き者には、全くあられ、 詩篇 18:26 きよい者には、きよく、 曲がった者には、ねじ曲げる方。 詩篇 18:27 あなたは、悩む民をこそ救われますが、 高ぶる目は低くされます。 注:人は謙遜さが必用だと理解できる。 あかいうま 火の馬 列王記第二 6:17 そして、エリシャは祈ってヤーに願った。 「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。 」ヤーがその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。 ゼカリヤ書 1:8 夜、私が見ると、なんと、ひとりの人が赤い馬に乗っていた。 その人は谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。 彼のうしろに、赤や、栗毛や、白い馬がいた。 ゼカリヤ書 1:9 私が、「主よ。 これらは何ですか。 」と尋ねると、私と話していた御使いが、「これらが何か、あなたに示そう。 」と私に言った。 ゼカリヤ書 1:10 ミルトスの木の間に立っていた人が答えて言った。 「これらは、地を行き巡るためにヤーが遣わされたものだ。 」 ゼカリヤ書 1:11 すると、これらは、ミルトスの木の間に立っているヤーの使いに答えて言った。 「私たちは地を行き巡りましたが、まさに、全地は安らかで、穏やかでした。 」 ゼカリヤ書 1:12 ヤーの使いは答えて言った。 「万軍のヤーよ。 いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。 あなたがのろって、七十年になります。 」 ゼカリヤ書 1:13 するとヤーは、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。 箴言 21:31 馬は戦いの日のために備えられる。 しかし救いはヤーによる。 しかし、わたしは、ユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲にする。 注:神は軍勢を備えている。 終わりの日の戦いに、ハイテク武器は役立たない。 あかいたてとひいろのふく ナホム書 2:1 散らす者が、あなたを攻めに上って来る。 塁を守り、道を見張り、 腰をからげ、大いに力を奮い立たせよ。 ナホム書 2:2 ヤーは、ヤコブの栄えを、 イスラエルの栄えのように回復される。 ナホム書 2:3 その勇士の盾は赤く、 兵士は緋色の服をまとい、 戦車は整えられて鉄の火のようだ。 槍は揺れ、 ナホム書 2:4 戦車は通りを狂い走り、 広場を駆け巡る。 その有様はたいまつのようで、 いなずまのように走り回る。 ナホム書 2:5 貴人たちは呼び出され、 途上でつまずき倒れる。 彼らはその城壁へ急ぎ、防柵を設ける。 ナホム書 2:6 町々の門は開かれ、宮殿は消え去る。 ナホム書 2:7 王妃は捕えられて連れ去られ、 そのはしためは鳩のような声で嘆き、 胸を打って悲しむ。 ナホム書 2:8 ニネベは水の流れ出る池のようだ。 みな逃げ出して、 「止まれ、立ち止まれ。 」と言っても、 だれも振り返りもしない。 ナホム書 2:9 銀を奪え。 金も奪え。 その財宝は限りない。 あらゆる尊い品々が豊富だ。 ナホム書 2:10 破壊、滅亡、荒廃。 心はしなえ、ひざは震え、 すべての腰はわななき、 だれの顔も青ざめる。 ナホム書 2:11 雄獅子の住みかはどこにあるのか。 それは若い獅子のためのほら穴。 雄獅子が出歩くとき、 雌獅子と子獅子はそこにいるが、 だれも脅かす者はない。 ナホム書 2:12 雄獅子は子獅子のために、 十分な獲物を引き裂き、 雌獅子のためにかみ殺し、 そのほら穴を、獲物で、 その巣を、引き裂いた物で満たした。 ナホム書 2:13 見よ。 わたしはあなたに立ち向かう。 剣はあなたの若い獅子を食い尽くす。 わたしはあなたの獲物を地から絶やす。 あなたの使者たちの声はもう聞かれない。 ナホム書 3:1 ああ。 流血の町。 虚偽に満ち、略奪を事とし、 強奪をやめない。 ナホム書 3:2 むちの音。 車輪の響き。 駆ける馬。 飛び走る戦車。 ナホム書 3:3 突進する騎兵。 剣のきらめき。 槍のひらめき。 おびただしい戦死者。 山なすしかばね。 数えきれない死体。 死体に人はつまずく。 ナホム書 3:4 これは、すぐれて麗しい遊女、 呪術を行なう女の多くの淫行によるものだ。 彼女はその淫行によって国々を、 その魅力によって諸部族を売った。 ナホム書 3:5 見よ。 わたしはあなたに立ち向かう。 ナホム書 3:6 わたしはあなたに汚物をかけ、 あなたをはずかしめ、 あなたを見せものとする。 ナホム書 3:7 あなたを見る者はみな、あなたから逃げて言う。 「ニネベは滅びた。 だれが彼女を慰めよう。 あなたのために悔やむ者を、 どこにわたしは捜そうか。 ナホム書 3:8 あなたは、ナイル川のほとりにある ノ・アモンよりもすぐれているか。 水がこれを取り囲む。 その塁は海、その城壁は水。 ナホム書 3:9 クシュとエジプトはその力。 それは限りがない。 プテ人、ルブ人もその助け手。 ナホム書 3:10 しかし、これもまた、捕囚となり、 とりことなって行き、 その幼子たちもあらゆる町かどで八裂にされ、 その高貴な人たちもくじ引きにされ、 そのおもだった者たちもみな、鎖につながれた。 ナホム書 3:11 あなたも酔いしれて身を隠し、 敵から逃げてとりでを捜し求めよう。 ナホム書 3:12 あなたのすべての要塞は、 初なりのいちじくを持ついちじくの木。 それをゆさぶると、食べる者の口に落ちる。 ナホム書 3:13 見よ。 あなたの兵士は、 あなたの中にいる女だ。 あなたの国のもろもろの門は、 敵のために広くあけ放たれ、 火はあなたのかんぬきを焼き尽くす。 ナホム書 3:14 包囲の日のための水を汲み、 要塞を強固にせよ。 泥の中にはいり、粘土を踏みつけ、 れんがの型を取っておけ。 ナホム書 3:15 その時、火はあなたを焼き尽くし、 剣はあなたを切り倒し、 火はばったのようにあなたを焼き尽くす。 あなたは、ばったのように数を増し、 いなごのようにふえよ。 ナホム書 3:16 あなたの商人を天の星より多くしても、 ばったがこれを襲って飛び去る。 ナホム書 3:17 あなたの衛兵は、いなごのように、 あなたの役人たちは、群がるいなごのように、 寒い日には城壁の上でたむろし、 日が出ると飛び去り、 だれも、どこへ行くか行く先を知らない。 ナホム書 3:18 アッシリヤの王よ。 あなたの牧者たちは眠り、 あなたの貴人たちは寝込んでいる。 注:アッシリアはカルデア人の国、イスラエルの敵だった。 あかやしろのうまとしょこくみんへのばつ ゼカリヤ書 1:7 ダリヨスの第二年のシェバテの月である第十一の月の二十四日に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のようなヤーのことばがあった。 ゼカリヤ書 1:8 夜、私が見ると、なんと、ひとりの人が赤い馬に乗っていた。 その人は谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。 彼のうしろに、赤や、栗毛や、白い馬がいた。 ゼカリヤ書 1:9 私が、「主よ。 これらは何ですか。 」と尋ねると、私と話していた御使いが、「これらが何か、あなたに示そう。 」と私に言った。 ゼカリヤ書 1:10 ミルトスの木の間に立っていた人が答えて言った。 「これらは、地を行き巡るためにヤーが遣わされたものだ。 」 ゼカリヤ書 1:11 すると、これらは、ミルトスの木の間に立っているヤーの使いに答えて言った。 「私たちは地を行き巡りましたが、まさに、全地は安らかで、穏やかでした。 」 ゼカリヤ書 1:12 ヤーの使いは答えて言った。 「万軍のヤーよ。 いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。 あなたがのろって、七十年になります。 」 ゼカリヤ書 1:13 するとヤーは、私と話していた御使いに、良いことば、慰めのことばで答えられた。 ゼカリヤ書 1:14 私と話していた御使いは私に言った。 「叫んで言え。 万軍のヤーはこう仰せられる。 『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。 ゼカリヤ書 1:15 しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。 わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行なった。 』 ゼカリヤ書 1:16 それゆえ、ヤーはこう仰せられる。 『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。 そこにわたしの宮が建て直される。 』 注:諸国民と、神の民の立場はいつまでも区別される。 あかん ヨシュア記 22:20 ゼラフの子アカンが、聖絶のもののことで罪を犯し、イスラエルの全会衆の上に御怒りが下ったではないか。 彼の不義によって死んだ者は彼ひとりではなかった。 』」 注:アカンのようになってはいけない。 あくがさかえる 詩篇 10:10 不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、 倒れる。 詩篇 10:11 彼は心の中で言う。 「神は忘れている。 顔を隠している。 彼は決して見はしないのだ。 」 詩篇 10:12 ヤーよ。 立ち上がってください。 御手を上げてください。 どうか、貧しい者を、忘れないでください。 詩篇 10:13 なぜ、悪者は、神を侮るのでしょうか。 彼は心の中で、あなたは追い求めない と言っています。 詩篇 10:14 あなたは、見ておられました。 害毒と苦痛を。 彼らを御手の中に収めるために じっと見つめておられました。 不幸な人は、あなたに身をゆだねます。 あなたはみなしごを助ける方でした。 詩篇 10:15 悪者と、よこしまな者の腕を折り、 その悪を捜し求めて 一つも残らぬようにしてください。 注:現実は、悪が勝っている。 しかし、神はそのままにしておかない。 あくにんとかみ 詩篇 10:1 ヤーよ。 なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。 苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。 詩篇 10:2 悪者は高ぶって、悩む人に追い迫ります。 彼らが、おのれの設けたたくらみに みずから捕えられますように。 詩篇 10:3 悪者はおのれの心の欲望を誇り、 貪欲な者は、ヤーをのろい、また、侮る。 詩篇 10:4 悪者は高慢を顔に表わして、神を尋ね求めない。 その思いは「神はいない。 」の一言に尽きる。 詩篇 10:5 彼の道はいつも栄え、 あなたのさばきは高くて、彼の目に、はいらない。 敵という敵を、彼は吹き飛ばす。 詩篇 10:6 彼は心の中で言う。 「私はゆるぐことがなく、 代々にわたって、わざわいに会わない。 」 詩篇 10:7 彼の口は、のろいと欺きとしいたげに満ち、 彼の舌の裏には害毒と悪意がある。 詩篇 10:8 彼は村はずれの待ち伏せ場にすわり、 隠れた所で、罪のない人を殺す。 彼の目は不幸な人をねらっている。 詩篇 10:9 彼は茂みの中の獅子のように 隠れ場で待ち伏せている。 彼は悩む人を捕えようと待ち伏せる。 悩む人を、その網にかけて捕えてしまう。 詩篇 10:10 不幸な人は、強い者によって砕かれ、うずくまり、 倒れる。 