米津玄師 lemon 歌詞 意味。 【米津玄師/Lemon】歌詞の意味を解釈

米津玄師「Lemon」歌詞解釈と意味‐レモンやあなたはなにを意味するのか?‐│BUMP OF CHICKENの書庫

米津玄師 lemon 歌詞 意味

米津玄師 Lemon 今回は米津玄師さんの9th single「Lemon」について語っていきたいと思います。 言わずと知れた名曲であり、込められた想いやどんな曲なのか知っている人も多いとは思いますが、改めて真っ新な気持ちで聴き直し、私なりの解釈を起こしてみました。 米津さんのファンの方も、「Lemon」が大好きなあなたも、一人のファンの意見として楽しんで頂ければと思います。 尚、まず概要にはなりますが、 「Lemon」はドラマ「アンナチュラル」の主題歌として起用されておりました。 ドラマの雰囲気にもかなりマッチしており、ドラマ自体もかなり視聴率が高かった印象な為、ドラマで初めて聴いたという人も多いのではないでしょうか。 ドラマの内容にもしっかりと沿ったサウンド、歌詞ですが、 あらゆる角度から見ることでそれはそれぞれの大切な人へ向けられた恋心(大切に思う気持ち)であることが見えてきます。 それでは早速、曲の中身に入っていきましょう。 まずは歌詞を載せます。 それでは歌詞を一区切りずつ解釈していきましょう。 心にあなたは残り続け、心の雨は降り続けるのです。 私は私を半分失った様です。 この想い全てを晴らすのがあなたという存在なのです。 改めてじっくり聴いて、自分の言葉で書くと これ程までに苦しく、切なく、愛に満ち溢れた気持ちにさせられるのかと感じました。 人の感情の深さが、想いの深さが詰まりに詰まっているのを感じさせられます。 これ程までの感受性・・・本当、心に来るものがあります。 「Lemon」のサウンド。 落ち着いたメロディ、 ボーカルにフォーカスが終始当てられている印象です。 キャッチーではないのに、その歌い方、盛り上がり方からか、自然と口ずさんでしまうような頭に残るフレーズが多いです。 ピアノ、ギター、どの楽器も決してボーカルを邪魔することなく、 ひたすら聴き心地良くする為にリズムが刻まれ、ボーカルをこれでもかと引き立ててくれます。 ボーカルのエフェクトは米津玄師さんの楽曲らしさあるコーラスを交えながら、比較的メインボーカルの部分が多い印象です。 最後に・・・ 如何だったでしょうか。 正直、ここまで有名になった曲について書くのは、賛否両論が生まれる印象があった為怖かったのですが、少しでも良いなと感じて貰える方が居ればうれしいです。 米津玄師さんの世界観はこれからも留まることなく音に乗せて届けてくれることでしょう。 これからも米津さんの世界に一緒に浸りましょう。

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米津玄師の名曲『Lemon』の歌詞やPVの意味は?「ウェッ」は何?

