武豊 ファン。 【競馬】武豊「ファンから観るスポーツが競馬しかないと言われた、ジョッキーは今週も頑張ります」: オルフェンズの仔~~競馬ネタ予想まとめ

武豊オジュウチョウサン「疑惑の勝利」にファン騒然……”勝利寸前”で手を緩めたM.デムーロ騎手に「忖度」疑惑

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無観客競馬に、季節外れの雪。 先週、日曜日の中山は3レースの返し馬で以降のレースが中止となりました。 前が見えなくなるほどの激しい雪で、寒さも相当だったとか。 ジョッキーは競馬場に居残って翌日の調教を手伝い、外にも出ずに火曜日の開催を待ったそうです。 外に出なかったというのは、コロナの影響で開いているご飯屋さんもなかったということのようです。 まさに貴重な経験をしたということでしょう。 これを笑いながら思い出話にできる日が、一日も早く来てほしいと切に思います。 先週から我々騎手も、馬に乗るとき以外は原則マスク着用となりました。 騎手ほどよく手を洗い、シャワーを浴びることが多い職種も珍しいと思うのですが、それでも念には念を入れてということです。 無観客であっても、競馬の開催が続けられているのは大変ありがたいことで、ファンの皆さんからも「見るスポーツがなにもなくなってしまった。 競馬だけが唯一の楽しみです」と声をいただいています。 だからこそ、ボクらは今週も全力プレーを続けます。 いつもありがとうございます。 オルフェンズの仔管理人です。 blog. また変更した独自ドメインにてシーサーブログ様への移転を予定しております(10月中旬。 移転後も下記の新しい独自ドメインで運用します)。 お手数かけて申し訳ありませんがURLとRSSは下記のように変更になるので登録し直していただけるとありがたいです。 お手数かけて申し訳ありません。 気づいた時でいいのでよろしくお願いいたします。 独自ドメイン変更とシーサーブログ移転(現独自ドメインにてシーサーブログ様の誘いがありました事により)にて今までより検索エンジン流入やシーサーブログ様からのアクセス流入などで移転後は今まで以上にアクセス送れるよう頑張ります。 変更は下記のとおりです。 blog. blog. rdf 下記に変更になります。 rdf 記事は今まで通りRSS取得されていますが逆アクセスで反映されないため下記の新しい変更後のRSSに切り替えていただけるとありがたいです。 またお世話になってるアンテナサイト様には 独自ドメイン移籍による他の作業などでいろいろ立て込んでいてアクセスを送る数が以前と比べて少なくなってしまい申し訳ありません。 シーサーブログの方に誘っていただき手伝っていただいていて、移転後(10月中旬以降)には今までの水準以上にアクセスを送れるよう頑張りますのでどうかよろしくお願いいたします。 すいませんがよろしくお願いいたします。 キタコレ.

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騎乗予定・成績鳴尾記念(GIII)サトノルークス• 武豊ファンミーティングレポート-2019- 武豊ファンミーティングレポート-2019- NEW 今年で7回目を迎える武豊ファンミーティング。 例年同様、今年も武豊オフィシャルカレンダーを御購入、御応募頂いた方の中から抽選で250名様をご招待しての開催となりました。 今年も日本全国から大勢のファンの皆様にご参加頂き、武豊、スタッフ一同、心より感謝致します。 今までの様な形でのファンミーティングは今年が最後となり、来年以降は形を変えてファンの皆様との交流ができたらと検討しています。 そんな節目となるファンミーティングへの参加が叶わなかった皆様の為に、簡易ではございますが「武豊ファンミーティング2019」のレポートをお届けしたいと思います。 武豊ファンミーティングではお馴染みとなっているタレントの見栄晴さんが、今年もMCを務める形で会はスタート。 見栄晴さんの絶妙なトークで会場が温まったところで、武豊騎手の2018~2019年2月までを振り返るVTRが流れ、その後に武豊騎手が大きな拍手に包まれながら黒いスーツで入場。 