詩篇 10:11 彼は心の中で言う。 「神は忘れている。 顔を隠している。 彼は決して見はしないのだ。 」 詩篇 10:12 ヤーよ。 立ち上がってください。 御手を上げてください。 どうか、貧しい者を、忘れないでください。 詩篇 10:13 なぜ、悪者は、神を侮るのでしょうか。 彼は心の中で、あなたは追い求めない と言っています。 詩篇 10:14 あなたは、見ておられました。 害毒と苦痛を。 彼らを御手の中に収めるために じっと見つめておられました。 不幸な人は、あなたに身をゆだねます。 あなたはみなしごを助ける方でした。 詩篇 10:15 悪者と、よこしまな者の腕を折り、 その悪を捜し求めて 一つも残らぬようにしてください。 詩篇 10:16 ヤーは世々限りなく王である。 国々は、主の地から滅びうせた。 詩篇 10:17 ヤーよ。 あなたは貧しい者の願いを 聞いてくださいました。 あなたは彼らの心を強くしてくださいます。 耳を傾けて、 詩篇 10:18 みなしごと、しいたげられた者を かばってくださいます。 地から生まれた人間が もはや、脅かすことができないように。 詩篇 11:0 指揮者のために。 ダビデによる 詩篇 11:1 ヤーに私は身を避ける。 どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。 「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。 詩篇 11:2 それ、見よ。 悪者どもが弓を張り、 弦に矢をつがえ、暗やみで 心の直ぐな人を射ぬこうとしている。 詩篇 11:3 拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。 」 詩篇 11:4 ヤーは、その聖座が宮にあり、 ヤーは、その王座が天にある。 その目は見通し、 そのまぶたは、人の子らを調べる。 詩篇 11:5 ヤーは正しい者と悪者を調べる。 そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。 詩篇 11:6 ヤーは、悪者の上に網を張る。 火と硫黄。 燃える風が彼らの杯への分け前となろう。 詩篇 11:7 ヤーは正しく、正義を愛される。 直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。 :ヤーは人の心を読み、悪人を憎み、正しい人を愛する。 あくまのばくろ イエスは歴史上始めて、はっきりと悪魔を暴露した。 (それまでは、「世の神」=「悪魔」というはっきりした概念が無かった) ヨハネ 8:44 あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。 悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。 彼のうちには真理がないからです。 彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。 なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。 マタイ 13:38 畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。 マタイ 13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。 そして、刈り手とは御使いたちのことです。 マタイ 13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。 あくれいへのいけにえ :悪霊に崇拝を捧げれば、神に憎まれる。 申命記 32:15 エシュルンは肥え太ったとき、足でけった。 あなたはむさぼり食って、肥え太った。 自分を造った神を捨て、 自分の救いの岩を軽んじた。 申命記 32:16 彼らは異なる神々で、 ヤーのねたみを引き起こし、 忌みきらうべきことで、 ヤーの怒りを燃えさせた。 申命記 32:17 神ではない悪霊どもに、 彼らはいけにえをささげた。 それらは彼らの知らなかった神々、 近ごろ出てきた新しい神々、 先祖が恐れもしなかった神々だ。 申命記 32:18 あなたは自分を生んだ岩をおろそかにし、 産みの苦しみをした神を忘れてしまった。 申命記 32:19 ヤーは見て、彼らを退けられた。 主の息子と娘たちへの怒りのために。 申命記 32:20 ヤーは言われた。 「わたしの顔を彼らに隠し、 彼らの終わりがどうなるかを見よう。 彼らは、ねじれた世代、 真実のない子らであるから。 申命記 32:21 彼らは、神でないもので、 わたしのねたみを引き起こし、 彼らのむなしいもので、 わたしの怒りを燃えさせた。 わたしも、民ではないもので、 彼らのねたみを引き起こし、 愚かな国民で、 彼らの怒りを燃えさせよう。 注:「主」の部分は、「バール」と掛けている。 あさとゆうのまぼろし :途中まで解説あり 現代への成就なのか? 予言書の中のダニエル書は、黙示録と連動する予言が多い。 つまり、現代につながる予言が書かれているのである。 それに付いてはダニエル書自体にこう書かれている。 ダニエル書 8:26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。 しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。 これはまだ、多くの日の後のことだから。 」 ダニエル書7章と8章は、時系列を逆にして与えられた幻である。 7章の幻は、その後に与えられた8章の幻より「ずっと未来」の予言だと教えているのだ。 では、その「ずっと未来」の幻の謎を考えてみよう。 それは、私達の時代に関係するに違いない。 ダニエル書 7:1 バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。 ダニエル書 7:2 ダニエルは言った。 「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、 ダニエル書 7:3 四頭の大きな獣が海から上がって来た。 その四頭はそれぞれ異なっていた。 ・・・ 四方の風は、見えない霊者からの力であり、それによって波立つ海は、人類社会を示している。 この風は、神からのものだろうか。 神の予定によって、人類社会から四つの強国が成立するという事だろうか。 問題は、この幻がいつの事か特定する資料が無いという事だ。 中世とも取れるし、近代であるかもしれない。 また、現代にも当てはめられる。 これが特定できなければ、最初の部分で躓いてしまう。 黙示録の場合は、最終的な人類社会の終末に成就する予言だとわかっているので、簡単だが・・・ ダニエル書 7:4 第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。 見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。 ・・・ この獣は、どこの国だろう?(海から上がるのは異邦人の国) 古代バビロンは、神の支配から人間の支配に移ったと考えら得る時代の強国である。 また、その国の王であるネブカデネザルは、一時期正気を失い、獣のようになった時期があった。 その後、目覚めてまた人間の心に戻ったのだが、この様子と聖句の描写がよく似ている。 古代バビロンの象徴は、 現代の社会に当てはめると、鷲の翼はアメリカの象徴である。 アメリカは白頭鷲がシンボルであるからだ。 一応、そうだとしておこう。 すると、翼が抜き取られるという表現と、二本足で立つ、さらに人間の心が与えられるという表現が謎である。 いったいどういう意味だろう? アメリカは、世界の警察と自称し、世界に規律をもたらし、自由主義の中での繁栄を手助けするという命題を掲げている。 グループの仲間であれば、人道援助や物資援助も惜しまない。 こうした姿勢が人間の心という表現になっているのだろうか? ダニエル書 7:5 また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。 その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。 するとそれに、『起き上がって、多くの肉を食らえ。 』との声がかかった。 ・・・ 熊は、ソビエト連邦の象徴である。 熊のような獣=ソ連とする考えは、真っ先に浮かぶ。 三本の肋骨は、彼らが革命に際して、数多くの粛正を行って王や、将軍や、聖職者を処刑した事を思わせる。 また、アダムのあばら骨からイブが生まれたように、あばら骨は「女」を意味するかもしれない。 そして聖書での「女」は宗教の組織だ。 すると、ソ連の中で三つの宗教組織が食い物にされたのだろうか?現時点では証明できない。 とりあえず、仮の設定である。 ダニエル書 7:6 この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。 その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。 そしてそれに主権が与えられた。 ・・・ この、王権を与えられる豹のような獣は、四つの鳥の翼で四方八方どこにでも向かう。 古代なら、電撃戦が得意だったマケドニアだろうか?アレキサンダー大王の倒れた後に、四人の将軍が起こったのが四つの頭だろうか。 それを現代社会に当てはめると、ではどこだろうか?見渡してみると、「ナチスドイツ」が相当するかもしれない。 ダニエル書 7:7 その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。 それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。 これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。 ダニエル書 7:8 私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。 よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。 ダニエル書 7:9 私が見ていると、 幾つかの御座が備えられ、 年を経た方が座に着かれた。 その衣は雪のように白く、 頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。 御座は火の炎、 その車輪は燃える火で、 ダニエル書 7:10 火の流れがこの方の前から流れ出ていた。 幾千のものがこの方に仕え、 幾万のものがその前に立っていた。 さばく方が座に着き、 幾つかの文書が開かれた。 ダニエル書 7:11 私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。 ダニエル書 7:12 残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。 ダニエル書 7:13 私がまた、夜の幻を見ていると、 見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、 年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。 