米津玄師 lemon 歌詞 意味

2016年9月28日に発売される米津玄師の新曲「LOSER」。 スポンサーリンク 米津玄師はその歌にどんな意味や想いを込めたのか、歌詞を分析して考えてみたい。 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師 1番の歌詞について いつもどおりの通り独り こんな日々にもはや懲り懲り もうどこにも行けやしないのに 夢見ておやすみ いつでも僕らはこんな風に ぼんくらな夜に飽き飽き また踊り踊り出す明日に 出会うためにさよなら 今回のMVによって、米津は曲が書けて歌えるだけじゃなくて、踊ることもできる才能人であることがわかったが、それでも米津は常にどうしようもないくらいに孤独を抱えている人間なわけである。 その気になればチヤホヤされるような人生を歩むことだってできそうなはずなのに、どうしようもないほどの孤独感を抱えているからこそ、米津の歌詞は刺さるわけだし、同じような心を持った多くの人を魅了するわけである。 一人ではなく、独りという言葉でそれを表現するあたり、この歌詞にもそんな思いが色濃く滲んでいる。 でも、孤独な人だって本当は好きで孤独を選んでいるわけではない。 人と「合わせよう」とすることに疲れてしまうし、上手に「話の旨い人」を演じることができず、ゆえに過剰に相手のことを考えてしまい余計に上手く喋ることができないループに迷い込んでしまうからこそ、孤独になってしまう人はわりと多い。 だから、孤独である日々は懲り懲りなんだけど、かといって、どこにも行くことができずに結局は寝ることを選択するわけである。 ただ、米津はこの歌を自分と聴き手に対して向けた歌だと考え、かつ孤独である人たちのための歌であると考えているからこそ、歌の人称は「僕ら」という複数形を使うのである。 でも、そんな孤独な夜のことをぼんくらな夜と形容しており、今と違う未来を切望していることがひしひしと伝わる。 その決意のバトンは、次のフレーズに紡がれていく。 歩き回ってやっとついた ここはどうだ楽園か? 今となっちゃもうわからない 四半世紀の結果出来た 青い顔のスーパースターがお腹空かしては待ってる 孤独に夜の通りにいた主人公ができることは歩くことのみだった。 で、歩き続けた果てに新しい場所に出たのだろう。 ちなみに四半世紀とは25年のことであり、米津は今25歳なので、ぴったりとリンクするのである。 ということは、青い顔のスーパースター=米津ということだろうか。 この辺りのフレーズは、音楽だけを信じて色々と活動を続けてきて、それなりにたくさんの人に聴いてもらえるようになったけども、いま行き着いた場所(地位)は楽園だろうかと自問をしている米津自身の姿が見え隠れしているように感じた。 今の場所や地位が正しいかどうかはわからないけれども、正しいことを信じて待っているように見えるわけだ。 アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう もう一回 もう一回行こうぜ 僕らの声 アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた いつか ポケットに隠した声が 傍目からみたら勝ち組見える米津は自分のことをルーザー=負け犬と称する。 犬だから次に「遠吠え」というフレーズが出るわけだが、自分が歌うことを「遠吠え」と表現しちゃうのは日本でも米津くらいではなかろうか。 「僕ら」というのは米津と聴き手を含めているからと考えることができるわけだが、負け犬にしておくのは自分だけで十分だということだろうか。 もっと言えば、この歌を聴いているあなたたちは負け犬でないよ、としっかり線引きしていることだろう。 俺は負け犬だけど、みんなは違うから大丈夫だよ、と言わんばかりに。 スポンサーリンク 2番の歌詞について ああだのこうだの知ったもんか 幸先の空は悪天候 ほら窓から覗いた摩天楼からすりゃ塵のよう イアンもカートも昔の人よ 中指立ててもしょうがないの 今勝ち上がるためのお勉強 朗らかな表情 幸先とは前兆とか事を始める際の何か感じることとかそういう意味になる。 要はもう一回行こうぜと決意を新たにしたはずなのに、いきなり空は悪天候で何か悪いことが起きそうと予感するわけである。 摩天楼=天に届かんばかりの高い建物、つまり人生の比喩みたいなものであろう。 そういう広い視野からみれば、そんな悪天候なんて塵のように大したことないはずだと公言するわけである。 カートはたぶんカート・コバーンのことだと思うが、イアンという名の有名ロッカーはわりと多い。 孤独ということとリンクすることを考えれば、イアン・カーティスのように思われるが。 まあ、いずれにせよロックのレジェンドの名前をあげていることは間違いないのだが、その人たちは孤独から這い上がり、有名になってお金を稼ぐことになった人たちで、いま本気で孤独な人からすれば「中指をたてる」存在なのかもしれない(人によると思うけど)。 