登壇してからすぐに「この形でのファンミーティングは今回が最後になりますが、また別の形で皆さんとは繋がって行けたらいいなと思います」とコメント。 また新しい形での交流の場を設ける可能性があることを伝えました。 まずオープニングトークとして、見栄晴さんと武豊騎手の席の位置がいつもと逆ではないかということから始まり、これに対して武豊騎手は「今日は見栄晴さんのファンミーティングということで(笑)。 インスタも始めたことですし」といきなり笑いを取っていました。 ちなみに見栄晴さんのインスタ開始日のフォロワーが4人で、その内の2人が知り合いだったことも暴露して、さらなる笑いを誘っていました。 今季の武豊騎手の調子の良さについて見栄晴さんが振ると、武豊騎手は「この時期は花粉症なので喉が痛いです。 レースの時はあまり気になりませんが、5、6年前から花粉症で、ついにこの前、レーザーで鼻の奥を焼いたんです」と、競馬の成績ではなく、多くの方と同様に花粉症であることをカミングアウト。 会場に集まったファンの皆様のほとんどが「武豊が花粉症とは意外」というような表情をしていました。 さらに、もうじき50歳になることに「全然、ピンと来ないんです。 子供の頃に50歳っていうと、もの凄くおじさんというか、初老だと思っていたんですよね。 それにしても見栄晴さんは老けていますね。 僕と2歳しか違わないのに(笑)。 僕は30代半ばからはあまり変わってないと思いますよ。 でも髪の毛は付けているんです。 嘘です(笑)。 」と序盤から絶妙なトークで会場を大いに盛り上げていました。 さて、本編に入ると、最初に触れた話題は昨年に達成した4000勝の話から。 レース映像を見ながらのトークとなりました。 「2018年を迎えた時に、夏ぐらいじゃないかと気楽に考えていました。 決めた日は残り3勝だったんですけど、達成したレースの前にメイショウラケーテという単勝1. 7倍の馬に乗っていて、そこかなと思っていたら負けてしまって、全く頭になかったメイショウカズヒメの方で勝てましたね」とコメント。 映像ではレース後に同僚のジョッキー達が4000勝Tシャツと帽子を被って出てきたシーンを見て「これは嬉しかったですね。 何にも聞いて無かったので。 丁度、このレースの発走前にタイミング良く雨が上がったので、ここで達成できたら良いなと思っていました」と喜びを露わにしていました。 見栄晴さんが「今までユタカくんからは、あまり数字に関する事を聞いたことが無かったけど、この4000勝のあとは、初めて次は5000勝という具体的な数字を言っていたけど、これはどういう意味があるの?」と質問すると、「ただ単に5000勝したいなと思ったからですね。 なんか今回の4000勝が最後の大きな区切りだろう的な空気だったので、それを否定したかったということもありました。 今回はJRAがもの凄く盛り上げてくれて、3000勝の時とは違うぞという感じだったんです。 それで、これが最後の大きな区切りだと思ってるんじゃないかなと…(笑)。 ですから5000勝を目指しますと、はじめて具体的な数字を言いました。 次は4100勝の時にも何かあるんでしょうけど、きっと地味でしょうね。 4500勝までは何もやらないでいいと言ってみようかな(笑)」と自らの大記録をも笑いに変えて会場を盛り上げていました。 今年に入ってからの成績の話題に入ると見栄晴さんが「毎年、1月~3月までの勝ち鞍が多いんですが、その4000勝の中で1番勝っているのは11レースなんですよ」とコメントすると、武豊騎手は「さすがですね。 やっぱり賞金が高いですし、11レースは大好きです」と切り返し、ここでも場内は大爆笑。 まるで漫才を見ているようでした。 JRA賞で特別賞の表彰を受けた事に対しては「G1も勝っていないし、自分の乗っていた馬が表彰された訳でもなかったので、JRA賞には行けないなと思っていました。 だから特別賞は嬉しかったです。 でも、壇上に上がっている時は、やっぱりタイトルを取りたいなと思いましたね。 昨年は騎手部門をルメールがほぼ独占したんですけど、やっぱり騎手タイトルで上がりたいです。 