ダニエル書 7:14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、 諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、 彼に仕えることになった。 その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、 その国は滅びることがない。 ダニエル書 7:15 私、ダニエルの心は、私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は、私を脅かした。 ダニエル書 7:16 私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。 すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。 ダニエル書 7:17 『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。 ダニエル書 7:18 しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。 』 ダニエル書 7:19 それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。 それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。 ダニエル書 7:20 その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。 その角には目があり、大きなことを語る口があった。 その角はほかの角よりも大きく見えた。 ダニエル書 7:21 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。 ダニエル書 7:22 しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。 ダニエル書 7:23 彼はこう言った。 『第四の獣は地に起こる第四の国。 これは、ほかのすべての国と異なり、 全土を食い尽くし、 これを踏みつけ、かみ砕く。 ダニエル書 7:24 十本の角は、この国から立つ十人の王。 彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。 彼は先の者たちと異なり、 三人の王を打ち倒す。 ダニエル書 7:25 彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、 いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。 彼は時と法則を変えようとし、 聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、 彼の手にゆだねられる。 ダニエル書 7:26 しかし、さばきが行なわれ、 彼の主権は奪われて、 彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。 ダニエル書 7:27 国と、主権と、天下の国々の権威とは、 いと高き方の聖徒である民に与えられる。 その御国は永遠の国。 すべての主権は彼らに仕え、服従する。 』 ダニエル書 7:28 ここでこの話は終わる。 私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。 しかし、私はこのことを心に留めていた。 」 ダニエル書 8:1 ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。 ダニエル書 8:2 私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。 なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。 ダニエル書 8:3 私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。 それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。 その長いほうは、あとに出て来たのであった。 ダニエル書 8:4 私はその雄羊が、西や、北や、南の方へ突き進んでいるのを見た。 どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。 それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。 ダニエル書 8:5 私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。 その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。 ダニエル書 8:6 この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。 ダニエル書 8:7 見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。 雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。 雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。 ダニエル書 8:8 この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。 そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。 ダニエル書 8:9 そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。 ダニエル書 8:10 それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、 ダニエル書 8:11 軍勢の長にまでのし上がった。 それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。 ダニエル書 8:12 軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。 その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。 ダニエル書 8:13 私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。 すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。 「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。 」 ダニエル書 8:14 すると彼は答えて言った。 「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。 そのとき聖所はその権利を取り戻す。 」 ダニエル書 8:15 私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。 ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。 ダニエル書 8:16 私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。 この人に、その幻を悟らせよ。 」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。 ダニエル書 8:17 彼は私の立っている所に来た。 彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。 すると彼は私に言った。 「悟れ。 人の子よ。 その幻は、終わりの時のことである。 」 ダニエル書 8:18 彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。 しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、 ダニエル書 8:19 そして言った。 「見よ。 私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。 それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。 ダニエル書 8:20 あなたが見た雄羊の持つあの二本の角は、メディヤとぺルシヤの王である。 ダニエル書 8:21 毛深い雄やぎはギリシヤの王であって、その目と目の間にある大きな角は、その第一の王である。 ダニエル書 8:22 その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。 しかし、第一の王のような勢力はない。 ダニエル書 8:23 彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。 ダニエル書 8:24 彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。 彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。 ダニエル書 8:25 彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。 しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。 ダニエル書 8:26 先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。 しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。 これはまだ、多くの日の後のことだから。 」 ダニエル書 8:27 私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。 その後、起きて王の事務をとった。 しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。 それを悟れなかったのである。 あさぬの 「麻の着物」は「正しい行い」 黙示録 19:8 花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。 その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。 」 あざけるもの あざけりは不毛 箴言 14:6 あざける者は知恵を捜しても得られない。 しかし悟りのある者はたやすく知識を得る。 箴言 14:7 愚かな者の前を離れ去れ。 知識のことばはそこにはない。 箴言 22:10 あざける者を追い出せ。 そうすれば、争いも出て行く。 けんかも、悪口もやむ。 あざむきとしいたげのつみ 偽りは罪 エレミヤ書 9:4 おのおの互いに警戒せよ。 どの兄弟も信用するな。 どの兄弟も人を押しのけ、 どの友も中傷して歩き回るからだ。 エレミヤ書 9:5 彼らはおのおの、だまし合って、真実を語らない。 偽りを語ることを舌に教え、 悪事を働き、依然として悔い改めない。 