まあ、成功した人を妬むのではなく、朗らかな表情で自分なりの努力していこうよ、と言っているのではなかろうか、この片のフレーズは。 踊る阿呆に見る阿呆 我らそれを傍から笑う阿呆 デカイ自意識抱えこんではもう 磨耗 すり減って残る酸っぱい葡萄 膝抱えてもなんもねえ ほら長い前髪で前が見えねえ 笑っちまうねパッと沸き立って フワッと消えちゃえるこんな輪廻 理由は簡単でみんな阿呆なのであり、「賢い人」なんていないと米津は言っている。 阿呆に見える人を阿呆と思っている自分だって阿呆なんだよ。 それなら阿呆を受け入れて行動起こす人間が勝ちじゃんというわけだ。 自意識をデカくして磨耗して、酸っぱい葡萄みたいになるのは間抜けだともいうわけである。 膝かかえて行動しないでいたら、輪廻なんて消えちゃうよというわけである。 簡潔にいえば、細かいことなんて気にせずどんどんと行動しようぜ、という話。 だって、君たちは負け犬じゃないんだから、と。 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうのほうへ ああわかってるって 深く転がる 俺は負け犬 ただどこでもいいから遠くへ行きたいんだ それだけなんだ ただ孤独を嘆くのではなく、孤独が嫌ならばせめて「愛されたい」と周りにメッセージを放つことが大事だという米津。 思っているだけじゃ伝わらないというのはあまりにも的確な叱咤ではなかろうか。 淑女とは品位のある女性、いわば女神みたいなもんという感じ。 そんな人ですら、黙っていればそっぽ向いちゃうし、天国だって遠くの方にいってしまうと言っている。 これほどまでに頭でっかちで行動しない人に対してお説教をくらわすなんてすごい。 おそらくは負け犬である俺だって行動したら、「それなり」になれたのだから、負け犬ではないみんななら、もっと上を目指せるよという話なのだと思う。 ただし、負け犬だって負け犬なりに「動いた」からこそここまで来れたわけであり、それは「転がる」という無様な動きであろうとも、動くことを続けてきたがゆえの結果なわけだ。 とにかく「動く」ことがなによりも大事なんだとここで力説するわけである。 Cメロ~大サビについて 耳をすませ遠くで今 響きだした音を逃すな 呼吸を整えて いつかは出会えるはずの 黄金の色したアイオライトを きっと掴んで離すな アイオライトとは天然石のことである。 まあ、これはひとつの比喩であり、希望とか夢とか愛とかの例えなのであろう。 (黄金という修飾語が付いているわけだし) みんなも、きっとそういうものに出会えるはずだ。 だから、出会ったら絶対にそれを離すなよ、というわけである。 アイムアルーザー なんもないならどうなったっていいだろう うだうだしてフラフラしていちゃ 今に 灰 左様なあ アイムアルーザー きっといつかって願うまま 進め ロスタイムのそのまた奥へ行け 今が人生のロスタイムだとしてもいいじゃないか。 うだうだしてフラフラしているだけなら灰になる(要は死んでしまう)だけなのだから、願いながら行動しようぜという話である。 愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね 永遠の淑女もそっぽ向いて 天国は遠く向こうのほうへ ここいらでひとつ踊ってみようぜ 夜が明けるまで転がっていこうぜ 聞こえてんなら声出していこうぜ どう「動けば」いいのかわからないなら、せめて「踊ろう」というわけである。 身体を動かすことがまずはなによりも大事なことであり、自身を負け犬だと自称する米津だからこそ「行動できない人」の悩みとか苦悩とかがわかっており、逆に言えば、身体を動かすことの大切さもなおのことよくわかっているから、それを勧めるわけだ。 声もだせたらなおよし、といっている。 アイムアルーザー どうせだったら遠吠えだっていいだろう もう一回もう一回行こうぜ 僕らの声 アイムアルーザー ずっと前から聞こえてた いつかポケットに隠した声が ここいらでひとつ踊ってみようぜ 夜が明けるまで転がっていこうぜ 聞こえてんなら声出していこうぜ ポケットに隠した声とは胸の中にしまった己の夢に対する本音というふうにも解釈できる。 それはずっと前から聞こえてたはずで、本当は自分がどのように「動きたい」かもわかっているはずだというわけである。 綺麗に動く必要はない。 最初は転がるくらいでもいいじゃないか。 動こうよ。 できれば、声も出しながら。 そしたら、ただの孤独なだけの人生に光は指すから。 負け犬の俺に少しは光が差したように。 君の人生に光は必ず指すから。 米津は聴き手と本気で向き合いたいと思っているからこそ、ここまで辛辣な言葉を並べているのだと思う。 やったことのないダンスにチャレンジしたのも、そういう理由からなのかもしれない。 ハチっぽいサウンドにしたのも、米津の過去(孤独な過去)を少しでも意識させるような作りにしたかったからなのかもしれない。 関連記事: 関連記事: スポンサーリンク.