それと今年のリーディングは中々難しいですかね。 もう(ルメール騎手に)並ばれましたから。 もう少しゆっくりして欲しかったです(笑)。 でも諦めてはないですよ」と意欲的な様子も見せていました。 続いては、先日、インティに騎乗して勝利したフェブラリーSの話へ。 「やっぱり1年の最初のG1で勝つのは気持ちいいですね。 勝ったから言う訳ではありませんが、たぶん勝てるんじゃないかなと思っていました。 京都の1000万クラスを馬なりでブッ千切って勝った時に、この馬は凄いぞと感じました。 今まで乗ったダート馬にはいないタイプです。 今回、東京のマイルに代わることは絶対にプラスだと思っていました。 もし、中京の1800mと東京の1600mのどちらかを選べと言われたら、初めてでも東京の1600mを選んでいましたね」とコメント。 そして、レース映像を見ながらのトークとなり「隣のサクセスエナジーが行くのかなと思って見ていましたが、意外ともたついていたので、じゃぁ行こうかなと思って逃げました。 前半を35秒台後半で行けたらと思っていたので、理想通りの良いペースでしたね。 直線では手前を変えなかったんですけど、手応えは凄く良かったです。 他の馬の動向よりも自分の馬の脚色が衰えるかどうかというところを注意していて、全く問題はありませんでした。 本当に強かったです。 未勝利勝ちから負けてないんですから凄いですね。 ただ、インティってモノ凄く走りたがるタイプなので、この時(レース後)も止まらないんです。 止まらないから手も挙げられないので、ガッツポーズが出来なかったんですよ。 スタンドに向かって笑顔だけということになってしまいました(笑)。 それで検量室前に行ったら報道陣の半分ぐらいが、藤田菜七子騎手を追っていたので、『こっちこっち』って思っていましたよ(笑)」と笑いを交えながらフェブラリーSを振り返りました。 フェブラリーS回顧の後半には「今回の勝利でブリーダーズカップへの優先出走権を得ました。 調教師さんはかなり慎重なんですけど、僕としては是非行って欲しいです。 ただ、登録料がめちゃくちゃ高いんですよ。 種牡馬がBC登録をしていれば安いんですけど、ケイムホーム(インティの父)は登録をしていないので高いんです。 僕が登録料を払いますから行きましょうって言いたいですよ。 そこまで楽しみな馬です。 スピードもあるし、アメリカのダートは小回りなので、こういう馬で行きたいですね。 左回りの小回りは絶対に合っています」と愛馬を好評価していました。 次のトークテーマとなったのは武豊騎手が近々に騎乗を予定している注目馬について。 各馬に対するコメントをまとめてみました。 ただ残念というのは馬の走りではなく、レース内容が良くなかったので悔しかったということです。 丁度、先週、競馬場で藤沢先生に会った時に『良くなっているよ』と言われました。 調教では前の2頭が飛ばし過ぎて遅れたみたいですけど、それはあまり関係ないです。 レース前にイレ込む馬なので、そこは心配していますけど、桜花賞はチューリップ賞と同じ舞台なので、それを頭に入れて乗りたいですね。 頭数は少ないんですけど、メンバーが強くなっていますからね。 それでも権利は取りたいです。 中山の2000mでは負けていますけど、良いレースをしているので意外と大丈夫だと思います。 あまり凄く速い脚はなさそうなんですけど、国枝厩舎、サトノでディープインパクト産駒というだけで走りそうなイメージはありますよね。 共同通信杯以来かな。 調教で乗ったんですけど、以前より強くなっていたので楽しみです。 大阪杯を目指すことになるんでしょうけど、その時、僕はドバイに居るので、乗れないのは残念です」 以上の3頭に対してのコメント後には「今年26勝(2月24日現在)しているんですけど、勝った馬は全部個人オーナーの馬なんです。 これは自慢ですね。 リーディングの可能性もゼロではないので頑張りますよ」と意気込みを語りました。 写真で振り返る武豊騎手の半世紀 そしてファンミーティングは後半戦へ突入。 写真を見ながら50歳を迎える武豊騎手の半世紀を振り返るというコーナーです。 