エレミヤ書 9:6 彼らはしいたげに、しいたげを重ね、 欺きに欺きを重ねて、 わたしを知ろうともしなかった。 「見よ。 わたしは彼らを溶かしてためす。 いったい、わたしの民の娘に対し、 ほかに何ができようか。 エレミヤ書 9:8 彼らの舌はとがった矢で、欺きを語る。 口先では友人に平和を語るが、 腹の中では待ち伏せを計る。 エレミヤ書 9:9 これらのために、 わたしは彼らを罰しないだろうか。 」 :政治家の偽りを、神は詐欺罪と見る。 それは、思いのほか重罪である。 あざむきのはかり 商人の不正 ホセア書 12:7 商人は手に欺きのはかりを持ち、 しいたげることを好む。 :狂牛病や産地のごまかしなど、今も昔も同じである。 あしぇらすうはい 古代からの邪神 エレミヤ書 17:1 ユダの罪は鉄の筆と金剛石のとがりでしるされ、 彼らの心の板と彼らの祭壇の角に刻まれている。 エレミヤ書 17:2 彼らの子たちまで、 その祭壇や、高い丘の茂った木のほとりにある アシェラ像を覚えているほどだ。 士師記 3:1 カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。 士師記 3:3 すなわち、ペリシテ人の五人の領主と、すべてのカナン人と、シドン人と、バアル・ヘルモン山からレボ・ハマテまでのレバノン山に住んでいたヒビ人とであった。 士師記 3:4 これは、ヤーがモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。 士師記 3:5 イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、 士師記 3:6 彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。 士師記 3:7 こうして、イスラエル人は、ヤーの目の前に悪を行ない、彼らの神、ヤーを忘れて、バアルやアシェラに仕えた。 士師記 3:8 それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡された。 こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。 あしゅけなじー アシュケナズはアシュケナジーユダヤの祖か? 歴代誌第一 1:5 ヤペテの子孫は、ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。 歴代誌第一 1:6 ゴメルの子孫は、アシュケナズ、ディファテ、トガルマ。 歴代誌第一 1:7 ヤワンの子孫は、エリシャ、タルシシュ、キティム人、ロダニム人。 あしをあらう 足を洗うのは謙遜な主人 ヨハネ 13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、 ヨハネ 13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。 ヨハネ 13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。 ヨハネ 13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。 ペテロはイエスに言った。 「主よ。 あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。 」 ヨハネ 13:7 イエスは答えて言われた。 「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。 」 ヨハネ 13:8 ペテロはイエスに言った。 「決して私の足をお洗いにならないでください。 」イエスは答えられた。 「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。 」 ヨハネ 13:9 シモン・ペテロは言った。 「主よ。 わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。 」 ヨハネ 13:10 イエスは彼に言われた。 「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。 全身きよいのです。 あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。 」 ヨハネ 13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。 それで、「みながきよいのではない。 」と言われたのである。 ヨハネ 13:12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。 「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。 ヨハネ 13:13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。 あなたがたがそう言うのはよい。 わたしはそのような者だからです。 ヨハネ 13:14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。 ヨハネ 13:15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。 ヨハネ 13:16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。 しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。 ヨハネ 13:17 あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。 あしをふいたおんな 「罪人」とは何か? ルカ 7:36 さて、あるパリサイ人が、いっしょに食事をしたい、とイエスを招いたので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。 ルカ 7:37 すると、その町にひとりの罪深い女がいて、イエスがパリサイ人の家で食卓に着いておられることを知り、香油のはいった石膏のつぼを持って来て、 ルカ 7:38 泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。 ルカ 7:39 イエスを招いたパリサイ人は、これを見て、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。 この女は罪深い者なのだから。 」と心ひそかに思っていた。 ルカ 7:40 するとイエスは、彼に向かって、「シモン。 あなたに言いたいことがあります。 」と言われた。 シモンは、「先生。 お話しください。 」と言った。 ルカ 7:41 「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。 ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。 ルカ 7:42 彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。 では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。 」 ルカ 7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。 」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。 」と言われた。 ルカ 7:44 そしてその女のほうを向いて、シモンに言われた。 「この女を見ましたか。 わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は、涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれました。 ルカ 7:45 あなたは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしがはいって来たときから足に口づけしてやめませんでした。 ルカ 7:46 あなたは、わたしの頭に油を塗ってくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれました。 ルカ 7:47 だから、わたしは言うのです。 『この女の多くの罪は赦されています。 というのは、彼女はよけい愛したからです。 しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。 』」 ルカ 7:48 そして女に、「あなたの罪は赦されています。 」と言われた。 ルカ 7:49 すると、いっしょに食卓にいた人たちは、心の中でこう言い始めた。 「罪を赦したりするこの人は、いったいだれだろう。 」 ルカ 7:50 しかし、イエスは女に言われた。 「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。 安心して行きなさい。 」 :偽善と善との違いが理解できる。 あたらしいおきて 弟子同士の愛 ヨハネ 13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。 あなたがたは互いに愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネ 13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。 」 あたらしいかわぶくろ イエスと違った表現? ヨブ記 32:17 私は私で自分の言い分を言い返し、 私の意見を述べてみよう。 ヨブ記 32:18 私にはことばがあふれており、 一つの霊が私を圧迫している。 私の腹を。 その違いは? 新しい皮袋は「裂けやすい」とヨブは語っている。 イエスの言葉の意味が、少し違って見える。 古いものが柔らかいのはグローブも同じ。 そして、新しいものは・・・ ヨブ記 32:19 今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のようだ。 新しいぶどう酒の皮袋のように、 今にも張り裂けようとしている。 ヨブ記 32:20 私は語って、気分を晴らしたい。 くちびるを開いて答えたい。 ヨブ記 32:21 私はだれをもひいきしない。 どんな人にもへつらわない。 :新しい皮袋は、拡張の余裕があるが無理できない。 古いものは柔軟であるがそれ以上引き延ばせない。 しかし、まだ深い意味は不明である。 あたらしいけいやく 神は刷新を予定している エレミヤ書 31:27 見よ。 その日が来る。 エレミヤ書 31:28 かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。 』とは言わない。 エレミヤ書 31:30 人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。 だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。 エレミヤ書 31:31 見よ。 その日が来る。 エレミヤ書 31:32 その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。 わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。 わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 エレミヤ書 31:34 そのようにして、人々はもはや、『ヤーを知れ。 』と言って、おのおの互いに教えない。 それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。 」 エレミヤ書 31:35 ヤーはこう仰せられる。 ヤーエは太陽を与えて昼間の光とし、 月と星を定めて夜の光とし、 海をかき立てて波を騒がせる方、 その名は万軍のヤー。 」 エレミヤ書 31:37 ヤーはこう仰せられる。 「もし、上の天が測られ、 下の地の基が探り出されるなら、 わたしも、イスラエルのすべての子孫を、 彼らの行なったすべての事のために退けよう。 マタイ 9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。 「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。 」 マタイ 9:12 イエスはこれを聞いて言われた。 「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 マタイ 9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。 』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。 わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。 」 マタイ 9:14 するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスのところに来てこう言った。 「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。 」 マタイ 9:15 イエスは彼らに言われた。 「花婿につき添う友だちは、花婿がいっしょにいる間は、どうして悲しんだりできましょう。 しかし、花婿が取り去られる時が来ます。 その時には断食します。 マタイ 9:16 だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。 そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。 マタイ 9:17 また、人は新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。 そんなことをすれば、皮袋は裂けて、ぶどう酒が流れ出てしまい、皮袋もだめになってしまいます。 新しいぶどう酒を新しい皮袋に入れれば、両方とも保ちます。 」 ルカ 5:36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。 「だれも、新しい着物から布切れを引き裂いて、古い着物に継ぎをするようなことはしません。 そんなことをすれば、その新しい着物を裂くことになるし、また新しいのを引き裂いた継ぎ切れも、古い物には合わないのです。 ルカ 5:37 また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。 そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。 ルカ 5:38 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。 ルカ 5:39 また、だれでも古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。 『古い物は良い。 』と言うのです。 」 (上記は、伝統にこだわる人々を示す) あたらしいてんとち 謎の「新しい天地」 イザヤ書 65:17 見よ。 まことにわたしは新しい天と新しい地を 創造する。 先の事は思い出されず、心に上ることもない。 :天は支配形態、地は支配民を意味するようだが・・・ あつかましいあくにん 悪者は謙遜ではない 箴言 21:29 悪者はあつかましく、 正しい者は自分の道をわきまえる。 あとがさき 年功序列は無視される? マタイ 19:27 そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。 「ご覧ください。 私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。 私たちは何がいただけるでしょうか。 」 マタイ 19:28 そこで、イエスは彼らに言われた。 「まことに、あなたがたに告げます。 世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。 マタイ 19:29 また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。 マタイ 19:30 ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。 マタイ 20:1 天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。 マタイ 20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。 マタイ 20:3 それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。 マタイ 20:4 そこで、彼はその人たちに言った。 『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。 相当のものを上げるから。 』 マタイ 20:5 彼らは出て行った。 それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。 マタイ 20:6 また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。 『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。 』 マタイ 20:7 彼らは言った。 『だれも雇ってくれないからです。 』彼は言った。 『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。 』 マタイ 20:8 こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。 『労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。 』 マタイ 20:9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。 マタイ 20:10 最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。 マタイ 20:11 そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、 マタイ 20:12 言った。 『この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。 私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。 』 マタイ 20:13 しかし、彼はそのひとりに答えて言った。 『私はあなたに何も不当なことはしていない。 あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。 マタイ 20:14 自分の分を取って帰りなさい。 ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。 マタイ 20:15 自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。 それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。 』 マタイ 20:16 このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。 」 マルコ 10:28 ペテロがイエスにこう言い始めた。 「ご覧ください。 私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。 」 マルコ 10:29 イエスは言われた。 「まことに、あなたがたに告げます。 わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、 マルコ 10:30 その百倍を受けない者はありません。 今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。 マルコ 10:31 しかし、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。 」 ルカ 13:23 すると、「主よ。 救われる者は少ないのですか。 」と言う人があった。 イエスは、人々に言われた。 ルカ 13:24 「努力して狭い門からはいりなさい。 なぜなら、あなたがたに言いますが、はいろうとしても、はいれなくなる人が多いのですから。 ルカ 13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。 あけてください。 』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。 』と答えるでしょう。 ルカ 13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。 『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。 』 ルカ 13:27 だが、主人はこう言うでしょう。 『私はあなたがたがどこの者だか知りません。 不正を行なう者たち。 みな出て行きなさい。 』 ルカ 13:28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちがはいっているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。 ルカ 13:29 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。 ルカ 13:30 いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。 」 あなにやとさっぴら 隠匿の罪 使徒 4:32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。 使徒 4:33 使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。 使徒 4:34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。 地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、 使徒 4:35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。 