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米津玄師Lemonレモン歌詞の解釈・考察してみた【アンナチュラル】

米津玄師 lemon 歌詞 意味

Lemonの歌詞全文 夢ならばどれほどよかったでしょう 未だにあなたのことを夢にみる 忘れた物を取りに帰るように 古びた思い出の埃を払う 戻らない幸せがあることを 最後にあなたが教えてくれた 言えずに隠してた昏い過去も あなたがいなきゃ永遠に昏いまま きっともうこれ以上 傷つくことなど ありはしないとわかっている あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに 胸に残り離れない 苦いレモンの匂い 雨が降り止むまでは帰れない 今でもあなたはわたしの光 暗闇であなたの背をなぞった その輪郭を鮮明に覚えている 受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ 何をしていたの 何を見ていたの わたしの知らない横顔で どこかであなたが今 わたしと同じ様な 涙にくれ 淋しさの中にいるなら わたしのことなどどうか 忘れてください そんなことを心から願うほどに 今でもあなたはわたしの光 自分が思うより 恋をしていたあなたに あれから思うように 息ができない あんなに側にいたのに まるで嘘みたい とても忘れられない それだけが確か あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに 胸に残り離れない 苦いレモンの匂い 雨が降り止むまでは帰れない 切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光 歌詞の主題と本人へのインタビュー記事 こちらの曲、ドラマ「アンナチュラル」の主題歌として書き下ろされました。 音楽ナタリーのこちらのに詳しく書かれています。 「人間の死」が歌の主題となっていること、祖父の死が曲の制作に大きな影響を与えたことが語られています。 「傷付いた人を優しく包み込むようなものにしてほしい」というオーダー に対して、 「あなたが死んで悲しいです」とずっと言ってるだけの曲になった。 と語っています。 死別した相手への悲しい思いを純粋につづった曲であると考えられます。 レモンの比喩について レモンの比喩については、小説家の飛浩隆さんや批評家の東浩紀さんが年明けのtwitterで投稿し、話題になっていました。 詳細はこちらのを参考にしてください。 要点は、切り分けたレモンの断面が放射状に広がる光のイメージを表現しているというところです。 言われてみれば納得で、これは目から鱗でした。 歌詞の意味について 歌詞の意味の解釈については、色々な取り方が可能だと思います。 前述のレモンの比喩を踏まえた上で、私なりの解釈を以下に記載します。 夢ならばどれほどよかったでしょう 未だにあなたのことを夢にみる 忘れた物を取りに帰るように 古びた思い出の埃を払う 大切な人( あなた)がなくなったこと。 そしてその現実が受け入れられないことが冒頭の二文だけで痛いほど伝わってきます。 記憶の奥にある古びた思い出を悲しみの中で大切に取り出す様子が浮かびます。 戻らない幸せがあることを 最後にあなたが教えてくれた 言えずに隠してた昏い過去も あなたがいなきゃ永遠に昏いまま あなたと出会って幸せだったこと、 あなたと出会う前の過去が昏く、永遠に昏いままであることを意味しています。 「昏い(くらい)」は、日が暮れてあたりがぼんやりと、はっきりしなくなるさま、を意味しています。 要は、 光が足りない状態です。 あなたがいなきゃ昏いということから、 あなたが 光であることが暗示されます。 きっともうこれ以上 傷つくことなど ありはしないとわかっている わたしが、悲しみのどん底にいることが表現されています。 あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに 胸に残り離れない 苦いレモンの匂い あの日とは、 あなたが死んだ日でしょうか?その悲しみや苦しみさえ、 あなたのすべてを愛していたことが伝わってきます。 ここで初めて レモンが登場します。 あなたと苦い レモンの匂いを重ねています。 あなたは 光であり レモンであるということが表現されています。 雨が降り止むまでは帰れない 今でもあなたはわたしの光 降り止まない雨は、 光のささない様子を意味しています。 あなたがわたしの 光であることがここで改めて直接的に表現されています。 光である あなたがいないのですから、雨が止むはずはありません。 暗闇であなたの背をなぞった その輪郭を鮮明に覚えている 受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ 暗闇という言葉から、 あなたが死んだ後の世界が想像されます。 光である あなたがいないから暗いのです。 死体を抱きしめているのでしょうか。 あなたの死を受け止めることができず、わたしの涙がとまらない様子が表現されます。 何をしていたの 何を見ていたの わたしの知らない横顔で わたしの知らない横顔=死んだ後の あなたの横顔 を意味しています。 死後の あなたは何をしていたの?何を見ていたの?と問いかけます。 どこかであなたが今 わたしと同じ様な 涙にくれ 淋しさの中にいるなら わたしのことなどどうか 忘れてください 死後の あなたがわたしと同じように悲しんでいるなら、どうかわたしのことを忘れてほしいと願います。 そんなことを心から願うほどに 今でもあなたはわたしの光 わたしは、死後の世界を信じているわけではありません。 それに、 あなたにわたしのことを忘れてほしいわけがありません。 それなのに「そんなことを心から願うほどに」あなたが大切なのです。 あなたがわたしの 光であることが改めて強調されます。 自分が思うより 恋をしていたあなたに あれから思うように 息ができない あんなに側にいたのに まるで嘘みたい とても忘れられない それだけが確か あなたが死んでから、生きていくのがつらい。 あなたが忘れられないということを表現しています。 あの日の悲しみさえ あの日の苦しみさえ そのすべてを愛してた あなたとともに 胸に残り離れない 苦いレモンの匂い 雨が降り止むまでは帰れない あなたと レモンの重ね合わせが繰り返されます。 切り分けた果実の片方の様に 今でもあなたはわたしの光 切り分けた果実は レモンを意味します。 レモンを切断することは、 あなたを切断することであり、 あなたの死を暗示します。 切断の瞬間の、ナイフの触感、色彩、香りが伝わってきます。 喪失の衝撃や痛み、悲しみが、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚といった全ての五感を通じて伝わってきます。 そして切断後の レモンの断面は、なお光を発しています。 あなたが死後もわたしを照らす 光であることを表現しています。 まとめ 以上、米津玄師の「Lemon」の歌詞について、twitterで話題になったレモンの比喩を手掛かりに、自分なりの解釈をまとめました。 改めて歌詞を眺めてみると、深みのある素晴らしい内容でした。 死を主題としつつも、歌詞中に死という言葉は一度もでてきません。 あなた、光、レモンを重ねる表現を用いて、あなたを失った悲しみを歌詞全体で表現しています。 最後には、あなたが死んでもなお光であることが五感に訴えながら強調されます。 インターネット上では、他にも、歌詞の中盤で「わたし」と「あなた」が入れ替わるといった説や、「わたし」と「あなた」がシンクロし共鳴するといった説もあるようです。 読者それぞれが自分なりの解釈をしてみるのも良いのではないかと思います。

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