ここでは実際に会場で公開された写真をお見せします。 貴重な写真に合わせて、一部ではありますが武豊騎手のコメントをお楽しみ下さい。 「これは僕が中学1年生の時で、横にいるのが2つ上の須貝尚介調教師です。 あの頃は仲が良かったんですよ(笑)今もですけど。 一緒に乗馬をやったりしていました。 栗東中学は競馬関係者の子供が多かったので、みんな仲良くしていましたよ。 競馬学校も3年と1年で一緒でしたね。 小さい頃から騎手になりたいと言っていて、小学校5年生から本格的に乗馬を始めました。 中学3年生の時に池江泰寿(調教師)さんと一緒に大会に出て僕が勝ちましたよ(笑)。 須貝さんの1つ上には藤原英昭(調教師)さんとか、インティの野中賢二(調教師)さんとか、大久保龍志(調教師)さんがいました。 僕が小学校5年生の時に初めて乗馬で馬に乗った時に、引っ張ってくれたのが野中賢二さんだったんです。 だからインティで勝った時は、その頃の事を思い出しましたね。 先日、一緒に野中さんと食事をした時にその話になって、覚えていてくれて嬉しかったですね。 昔からすごく優しい人でした。 」 「これは競馬学校のトレセン実習といって、栗東トレセンで実習していた時の写真です。 凄い写真ですね。 僕の右にいるのが河内(調教師)さん、その後ろにいるのがオヤジです。 騎手を引退して開業前までの技術調教師をやっていた頃になります。 左に写っているのは石橋守(調教師)さんで、新人騎手時代ですね。 この頃もオヤジからはあまり何も言われませんでした。 河内さんの兄弟子がオヤジだったので、「河内の言う事を良く聞いておけよ」と言われるぐらいでしたよ。 石橋さんは子供の頃から仲が良かったので優しかったです。 河内さんは当時リーディングジョッキーだったので憧れでした。 今でも会うとピリッとしますよ。 怒られるとか細かいことを言われるとかではなくて、今でも憧れの存在なので、座っている時に歩いてきたら、立って挨拶しないといけないと思います。 でも、これは河内さんもオヤジもアゴ紐を外しているのでダメですね(笑)。 今は調教中にアゴ紐を外したらいけないルールがあるので怒られますよ(笑)。 そういえば、この頃に家族がある事をやらかしました。 競馬学校2年生の夏に一度だけ家に帰ることが出来るんですよ。 それで、千葉から栗東に向かっていて、草津駅あたりから迎えにきてもらおうと思って実家に電話したら、家族全員で京都に引っ越していたんです。 誰も教えてくれなかったんですよ(笑)可愛い息子が1年半ぶりに帰ってくるのに、忘れていたって言うんですから(笑)僕はもう栗東まで来ていて、その時に盆踊りをやっていたから、そこに行けば同級生に会えるので、友達の家に1泊しました。 本当に衝撃的でしたよ(笑)」 「これは幸四郎ですね。 たぶん、競馬学校の卒業式だと思います。 幸四郎は馬に頭を噛まれて困っているみたいですね(笑)。 この頃の幸四郎は小学校の低学年ぐらいですけれど、騎手になりたいって言っていましたよ。 この頃は可愛かったです。 まさかこの時に幸四郎が調教師になるとは…。 不思議ですよ。 幸四郎の初勝利が重賞(マイラーズC)で、その時は僕も中山で弥生賞を勝っていましたし、調教師のデビュー戦も僕が乗って勝ちました。 どっちが持っているんでしょうね(笑)。 昨年のこの会でも幸四郎の調教師デビュー戦が話題になり、見栄晴さんも見にきてくれたんですよね。 でも違う馬の馬券を買っていて「なんて人だ!」と思いましたよ(笑)」 見栄晴さんは「それは勘違いです。 3レースを買ったというだけで、単勝記念馬券は買っていました」と大慌てでした。 「これは有名なシーンですね。 有馬記念を勝ってウイニングランをしているところになります。 この時の中山競馬場のスタンドの景色はもうあの時だけですね。 中山競馬場に17万人ですから。 これがあってから入場制限ができたんです。 さすがに見ていて危ないなと思いました。 スタンドに隙間が全くありませんでしたから。 この間、横山典さんと話をしていて、この時の2着(メジロライアン)が典さんでしたからね。 そうしたら典さんが「いや~、あの時、俺負けて良かったよ」って言っていました。 