使徒 4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ 訳すと、慰めの子 と呼ばれていたヨセフも、 使徒 4:37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。 使徒 5:1 ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、 使徒 5:2 妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。 使徒 5:3 そこで、ペテロがこう言った。 「アナニヤ。 どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。 使徒 5:4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。 なぜこのようなことをたくらんだのか。 あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。 」 使徒 5:5 アナニヤはこの言葉を聞くと、倒れて息が絶えた。 そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。 使徒 5:6 青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。 使徒 5:7 三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。 使徒 5:8 ペテロは彼女にこう言った。 「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。 私に言いなさい。 」彼女は「はい。 その値段です。 」と言った。 使徒 5:9 そこで、ペテロは彼女に言った。 「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。 見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。 」 使徒 5:10 すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。 はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。 使徒 5:11 そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。 使徒 5:12 また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。 みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。 使徒 5:13 ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。 あぱるとへいと 混紡は罪となる 申命記 22:11 羊毛と亜麻糸とを混ぜて織った着物を着てはならない。 レビ記 19:19 あなたがたは、わたしのおきてを守らなければならない。 あなたの家畜を種類の異なった家畜と交わらせてはならない。 あなたの畑に二種類の種を蒔いてはならない。 また、二種類の糸で織った布地の衣服を身に着けてはならない。 (これは人種の混合を意味している?) 箴言 5:3 他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、 その口は油よりもなめらかだ。 箴言 5:4 しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、 もろ刃の剣のように鋭い。 箴言 5:5 その足は死に下り、 その歩みはよみに通じている。 箴言 5:6 その女はいのちの道に心を配らず、 その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。 箴言 5:7 子どもらよ。 今、私に聞け。 私の言うことばから離れるな。 箴言 5:8 あなたの道を彼女から遠ざけ、 その家の門に近づくな。 箴言 5:9 そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、 あなたの年を残忍な者に渡すだろう。 箴言 5:10 そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、 あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。 箴言 5:11 そして、あなたの終わりに、 あなたの肉とからだが滅びるとき、 あなたは嘆くだろう。 箴言 5:12 そのとき、あなたは言おう。 「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。 箴言 5:13 私は私の教師の声に聞き従わず、 私を教える者に耳を傾けなかった。 箴言 5:14 私は、集会、会衆のただ中で、 ほとんど最悪の状態であった。 箴言 5:15 あなたの水ためから、水を飲め。 豊かな水をあなたの井戸から。 箴言 5:16 あなたの泉を外に散らし、 通りを水路にしてよいものか。 箴言 5:17 それを自分だけのものにせよ。 あなたのところにいる他国人のものにするな。 箴言 5:18 あなたの泉を祝福されたものとし、 あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。 箴言 5:19 愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。 その乳房がいつもあなたを酔わせ、 いつも彼女の愛に夢中になれ。 箴言 5:20 わが子よ。 あなたはどうして他国の女に夢中になり、 見知らぬ女の胸を抱くのか。 エズラ記 9:1 これらのことが終わって後、つかさたちが私のところに近づいて来て次のように言った。 「イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、 エズラ記 9:2 かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。 しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。 」 エズラ記 9:3 私はこのことを聞いて、着物と上着を裂き、髪の毛とひげを引き抜き、色を失ってすわってしまった。 エズラ記 9:4 捕囚から帰って来た人々の不信の罪のことで、イスラエルの神のことばを恐れている者はみな、私のところに集まって来た。 私は夕方のささげ物の時刻まで、色を失ってじっとすわっていた。 :イスラエルは、国際結婚を禁じられていたが、それは背教を嫌ってのことだったらしい。 あぶらそそぐ 「油を注ぐ」という言葉の意味 列王記第二 9:3 油のつぼを取って、彼の頭の上に油をそそいで言いなさい。 『ヤーはこう仰せられる。 わたしはあなたに油をそそいでイスラエルの王とする。 』それから、戸をあけて、ぐずぐずしていないで逃げなさい。 」 あぶらはむよりまえからいる イエスの過去は「天の住人」 ヨハネ 8:54 イエスは答えられた。 「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。 わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。 この方のことを、あなたがたは『私たちの神である。 』と言っています。 ヨハネ 8:55 けれどもあなたがたはこの方を知ってはいません。 しかし、わたしは知っています。 もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしはあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。 しかし、わたしはこの方を知っており、そのみことばを守っています。 ヨハネ 8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。 彼はそれを見て、喜んだのです。 」 ヨハネ 8:57 そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。 「あなたはまだ五十歳になっていないのにアブラハムを見たのですか。 」 ヨハネ 8:58 イエスは彼らに言われた。 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。 アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。 」 ヨハネ 8:59 すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。 しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。 あもす アモスは兼業農夫だった アモス書 7:10 ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わしてこう言った。 「イスラエルの家のただ中で、アモスはあなたに謀反を企てています。 この国は彼のすべてのことばを受け入れることはできません。 アモス書 7:11 アモスはこう言っています。 『ヤロブアムは剣で死に、イスラエルはその国から必ず捕えられて行く。 』」 アモス書 7:12 アマツヤはアモスに言った。 「先見者よ。 ユダの地へ逃げて行け。 その地でパンを食べ、その地で預言せよ。 アモス書 7:13 ベテルでは二度と預言するな。 ここは王の聖所、王宮のある所だから。 」 アモス書 7:14 アモスはアマツヤに答えて言った。 「私は預言者ではなかった。 預言者の仲間でもなかった。 私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。 アモス書 7:15 ところが、ヤーは群れを追っていた私をとり、ヤーは私に仰せられた。 『行って、わたしの民イスラエルに預言せよ。 :普通の人に、神の霊が下る あらしをしかる 超人イエスの業 マタイ 8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。 マタイ 8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。 ところが、イエスは眠っておられた。 マタイ 8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。 「主よ。 助けてください。 私たちはおぼれそうです。 」 マタイ 8:26 イエスは言われた。 「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。 」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。 マタイ 8:27 人々は驚いてこう言った。 「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。 」 マルコ 4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。 