「あのオグリキャップが勝ったおかげで競馬の人気が出たし、こうやって後々語り継がれるレースになっているし。 レース後は凄く悔しかったけど、今思えば2着で良かったな」って。 僕自身もこのレースで関東のファンに認められた感じはしました。 この当時は東西の競馬の対抗意識が強くて、関西の若造みたいに見られていたので、関東に乗りに行ってもファンとかの風当たりが冷たいなと感じていたんです。 でも、このレースを期に変わった感じがします」 「これはフランスの競馬場になります。 なぜか向こうは座って検量するんです。 凄く大雑把ですよ。 ここはクレールフォンテーヌという競馬場だと思いますけど、凄くアバウトですね。 ペリエとか体重が重くて、この斤量をどうやって乗るのかと思っていたら、ずっと体重計を揺らしていましたよ(笑)。 それでもOKです。 フランスですから(笑)。 逆に日本は厳しいですよ。 コンマ2kgまでは大丈夫ですけれど、それを越えるとペナルティーを課せられます。 今までに乗った海外の競馬場は数えていないですけど、30場ぐらいは行っていると思います。 ロンシャン競馬場は好きです。 アメリカのサンタアニタ競馬場は慣れているということもあって、居心地が良い感じがします。 今年の夏もフランスに行きたいです。 昨年、フランスで勝ったジェニアルが現地に残っていて、もうすぐ今シーズンがスタートするので、平日のレースに出るなら乗りに行きたいなと思っています」 「これも小倉になりますね。 オヤジが達成したみたいな写真ですね(笑)。 オヤジは調教師引退後は息子2人のレースを、家でただ見ているという感じだったみたいです。 たまに電話もありましたよ。 お小遣いが欲しい時とかに遠まわしに(笑)。 同じ道を行っていたので、そういう意味ではちょっとは親孝行的なことは出来たかなと思いますよ。 今年、幸四郎厩舎でメイショウの馬で勝った時は、もしこの場にオヤジがいたら凄く喜んだんだろうなと思いましたね。 その口取り写真の時に、オヤジの大親友で、今はメイショウのレーシングマネーシャーをやっている方が、涙を流されていました。 その時にその方とオヤジの関係が凄く伝わって来たので、自分も将来、そういう友達がいたらいいなって思いました」 A. 「全部、自前です。 普通に京都で買いに行きます。 よく行く店もありますよ。 僕は割と細いので合わないブランドが多いんです。 僕が行っているところは細い服をたくさん取り扱っているセレクトショップのgujiという店ですね。 ミルコやクリストフにも教えたんですけど、そこはイタリア物ばかりなんです。 だけど、ミルコがどっぷりとハマって、僕より先に良いモノを取っていくんですよ。 服がカブッたこともありますよ(笑)。 今度はミルコがクリスチャンを連れて行くので、2人共イタリアで買えよって思いますね(笑)。 イタリアにはサイズが無いって言うんですけど、イタリア人のクリスチャン・デムーロが京都に来てイタリア物を買うというのも…(笑)」 A. 「いや、実は僕、そのレースを覚えていないんです。 勝ったレースで覚えて無いっていうのは、ほとんど無いと思うんですけど…。 ドイツではバーデンバーデンに行って勝ったのは覚えているんですけど、フランクフルトに行ったかなという感じです。 多分、2001年とか2002年は拠点をフランスに置いていた時なので、毎日色々なところへ行っていて、何処へ行くかとか考えていなかったんですね。 明日はどこ、明後日はどこどこという感じで、どこに行っているのかも分からない時があったので、覚えていないんだと思います。 ドイツで覚えているバーデンバーデンは、岡部さんと一緒だったんです。 僕が高熱を出して、でも招待レースだったので乗らないといけなくて、乗ったら勝ったんですよ。 その週に、岡部さんと一緒にフランスへ行って、普通に乗っていたんです。 僕が熱を出していたから、岡部さんがユンケルをくれたんですよ。 それを飲んでレースに乗ったら、その日に抜き打ちのドーピングテストがあったんです。 ユンケルなら問題ないだろうと思って、そのまま検査をしたら、何か飲んだのっていう話になったんですよ。 でもユンケルって何て言ったらいいんだろうって思って、持っていた箱を見せたんです。 箱を見ても分かる訳ないと思いましたが、それで問題なかったですね」 ここでファンからの質問コーナーは終了。 続いてファンミーティング史上最多となる74個のサイン入りグッズのプレゼント抽選会に移りました。 当たった皆様は満面の笑みでプレゼントを受け取っていました。 そして、イベントの最後は武豊騎手から来場されたファンの方々へのメッセージでお開き。 「あっという間の2時間でした。 本当に皆様にはいつも応援して頂き、ありがとうございます。 やはりこういう仕事をしていると人から応援して頂けるということはモノ凄く力になりますし、皆さんにもっと頑張ろうという気にさせて頂いています。 競馬は色々あって中々上手く行かない時もありますけど、辛抱強くやっていれば、また良いことがあったりとか、そういう繰り返しで32年やってきました。 まだまだ、やって行こうと思っています。 今後も是非、応援してください。 また、こういう形のファンミーティングでなく、形を変えて皆さんと近くで交流できたら良いなと思っています。 まずは競馬を頑張りますので応援して下さい。 今日はありがとうございました」とファンの皆様にメッセージを送り、大きな拍手に送られて会場を後にしました。 終始、和やかで笑いが絶えない雰囲気の中で武豊ファンミーティング2019は終幕しました。 Text by ファンミーティング運営事務局•

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武豊騎手が「掟破り」の騎手会長再任! 今年48歳の”レジェンド”に「後継者」が現れないのは競馬界の「恥」?

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やはり 武豊の跡を継げるような「カリスマ」は誕生しないということなのだろうか。 JRAは16日、日本騎手クラブの会長に武豊騎手が再任したことを発表した。 これで2010年から、3期連続での騎手会長を務めることになる。 騎手会長は元来、任命された騎手が引退まで全うすることが慣例となっていた。 しかし、近年はその負担が増大したため、2005年からは騎手会長を務めていた柴田善臣騎手が相談役に退き、10年から武豊騎手が務めている。 日刊スポーツによると、その際に「1期2年で、最長でも2期まで」という取り決めを設けていたはずだったのだが……。 「まあ、武豊騎手に継いで騎手会長になるということは、イメージ的には武豊に次ぐ騎手の顔役になるようなものですからね。 候補になりそうな人は何人かいますが、なかなか積極的に手を挙げるのも難しいと思います。 また、今の騎手会長はあれこれと負担が大きく、本業に影響が出る可能性もあるため、誰もやりたがっていないのが現状のようですね。 東京への出張も多いのか、武豊騎手の前はすべて関東の騎手が担当していました。 福永祐一騎手や川田将雅騎手、和田竜二騎手、幸英明騎手などは、騎手会長になれるだけの実績や知名度の持ち主ですが、関西所属騎手の負担はより大きくなってしまうため敬遠されがちなようです。 ただ、その一方で近年の武豊騎手の低調は『騎手会長の激務が影響しているのでは』という声もありますね。 プロ野球の選手会長もそうですが、昔よりも今の方がやりたがる人は減っているのは確実かと。 時代の流れですかね」(競馬記者) ここ数十年間における競馬界の最大の「至上命題」は、間違いなく武豊騎手の後継者を如何に作り上げるかに尽きるだろう。 競馬を単なるオヤジのギャンブルから、昨今の華やかなイメージに変えたのは、胴元のJRAの運営努力も然ることながら、武豊騎手の存在はそれと同等といえるほど大きいように思える。 一年中、ほぼ休みがない日本競馬スケジュールで、競技の第一人者として積極的にメディアに出演し続けている武豊騎手の姿は「競馬の発展に最も大きな貢献を果たした」と述べても決して過言ではないはずだ。

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