」と言われた。 マルコ 4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。 他の舟もイエスについて行った。 マルコ 4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。 マルコ 4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。 弟子たちはイエスを起こして言った。 「先生。 私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。 」 マルコ 4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。 」と言われた。 すると風はやみ、大なぎになった。 マルコ 4:40 イエスは彼らに言われた。 「どうしてそんなにこわがるのです。 信仰がないのは、どうしたことです。 」 マルコ 4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。 」 :イエスは創造主の子供であり、「風」も「霊者」も使うことができる。 あらすにくむべきもの 神殿滅亡の予言 マルコ 13:1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。 「先生。 これはまあ、何とみごとな石でしょう。 何とすばらしい建物でしょう。 」 マルコ 13:2 すると、イエスは彼に言われた。 「この大きな建物を見ているのですか。 石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。 」 マルコ 13:3 イエスがオリーブ山で宮に向かってすわっておられると、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかにイエスに質問した。 マルコ 13:4 「お話しください。 いつ、そういうことが起こるのでしょう。 また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。 」 マルコ 13:5 そこで、イエスは彼らに話し始められた。 「人に惑わされないように気をつけなさい。 マルコ 13:6 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。 』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 マルコ 13:7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。 それは必ず起こることです。 しかし、終わりが来たのではありません。 マルコ 13:8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。 これらのことは、産みの苦しみの初めです。 マルコ 13:9 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。 人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。 それは彼らに対してあかしをするためです。 マルコ 13:10 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。 マルコ 13:11 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。 ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。 話すのはあなたがたではなく、聖霊です。 マルコ 13:12 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。 マルコ 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。 しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。 マルコ 13:14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば 読者はよく読み取るように。 ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。 マルコ 13:15 屋上にいる者は降りてはいけません。 家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。 マルコ 13:16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。 マルコ 13:17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。 マルコ 13:18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。 マルコ 13:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。 マルコ 13:20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。 しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。 マルコ 13:21 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。 』とか、『ほら、あそこにいる。 』とか言う者があっても、信じてはいけません。 マルコ 13:22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。 マルコ 13:23 だから、気をつけていなさい。 わたしは、何もかも前もって話しました。 マルコ 13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、 マルコ 13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。 マルコ 13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。 マルコ 13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。 マルコ 13:28 いちじくの木から、たとえを学びなさい。 枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。 マルコ 13:29 そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。 マルコ 13:30 まことに、あなたがたに告げます。 これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。 マルコ 13:31 この天地は滅びます。 しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。 マルコ 13:32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。 天の御使いたちも子も知りません。 ただ父だけが知っておられます。 マルコ 13:33 気をつけなさい。 目をさまし、注意していなさい。 その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。 マルコ 13:34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。 マルコ 13:35 だから、目をさましていなさい。 家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。 マルコ 13:36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。 マルコ 13:37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。 目をさましていなさい。 」 :滅びは急にやってくる。 荒らす憎むべきもの(軍)の動向に注意せよ。 あらそいよりかんぱん 「争う家」は貧しきに劣る 箴言 17:1 一切れのかわいたパンがあって、 平和であるのは、 ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 あり 蟻に学べ 箴言 6:6 なまけ者よ。 蟻のところへ行き、 そのやり方を見て、知恵を得よ。 箴言 6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、 箴言 6:8 夏のうちに食物を確保し、 刈り入れ時に食糧を集める。 箴言 6:9 なまけ者よ。 いつまで寝ているのか。 いつ目をさまして起きるのか。 箴言 6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、 しばらく手をこまねいて、また休む。 箴言 6:11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、 あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。 :昆虫は神の知恵を具現している。 あれるうみ 荒れる海は悪人集団のようである イザヤ書 57:20 しかし悪者どもは、荒れ狂う海のようだ。 静まることができず、 水が海草と泥を吐き出すからである。 イザヤ書 57:21 「悪者どもには平安がない。 」と 私の神は仰せられる。 :テロリストも神の目にはこのように映っている? あわれみのきてい 神の「哀れみ」から出た規定 申命記 24:1 人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない。 申命記 24:2 女がその家を出て、行って、ほかの人の妻となったなら、 申命記 24:3 次の夫が彼女をきらい、離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせた場合、あるいはまた、彼女を妻としてめとったあとの夫が死んだ場合、 申命記 24:4 彼女を出した最初の夫は、その女を再び自分の妻としてめとることはできない。 彼女は汚されているからである。 これは、ヤーエの前に忌みきらうべきことである。 あなたの神、ヤーエが相続地としてあなたに与えようとしておられる地に、罪をもたらしてはならない。 申命記 24:5 人が新妻をめとったときは、その者をいくさに出してはならない。 これに何の義務をも負わせてはならない。 彼は一年の間、自分の家のために自由の身になって、めとった妻を喜ばせなければならない。 申命記 24:6 ひき臼、あるいは、その上石を質に取ってはならない。 いのちそのものを質に取ることになるからである。 申命記 24:7 あなたの同族イスラエル人のうちのひとりをさらって行き、これを奴隷として扱い、あるいは売りとばす者が見つかったなら、その人さらいは死ななければならない。 あなたがたのうちからこの悪を除き去りなさい。 申命記 24:8 らい病の患部には気をつけて、すべてレビ人の祭司が教えるとおりによく守り行なわなければならない。 私が彼らに命じたとおりに、それを守り行なわなければならない。 申命記 24:9 あなたがたがエジプトから出て来たとき、その道中で、あなたの神、ヤーエがミリヤムにされたことを思い出しなさい。 申命記 24:10 隣人に何かを貸すときに、担保を取るため、その家にはいってはならない。 申命記 24:11 あなたは外に立っていなければならない。 あなたが貸そうとするその人が、外にいるあなたのところに、担保を持って出て来なければならない。 申命記 24:12 もしその人が貧しい人である場合は、その担保を取ったままで寝てはならない。 申命記 24:13 日没のころには、その担保を必ず返さなければならない。 彼は、自分の着物を着て寝るなら、あなたを祝福するであろう。 また、それはあなたの神、ヤーエの前に、あなたの義となる。 申命記 24:14 貧しく困窮している雇い人は、あなたの同胞でも、あなたの地で、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人でも、しいたげてはならない。 申命記 24:15 彼は貧しく、それに期待をかけているから、彼の賃金は、その日のうちに、日没前に、支払わなければならない。 彼があなたのことをヤーエに訴え、あなたがとがめを受けることがないように。 申命記 24:16 父親が子どものために殺されてはならない。 子どもが父親のために殺されてはならない。 人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない。 申命記 24:17 在留異国人や、みなしごの権利を侵してはならない。 やもめの着物を質に取ってはならない。 申命記 24:18 思い起こしなさい。 あなたがエジプトで奴隷であったことを。 そしてあなたの神、ヤーエが、そこからあなたを贖い出されたことを。 だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。 申命記 24:19 あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。 それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 あなたの神、ヤーエが、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。 申命記 24:20 あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。 それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 申命記 24:21 ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。 それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。 申命記 24:22 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。 だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。 申命記 25:1 人と人との間で争いがあり、彼らが裁判に出頭し、正しいほうを正しいとし、悪いほうを悪いとする判決が下されるとき、 申命記 25:2 もし、その悪い者が、むち打ちにすべき者なら、さばきつかさは彼を伏させ、自分の前で、その罪に応じて数を数え、むち打ちにしなければならない。 申命記 25:3 四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。 それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである。 申命記 25:4 脱穀をしている牛にくつこを掛けてはならない。 申命記 25:5 兄弟がいっしょに住んでいて、そのうちのひとりが死に、彼に子がない場合、死んだ者の妻は、家族以外のよそ者にとついではならない。 その夫の兄弟がその女のところに、はいり、これをめとって妻とし、夫の兄弟としての義務を果たさなければならない。 申命記 25:6 そして彼女が産む初めの男の子に、死んだ兄弟の名を継がせ、その名がイスラエルから消し去られないようにしなければならない。 申命記 25:7 しかし、もしその人が兄弟の、やもめになった妻をめとりたくない場合は、その兄弟のやもめになった妻は、町の門の長老たちのところに行って言わなければならない。 「私の夫の兄弟は、自分の兄弟のためにその名をイスラエルのうちに残そうとはせず、夫の兄弟としての義務を私に果たそうとしません。 」 申命記 25:8 町の長老たちは彼を呼び寄せ、彼に告げなさい。 もし、彼が、「私は彼女をめとりたくない。 」と言い張るなら、 申命記 25:9 その兄弟のやもめになった妻は、長老たちの目の前で、彼に近寄り、彼の足からくつを脱がせ、彼の顔につばきして、彼に答えて言わなければならない。 「兄弟の家を立てない男は、このようにされる。 」 申命記 25:10 彼の名は、イスラエルの中で、「くつを脱がされた者の家」と呼ばれる。 :義に過ぎる者は、「哀れみの不足」に注意が必要。 あわれむおうとうちきず 「打算」か「哀れみ」か? 列王記第一 20:29 両軍は互いに向かい合って、七日間、陣を敷いていた。 七日目になって、戦いを交えたが、イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した。 列王記第一 20:30 生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その二万七千人の残った者の上に城壁がくずれ落ちた。 ベン・ハダデは逃げて町にはいり、奥の間にはいった。 列王記第一 20:31 家来たちは彼に言った。 「イスラエルの家の王たちはあわれみ深い王である、と聞いています。 それで、私たちの腰に荒布をまとい、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに出て行かせてください。 そうすれば、あなたのいのちを助けてくれるかもしれません。 」 列王記第一 20:32 こうして彼らは腰に荒布を巻き、首になわをかけ、イスラエルの王のもとに行って願った。 「あなたのしもべ、ベン・ハダデが、『どうか私のいのちを助けてください。 』と申しています。 」するとアハブは言った。 「彼はまだ生きているのか。 彼は私の兄弟だ。 」 列王記第一 20:33 この人々は、これは吉兆だと見て、すぐにそのことばにより事が決まったと思い、「ベン・ハダデはあなたの兄弟です。 」と言った。 王は言った。 「行って、彼を連れて来なさい。 」ベン・ハダデが彼のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。 列王記第一 20:34 ベン・ハダデは彼に言った。 「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。 あなたは私の父がサマリヤにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。 」「では、契約を結んであなたを帰そう。 」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。 列王記第一 20:35 預言者のともがらのひとりが、ヤーエの命令によって、自分の仲間に、「私を打ってくれ。 」と言った。 しかし、その人は彼を打つことを拒んだ。 列王記第一 20:36 それで彼はその人に言った。 「あなたはヤーエの御声に聞き従わなかったので、あなたが私のもとから出て行くなら、すぐ獅子があなたを殺す。 」その人が彼のそばから出て行くと、獅子がその人を見つけて殺した。 列王記第一 20:37 ついで、彼はもうひとりの人に会ったので、「私を打ってくれ。 」と頼んだ。 すると、その人は彼を打って傷を負わせた。 列王記第一 20:38 それから、その預言者は行って道ばたで王を待っていた。 彼は目の上にほうたいをして、だれかわからないようにしていた。 列王記第一 20:39 王が通りかかったとき、彼は王に叫んで言った。 「しもべが戦場に出て行くと、ちょうどそこに、ある人がひとりの者を連れてやって来て、こう言いました。 『この者を見張れ。 もし、この者を逃がしでもしたら、この者のいのちの代わりにあなたのいのちを取るか、または、銀一タラントを払わせるぞ。 』 列王記第一 20:40 ところが、しもべが何やかやしているうちに、その者はいなくなってしまいました。 」すると、イスラエルの王が彼に言った。 「あなたはそのとおりにさばかれる。 あなた自身が決めたとおりに。 」 列王記第一 20:41 彼は急いで、ほうたいを目から取り除いた。 そのとき、イスラエルの王は、彼が預言者のひとりであることを見た。 列王記第一 20:42 彼は王に言った。 「ヤーエはこう仰せられる。 『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。 』」 列王記第一 20:43 イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。 :神はこのようにして、人を見分ける。 あわれむかみ 神は情が深い 士師記 10:16 彼らが自分たちのうちから外国の神々を取り去って、ヤーエに仕えたので、ヤーエは、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。 マタイ 12:7 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。 』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。 :イエスは神の哀れみを何度も説明した。 あんそくびにいやす 規定より大事なものがある マルコ 2:23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。 すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。 マルコ 2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。 「ご覧なさい。 なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。 」 マルコ 2:25 イエスは彼らに言われた。 「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。 マルコ 2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。 」 マルコ 2:27 また言われた。 「安息日は人間のために設けられたのです。 人間が安息日のために造られたのではありません。 マルコ 2:28 人の子は安息日にも主です。 」 マルコ 3:1 イエスはまた会堂にはいられた。 そこに片手のなえた人がいた。 マルコ 3:2 彼らは、イエスが安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていた。

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